第122話
ドラゴンがいるという東の森へ近づくにつれて周囲の様子が一辺していった。
かつては人が通っていたと思われる道は瓦礫が散乱し、そこかしこが崩れ落ちていた。
もはや道とも呼べない道をひた走って遠征隊だったが、倒れた木に行く手を阻まれて止まることを余儀なくされた。
幸い倒れた木は人の手で撤去することができそうだ。
騎士達は黙々と作業に取り掛かっていた。そこへ遅れて奏達は到着した。
「道が塞がっているね」
「だな。時間がかかりそうだ」
奏はアドリアンの手を借りて馬から下りた。道中は楽しく会話していて気づかなかったが、やはり長時間の乗馬は体にこたえた。
地面に足を着けていざ一人で立とうとした奏は、力の入らなくなった足をぶるぶると震わせた。その様子はさながら生まれたての子馬のようだった。
アドリアンが笑いながら奏を支えようと手をのばしたが、その前にスリーが横から奏の身体を抱き上げた。
奏は突然抱き上げられて驚いた。目線が高くなり不安定さに慌ててスリーの首に縋り付く。
「カナデ、顔色が良くない」
「そうかな。そんなに疲れていないけど……」
スリーに言われるほど体調が悪いということはなかった。ただ心配そうに覗き込まれてしまえば、言葉は知りつぼみになった。
スリーは病気のことを話してから心配性に拍車がかかっていた。病気については極力考えないようにしていても、スリーが思い出させるようなことばかりいう。
それはスリーが「大丈夫だ」という奏の言葉を信じていないからにほかならないが、時々調子を崩すことは事実だから強く否定もできなかった。
いつもとかわらない無表情のスリーの落ち着いた濃い茶色の瞳が不安そうに揺らめいている。
奏を抱き上げたスリーが迷いなく進んでいく。遠征隊から離れようとしているようだ。
「スリーさん。どこに行くの?」
「すぐそこに川が流れているからそこへ行こう。涼しいはずだよ」
奏の体調を気遣ったスリーが考えそうなことだ。奏は嬉しいと感じると同時にスリーに申し訳ない気持ちで一杯になった。
スリーは護衛としても恋人としても、いつでも奏を中心に物事を考えて行動している。護衛としてはそれが仕事といってしまえばそれまでだが、恋人としては過剰に甘やかされているように思えて、奏はそれが居た堪れなかった。
最近のスリーは公私混同している。本人に自覚があるかどうはわからないが、あまりいいことではない。
奏が一人で悶々と考えているうちにスリーは目指す場所に着いた。木陰を見つけて奏を抱いたまま腰を下ろす。
スリーの膝の上に乗ることになった奏は、さすがに恥ずかしくなって立ち上がろうとしたが、スリーがそれを許すはずがなかった。
「カナデは大人しく抱かれていて」
「それは遠慮したいんだけど」
「どうして?」
スリーに真顔で返された。今は休憩時間だから恋人の時間であることを主張したいようだ。スリーの仕事とプライベートの切り替えは判りにくい。
「恥ずかしいよ」
「カナデは大胆なことをするのに恥じらいを忘れないね。そこが可愛いけれど今は大丈夫だから」
奏は意味がわからず首を傾げた。
「何が大丈夫?」
「誰も見ていないよ」
人目がないから大胆になっても支障がないとスリーが言う。奏はポカンとした。何かいまとんでもないことを言われた気がする。
「スリーさん。どうかした?」
「……アリアス様のことは仕方ないといったけれど、ああも容易く邪魔をされると流石にね」
スリーは馬に乗りなれていない奏を他人に任せたことに不満を漏らした。シェリルのために仕方なくとはいえ、アリアスに強制的に交代させられたと苦々しい思いを吐露する。
奏は、アリアスがスリーに嫌がらせをしたとは思えなかったが、これまでのアリアスの行いの悪さを思えば、スリーにそう思われても仕方ない気がした。
「寂しかった?」
なんだかスリーが拗ねている様子が可愛く思えて、奏は笑いながら冗談めかして言った。するとスリーは一瞬目を見張る。言葉が見つからず絶句している。
真面目なスリーはからかう相手としては不向きと結論を出した奏は、何事もなかったように話題を変える。
「シェリルとはどんな話しをしたの?」
スリーがシェリルと二人きりでどうしていたのか気になった。奏の護衛をしていれば、おのずとシェリルとも顔を合わせる機会は多いが、奏の知っている限りでは二人が話をしていたことはなかった。
「ああ。家族の話をしたよ。シェリル様は大家族のようだね。お互いに妹がいるから妹自慢で終始したよ」
「そうなんだ。シェリルがしっかりしているのってそのせいかな」
「兄が二人と姉が一人。それから妹が一人いるそうだよ。シェリル様の妹は大人しい子みたいだね。俺の妹とは正反対だから話題に事欠かなかったよ」
シェリルには大切な家族が大勢いるようだ。
シェリルがセイナディカに召喚される以前の生活について話をすることはなかった。気づいていた奏も無理に聞き出そうとは思えず、シェリルが大家族だということも初耳だった。
奏は故郷に二度と帰ることができないであろうシェリルのことを考えると胸が締め付けられた。けれど、こうして少しずつでも家族のことを誰かに話せるようになったのなら良かったと安堵した。
「二人とも兄弟姉妹がいていいね」
「カナデは一人っ子?」
「うん。スリーさんみたいなお兄さんってうらやましい」
スリーは妹を溺愛していそうだ。妹に請われるまま人気店のお菓子を買ってきていた。
「残念だけど俺は兄にはなれないよ」
スリーはそういうと頬に口付けてくる。顔中にキスの雨を降らせて兄との違いをわからせようと躍起になっている。
奏はくすぐったさに身をよじってスリーの攻撃をかわそうとするが、本格的にキスを強請られて観念したように大人しくなる。
「妹さんにスリーさんの所業を訴えたい」
「根堀はほり聞かれて恥ずかしい思いをするだけだよ」
イヤらしく唇を食み続けるスリーに小さな抵抗をするが動けなくさせられるだけだった。人目がないとはいえ積極的すぎるスリーに流されそうになる。
奏は遠征中に「けしからん」と自身に突っ込んだ。近くで倒木の撤去作業をしている騎士たちに見られでもしたら羞恥で引きこもりたくなりそうだ。
奏はしつこく口付けてくるスリーの顔を手で押し返した。不満そうに喉をならしたスリーが奏の手を掴む。
拘束されて抗議するように上目遣いでスリーを睨むと掴まれた手に湿った感触がした。スリーに手を舐められたのだ。
「な、なんで舐めるの!?」
「噛むことを我慢するとこうなるね」
「噛む!?」
スリーの過激発言にたじろぐ。スリーは淡々とした口調を崩していないが言っている内容は恐ろしい。
「カナデは俺を噛んだよね。一方的というのはどうかと思うよ」
噛まれたのだからそれに相当することをしても構わないだろうという持論を展開するスリー。暴走を皮肉られた奏は呆気に取られる。
「仕返し!?」
「いや、お返し」
「そんなお返しあるもんか」と奏は慄いた。自分の暴走を棚に上げてスリーの暴走に待ったをかける。
「スリーさんは駄目だよ!」
「俺は駄目って、カナデは我儘だね」
「スリーさんは我儘好きだから問題なし!」
「俺は我儘好きだったのか」
強引に結論づけるとスリーが不思議そうに言った。
それはそうだろう、と奏は思ったが、適当に言いくるめられたスリーの暴走が止まってホッと胸をなでおろす。
スリーと触れ合うことが嫌というわけではないが、これ以上の触れ合いは危険だ。遠征中だということを忘れてしまいそうになる。
「そろそろ戻ったほうがよくない?」
「そうだね。残念だけれど……」
もう少し二人きりの時間を過ごしたい気持ちは奏にもある。
まだドラゴンの住む森まで距離があり、移動中に離れていなければいけない時間も当然多くなってくる。
仕方ないと割り切れない気持ちがスリーにある限り我慢を強いられるのだ。
後ろ髪を引かれる。そんな気持ちをごまかすように奏は約束を口にする。
「無事に帰ってこられたらデートしようね!」
「それはいいね」
思えばデートどころか二人きりの時間もほとんど持てていない。
スリーは護衛としてそばにいるが、それとこれとは話が別だ。
いろいろなことがあって気づかなかったが、気づいてしまえばもったいないことをしていた。
「約束だよ」
「わかったよ」
単なる思いつきで言ったことだったが、その約束は未来につながる。
それは奏の気持ちを奮起させた。みんなで無事に帰ってこようと奏は決意を新たにした。