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第120話

 ゼクスは突然の眩暈に息を乱した。

 ブルーリールの群れに遭遇してから息をつく暇もなかった。

 アリアスを囮に、なんとか遠征隊中央まで逃れたが、疲労困憊したゼクスがとれた休息はそれほど長くなかった。


 ブルーリールのしつこさに辟易しているまもなく、別の群れの接近によって、接触回避のために馬で駆けなければならなくなった。

 お陰で、ただでさえどん底状態だったゼクスの体力は、さらに大きく削られた。


 シェリルに癒された時間は短い。心が癒されただけで体力は戻っていない状態で、シェリルを抱えての移動は、ゼクスにとって苦行に等しかった。


 何とかブルーリールの群れを撒いて野営地に落ち着いたが、シェリルの世話をしている時から疲れ以外の違和感があった。

 最初こそ、危機を脱した安堵から疲れを感じ始めただけだろう、と見ないふりをしていたが、普段は感じたことがない眩暈が襲ってくると、さすがにおかしいとゼクスは思い始めた。


「ゼクス? どうかしたの?」


 眩暈でぐらりとしたゼクスの異常を、敏感に察知したシェリルが不安気に問いかけてくる。

 ゼクスはすぐに「大丈夫だ」と答えようとしたが、急激に意識を刈り取られて昏倒した。


「ゼクス!?」


 シェリルの悲鳴が野営地に響き渡った。


◇◇◇


 近くで話し声が聞こえる。ゼクスは朦朧とした意識でその会話を聞いていた。


「ゼクスの様子はどうだ?」

「まだ意識が戻らないわ……」

「そうか。熱は下がっているから平気だと思うが、変化があれば知らせろ」

「わかったわ」


 シェリルが答え、誰かが天幕から出ていった。

 そこでゼクスは自分の状態が少しだけ把握できた。

 天幕にはシェリルだけがいるのだろうか。人の気配が感じられない。


「ゼクス。早く眼を覚まして」


 シェリルの祈るような声が聞こえる。

 不意に額にしっとりとした何かが触れた。少しだけ冷たく心地良い感触に、ゼクスは気持ちよさげに吐息を洩らした。

 その感触をしばらく堪能していると徐々に意識がはっきりとしてくる。

 身体はまだ眠りを欲しているようだが、ゼクスは心地良い感触をもたらしている何かが気になって眼をこじ開けた。

 視界一杯に広がった肌色にゼクスは困惑する。焦点が合わない。一体なにが額に触れているというのか。

 ゼクスは一考したのち驚きに眼を見開いた。

 至近距離にシェリルの顔がある。触れていたのはシェリルの額だ。


「……シェリル」


 掠れた声でシェリルを呼ぶ。シェリルが弾かれたように慌てて上体を起こす。


「ゼクス! 良かった。意識が戻ったのね」

「俺はどうしたんだ?」


 何となく倒れたことは覚えているが、どうしてそうなったのか分からない。


「毒が回ったの。一晩で熱が下がって良かったわ」

「毒? 覚えがないな」


 ブルーリールに追われている間に食事などする暇はなかった。

 それ以前の食事に毒が盛られていた可能性はあるが、遅効性にしては毒の効きが弱い。

 ゼクスに毒の耐性があったことを鑑みても大して効力がない毒性だ。


「草で足を切ったでしょ。それ毒草よ」

「毒草? あれか……」


 確かにブルーリールから逃げる途中で足を切った。

 ブルーリールを攪乱するために獣道を突っ走った。道なき道を注意しながら進むことは難しく、進路を邪魔する草木をおざなりに払うだけだった。

 当然、ゼクスはあちこちに切り傷や打撲を負った。その中に毒草があったということだ。


「他の騎士達は大丈夫なのか?」


 ゼクスは単騎で動いたわけではない。ゼクスと行動を共にした騎士達も同じように毒を受けた可能性がある。


「気分が悪くなった程度よ。……ゼクスが倒れたのは日頃の不摂生のせいよ」


 シェリルに詰られた。これについては言い訳することが出来ないゼクスは苦笑する。


「俺だけが倒れたわけか」

「すぐに手当てをすれば問題なかったのよ!」

「そうだな」


 怪我は軽傷だからと後回しにしたツケだった。


「ところでシェリル。さっきのあれはなんだ」

「なんのこと?」

「……額に触れていただろう」

「ああ、あれね。熱が下がったか確認していただけよ」


 シェリルは冷静を装っているが顔は赤くなっていた。


「シェリルの肌は気持ちがいいな」

「ちょっと、変なことを言わないで!」

「結婚するのだから問題ない」

「そ、そうだけど!」


 シェリルの求婚の返事は承服しかねる内容も含まれていたが、色よい返事をもらえたゼクスは喜びで有頂天になっていた。

 そのせいで身体に毒が回っていることに気づくのが遅れたことは失態ではあったが。


 シェリルが動揺して眼を泳がせる。求婚の返事に勇ましい答えを返した本人とは思えない初々しさだ。

 シェリルの愛らしさに、病み上がりにも関わらず調子に乗ったゼクスがシェリルに触れようとした時、天幕の入り口が乱暴に開かれた。

 アリアスがズカズカと入ってくるとシェリルの隣に腰を下ろす。

 ゼクスの顔色を確認するとシェリルの頭を撫ではじめる。


「ゼクス、心配させるな」

「悪かった」

「シェリルがめそめそ泣いていたぞ」

「ア、アリアスお兄さん」


 ゼクスが意識不明の間に泣いていたことを暴露されたシェリルが動揺した。

 やけに親密な二人の様子にゼクスの眉間に皺がよる。

 途端にアリアスが破顔した。


「焼くな、焼くな。俺は可愛い妹を可愛がっているだけだ」

「触り過ぎだ」

「お前は意外と嫉妬深かったんだな」


 ゼクスの意外な一面に驚いたアリアスが、シェリルの頭から手を離した。


「随分と仲良くなったな」

「ゼクスが倒れたお陰で色々大変だったんだぞ。シェリルの悲鳴に駆けつけてみれば、お前の意識はない。しかもお前を天幕に運ぼうとしたらシェリルが暴れやがる。ヴァレンテに結婚のこと聞いてなかったら、うっかりシェリルを排除するところだった」

「ごめんなさい」

「いやいい。自己管理できなかったゼクスが悪い。ま、俺はシェリルを構えて役得だったが」


 アリアスがニヤリと笑った。

 一度は離れたアリアスの手が、再度シェリルの頭に乗せられる。


「シェリルの食事の世話をしていたんだって? ゼクスが世話焼きだったとはな。お前の代わりに食わせてやったがなかなかいい。時々譲れ」

「冗談じゃない」

「別に冗談はいってない」

「くどい。譲る気はない」


 意識がない間のことを今さらとやかく言う気はないが、不愉快な気分は誤魔化せない。アリアスの悪い冗談だと分かっているが、看破はできない。


「つまらないヤツだな。兄妹のじゃれ合いぐらい認めろ」

「信用ならないから無理だ」


 アリアスの過去を考えれば無理な話だ。

 アリアスは女に手が早い。

 もちろん遊びというわけではないが、本気になれば手段を選ばない。人妻だろうが恋人がいようがお構いなしだ。

 欲しい物は手に入れる。そういう主義の男だ。

 例えシェリルを妹と認識していようが、そばに置くことなどできるはずがない。


「心配するな。今は別の女しか目に入っていない」


 ゼクスは余計に安心できなかった。別の女とは奏のことだろう。

 恋人がいる相手に懸想するアリアスの悪い癖だ。

 しかも周りに公言している。

 今のところ奏が靡く様子は見えないからいいが、アリアスの行動次第では、スリーと奏を奪い合う争いが勃発しそうである。

 ゼクスは問題ばかり起こす身内がいる不幸を嘆く。


「いい加減落ち着いてくれないか」

「そのうちな。ゼクス、それだけ元気なら何かで腹を満たせ。お前が動けなければ先に進むことができん」

「ああ」

「お前が食べられるものを用意する。少し待て。シェリルはいい子でな」


 アリアスは天幕から出ていく。

 その際に、するりとシェリルの頬を撫でていった。

 シェリルを猫可愛がりしたいようで、ゼクスがいい顔をしないことを承知で、遠慮をしないのだから油断も隙も無い。

 あんな態度でいて、義理の妹として可愛がるだけという理由に、説得力などありはしない。


「シェリルはアリアスを怖がらないな」

「義理のお兄さんになるのよ。恐くはないわ」


 シェリルの男性恐怖症は身内には当てはまらないようだ。

 同じように兵団の護衛にも恐怖心を抱いていない。

 血のつながりがない場合は「兄のような」という括りさえあれば、恐怖を感じない。都合のいい男性恐怖症だ。

 あくまでも「兄のような」という立場の男達が、この先も兄でいるかは甚だ疑問だ。


 シェリルは美しい。その自覚があるならいいが、アリアスや他の男達の目線をまるで気にしない。

 もう少し、自分が男達の与える影響を考えられないものか、とゼクスは嘆息するのだった。

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