第12話
奏が着替えに行っている間、簡単な準備を済ませて、後は特にすることもなく、フレイは今朝の出来事を思い出していた。
(召喚が行われたと噂が流れていたが、あれがそうか……)
この世界には珍しい黒髪に黒瞳、まるで男装でもしているかのような服装をしていた。
華奢な身体は子供のようで、バルコニーから飛んだと聞いたときには冗談にしか思えなかった。
あの身体でよく怪我もなくいられたものだと。
フレイにとって今朝の出来事は本当に偶然であった。
いつもは王の護衛をすることなどない。近くで言葉を交わしたことなど騎士の叙任式の時ぐらいで、姿さえ滅多に見かけることがない。
騎士として訓練漬けの日々を送る。それがフレイの日常であった。
ところが今日は王の護衛を増員するという通達で、フレイは借りだされることになったのだ。それもたまたま朝から訓練をしていたから呼び出されたに過ぎない。
訓練場で会った団長に言われるままに鎧まで装備して、物々しい雰囲気の中、王の執務室へ向かう。
そこで王の不在を知り、また大騒ぎとなった。
護衛対象の王がいない。護衛の増員も突然すぎて、フレイには状況が全くわからない。
そんな時、聞いたのが女性の悲鳴だった。
気がつけばフレイは全速力で駆けつけていた。
(なにが起こった?)
そこには、行方が知れなくなっていた王がいて、慌てた様子でバルコニーへ走って行くところであった。
(まさか!)
女性の悲鳴がここから聞こえたことは間違いない。フレイは自分の予想が当たったことをすぐに悟る。
こんなところから落ちたらなら、女性はタダでは済まないだろう。王の慌てぶりも分かる。
ただ、王を慌てさせるような人物がいたと聞いたことがなく困惑する。
(一体、誰が落ちた?)
フレイは様子を窺い、女性の無事を知る。
(なにを言っている!?)
ところが聞こえてきた女性の言葉に絶句することとなる。
一体どういうことだと混乱していると、フレイと同じように駆けつけた護衛の一人が王を制止する。
「ゼクス王、そのようなことは我々が……」
(おい! 我々って!)
「そうか? 飛べそうか?」
「問題ないでしょう」
フレイの驚きをよそに会話が進んでいく。
(なぜ、俺を見る!?)
王との会話の最中に視線を飛ばしてくる騎士。どう考えても「お前が飛べ」と言われている。
フレイはそのときになって、ようやく護衛の騎士がスリー・リーゼンフェルトであることに気づく。
称号持ちの騎士であるスリー・リーゼンフェルトが、王の護衛と聞いたことがない。
なぜ王の護衛としてここにいるのだろう。
疑問は残るが、スリー・リーゼンフェルトが王の護衛につくのなら、フレイに拒否権はない。
諦めの心境でフレイはスリーへ頷いてみせた。
「鎧は脱げ」
「了解……」
言われるまでもなく邪魔な鎧は脱ぐ。戦闘中でないにも関わらず鎧を着せられたのだ、脱いでしまうことは特に問題ないだろう。
(で、ここから飛べと?)
バルコニーは想像以上に高かった。フレイは一瞬怯む。
(問題ないって、あんたならそうだろうな!)
フレイの対抗意識が沸き起こってくる。スリーが何を考えているかは分からないが、飛べというなら飛んでやろうと決意する。
「わ! すごい!」
着地をした瞬間に称賛される。純粋に褒められて悪い気はしない。
フレイは興奮ぎみな声の主に視線を向ける。
(……本当に珍しい色だな)
同じ色が揃っている。どちらも珍しい色合いだ。朝日を浴びているのに透けるでもなく、漆黒なのだ。
(本当にここから飛んで無事だったのか……)
フレイに続いて飛んでみせた王と楽しそうに会話をしている様子をみても、女性は怪我一つしていないことが分かる。
華奢に見えるが実は鍛えているのだろうか。
フレイは女性を見つめたまま、ぼんやりと考えていた。
その後、女性は驚きの発言をする。
「私は奏っていいます! 私の師匠になってください!」
(は? スリー・リーゼンフェルトに師匠になれだって?)
驚くのは何度目だろうか、フレイはもういちいち反応するのも疲れて、うっすらと笑いを浮かべたのだった。
◇◇◇
「遅くなっちゃった」
「このくらいは待たせたうちに入りませんよ」
フレイが奏との出会いを回想しているうちに、着替えが終わったらしい。
奏とリゼットの笑い声に、フレイの思考が現実に戻ってくる。
(そうだった。これから俺が指導するんだったな)
何の因果か、もう会うことはないだろう、と思っていた奏の指導役になってしまった。
十中八九、スリー・リーゼンフェルトが口添えしたと思うのだが、団長命令では仕方ない。
「今日だけは許してやる」
貴重な時間を奪うからには楽しませてもらおう。フレイはニヤリと笑った。