第117話
慣れない馬車の移動で疲れていた奏はウトウトと微睡んでいたが、突然の凄まじい破壊音にビクリと身体を反応させた。
「な、な、何!?」
先を急ぐように進んでいた馬車は急停止して、その周りでは騎士と兵団が騒めいていた。
身体を休めていたゼクスが険しい顔をして起き上がる。
「何事だ!」
「戦闘中のアリアス様と接触しそうです」
ゼクスに状況報告をするためにスリーが馬車に駆け寄ってきた。このまま進むと戦闘の最中に接触する可能性が極めて高いということだった。
激しい破壊音が鳴り響いている。かなり近い所で戦闘が続いているようだ。
「害獣の群れを撒くために進路を逸らしたはずだが……」
「こちらに別の群れが接近しているようです。アリアス様も戻らざるを得なかったようです。俺が行きましょうか?」
「いや。別方向から襲われる可能性がある。スリーは待機しろ」
「了解」
現状は害獣の群れに応戦するだけで手一杯だった。
そこに別の群れにまで襲われてしまえば遠征隊は瓦解しかねなかった。
「なんか凄くやばそうだね」
「よりにもよってブルーリールの群れにぶつかった。運が悪いでは済まされない」
「え? 珍味の?」
「アリアスが嬉々として狩っているが、追いついていない」
ブルーリールといえば、群れで行動する火を噴く害獣で、その味は「格別」と言われている。
美食を追求しているリゼットもそう言って、フレイに狩ってくるように迫っていた。
フレイが実際に狩ってきたかどうかはわからないが、ブルーリールの性質が余りにも酷いので、辟易していたことを思い出す。
とにかく一度定めた獲物をしつこく追い回す性質で、逃げるだけでも苦労するという面倒な害獣なのだ。
倒すことは比較的難しくないというが、群れの数が多すぎた。
やっと撒けたと思ったら別の群れに狙われるという有様だ。
遠征隊はそれが運悪く何度も続いているという。
その度にアリアスが狩りつくしているらしいが、ブルーリールは本当にしつこかった。
「群れ同士で情報共有でもしているのかな」
「どうだろうな。聞いたことはないが有り得ないことではない。アリアスが狙われているとすれば、その可能性は高い」
アリアスが狙われている理由は、珍味狙いの狩りでブルーリールを怒らせたからだろう。
「群れに接触したことはアリアスのせいではないが、これ以上襲われてはかなわない」
「アリアスを置いて行ったら?」
「その作戦は実行済みだ。本隊も狙われはじめた。もはや手遅れだ」
アリアスを囮にブルーリールの群れを撒く作戦は実行したようだが、それも功を成さなかった。
「アリアスの戦闘を邪魔しないよう迂回する。遠回りになるが仕方ない」
新たな群れも接近している。アリアスと合流しても解決にはならないと判断したゼクスは決断する。
ゼクスは騎士団に指示を飛ばすと馬車を降りようとしたが、その直後、大きな衝撃が馬車を襲う。
ズドーンという音と共に馬車の屋根に何かが落ちてきた。ミシミシと音を立てて今にも屋根は壊れそうだ。
「外へ避難しろ!」
「え? 屋根が落ちる!?」
「きゃあ! 燃えているわ!」
奏は慌てて馬車を出ようとしたが、たたらを踏んで転げ落ちた。
ゼクスがシェリルを馬車から引きずり出す。
「カナデ!」
スリーが転げ落ちた奏を立ち上がらせて馬車からひき離す。
馬車は青い炎に包まれて炎上した。
「あれ、なに?」
燃え盛る馬車の屋根には得体の知れない物が乗っていた。
一見すると犬のように見えなくもないが、身体の至るところから針なのか尖ったものが生えていた。
「まさかブルーリールが馬車に直撃するとは」
「あれが珍味……」
無事に避難したゼクスが謎の物体の正体に眉をひそめていた。
奏は見た目には美味しそうに見えない珍味を眺めた。
何故馬車を直撃したのか不思議であったが、満身創痍でゼクスの元に駆けつけた宰相によって、謎が判明する。
「直撃するとはなんの冗談でしょうかねぇ。アリアス様の有り余った戦闘能力の高さに脱帽するべきか悩みますよ」
「アリアスは?」
「ブルーリールに群がられていますよ。あちらは平気ですから移動してください。次の群れが後方から来ます」
アリアスの姿は見えないが、ブルーリールをここまで吹き飛ばしようだ。かなり近くにいる。
害獣の唸り声のような不気味な声が迫ってくる。
「馬車は使えませんから馬で駆けてください。殿は私が務めます」
「カナデはスリーと行け! シェリルは俺について来い!」
奏はスリーに馬上へと引き上げられた。スリーの前へ座らされ、腰をグッと引き寄せられる。
「飛ばすよ。舌を噛むから喋らないで」
「う、うん」
緊迫した空気に奏の身体は強張った。
ゼクスについて行ったシェリルのことが心配であったが、馬が疾走してグンッと身体が引っ張られるとそれどころではなくなった。
奏は振り落とされないように馬の鬣につかまるだけで精一杯だ。スリーに抱えられているが揺れが酷く、奏は気持ち悪さに蒼白になる。
ブルーリールの群れが追ってくるのだろう。遠征隊の速度は増していく。
どれだけ進んだのか、ようやく馬の速度が落ちた。
そのころには奏はぐったりとして動けなくなっていた。
吐き気はなんとか堪えたが、しばらくは何も考えられずに茫然とする。
「カナデ、大丈夫?」
「うっぷ」
スリーに心配されたがまともに返事ができない。思い出したように吐き気が戻ってくる。
「もう少ししたら休めるから」
「ううっ」
何とかブルーリールの群れは撒けたらしい。本隊は野営地を目指していた。
そこまでいけば休むことができるとスリーに励まされたが、奏の瞳は虚ろになっていた。
もう頑張れない。背後のスリーに凭れかかる。
「カナデは俺のどこが好きなの?」
「え?」
スリーの唐突な質問に面食らった。吐き気はどこかへ行ってしまう。
「突然なに?」
「気が紛れるかと思って」
スリーの気遣いはどこか可笑しい。
奏は、気が紛れるどころか逆に緊張してしまった。
「言わなきゃ駄目かな」
「折角だから」
スリーの声から期待を感じ取って、奏は恥ずかしそうに俯いた。
あえてスリーを好きになった理由を告げたことはなかった。まさかスリーから聞かれるとは。
「見守っていてくれたんだなぁって思ったら好きになっていたかな」
「それだけ?」
「……強くてカッコいいところが好き。あと話し方がすごく好き」
強い騎士にもかかわらず柔らかい口調が安心感を与えてくれた。
奏は、これがギャップ萌えというやつだろうかと頬を染める。
「じゃあ、仕事中の俺はあまり好きじゃない?」
「ううん。最初に会った時に真面目なところがいいなって思ったから、仕事中のスリーさんも好きだけど」
「師匠に乞われたのは真面目だから?」
「うん。なんか、この人がいいなとか思っちゃって。ん? 可笑しいな。それって最初から好きみたい……」
スリーに誘導されるように答えていた奏は、一目惚れ疑惑が浮上して混乱する。
まるでスリーの全てが好きだと答えさせられているようで面映ゆい。
「スリーさん。誘導尋問してない?」
「そんなまさか!」
スリーは全面否定しているが疑わしい。スリーを腹黒と疑ったことはなかったが、色々な隠し事をしていたことを考えると違うと否定しきれなかった。
ただ、スリーが隠し事をしていても、大概は迂闊さで全てが明るみになっていたが。
「俺がそんな姑息な真似をするはずがないよ。純粋にカナデの気持ちを知りたかっただけだよ」
スリーは腹黒というより天然か。
純粋さは時に痛いほどの羞恥を伴うことを奏は知った。腹黒のほうがマシだった。
「カナデの気持ちが嬉しいよ」
スリーがそう言って、贈り物の指輪をこれみよがしに見つめていた。
奏は周囲の騎士から生ぬるい視線を浴びて居たたまれなくなった。