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第104話

 どこからか楽しそうな声が聞こえてくる。

 ゼクスは急浮上した意識で、賑やかな声に耳を傾けた。

 しかし、身体はまだ休み足りないのだろう、まったく動かせる気がしない。


「ユハナが弟になってくれるなんて嬉しいわ!」

「あの、僕も嬉しいです」

「きゃ、可愛い!」

「そ、そうですか。僕はこれでも男なのですが……」


 ユハナの少し渋い声が聞こえる。けれど決して嫌そうに聞こえない。


「私が怪力じゃなければ抱きしめたいわ!」


 シェリルの言葉は看過できなかった。

 ゼクスは重い身体を無理やりソファから起す。


「俺以外の男を抱きしめるなど、許すはずがないだろう」

「ゼクス、起きたの?」


 眠れるはずはない、と思っていたが、シェリルの声が心地良く知らぬ間に眠っていたようだ。

 ゼクスは、ぼんやりしている意識をはっきりさせるように頭を振る。


「書類の分類は終わったようだな」

「もう少し休んでいてもいいのよ」

「いや、十分だ」


 すっきりしたとは言い難いが、それでも休息して疲れは軽減できたようだ。

 ゼクスはゆっくりとソファから立ち上がり机に歩み寄った。

 書類はきちんと分類されているようだったが、机の端に避けられている書類があることに気づく。


「それは?」

「あ、これは……」


 シェリルが口ごもった。どう説明したらいいかわからない、という顔をしている。

 ゼクスは書類を手にとった。シェリルが口ごもった理由がわかって苦笑する。


「俺は辛うじて読めるが、ユハナは読めないだろうな」


 そう言ってユハナに書類を見せれば、ユハナの眉が下がる。


「この書類が読めるのですか。凄いです」

「慣れだな」


 ごくたまにこういう読めない書類が混ざり込む。崩しすぎた文字は、とても読めるようなものではないが、解読していると思えば、それほど苦でもない。


「こっちにもあるな」


 机に避けられている書類は、どうやら二種類あるようだ。

 ゼクスはこれも手にとり眺める。

 シェリルが分類できずにいるのも無理はない。


「まわりくどい」


 読み込めば意味は理解できるが、理解するまでに時間がかかり酷く無駄を感じる。

 同じ文字の羅列が、こう何度も繰り返されていると眩暈がしそうだ。


「気持ち悪いわ」


 シェリルは見ていて不愉快な気分になっていたらしい。

 書類仕事に慣れているゼクスでさえ、あまりいい気分ではなかった。

 いい加減な書類が混ざる傾向が、ここのところ多い。


「宰相に対処させるか」


 忙しさではゼクスの引けを取らない宰相だが、このことを知れば、怒り狂うに違いなかった。

 楽しいことは大好きだが、無駄が大嫌いという男なのだ。


「お呼びですか?」

「……何故いる」


 気配もなく現れた宰相に驚く。

 呼び出す手間は省けたが、いったいどこから嗅ぎ付けたのか。いつものこことはいえ、得体が知れなすぎる。


「新人教育は私の管轄ですよ。ユハナ君のことは注意して見守っていました」


 どうやらユハナを見張っていたようだ。

 執務室へ書類を届けるにとどまらず、手伝いまでしていたのだから、宰相が気にしないはずがない。


「そうか。ユハナを勝手に使って悪かった」

「いいえ。いい働きをしてくれて感謝していますよ。これで心置きなく監督できます。ゼクス様は流してしまうので困っていたところです」


 崩し字の書類は、まあ読めなくはない、とそのまま放置していた。

 宰相は容赦がないが、ゼクスから言わなければ動くことはまずない。


「ほとほどにな」

「何を暢気なことを言っているのです。反乱が起こってしまっても知りませんよ」

「どういうことだ?」


 反乱分子が存在するとは聞いていない。そういった兆候はなかったはずだ。


「書類が適当になっていることは何も人手不足のせいばかりではありませんよ。発生元は不明ですが『国が滅びる』という噂が広がっています。そのお陰で仕事を放棄して逃げ出す人間が後を絶たないのですよ。不愉快なことにゼクス様の対応が甘いと吹聴する輩もいるようです」


 「困ったものです」と言いながら、宰相の表情には余裕が伺えた。


「いまさらか?」

「いまさらですね」


 国が滅びる。

 セイナディカは常に敵国に狙われ続けていて、その手の噂に事欠いたことはない。


 その上ドラゴンが覚醒するに至っては、地震で文字通り国が揺れている。いつ滅んでもおかしくない国なのだ。

 いまさらのように噂を流したところで、その手のことに耐性がある国民は、怯むことはないはずだ。

 それに逃げるならとっくに逃げていなければおかしい。


「何人だ?」

「いまのところは六名ですが、増えそうですね。不安を煽っているようですよ」

「いったい何がしたい」

「さあ? 混乱に乗じて国を乗っ取りたい人物に心当たりはないですね」


 犯人の意図が分からない。

 宰相が言う通り、疲弊した国をわざわざ欲しがる奇特な人物でもいるのだろうか。


 国を手に入れてもドラゴン発見以前ならいざ知らず、敵国はもはやセイナディカに興味はないだろう。

 ドラゴンという危険があるだけに手に入れるだけの旨みがない。売り払うにしても、価値がなくなった国に買い手はつかないだろう。


「反乱がおこりそうか?」

「可能性がないといえないところですかね。端から潰していますから心配するほどのことではないですが。最近は〈モグラ叩き〉が楽しくて仕方ないですよ。あ、〈モグラ叩き〉は異世界の言葉で、頭を出したところを叩き潰すという娯楽です」


 ゼクスの口から溜息が漏れた。

 そんな過激な娯楽を、さも楽しそうに語る宰相は、手腕がなければ、ただの変人だ。


 そして、いつの間にか宰相まで異世界語を使い出している事実にも頭が痛くなる。

 リゼットが犯人に違いないが、今は追及している暇はなさそうだ。


「書類については反乱と関係ないだろう」

「たしかに反乱と関係ありませんが、ちょうどいいのでこれを機に改善させます。ゼクス様の手を煩わせるなど許せません」

「無駄がなくなるなら構わないが」


 シェリルに指摘されるまで細かいことはおざなりだった感はある。いちいち言うことでもない、と流していたが、効率を考えれば早々に対処するべきであった。


「おや? ゼクス様が反対されないとは珍しい。いつもは面倒くさいとおっしゃるばかりですが」

「シェリルが気持ち悪いと思うようでは、改善させないわけにいかないだろう」


 シェリルに「気持ち悪い」といわしめた書類については、今までたいして気にならなかったが、こうして晒されてしまった後では、何もしないというわけにはいかない。

 ゼクスを多忙にしている理由が、効率の悪さにあるのなら、シェリルは黙っていてはくれないだろう。


「シェリル様ですか? こちらの文字を読めないのでは?」

「読めないが形で判断できるようだ」

「……なるほど。では、そちらに分類されている書類はシェリル様が?」

「そうだ」

「素晴らしい!」


 宰相は一筋の光明を見出したかのような喜びようだった。

 嫌な予感にゼクスが口を挟む前に、宰相が言う。


「書類の効率化はシェリル様に一任しましょう!」

「一任は思い切り過ぎだろう」

「そんなことはありませんよ。むしろ私があれこれいうよりは成果があがりそうです。ゼクス様は知らないことですが、シェリル様にはすでにファンがついておりますよ」

「ファン?」


 知らない異世界語だった。ゼクスには理解が追いつかない。

 いちいち説明を求めなければならないとは。異世界語を禁止すべきか。


「シェリル様の魅力の虜という意味です。シェリル様が嫌そうな顔をすれば、一発で改善されるでしょうね。間違いありません」


 たしかにシェリルに「気持ち悪い」と言われたら立ち直れそうにない。美しい顔を歪ませるなど、罪悪感は半端ないことだろう。


「シェリルには難しいと思うが……」


 シェリルは異性を苦手としているようだった。

 最初こそ異世界にきて混乱しているだけだ、と思っていたが、様子を見ているうちに認識が間違っていることに気づいた。

 ゼクス以外には、今でも少し怯えた態度を見せている。

 事実、宰相が執務室に現れてからは、すっかり大人しくなってしまっていた。


 ただ、ユハナに懐いたことは意外だったが、子供だから平気、ということなのだろう。


 そんなシェリルが大人の男に囲まれてやっていけるわけがない。騎士ほど威圧感がない文官が相手だが、無理をさせることはできないだろう。


「ゼクス様がそばにいれば平気では?」

「いちいち執務室に呼ぶのか?」


 シェリルに任せるにしても、ゼクスがいては、呼び出された文官は威圧されて、逆に委縮するのではないだろうか。

 ただでさえ執務室は敷居が高いうえに、目の前には王がいては、書類仕事などままならないだろう。


 それにシェリルが衆人の目に晒されて、不快な気持ちにならない自信はなかった。

 時々やってくる騎士たちの態度を見れば、シェリルの美貌に、文官たちが色めき立つことはわかりきっている。

 ゼクスは己の忍耐力を試すつもりはなかった。


「ユハナ君は大丈夫そうですね。では、こうしましょうか。ユハナ君が書類を運んで、シェリル様に分類をして頂く。そのうえで省かれた書類は、突き返してやり直しをさせます。どうでしょうか?」

「分類まで必要か?」

「シェリル様の分類は素晴らしいですよ。ゼクス様は各部署から流動的に渡されていた書類に目を通していたので、シェリル様の分類を見るまで、これほど非効率であることに気づきませんでした。ゼクス様、心当たりがありますよね?」

「……あるな」


 流れ作業の中で、一度は見たような書類に気づいたことが何度かあった。

 一度で済ませられることに無駄な時間を割いていたことは否めない。

 ただ、それを確認するだけの時間も労力もなかった。


「シェリル様はゼクス様が働き過ぎることを懸念しているようですから、喜んで協力してくれると思いますよ」

「まあ、そうだろうな」


 シェリルが協力を拒むことはないだろう。

 常に迷惑をかけることなく、控えめに振る舞うシェリルだったが、ゼクスの仕事のこととなると主導権を握られてしまう。

 休憩などはその最もたるもので、シェリルが側にいる限り、ゼクスが休憩なしで仕事を続けることは不可能だった。


「何か問題でも?」

「いや」


 ゼクスの歯切れの悪い態度に、宰相が怪訝な顔をした。


「まだ、口説き落としていないのでしょう?」

「ああ」

「疲れ切っていては、押し倒せませんよ」

「押し倒してどうする」


 宰相の言いたいことは分かるが、求婚の返事待ち状態で押し倒すわけにはいかない。

 シェリルの気持ちさえはっきりすれば、すぐにでも押し倒したいところではあるが。


「この際、ゼクス様の意見はどうでもいいでしょう。シェリル様は協力する気でいてくれるようですから」


 笑顔になった宰相の視線を追えば、シェリルの満面の笑みとぶつかった。聞かれていることは知っていたが、そこまで嬉しい顔をされるとは反対するのは憚られる。


「仕事を押し付けられたのに嬉しいのか?」

「ええ!」

「良かったですねぇ」


 シェリルのいい返事に宰相がしみじみと言った。

 こうして宰相に踊らされるのは何度目だろうか。ゼクスはこめかみを押さえて溜息をついた。

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