第100話
朝食後、重い腰を上げて野菜畑に戻るとノエルが荷台を用意して待ち構えていた。
アリアスが張り切って作った料理を堪能していたせいで、遅くなってしまったと思ったが、ノエルはニコニコと笑顔で迎えてくれる。
「明日が楽しみで仕事に集中できなくてのぅ」
「爺さん。そんなに楽しみか」
アリアスは呆れ顔だ。カレー作りに夢中になっている自分のことは棚に上げている。
ノエルは仕事をそっちのけで、こちらの手伝いをするという。早速、騎士団から借りてきた二頭の馬に荷台を引かせる準備を始めた。
「さあ、やるぞ」
アリアスが両袖をまくる。早速始めるかと思いきや、巨大野菜の山を前にピタリと動きを止めるとあらぬ方向に視線を飛ばす。
「そこの護衛!」
アリアスが声を上げるとスリーが木の陰から姿を現した。
奏は、スリーがいたことに全く気付いていなかった。
「なんでしょうか?」
「あれを運ぶのを手伝え」
護衛任務中にいくらなんでも手伝いは無理じゃないのか、と奏は思ったが、スリーはチラリと巨大野菜の山を見て静かに頷いた。
そして、アリアスはひらりと荷台に飛び乗ると、当然のようにスリーへ指示を飛ばす。
「野菜を俺に投げろ」
「……了解」
アリアスのとんでもない指示にスリーは一瞬戸惑ったようだ。相変わらずの無茶ぶりだ。
奏は巻き込まれたスリーに同情する。
それにしても、野菜をいちいち運ぶ手間を省くといっても酷い荒業を考えついたものだ。
(野菜を投げるって、アリアスは突拍子もないことを考えるよね)
野菜の収穫も普通では考えられない方法だったが、運ぶ時まで同じように考えるアリアスの思考回路はよくわからない。
ただ、考えて見れば非常に効率のいいやり方である。
実のところ野菜畑はジャングル状態であった。そのため限られたスペースに収穫した野菜を置いている。
それも一か所に集めることができず、数か所に分散させるしかなかった。お陰で荷台をすぐそばまで寄せることが困難なのだ。
点在している野菜をいちいち運んでいたら時間がかかる。それを三人だけで作業をしようというのだから、そもそも無理があった。
アリアスが時間短縮を狙うことは必然だろう。
(でも、簡単に「投げろ」って言うけど、大丈夫なのかな)
いくら騎士が鍛えているといはいえ、持ち上げるだけで苦労するような巨大野菜を、果たして投げることが可能だろうか。
荷台はある程度まで寄せられるが、その距離は近いとはいえない。
奏がそんな心配をしていると、スリーがおもむろに野菜を持ち上げて投げた。まるで重さを感じていないとでもいうように、さらりと投げている様子に、奏は唖然とするしかなかった。
(ええ! 嘘でしょ……)
それから目を疑うような光景が繰り広げられた。奏の眼の前で高速で野菜が乱舞する。野菜の山がたちまち小さくなっていった。
スリーは最初こそコントロールを誤って、それを苦労して受け止めたアリアスに舌打ちされていたが、そのうち慣れたようで次々と野菜を投げていく。
重さも大きさも違う野菜を、スリーは目測を間違うことなくアリアスに向かって投げていく。
アリアスは荷台の上からあまり動くことがなくなった。野菜を受け止めては荷台に積み上げていく。一つ目の山が綺麗になくなった。
二人の連携はあまりに凄すぎて、ただ見ているだけだった奏に、アリアスが揶揄うように言う。
「おい、護衛に見惚れているな」
「な、見惚れてなんかいないよ!」
奏が羞恥に慌てていると、アリアスはニヤリとして、今度はスリーに視線を向ける。
「護衛も熱い視線を感じただろう?」
「は? あ、いえ……」
スリーが言葉を濁した。アリアスの言うことを肯定はしないものの否定もしない。
スリーの無表情が変わることはなかったが、少なからず動揺はしているようで野菜を手にしたまま固まっている。
「護衛に見惚れてないで仕事をしろ。もたもたしていれば夜中まで働くことになるぞ」
「ごめん。葉物野菜は任せて」
アリアスの脅しとも取れない言葉に頷く。冗談抜きでそうなってもおかしくはなかった。スリーにまで手伝わせてしまっているのだから、二人の凄さに呆けている場合ではない。
さすがに野菜を投げるような真似はできないので地道に運ぶことにする。葉物野菜なら大きくても運べないことはない。
奏が早速動き出すと、スリーとアリアスも次の山に取り掛かりはじめた。
明らかに要領が良くなったのか、ビュンビュンと野菜が飛んでいる。もう突っ込むことが馬鹿らしくなる異常さだ。
(この調子なら思ったより早く終わりそうだね)
奏は、野菜の空中乱舞を視界に入れないように注意しつつ、自分のノルマをせっせとこなしていった。
しばらく三人は黙々と作業をしていた。そして、三つの野菜の山が片付いたところで荷台が一杯になった。
ノエルが荷台に馬を繋ぎ、器用に馬を操って中庭へ運んで行く。積み下ろしのためにアリアスが同行する。
もう一つの荷台には、奏が葉物野菜を積んでいたが、地道に運んでいるためになかなか一杯にはならなかった。
それを見かねたスリーが手伝おうと声をかけてきた。
スリーは軽々と野菜を投げているように見えたが、やはり大変だったようで、額にはうっすらと汗をかいている。
「スリーさんはノエルさんが戻ってくるまで休んでいて」
まだ野菜は半分も運んでいない。それを考えると休めるときに休んでいたほうがいいと、奏はスリーの申し出をやんわりと断った。
「カナデも少し休んだらどう?」
「大丈夫だよ。私はスリーさんほど重労働でもないから」
疲れていないことないが、無理をしているわけではなかった。それに葉物野菜は他よりも量は少ない。荷台一台分で収まりそうだ。
それに休憩を挟んで気力が途切れるほうが心配だった。
「無理はしないで。身体に少しでも異変を感じたら休んで」
スリーは病気の奏が心配で仕方ないようだ。どうりで護衛任務中にも関わらず、アリアスの強引な手伝い要請を拒むそぶりすら見せないはずだ。
「そんなに心配しなくても平気だよ」
スリーの心配もわからなくはない。けれど、病気については、無理をしたからといって悪化するというものではないし、安静にしていたからといって治るものでもない。
そのことでスリーが時々異常に過保護になるが、どうしようもないことで自分の行動を制限する気は、奏には全くなかった。
それに身体のことは自分が一番よく分かっている。倒れるようなことにならないようには気をつけている。
「スリーさんは心配性なの?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「?」
スリーは一体なにを気にしているのか。奏は言葉に詰まるスリーを見上げる。すると、スリーの腕が伸びてきて抱き寄せられた。
うっすらとスリーの汗のにおいがした。奏はそこに男臭さを感じて少し顔を赤らめる。数日前の出来事が頭をよぎり慌ててかぶりを振る。
「アリアス様はカナデにあまり無茶なことをさせないでほしいね」
「う~ん。それは無理じゃないかなぁ」
アリアスには詳しい事情を話していないが、身体が悪いことは気づかれている。それでも態度はまったく変わる様子がない。
アリアスと行動をしているうちは、無理難題を吹っ掛けられても避けられるとは思えなかった。
「俺がいなかったらカナデが重労働をしていたかもしれないよ」
「そうかなぁ。私はスリーさんのようには出来ないよ」
あんな真似は普通出来ない。スリーがいたからこそ、アリアスが考え出した方法ではないだろうか。
「でも、朝は疲れていなかった?」
奏はギクリと身体を強張らせた。アリアスの挑発に乗せられて身体を酷使したことは記憶に新しく、うまく動揺を隠すことが出来なかった。
抱き合っていたため誤魔化すことは不可能で、しまった、と思った時には手遅れだった。頭上からスリーの唸り声が聞こえる。
「束縛したくはなかったけれど、カナデはどこかに閉じ込めておく必要があるね」
怖いことを言われた。口調はどちらかと言えば穏やかで、冗談なのか本気なのか、判断は難しい。
「えっと、冗談?」
「冗談にして欲しいなら、アリアス様に付き合わないでくれないか」
スリーは淡々とした口調で言った。
奏は言外に「アリアスが悪い」と言っているように聞こえて、思わず反論めいたことを口にしてしまう。
「アリアスだけが悪いわけじゃないよ」
「どうしてアリアス様を庇うの?」
「庇うつもりは……」
雲行きが怪しくなってきた。スリーは声を荒げてはいないというのに、苛立っていることは伝わってくる。
護衛任務中は公私混同しないスリーが素に戻ってしまっている。
奏が恐る恐るとスリーの顔色を伺うように顔を上げると、苦しいぐらいに抱きしめられた。胸元に顔を埋める格好で締め付けられて、「グエッ」と奏は呻いた。
あまりの苦しさにジタバタともがいたが、スリーの力が緩むことはない。このままでは抱きつぶされる。
「く、苦し……」
奏はもはや酸欠状態でぐったりとする。
「おい、手加減してやれ。今にも死にそうになっているぞ」
奏が意識を手放す直前、戻ってきたアリアスがバリッとスリーから奏を引きはがした。
奏は呼吸を取り戻したが、新鮮な空気を吸い込んで盛大に咽った。
「げほげほげほ。はぁ、死ぬかと思ったよ」
「いったい何をやっている。抱きつぶすなら後でいくらでもやれ」
助けてくれたわりにアリアスは奏のことなど全く心配していなかった。抱きつぶされようが構わないと、どうでもよさげに吐き捨てた。優しさの欠片もない。
「休んでいる暇はないぞ」
アリアスは微妙な空気を読む気はさらさらないらしい。言い捨てるとスタスタと歩いて行ってしまう。原因の一旦が自分にあるなどとは、露ほども思っていないのだろう。
(ああ、行っちゃったよ)
中途半端に助けられ、そのまま放置されて、どうしたらいいのかわからずに奏は途方に暮れた。縋るようにアリアスの背中を見つめているとスリーが低い声で耳元に囁く。
「……話はあとで」
奏は顔を引き攣らせて頷いた。
それからの作業は順調だった。ただ、不機嫌そうにひたすら無言で作業を続ける二人に戦々恐々とした。
スリーが不機嫌である理由は分かるが、アリアスまでも機嫌が悪いことが解せなかった。
不機嫌さと比例してスリーの投げる野菜の速度が尋常ではないレベルになっている。
それをまた不機嫌なアリアスが無言で捌いていた。奏はとても声をかけることができず、やはり無言でいるしかなかった。
そんなカオス状態がしばらく続き、ストレスも最高潮になったところで、ようやく野菜を全て運び終えることができた。
奏は安堵のあまりに息をついたが、この後に待ち受けるスリーとの時間を思うと気が重くて仕方なかった。
労働の疲れもあって溜息をついていると、アリアスが近づいてきて奏をヒョイっと抱き上げる。
「え? え!?」
「運んでやるから大人しくしていろ」
いわゆるお姫様抱っこをされた奏は焦った。スリーの視線が突き刺さり、嫌な汗がダラダラと流れる。
そんな奏の心情も知らずにアリアスが爆弾を投下する。奏は生きた心地がしなかった。
「それにしても軽いな。俺が食わせて太らせてやるから安心しろ」
(安心できるかー!!)
奏は心の中で絶叫した。もう怖くてスリーに顔向けできそうにない。