黄泉帰りの楽園
礼人はチョコ返しを回る途中、当然、まことのいるクラスに立ち寄った。
「まみ」
「あ、礼人くん。こんなところで珍しいね」
確かに、礼人は他の記号タイプの例に漏れず、引きこもり気質なところがある。学校には来るが、朝に席に着いたら、移動授業以外では、教室の自分の席から動かないほどに。そんな礼人がこんなに活動的なところを見て、物珍しいと思うのは、仕方のないことだろう。
礼人はそのクラスの返却が終わると、まことにこっそり耳打ちした。
「放課後、寮の部屋に来てくれ」
「へっ!? はい」
まことはわかりやすく赤くなる。学園寮は男子寮と女子寮に分かれており、特定の時間以外は出入り自由となっているが……こう、改めて、ひっそりと招待されると、なんとなく緊張する。
そんなまことの心情を知りもせず、礼人はさくさくと教室を出ていってしまった。
礼人のチョコレート返却はまだまだ終わらないのだ。
階段を降りていくごとに感じる緊張感。次なる人物は、先輩である三年生なのだ。話したことすらない有象無象が多いが、その中でも礼人が罪悪感を抱かざるを得ない人物がいた。
その人のところに行くのは緊張するので、気休めに図書室に寄ると、そこには見慣れた眼帯姿の少女が。
「……人見って、部活じゃなくてもここにいるんだな」
「静かな場所は好き。本も好き。仮病を使って保健室に行くほど性根は腐っていない」
「さいで」
まあ、人見もこれで生真面目なのだ。眼帯をしているのも決して中二病ではないことだし。
「ああ、ちょうどいいから今渡しておく」
ひょい、と礼人の前に差し出されたのは、ラッピングの一つもない板チョコだ。
少し人見の表情を見てみると人見は少し悪戯っぽく笑っていた。
「友チョコ。これからもよろしく」
「ああ」
全く、女子は大変だ。本命、義理の他に友チョコまで用意しなければならないのだから。
ただ、礼人は宣言通り、人見からのチョコだけは返すことはしなかった。
本命でも義理でもない友チョコには、何の罪もないのだから。
「さぁて、肚を括りますかね」
「あなたがチョコを返却してるの、噂になってる」
「噂、恐ろしいな」
「あなたらしいと思った」
礼人は人見を見る。視線はかち合わない。人見は遠くを見ていた。
「あなたはとても一途な人だから、その一途さに背くような行為を許せないのだろうと思う。今は」
「いつかは許せるとでも言いたげだな」
すると人見は真っ直ぐ、礼人を見た。
「あなたは自分の決意をちゃんと果たせたら、きっと周りを見るようになる。その真面目さで、またきっと数多の女子を泣かせるだろうけど、きっとそれは優しさからくる涙。だから、今日さえちゃんと決めれば大丈夫」
礼人がぴくりと反応する。今日、礼人が何かをしようとしていることはおそらく咲人くらいしか知らないはずだ。何故人見が知っているのだろう。
そんな疑問が通じたのか、単に冗談なのか、人見は自分の眼帯を指差し、こう告げた。
「禍ツ眸に見抜けないことはない」
名前も知らない三年生の有象無象にチョコを返却しつつ、礼人はそのときが刻一刻と迫っていることを緊張していた。
最後の教室だ。昼休みだからか、ドアは開きっぱなしである。
ある人物が、かたりと椅子を引いて立った。礼人の知る人物だ。バレンタインなんて外聞のある行事に興味がなさそうな人見ですら知っていたことだ。その人物が知っていてもおかしくない。礼人が何をしにここに来たかなんて。
礼人は丁寧にお辞儀をした。その先輩もナチュラルに返す。
「いらっしゃい、阿蘇くん。何の用かな?」
それはコンピュータ研究部部長、永瀬雫だった。
教室内でするような話ではないだろう、と二人は廊下に出た。廊下は肌寒い。そのため、用件は手短に済ませることにした。
「先輩、このチョコレートとお手紙は、お返し致します」
礼人がラッピングされたプレゼントを差し出すと、雫はくい、と黒縁眼鏡を持ち上げて、苦笑いした。
「やっぱ、そうなるか」
「すみません」
「謝るこたないよ。私のは特に、動機が不純だったからね」
大体バレンタインチョコを渡すのなんて、動機が不純に決まっている。だが、雫の場合は他と少し趣が違った。
「お手紙、拝啓しました」
「その上で返却か。きっついなぁ」
手紙には、コンピュータ研究部部長、雫のたってよりの願いが綴られていた。
曰く、「コンピュータ研究部に入ってほしい」と。チョコレートは言ってしまうと、賄賂のようなものだろう。
つまり、それを手紙ごと返したということは、雫からの嘆願をきっぱり断るという意思表示にあたる。
普通の記号タイプとして、コンピュータ研究部に居座るには、礼人は異端になりすぎてしまった。雫はそんなことを気にするような性格ではないのはわかっているが、礼人には決めたことがある。故に、文芸部に留まることを選んだ。
雫が軽く天を仰ぐ。
「あーあ。我が部の継続厳しいんだけどなぁ」
「同情はしませんよ」
「ま、そっか」
雫ははにかんで、じゃあね、と教室に戻った。
躊躇いがなかったわけではない。コンピュータ研究部の部員は気づかれていないが一人減っている。減っているというか、最初からいなかったかのように消えている。……それは礼人のせいとも言えた。
だから、罪悪感がないわけではない。だが、あちらも礼人に迷惑をかけた張本人だ。関係ない雫を巻き込むことになってしまったのは心苦しいが、これでどっこいどっこいということにしておこう。
そうして、昼休みは終わった。
放課後。
「待ったか?」
「い、今きたとこりょ!」
緊張で思い切り噛むまこと。デフォルトで安心する。
礼人は部屋の鍵を開け、まことを中へ招き入れた。殺風景な部屋だ。椅子に座る。
「紅茶かコーヒーくらいなら出せるが」
「じ、じゃあ、コーヒーで」
「了解」
笛吹やかんを火にかける。やがて、くつくつという音が静寂を満たしていくように広がった。
「あのっ」
沈黙に耐えきれず、口火を切ったのはまことだった。
「どうして呼び出したんですか? わざわざ部屋に」
「大事な話があるからだ。部室だと野次が多い」
確かに、と思って、まことはくすりと笑った。
それからほどなくして、礼人の言う「大事な話」の内容がとても気になった。だが、礼人は口を開こうとしない。笛吹やかんが鳴るのを待っている。
まことは落ち着かない思いを抱えながら、勇気を振り絞り、あの、と声をかけ──
ぴぃぃぃぃぃっ
ようとしたところで、笛吹やかんがその存在感を示した。礼人はマグカップにお湯を注ぐ。
「淹れたぞ」
「ありがとうございます」
少しマグカップで温もりを感じながら、礼人を見る。礼人はもう一口目に口をつけていた。まこともそれに倣って飲む。
それから、礼人はことりとマグカップを置き、何やら奥に引っ込んだ。がさごそとやる音がしてから、すぐに戻ってくる。
その手には、二輪の赤い薔薇があった。
「まみ」
「は、はい」
「これが俺からの気持ちだ。受け取ってくれ」
礼人が二輪ある片方をまことに差し出した。まことは首を傾げる。
「どういうことですか?」
礼人はもう一口、くいっとコーヒーを飲んでから答えた。
「薔薇にはな、本数ごとにも花言葉があるんだ。二本の薔薇は『世界は二人きり』。そして、一本だと──」
まことが頬を赤らめるのにもかまわず、礼人は続けた。
「『思うのはあなた一人』……俺と、そうあってくれますか?」
聞くと、まことは涙を溢れさせ、礼人に抱きついた。
幽霊が黄泉の穢れを負って、人に仇なす存在、妖魔が蔓延るこの世界で、トップクラスの妖魔討伐成績を誇る聖浄学園は様々な伝説を築き、遂には黄泉から帰還した生徒が出たため、やがて「黄泉帰りの楽園」と呼ばれるようになった。
そこは妖魔討伐の厳しい世の中で、僅かながらも生徒に安らぎをもたらす楽園であった。
ありがとうございました。




