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黄泉に響く声

 礼人は黄泉の中を歩いていた。その歩き方は決して勇ましいものではなかった。木刀を杖代わりになんとか歩いているような感じだ。

『だいぶ力を使ったな』

 そう呟くスサノオの声もどこか遠く感じられる。おそらく、スサノオの力がだいぶ本体に戻ったことにも関わりがあるのだろう。

 妖魔を浄めるのは、父から渡されたラジカセに入っている母の浄歌や、月夜姫が残していった浄めの気だけで充分に足るというものだ。

 しかし、黄泉路、及び魔泉路封じはそうはいかない。黄泉路はラジカセに収録されている浄歌の三番だけで閉じられるが、魔泉路は黄泉路より多くの穢れを孕んでいるからか、ラジカセの音声だけでは閉じられない。すると、自然にスサノオの力を使うことになる。

『もうじきこの力も尽きる。お前は充分に黄泉路や魔泉路を封じた。ここで辞めて咎める者などいない。いい加減、現世に帰れ』

「嫌だ」

 即答の礼人にスサノオが唸る。

 礼人の決意はそう簡単には揺らがない。

「俺は死んでもいい。だから、父さんの遺志を……魔泉路封じを遂げる」

『馬鹿者、明人はそんなことは望んでおらん』

「それでも、俺はあの人の息子だ。あの人の息子であることを誇りに思う。だからこそ、報いたいんだ」

『親孝行というなら充分に報いている』

「それはあんたが判断することじゃない」

『小童のくせに口の減らない……』

 スサノオが盛大に溜め息を吐き出す。

『お前がいなくなれば、悲しむ者もいるだろう。そういう連中をあちらに残してきているのではないか? お前の母がそうであったように』

 スサノオの一言が重く響く。スサノオから零れる母という言葉には重みがあった。きっと、ずっと母を思って過ごしてきたからだろう。

 俺がいなくなって悲しむ者、か、と礼人は思い浮かべる。当然のように文芸部の面々が浮かんできた。

 誰よりもまず先に。

 ──長谷川まことが浮かんだ。

 礼人は立ち止まり、目を伏せる。何日前だろうか。黄泉に聞こえてきた歌声を思い出す。

「切り裂け、切り裂け、刃よ

 帰れぬ憐れな(もの)達を祓え!」

 心のこもった歌だった。正直、心打たれた。「切り裂け」という言葉の重み。嫌でもわかった。

 まことは礼人が帰ってくることを望んでいる。きっと、文芸部の面々はそれに協力していることだろう。

「俺は……」

 スサノオが黙する。言うべきことは言った。あとは礼人次第である。

 礼人は迷っていた。月夜姫に会ってから、ずっと。

 自分がまことに惹かれているのは月夜姫が、あるいはスサノオがそう望むからではないのか。まことが自分に惹かれているのも、月夜姫がスサノオに焦がれているからではないか、と。

 果たしてそれは、自分の感情と呼べるのだろうか。自分ではなく、神の感情に自分たちは振り回されているだけなのではないか、と礼人は考えていた。自分の感情でないもので、他者を愛しむのは、その心に反する行為ではないだろうか。

 スサノオの元の宿主であった阿蘇明人と月夜姫の元の宿主であった河南真実が結ばれたように、自分たちはそういう神の因果のようなもので惹き合わされているのではないだろうか。それなら、それを真に受けてしまうのは、人間として、些か誠意に欠く行為だと考える。

 歌を聴いてわかった。まことの想いは本物だ。まこと自身のものだ。だが、礼人はどうだろうか。礼人の中に漂う気持ちは果たして礼人のものなのだろうか。スサノオの心が入り交じったりしていないだろうか。

 ……スサノオが月夜姫をどう思っているかは不明である。礼人が聞かないし、スサノオも自ら話そうとはしない。姪として月夜姫を微笑ましく思っているのかもしれないし、その感情を露にするのを憚っているのかもしれない。

 その蓋を開けるのは、正直、怖い。もし、スサノオに月夜姫をどうこう思う感情があるのなら、礼人は自分の感情というものを信じられなくなる。自分の感情が自分のものなのか、ということにばかり気を取られ、感情に臆病になるだろう。

 まことに誠意を欠く、と。

『何を下らんことを悩んでいる?』

「筒抜けか」

『同体であることを甘くみるな。……だがな、これだけは言っておこう。俺とお前は同じ体に宿っていても「一心同体」というわけではない』

 スサノオからの宣告に礼人ははっと顔を上げる。

『今こうして話しているのだからわかるだろう? お前と俺とでは全く別の人格を持っている。つまり、別人と言ってもいい。少なくともに感情は別個に分かれているのだ』

 スサノオの言いたいことがわかる。

 つまり、礼人にまことを想う心があるのであれば、それは神同士の因果など関係ない、阿蘇礼人という人間としての感情なのだ、と、スサノオはそう言っているのだ。

『お前が自分を信じられないでどうする? 外で待つ者たちは皆、お前を信じているというのに』

「……そうか」

 そうだ。まことは礼人が帰ってくると信じている。でなければあんなに真摯に歌い上げることなどできないだろう。文芸部とて同じことだろう。

 優子、咲人、華、麻衣、なごみ、結城、代永、眞鍋、零、西村──文芸部という場所のみならず、礼人のためを思い、まことに手を貸している者は少なくないはずだ。

 それだけの人数が礼人を信じてくれている。礼人が必ず帰ってくると、そう信じてまことに望みを託している。

 ──それなら、俺は。

 礼人が顔を上げると同時、黄泉の空気がさわりと揺らめいた。

 歌声が聞こえてくる。

「切り裂け 切り裂け

 刃よ

 帰れぬ憐れな(もの)達を 祓え!

 さあ 数えましょう

 現に彷徨する命を

 さあ 浄めましょう

 穢れきったその魂を

 静けさにその身委ねて

 荒ぶる心を鎮めよ

 憐れむのなら

 昇華せしめよ


 切り裂け 切り裂け

 刃よ

 目覚めぬ憐れな(もの)達を解き放て

 輝け 輝け 光よ

 嘆きに澱んだ黄泉の(みち) 照らせ!


 もう 逝きなさい

 その身を縛る縄は解いた

 もう 眠りなさい

 苦しみは消えたのだから


 暖かい風に揺られて

 惑いに満つ眸見つめよ

 焦がれるのなら

 昇華せしめよ


 羽ばたけ 羽ばたけ

 果てなく広がる彼方への(みち)を 指し示せ

 導け 導け 空へと

 遥かな望郷の想い

 響け!


 恋い焦がれて

 ここまで来た

 出会った頃の真実すら忘れて

 もう 逝きなさい

 もう 忘れなさい


 舞い散れ 舞い散れ

 儚き命よ 誰が為に散り逝く

 華やぐ夢は何処へと 消えて 未来を導く?

 切り裂け 切り裂け

 刃よ

 帰れぬ妖達の帰途(みち)を 切り開け

 輝け 輝け 光よ

 嘆きに澱んだ黄泉の(みち) 照らせ!」

 まことの声がする。歌が響くと、礼人を導くように一条の光が黄泉の中を照らし出す。

『ほら、呼んでいるぞ』

 スサノオが背中を押すように言った。礼人はその道を見つめ──やがて決意したように歩き出す。

 まことが呼んでいる。それに自分は答えるべきだ。──否、応えたい。

 詞にあるように、歌は帰途(みち)を切り開いてくれた。その道を進むことに躊躇いさえなければ、礼人は帰ることができる。

 礼人はゆっくりと照らされた道を辿り、歩き始めた。

 不思議と歌で作られた道の中に妖魔は発生しなかった。まるで礼人に、何も気にせず帰ってくるよう示すように。

「そうか。──そうか」

 礼人はだんだんと歩みを早めていく。

 帰る場所を、見つけた。

「父さん、母さん、また会うのは、しばらく先になりそうだよ……ありがとう」

 ラジカセを大事に抱えながら、礼人は光の先を目指した。



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