聖夜
「クリスマスっていうのはね、よく『X'mas』って省略を見るけど、本当は『Christmas』って綴るんだ」
文芸部では定番のなごみのイベント関係の有難い講義である。今回は十二月と言ったら、これ。クリスマスである。ホワイトボードには「× X'mas」「○ Christmas」と綴ってある。
なごみは赤いマーカーで「Christmas」の「Christ」という部分を囲った。それとは別に緑のマーカーで「mas」も囲む。
「この『Christmas』という綴りにはちゃんと意味があり、この二つの単語に分けられる。意味はわかるかな?」
「『クリス』と『マス』?」
眞鍋のあほ解答はさておき、まことが真面目に答える。
「クリスマスっていうのは元々イエス・キリストの聖誕祭ですよね。だから『Christmas』の『Christ』は『キリスト』とも読むんですよね」
「ご明察。じゃあ『mas』は?」
「ええと……」
まことが頭を抱え、中空でぐるぐると人差し指を回す。なかなか答えが出ないようだった。イベント好きなだけの日本人はイベントの意味をさして重要視しない。そのため、この場に「Christmas」の「mas」の意味を咄嗟に答えられる者は……一人だけいた。
「クリスマスはキリストの聖誕祭なわけでしょ? 祭りということはつまり儀式ということ。キリスト教に限ったことじゃないけど、海外ではこういう儀式のことを『ミサ』って呼ぶでしょ? 『mas』は『missa』の変化形よ」
そう解いたのは文芸部のブレーン、麻衣である。普段は部長であるなごみの影に隠れているが、麻衣はなかなか頭脳明晰な方なのである。
「なるほど、キリストのミサでクリスマス、ですか」
「ちゃんと調べると奥が深いでしょ? 『Christ』という部分に重要な意味があるから『X'mas』と省略するのは正しい意味合いではなくなるんだ。これからはちゃんと『Christmas』と綴ろうね」
「部長、それ、テストに出ますかー?」
眞鍋がのろのろと聞く。なごみは優しく解いた。
「いいかい、ゆきたん。来年からこの部の部長を担うのは君なんだよ。僕は先人に倣うことを強要はしないけれど、覚えておくに越したことはないんだ。来年、こうやって後輩たちに教えていくのは、君の役目なんだよ?」
「はっ」
何故か敬礼。
「肝に銘じておくのであります」
「よろしい」
「そろそろ茶番は終わらせて本題に行きましょう」
「おっと、まいたんナイス。重要なのはここからだ」
なごみがホワイトボードに点を打つ。
「クリスマスは別名聖夜とも呼ばれることは知っているね? ミサというからには、聖歌を歌う。クリスマスに歌われる歌は文字通り聖なる歌だ。代表的なのは、ジングルベル、聖し子の夜辺りかな。
で、今回まことちゃんが作った歌がここで出てくる」
「私が作った歌とクリスマスと、何か関係があるんですか?」
そこでまことの肩にぽんと手を置いたのは、華だった。
「確か、曲つけるときに、五十嵐先生に聖歌に似せたらってアドバイスもらったんじゃないっけ?」
「あ、そういえばそうでした」
「やっと気づいてくれたかい? まあ、聖歌とはクリスマスに限った歌ばかりではないんだけど、聖歌であるなら、最も力を発揮するのはやっぱりクリスマスでしょう、っていうのが僕の見解」
「でも、クリスマスって元々は日本の文化じゃありませんよね」
まことが首を傾げてみせるが、なごみはちっちっちっと指を横に振ってみせる。
「イベント大国日本を甘く見ちゃいけない。よく考えてもみてよ。ハロウィンのときもあれだけ影響があったんだよ? ハロウィンより浸透しているクリスマスで何もないなんて考える方が難しいね」
そう、どんな形に変容しようと、日本は様々な文化を取り入れてきた。ハロウィンのとき、日本でも現世と黄泉の境界が曖昧になったように、クリスマスという文化もハロウィン同様、影響をもたらすと考えるのが妥当だ。
つまり、キリスト教が浸透していなくても、クリスマスという文化が日本のものとして昇華されてそこにあるということの方が重要なのである。
それは聖歌を歌うなら、クリスマスがいいというところに一つ通ずるところがある。クリスマスだからこそ、聖歌が最も威力を発揮する、と考えるのがこれまでの傾向から見ても順当なことなのだ。
「つまり、まことちゃんが作ったあの歌を、クリスマスに歌うことに意義があるって言いたいんだよ」
「なるほど」
クリスマスは皆さんご存知の通り、十二月二十五日である。
しかも、日本のクリスマスには更に特典がついている。
「海外でもそうだけど、クリスマスにはイヴがある。クリスマスの前日のことだね。サンタさんが欲しいものを運んできてくれるのは、イヴの夜中。そして、クリスマス当日にプレゼントが来ているという寸法だ。
ただ、最近になって、日本ではクリスマスは更なる進化を遂げた。クリスマスにイヴイヴなるものが生まれたんだ」
「あ、聞いたことあります」
クリスマスをきちんと十二月二十五日だと認識している日本人は実は少ない。昨今では日本的なクリスマスはイヴである二十四日とされる。クリスマスデートの待ち合わせなんかもクリスマスデートであるにも拘らず、イヴである二十四日とされることが多い。
そんな二十四日の準備は順番に考えていけば、前の日の夜になる。つまり二十三日。それをクリスマスイヴの前日ということで「イヴイヴ」などと呼ぶのだ。
「日本って一体……」
まことがそう呟いてしまったのも無理からぬことだ。変容にも程があるだろう。
だが、「イヴイヴ」という概念が生まれたことにより、世界中で日本だけにはクリスマスが三日間存在することになるのだ。
「つまり、まことちゃんが作った聖歌を使って、阿蘇くんを呼び戻す絶好のチャンスが三回もあると考えたら、わかりやすいかな?」
「あっ」
そこまで考えてはいなかった。だが、言われてみれば、確かにそうだ。
まことが作った歌が聖歌なら、その効力を存分に発揮するのはクリスマス以外にない。そんなクリスマスが三回も訪れるのだ。これがチャンスでなくして何だというのか。
「伴奏を入れたら、出力調整できるようになったもんね」
「はい、その節は華さんにお世話になり……」
「そういう堅っ苦しいのはいいから、まことちゃんは今成さねばならないことを見て」
今、まことが成さねばならないこと。それは、礼人を黄泉から取り戻すことに他ならない。
華の伴奏での支援もあり、まことは黄泉路を閉じることなく、浄化だけを行うことができるようになっていた。
岸和田からも文句は出ていない。ここまで状態を整えてクリスマスを迎えることができたのは行幸だ。このチャンスを逃してはならない。
「礼人くんに、この歌声を届けます」
「うん、その意気だよ」
伴奏を担当する華が微笑む。
「大丈夫、自信を持って。まことちゃんの作った歌は、ちゃんと聖歌だよ」
華のその言葉に、なごみがひゅう、と口笛を吹く。麻衣が吹けたのね、と面食らっているのはさておき、なごみは告げた。
「キリストじゃないけど、神子さまから直々に聖歌と認められるなんて、そうあることじゃないよ。さすがまことちゃん」
「ありがとうございます!」
まことは華の手を取る。華はその手を握り返して不敵に笑った。
「二人で祈りを届けてやりましょう」
「はい」
まことは決意に満ちた目で宣言した。
「戦っているのは礼人くんだけじゃないっていうことを、伝えます」




