伴奏
何日目かの訓練。
鷹型の妖魔が発生する。
まことは静かに紡いだ。
「切り裂け、切り裂け、刃よ
帰れぬ憐れな妖達を祓え!」
すると、妖魔が消えていく。幽霊を瘴気に取り込み、妖魔にした黄泉路の絵は揺らがない。故に、岸和田が止めることはなかった。
まことは続きを歌う。
「さあ、数えましょう
現に彷徨する命を
さあ、浄めましょう
穢れきったその魂を」
静かな風が絵から漂う瘴気を振り払っていく。妖魔が発生しかけてはぴぎゃあ、と奇声を上げて消えていく。
順調だ。まことは浄化能力をコントロールすることができている。岸和田は察していた。──心境の変化があったのだろう、と。突き放したのは正解だったか、と内心で笑む。
「静けさにその身委ねて
荒ぶる心を鎮めよ
憐れむのなら
昇華せしめよ」
どんどん発生する妖魔が弱くなっていく。それから、瘴気が揺らぎ、消え始めた。
「そこまで」
そこで岸和田が待ったをかけた。サビ前のいいところだったので、まことも、聴いていた人見もむず痒いところだったが、浄化度合いの見極めは岸和田にしかできない。
岸和田は一つ頷いてから断を下す。
「コントロールはだいぶ上手くなってる」
「ありがとうございます」
ただし、と岸和田は続ける。
「サビに向かって、熱がこもっていくのは考えものだね」
まあ、それは歌を歌うなら仕方のないことである。普通の人が歌っても、サビに向かってテンションが上がっていくものだ。これは仕方ない。
ただ、岸和田は意地悪く言っているわけではない。あくまで、目的達成を念頭に置いて言っているのである。目的は礼人を黄泉からこちらへ引き戻すこと。黄泉路を封じる威力では駄目なのである。
まことが首をひねり、人見はきょとんとした。人見は点描タイプ以外の技能には疎い。
「普通にいい歌だったと思う」
「ありがとうございます」
人見の感想にまことは苦笑いだ。
まことが礼人を思って書いた詞は充分なものだ。まことの歌唱も充分にその詞の威力を引き出すことができている。だが、それがいけないのだ。
まことはだいぶ出力調整ができるようになったようだが、それでも抑えきれない昂りというものはある。歌というものの性質を考えると、仕方ないと言わざるを得ないが、仕方ないで片付けてしまうと本格的に礼人を取り戻せなくなる。それでは困るのだ。
「さて、どうしたものか……」
岸和田が呟く。岸和田がまことに手厳しく言った「恋愛感情で歌うな」というのを、どうやらまことはクリアしたようである。それなら、岸和田からまことにこれ以上注意すべきことがないというのが問題である。つまり、これ以上改善の余地がないということだ。
技能を抑える技能、なんてものは存在しない。以前に語ったと思うが、強い妖魔を倒すために日々技能に磨きをかけているのだ。強くはなっても弱くはならない。
まこともこてんと首を傾げて黄泉路の絵を見る。
そこですたーん、と入口の方から音がした。驚いてまことがそちらを見る。勢いですたーん、と戻ってきたドアは、そこに立っていた人物によってしっかり押さえられ、頭にぶつかるなどという事態にはならなかった。あれはまことだけのどじらしい。それを知って、まことは頬を赤らめた。
「や。応援に来たよ」
「華さん」
そこに現れたのはツインテールを揺らした華だった。ツインテールなのは麻衣も同じだが、顔つきが違うので二人を間違うことはない。麻衣は目付きがあまりよろしくないが、華は天真爛漫という感じの柔らかな表情をしている。今も無邪気な感じの笑みを浮かべていた。
てくてくとまことたちに歩み寄り、じゃーん、と無数の紙を広げた。見ると、それは楽譜だった。
「これは一体……」
岸和田がきょとんとする横で、まことがあっと声を上げた。
「これ、あの歌の……」
「そうだよー、色んなバージョンの伴奏作ったの」
「伴奏……」
吹奏楽、ジャズ、ピアノ、アコースティックギター、オーケストラ、等々。様々な楽器の楽譜が並んでいる。何故曲が出来上がったとき、楽譜のコピーを取られたのかずっと疑問だったが、なるほど、こういうことだったのか。
それにしても、よくこれだけパターンを揃えたものである。
「弦楽四重奏にバイオリンとピアノ……よくもまあ、こんなに楽譜を大量生産できましたね。で、どうするんですか」
「言ったでしょ、応援に来たって。つまり、この伴奏でまことちゃんの歌を支援するの」
それを聞いた岸和田がその手があったか、と手を突く。
「伴奏による能力誘導……」
能力誘導? と人見が首を傾げる。万能タイプの中でも歌唱タイプに秀でているまことはもちろん知っていたので、人見に説明した。
「歌唱タイプが基本的にアカペラで歌うのはご存知ですよね? でも、それだけで妖魔に対抗するわけではないんです。この学園には確か吹奏楽部もあったと思いますが……たまに合同演奏会をやるんですよ」
「知らなかった」
部員が一人の美術部である人見は、もしかしたら他の部活動とあまり関わりがないのかもしれない。まことは丁寧に説明していく。
「まず、合唱部が妖魔討伐のときにアカペラなのは、その方が威力が強いからです。吹奏楽などの他の音が混じると雑音……ノイズのように感じられてしまうんですよ。ノイズが混じると、必然的に歌唱の威力が弱まってしまうのです」
ふむふむ、と頷く人見を見ながら、岸和田が言葉を次ぐ。
「つまり、伴奏を敢えて入れることで歌唱を弱めることができる。今の状況にぴったりな選択肢というわけだ」
「なるほど」
でも、と岸和田は華を見る。
「それ、誰が演奏するんですか? 確か、阿蘇くん救出作戦に他の部は巻き込めないはずですよね」
そう、これは文芸部と岸和田が解決すべき問題で、他の生徒に迷惑をかけないという条件の下、理事長から許可をもらったはずだ。当然、作戦に参加する華にもそのことは伝えられているはずだが。
すると、華はあっけらかんとして言い放った。
「何を言ってるの? 私が全部やるに決まってるでしょ」
「へっ!?」
まことと岸和田に動揺が走ったのは無理もないことだろう。何しろ楽器の演奏だ。普通に考えれば、一人一つの楽器しかできないはずである。それを知らない華ではないだろう。
だが、華は不思議そうにしながら、常識を根底から覆す一言を放った。
「私は想像タイプで、楽譜に書かれた五線譜と音符の羅列は文字みたいなもんでしょ。想像タイプの技能で具現化できるけど」
顎が落ちるかと思った。確かにそれなら想像タイプの技能でなんとかできる。楽譜にパート名が書かれていれば、その楽器の音を出すのは難しくない。
ただ、それを全部一人でこなせるなんて言えるのは、この学園では華くらいなものだろう。
「で、でも、楽譜を読むんだったら、音感が必要なんじゃ……」
「信用ないなぁ。それじゃあ、シンプルにリコーダーバージョンいってみようか」
「すみません、華さんの言うシンプルの意味がわかりません」
と、まことが突っ込むのを遮って聞こえてきたのは、リコーダーのどこか気の抜ける音での演奏だ。主旋律がソプラノリコーダーで歌い上げるように、それとハモるようにアルトリコーダーのしっとりとした音。バックではバスリコーダーがリズムを支える重厚な音、その間を繋ぐように、柔らかなバリトンリコーダーが流れていく。
自分たちは一体何を聴かせられているんだろう、とまことと岸和田は思った。某四重奏楽団が思い出される。
華はどや顔だ。
「ね? 譜面に書いてあるんだから、読み間違いさえしなければ、これはできるし、私これでも一応昔ピアノ習ってたんだから」
才能に脱帽するしかない。
かくして、新しい特訓が始まるのであった。




