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スサノオの魂の欠片

「魑魅魍魎が拔扈する拔扈する赤い月の夜よ、去れよ」

 ラジカセから流れてくる音声。それは礼人の母、真実のものである。

 真実は後世に名が残るほどの歌唱タイプだ。今では一般的になっているこの浄歌を作詞したのも真実である。

 真実の歌声はラジカセ越しでも効果は抜群で、こちらに飛びかかろうとしてきていた狐型の妖魔が、ぎゃああああ、という奇声を上げて、塵も残さず消滅した。

 そんな感じで、さっきから礼人は楽をさせてもらっている。両親からもらったプレゼントの有用性に溜め息しか出ない。

『さすがはかつて月夜姫の依代だった人間よ』

 スサノオも感心しきりである。

 さらっとスサノオが言ったが、もうこの程度で礼人は驚かない。まことに月夜姫がついているくらいだ。歌唱に長けた真実に月夜姫がついていてもおかしくはない。月夜姫は歌唱タイプに適合するのだと聞く。そこから考えれば、大体の察しはつく。

「母さんが召神できるのは不思議じゃねぇけど。スサノオ(あんた)はなんで父さんや俺についたんだ?」

 スサノオに適合タイプがあるかどうかはわからない。ただ、スサノオの魂の欠片を宿した人物をリストアップしていくと、礼人、明人、岸和田……全員記号タイプなのだ。ではスサノオの適合タイプが記号タイプなのかというと、何か違う気もする。

 何せ、スサノオと同じく三貴神であるツクヨミが依代にするのは想像タイプの華だ。ツクヨミも月の神だから、てっきり月夜姫と同じように歌唱タイプに適合するものだと思っていたから驚いた。

 スサノオが語り出す。

『我々三貴神は何にも縛られぬ。その子孫であり、神というにはまだ不完全な月夜姫と禍ツ姫は適合タイプに左右されるが、俺とツクヨミは人を見定めて選ぶ』

 見定めて、ねぇ、と礼人は思う。スサノオから聞いたことではあるが、スサノオの魂の欠片は岸和田にもついている。礼人からすると、どう考えても人選を誤っているようにしか思えない。

 スサノオが渋い声で言う。

『神は人間が思うほど完全な存在でないのは知っての通りだ。かつて、最高神であるアマテラスが岩戸隠れをして人間たちを困らせたようにな』

「いや、それはお前のせいだろ」

 アマテラスが岩戸隠れをしたのは、スサノオが駄々をこね、アマテラスを困らせたからだというのが一般知識である。

『そう言ってくれるな』

「反省してるのか?」

『全く』

「猛省しろ」

 愉快なやりとりはさておき。

「選んで岸和田についたのは?」

 その意図が読めなかった。岸和田は力があった故に、今回のような過ちを犯したのだろう。スサノオの力がなければ、何もしなかったというか、できなかったはずだ。

『お前や岸和田とかいう小僧についた俺の魂の欠片は性質がまるで違う。俺は魂にいくつもの性質を持つ。退魔の力もあれば、妖魔を引き寄せる力も持つ。欠片となった魂が持つ力は弱い。人間からしてみれば、膨大な力だろうが、魂の欠片に過ぎないそれらは意思を持つことができない。それらはお前で言うところの適合タイプ──適した人間に惹かれていくようになっていく』

 だが、とスサノオは声を落とした。

『俺の数ある能力、魂の欠片の中でもなかなか適合者の見つからぬものがあった。それは黄泉と現世の繋がりを操る力だ』

 つまり、岸和田が今持っている力がそれということである。

『魂の欠片は人間が持つ願いに惹かれていく。だが、黄泉路から妖魔が溢れ、討伐に明け暮れる世の中で、わざわざ黄泉路を開けて妖魔を操れるようになりたいなどという酔狂な輩はいなかった』

 それもそうだろう。妖魔は日常生活を脅かす存在だ。誰が好き好んで妖魔の相手をしたいと思うだろうか。いくら制御できるとはいえ。

 だが、やがて、そんな酔狂なやつは生まれた。何せ日本には一億も人間がいるのだ。全く該当しないやつなんていないのではないだろうか。その酔狂者が岸和田だったというわけだ。

 そこまで思い至り、礼人はふと疑問に思う。

「だが、岸和田は子どもの頃から強い退魔能力を持っていたと聞くぞ。それがやがて兄のために妖魔を操るようになるなんて、どうしたら予想できるんだ?」

『忘れたのか? あいつの兄がどんな存在だったか』

 そこで礼人が息を飲む。

 岸和田一弥の兄、一樹はろくでもない能力を持っていたという。確か、目を合わせた人間を死なせる力だったか。それによって、一樹は不便な思いをしただろうし、一樹の能力のせいで死んだ人々は一樹を恨んだことだろう。怨恨は瘴気の素となる。瘴気に人間がまみれれば……遠からず、一樹は黄泉人になっていたことだろう。

『人間の兄弟というのはよくわからんが、神の兄弟というのとはまた観念が違う。神の兄弟関係というのは俺たちを見ればわかると思うが、極めて希薄だ。だが、人間は違う。兄弟や家族という血の繋がりを特別なものだと重んじる。つまり、兄が黄泉人になれば、弟は兄を求める可能性があった』

「可能性だけで取りつくことができるのか」

『できたからああなった』

 なるほど納得である。

『まあ、逆に禍ツ眸のように、取りついたからそういう運命を辿ることになったとも言える』

 禍ツ眸と言われ、人見の話を思い出す。禍ツ眸が取りついた人物は禍ツ眸の適合者であるのではなく、禍ツ眸の適合者になるのである。

 スサノオの言うところによると、岸和田もスサノオの妖魔を操る力を手に入れたからこそ、それを使うに至る運命を辿ることになったのだということだ。つまり、魂の欠片が岸和田の人生、及び運命を定めてしまったと言える。

「……運命、か。嫌だな。そういうの」

『お前がここにいるのも一つの運命だ』

 スサノオが意地悪く言ってくるので、礼人はやめてくれ、と苦笑いした。

 運命運命というが、礼人が黄泉に留まるのは礼人自身の意思だ。

 と、話しているうちに、妖魔が寄ってきた。黄泉路も近いようである。

「母さんに楽させてもらうかな。減るもんじゃないし」

 カセットを鳴らす。カセットテープの良いところは、いくら鳴らしても声が途切れないということだ。人間、歌い続ければ、声が枯れてくる。声が枯れると歌唱の効果が弱まる。まこと曰く、祈りがあればいいらしいが、歌唱というからには歌声がないと格好がつかないだろう。

 と物思いに耽りながら鳴らすと、カセットは浄歌を歌い出した。

「魑魅魍魎を叱咤する叱咤する蒼い月夜姫よ、おわせ」

「えっ」

 礼人が度肝を抜かれる。これは浄歌の二番、召神の歌だ。月夜姫を召神する。まさか入っているとは思っていなかった。

 礼人がわたわたしていると、礼人の目の前の地面が蒼白く光り出し、そこに一人の天女が舞い降りる。正確には天女ではなく、神なのだが、その容姿や格好は天女と称してもあながち間違いではないだろう。

 本物を見たことはないが、天女の持つ扇の一振りで見る間に浄化されていく妖魔を見て、礼人は確信せざるを得なかった。

 天女が口を開く。

「黄泉に私を召神するとは、どんな挑戦状ですか」

 落ち着き払ってはいるが、目が怒気を孕んでいる。姉である禍ツ姫との仲は悪いと聞いているから、黄泉に召神されたのは不本意きわまりないのだろう。

 だが、礼人とて意図してやったわけではないのだ。呆気に取られていた。

「月夜姫……」

 そう、黒い艶やかな髪を長く伸ばし、天女のような出で立ちで黄泉に降り立ったその神は、月を統べる最強の退魔神、月夜姫であった。



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