定禅寺麻衣
話がまとまり、理事長室を去ろうか、という空気になったところで麻衣があっと叫ぶ。あることを思い出した。
「理事長の耳には入っていますか? 先日、黄泉から帰ってきた人物の話」
「ああ、新聞部が号外を出していたね」
一体どこで見ていた、新聞部。
新聞部は好き勝手に号外をばらまいているのではなく、顧問からの許可を得て発行している。許可を出す顧問は理事長にも記事を見せるという。
役に立っているのか、と一応感心した。
それはさておき。
「黄泉から帰ってきたのが、蜩零先生の妹の蜩華っていう人なんですが……その人の扱いって、どうなるんですか?」
華は高校時代に黄泉に飲み込まれ、十年ほどの時を経て帰ってきた。当然、聖浄学園を卒業したことにはなっていない。
それに黄泉から出てきた華は行方不明になったときと寸分違いのない姿で出てきたという。黄泉で妖魔と戦った知識はあるだろうが、社会的な知識は高校時代の中途半端なところで止まっている。ただ、年齢を純粋に考えるのだとしたら、彼女は二十八歳。学園でどのように扱うべきかは悩みどころだ。
うーん、と理事長も唸った。
「まあ、普通に考えると、中退扱いか、生徒として復帰させるかの二択だね。蜩先生から妹さんが優秀な文芸部員だったと聞いているから、君たち的には、彼女を確保したいところかな?」
「う」
考えをそのまま読まれ、麻衣は呻いた。
そう、華が文芸部として復帰してくれるなら、彼女も充分な戦力になりうる。
零から聞いた話では、華はかなりの腕の想像タイプで、想像タイプは普通書いた文字を具現化するのだが、口にした言葉までをも具現化できる才を華は持つらしい。
更に華からはとんでもない発言があった。
まことも思い出したのか、あっと声を上げる。
「そういえば、華さんはツクヨミを宿しているんですっけ?」
「ツクヨミ!?」
さすがの理事長も日本三貴神の名には驚いたらしい。しかも、退魔に最も通じる月の神ときた。
理事長は仕事机に戻り、カタカタとパソコンを弄った。過去のデータでも見たのだろうか。ぽつりと呟く。
「なるほど、『祈りの神子』か……」
みこは神の子と書く。その二つ名はツクヨミが宿っていることを暗示していたというわけだ。
「で、どうします? 理事長」
麻衣が首を傾げる。参ったな、と理事長は頭を抱えた。
「それほどの人物を中退扱いしたとなると外聞が悪い。よろしい、聖浄学園高等部の三年生として彼女を復帰させよう」
よし、と内心でガッツポーズする麻衣。これで戦力が増えた。
理事長室を後にし、廊下で麻衣とまことは話し合う。
「結界担当は、学園祭のときと同じで、私と代永先輩と優子先輩でやればいいんですよね」
「いいえ、そこに華さんと私が入るわ」
「定禅寺先輩が?」
「そ。結界担当は人数が多い方がいいし、何より、今回の作戦、まことちゃんがいないと成り立たないでしょ?」
「それはそうですが……」
まことは歩きながら、麻衣を頭の先から足の先まで見た。はて、この先輩に結界を張る能力なぞあっただろうか。
納得がいっていないのを麻衣もわかったのだろう。人差し指を立てて補足する。
「私の使役する妖精の中にはローレライっていうのがいるの、知ってるでしょ?」
「確かに、ローレライは知ってますが、それが結界と関係あるんですか? ローレライは妖精の中で一番強い退魔能力を持つとは聞きますが」
そう、ローレライは限りなく精霊に近い妖精だ。妖精と精霊の違いは明らかではないが、ローレライのように人間霊が昇華した存在は妖魔とは対照的に妖精と呼ぶ。
ローレライの能力は強力だ。ローレライは水難事故の危険を知らせる妖精。かつてある川で死んだ少女、ローレライが同じ目に遭って人が死なないように歌って危険を知らせるのだという。だが、逆効果で、その歌に人々は聞き惚れてしまい、水難事故に遭って死亡する、という話が立つようになってから、ローレライは不吉の妖精とされた。
本当は、人々を正しく導くための妖精なのに、人々は彼女を悪い妖精扱いした。ちょうど、海難事故を引き起こすセイレーンと同じように扱ったのだ。
それでもローレライは歌い続けているという──悲しい妖精だ。
目には目を、といった感じで、元々人間霊であったローレライが元々人間霊であった妖魔を黄泉に導く力が強い。計らずしも、その歌声で人々を死に至らしめたことが、妖魔の蔓延る世界において、彼女に退魔の術を与えたのだ。皮肉なことである。
「ローレライに結界を張る力はないけれど、黄泉帰り──代永の纏みたいなやつね──の力は強い。ローレライの効果範囲を広げれば、妖魔を強制退去させるくらい、事無いわ」
「でも、ローレライってそんな使い方ができるわけじゃ」
不安そうにするまことの前に回って、麻衣はぴんと張った胸を軽く拳で叩く。
「私を誰だと思ってんの? 世界にそう何人もいない妖精使いなんだからね!」
そう、妖精使いは世界にそう何人もいない。妖精は気難しい性格の者が多く、それを自在に操るのは難しい。悪戯好きのピクシーなんかがいい例だ。故に、その才能があっても妖精使いになろうという人物は少ない。
それに精霊使いになった方が、退魔としての才能は高く評価されるから、妖精使いは需要も少ないのだ。
そんな中、麻衣が妖精使いの道を選んだのは、きっと。
「たぶん、こういう日が来たときのために、私の能力っていうのはあったと思うの。……私は阿蘇やまことちゃんみたいな重い荷物を背負えるタイプの人間じゃないから」
「そんなことありません!」
まことの叫びが廊下中に響く。
「まるで自分が何の役にも立ってないみたいに言わないでください。定禅寺先輩は確かに私や礼人くんとかみたいに戦いに向かない能力かもしれない。でも、それが先輩を否定する理由にはなりません。定禅寺先輩は学園祭のときみたいに、文芸部が本来の部活動として活動するときのバックアップをしてくれますし、見えないところで部員をフォローしてくれます。紅茶だって、美味しいし、それに妖魔討伐でだって、全然役に立ってないわけじゃありません」
まことは真剣な眼差しで、麻衣の手を取った。麻衣はまことの意気に圧されて、目をきょとんとさせている。
まことは続ける。
「みんなが安心して戦えるのは、待っていてくれる定禅寺先輩がいるからです。怪我して、傷ついて帰ってきても、『しょうがないわね』って苦笑いしながらヒーリングフェアリーを出してくれる定禅寺先輩がいるから……待っていてくれる人がいるから、人はその人を守るために、その人の元に帰るために、戦えるんです! 私も、阿蘇くんも、よく先輩と一緒にいる、結城先輩だって」
結城の名前に麻衣は思わず息を飲む。胸を衝かれたような気がした。
麻衣はまことの見抜いた通り、自分の能力が討伐向きではないことに劣等感を抱いていた。自分は妖魔を退ける力はない。礼人やまことや──結城のように妖魔に直接対峙できる力がないのだ。できても怪我の治療、疲労の回復、ちょっとした手伝いくらいなもので……とても力になれているとは思えなかった。
麻衣は結城と幼なじみで、いつまで経っても体が小さいことから、皆からからかわれたこともあった。それをずっと守ってくれたのが結城だ。
聖浄学園に麻衣が入ったのは、自分も強くなりたかったからだ。聖浄学園で何かしらの才能に目覚め、誰かの力になれたなら、結城を助けられたなら、そう思っていて得た力が妖精使い。援護系の能力でがっくりきたのはよく覚えている。
でも、どんな形であれ、助けになるのなら、と麻衣はヒーリングフェアリーを使ったし、本来の部活動の活動も積極的に行った。それでも自分は結局守られる側、というのが切なくて仕方がなかった。
けれど今、まことによって、麻衣の価値観は覆された。
「……そっか、みんなの力になれていたんだ」
握られた手を柔らかく握り返す。その温もりが優しくて、思わず泣いてしまいそうだった。
けれど、こんなところで泣いていられない。みんなの力になれているというのなら、尚更本腰を入れて、今回の作戦に挑まなければならない。
麻衣はまことを真っ直ぐに見つめた。
「私は、劣等感はもう捨てる。ただ純粋にあなたたちを助けたい。だから、ローレライの力を全力で発揮して、結界代わりに役に立ってみせるわ。まことちゃんが安心して作戦を実行できるように、阿蘇が無事に帰って来られるように。それでいいわね?」
その言葉を受けたまことは目を輝かせ、頷いた。
「はい、よろしくお願いします!」
かくして、阿蘇礼人救出作戦が始まる。




