来るハロウィン
十月三十一日。
西洋の文化で、子どもたちが世に言う化け物の扮装をして「トリックオアトリート!」と言って、大人たちにお菓子をねだって回る、という話が有名だ。元々は、作物を獲れたことを祝う収穫祭らしいが何がどうなってそうなったのかはわからない。
だが、更にわからないのは、その文化が渡来した日本での変化である。いや、変化では生温い。変貌といった方がいいだろう。日本のハロウィンと言うと、もはや収穫祭の欠片もない。「トリックオアトリート」の言葉すらちゃんと覚えているやつも今や少なくなってきている。日本では「化け物の扮装をする」という部分だけが強調され、年々、クオリティを上げたコスプレパーティーになってきている。
だが、とりあえず、検索でぽちっとクリックすればそれなりの情報を得られる、日本独自の年中行事になってきている。
聖浄学園では、そんなことはしない。調理部がこの日のお菓子作りのために調理室を解放しているくらいなものだ。
それよりもハロウィンの持つもう一つの意味の方が、この学園にとっては重要だった。
ハロウィンは日本で言うところのお盆。あの世とこの世の境が曖昧になり、幽霊がこちらに来て子どもを拐う、ということから、子どもが扮装し、幽霊などに拐われないようにする、というのが元々の文化。お菓子をあげるのは魔除けの意味も込められている。これは日本各地で神社を祀って行われる祭りの文化にも一つ通じるところがある。
日本各地の祭りでも豊穣祭やら収穫祭やらがあるわけだが、お囃子を吹く子ども、太鼓を叩く子どもには皆、化粧をする文化がある。それは化粧によって、それが本当に実体を持つ生きている子どもだと証明して、土地を守ってくれる神様などに連れ去られないように施されるものなのだ。
その点で考えれば、ハロウィンのお祭り化も日本では仕方のないことだったのかもしれない。日本は植民地だったとか、そんなことはない、けれど小さな島国で、そこそこ世界と渡り合っている国だ。独自の文化を多く持っているし、渡来したものを自分たちの生活に溶け込ませるように変化させる。そうして世界の文化を取り入れ、独自の進化を遂げさせることで、世界との均衡を保ってきたのだ。
そんな日本の有り様はさておき、日本にも浸透しているハロウィンという文化は、当然霊魂が絡んでくるため、妖魔にも影響を与える。具体的に言うと、お盆や彼岸のときとは違い、幽霊、妖魔の力自体が増す日がハロウィンだ。お盆や彼岸は数、ハロウィンは質、と考えるとわかりやすいだろうか。
「……まあ、だから、今日、あの子が来るんだけどね」
麻衣が例によって例のごとく、部室で部員たちに今日の日、ハロウィンについてをレクチャーするなごみの脇でそうこぼす。
あの子、とは学園祭のときに話題になった岸和田一樹だ。
「そうだね。幽霊が力を強めるからね。噂によると、岩井理事長はこの時期になると結界の質を変えるそうだよ。外から侵入されてもいいから、内側からは出ていかないようにってね」
理事長は常にこの聖浄学園に結界を張っているかなりの力量の縫合タイプの結界師だが、それでも、行事やお祭りの力というものには勝てないこともあるらしい。
そのため、外から幽霊が侵入することができるのが、ハロウィンのこの日なのである。
何も、この文芸部が一丸となって、よからぬことを目論んでいるわけではない。一樹という幽霊と学園のある人物を引き会わせたい、というだけだった。
ちなみに、なごみの有難いレクチャーを受けているのは、部員全員ではない。この場にいるのは、麻衣、結城、代永、礼人のみである。他部員の優子、眞鍋、まことは調理室に行っており、残りの一人、咲人は優子と眞鍋によって連れ去られた。
それはいいとして。
礼人が手を挙げて質問する。
「妖怪とかは別なんすか?」
そう、先日の学園祭で一樹と出会うきっかけになったのは少年の姿をした妖怪だった。日本妖怪らしいが、日本妖怪だろうと西洋妖怪だろうと一緒だろう。問題は、妖怪と幽霊は全く別のものとして考えた方がいいのかどうか、ということである。
「いいところに気づくねぇ、阿蘇くん。そう、妖怪と幽霊は違うのさ。妖怪は色々依代にしたり、動物などの人間からすると異形のものに化けたりして、実体を持つ存在。実体になるほどの力を持たない幽霊とは違う存在なんだね」
「じゃあ、妖魔はどうなるんだ? 妖魔は穢れによって実体を持っちまったもんだろ?」
結城から飛んだ質問に、なごみはすらすら答える。
「妖魔と妖怪は違うよ。妖魔は幽霊が穢れて成るものだけどね、実体を持つ。妖怪も実体を持つ。けれどその違いは元々人間の考えた空想産物かどうかっていうところだよ。
例えば、妖怪なんかだと、河童やら座敷わらしなんかが有名だね。西洋に行くと、吸血鬼や狼男が有名かな。けれど、それらは全て空想の産物──物語なんかで語り継がれたことだね」
妖魔は違う、と言われると、納得のいく部分がある。
妖魔は元々幽霊で、妖怪のような形を取ることもあるが、それは元々人間だった頃の知識から執念に寄り添った形を取るものだという。そう考えると、妖魔と妖怪では大違いだ。
「ま、外から入ってくる分には、今日は大丈夫でしょ。一弥くんの思惑は別として」
なごみが気楽に口にした岸和田の名前に、礼人がむ、と顔をしかめる。どうもこっちを振り回していいように扱っている節のある岸和田の存在を、礼人はあまり快く思っていなかった。だからこそ、今日、その兄である幽霊の一樹が岸和田と対面することに意義があるとは思っているのだが。
そんななごみのレクチャーを受けていると、麻衣から教えられていた約束の時間が近づいてくる。
「じゃあ、俺はそろそろ」
そう言って、礼人は席を立ち、部室から出ていく。
部室には、なごみ、麻衣、結城の三人が残された。
「阿蘇くん、見事なまでに岸和田くんに苦手意識を持ってるねぇ……大丈夫かな」
「まあ、阿蘇くんの言うことが本当なら、今日の兄弟の再会っていうのは、意味のあることだと思うけどね」
麻衣が紅茶を一口口に含む。
それをゆっくり飲み下してから言った。
「……岸和田弟も、兄を探して色々やらかしたっていうなら、可哀想な子だと思うわ。兄弟愛は別に、否定するべきことじゃない……だけど、彼は間違ったことをした。それだけよ」
「麻衣から話は聞いてるけどよ……特殊能力持ちっていうのも、言葉だけ聞けば響きはいいが、考えものだな」
麻衣と結城の論になごみはうんうん、と頷きながら、こう告げた。
「でもきっと、阿蘇くんなら、なんとかしてくれるよ。結局のところスサノオが、人間を救ったように」
礼人は校門前に来ていた。するとちょうど、号外で見たのと同じ少年と男の子がやってきた。
少年が礼人に気づき、鼻をすんすんとやる。
「あのお姉さんの匂いがするね。君がぶんげーぶの人?」
「ああ。定禅寺先輩から話は聞いている。お前がお付きの妖怪で、そっちが岸和田の……」
「……兄の、岸和田一樹、です」
男の子──一樹は遠慮がちに名乗った。
「そう固くなることはない。岸和田のところまではちゃんと案内するから、ついてきてくれ」
「はい」
一樹の返事は心許ないものだった。あまり人間というのを信用していないのだろう。生前の影響で。
横で、大丈夫だよ、主さま、と妖怪が一樹を励ますのが聞こえた。礼人はどう声をかけたものやら、と少し思案してから言った。
「岸和田を、止めてやってほしい」
前置きのない礼人の一言に、二人が「へ?」と目を丸くする。
「岸和田はたぶん、あんたに会うために、無茶苦茶やったんだ。それで学園に被害が出ている。あんたに会えば、何か変わると思うんだ」
「一弥が、ぼくに会うために……」
一樹は俯いたまま、何かを思案しているようだった。それでは話が進まないから、と礼人は一樹と妖怪の少年を学園の中へ導いた。
「前に来たときも思ったけど、ここの空気って淀んでるよね」
「ああ、たぶん、黄泉路と魔泉路が開いてるからな。妖魔が随分出るんだ」
「へぇ」
少年は興味深そうに学園内をキョロキョロする。生徒には基本的に見えるので、あまり挙動不審になってほしくないのだが。
特に何事もなく、コンピュータ研究部が拠点を置く、コンピュータ室に辿り着く。
コンピュータ室の戸を叩くと、すぐに戸が開き、中から部長の雫が出てきた。礼人の姿を見ると「ようこそ」と喜んだが、すぐに後ろの二名について訝しむ。
「なんで妖怪と幽霊が?」
「実は、岸和田に用があるんです。岸和田はいますか?」
「いるけど……」
雫が渋る。まあ、仕方ないことだ。訪問者が幽霊と妖怪では、怪しまない方がどうかしている。
礼人は簡単に説明した。
「学園祭最後の号外は見ましたよね? 定禅寺先輩のやつ」
「あー」
再び渋い顔になる雫。あの号外がもたらした影響は知っているので、礼人はなんとも言わない。
「あそこの写真に載ってた二人です。岸和田から何か聞いてませんか?」
「あ、そういえば見たことあると思った。それなら話は早いわ。どうぞ」
話が通じたらしく、雫が中に招き入れる。しずしずとコンピュータ室に入ると、がたん、と椅子が一つ揺れる音がした。
そちらに顔を向けると、予想に違わず、岸和田が驚いた顔をしていた。
「いつ兄さん……!」
感極まってこちらに駆け寄り、一樹の幽霊に抱きつこうとする。
が、
「いつ兄さん……?」
す、とその手から、一樹は逃れた。
「……一弥、ぼくはこんな再会、望んでなかった」
ぽつりと告げられた言葉に、岸和田が目を見開く。
「そんなわけない! 僕だって、兄さんに会いたくて、僕の持てる力で色々頑張ったのに。兄さんだって、僕に会いたいからここに来たんじゃ」
「違う。ぼくは、あの頃のままの一弥に会いたかった」
一樹はそれまで伏せていた目で、真っ直ぐ岸和田を、弟を射抜いていた。
「ぼくのためっていうのはわかる。でも、それで人を困らせていいことにはならない。それでもぼくのためにって、続けるんだったら……」
一樹はちらと礼人を見た。
「ぼくは、消える道を選ぶよ」
「そんな、やっと会えたのに」
そう、積もる話はあるだろうに、一樹は岸和田を一顧だにせず、礼人を見上げた。
「あなたにはぼくを黄泉へ送る力がありますよね」
スサノオのことを言っているのだろう。礼人はああ、と頷いた。
「待って……!」
岸和田が手を伸ばす。が、されをぴたりと止める者があった。お付きの少年だった。
「僕は主さまの意思を尊重するよ。君に止める資格はないと思うな」
悲壮に満ちた顔をする岸和田を尻目に、礼人と一樹が言葉を交わす。
「いいのか? 本当に」
「はい。黄泉の深くに送ってください。もう、一弥が探さなくて済むように……ここで、終わらせてください」
その言葉を受け、礼人はスサノオの力に身を任せ──
岸和田一樹という幽霊は消えた。
本編の大筋は終了です。
次回からは回収していないフラグのための短編が続きます。




