岸和田一樹
名乗ったのはいいが、なかなか目を合わせてくれない。まあ、岸和田の兄弟、と言われても、麻衣は直接岸和田には会ったことがないため、似ているかどうかなどわかりようもないのだが。
しかし、俯いていられると話しづらい。なんとなくだが、表情も暗い気がするので、これではまるでこちらがいじめているようで気分がよくない。
「あの、こっち見てくれないかな?」
「え、いや、その……」
麻衣の要求に言い淀む一樹。これでは本格的に麻衣が悪いみたいな雰囲気だ。
だが、そんな一樹に助け船を出したのは、少年だった。
「主さまはね、目を合わせた人間を死なせちゃうって能力を生前から持っているんだ。だから、目を見て話すの怖いんだって」
その力も食べちゃいたいんだけどねぇ、というのはスルーしておく。妖怪はまあまあなんでもありだ。瘴気を吸って育つこともあるという。そういう感覚だと思っておくことにしよう。
しかし、目を合わせた人間を殺す、とは。
「随分厄介な呪いね。生まれつき?」
すると、一樹は小さく頷いた。それで麻衣は得心する。
先程、礼人は電話の中で、岸和田は親戚中を盥回しにされた果てに、全寮制の聖浄学園に入学させられたような話をしていた。岸和田は親戚から疎まれていたのかもしれない、と。疎まれる可能性は二つ。岸和田自身が何か悪事を働いたか、岸和田の家族に悪評があったか、だ。だが、小学生だった岸和田が大それたことをできるとは思えない。だったら、断然後者の可能性が高い。
その原因というのが、この岸和田の兄という一樹の能力であるなら、説明がつく。生まれつきで、人を殺す、呪いのような能力を持っている。それはそれは疎まれることだろう。
同時に、一樹が目を合わせようとしない原因もわかった。きっと、目を合わせた人物が死ぬ、という能力が怖いのだろう。厄介な目を持ったものである。それから誰ともろくに目を合わせられないでいるにちがいない。幼くしてこの子どももまた、重荷を負わされているのだ。
呪いについて、麻衣は決して詳しいわけではないが、一説によると、呪いは人間の悪感情──憎いとか嫌いとか、そういった負の感情から生まれるという。負の感情が瘴気を引き寄せ、一つの呪いとして形を成すのだ。その呪いは器を探して魂に取り憑く。取り憑かれた魂は、呪いに耐えられず、大抵は死ぬらしいが、稀に、呪いに適合して、そのままこの世に生まれてしまうことがあるのだという。麻衣は軽くしか知らないが、人見の持つ禍ツ眸というのも似たところがある。
不幸にも、一樹は「目を合わせた相手を殺す」などという凶悪な呪いに適合し、生まれてしまった。それが一樹の劣等になっているのかもしれないし、それが一樹の死んだ原因かもしれない。
まあ、死因について追究する気はない。麻衣にとっては岸和田も一樹も他人だ。深く関わるつもりもない。
問題は、一樹に岸和田のことをどう伝えるか、ということだ。
まず、確実なことは伝えるべきだろう。
「聞いたわ。弟を探しているんですってね。岸和田一弥という名前。確かにこの学園には、岸和田一弥という人物がいるわ」
「本当!?」
それを聞いた一樹の目の輝きようときたら。麻衣は少しの罪悪感を感じずにはいられなかった。ここからが問題なのだ。
ここまで得てきた情報から立てた推論を伝えるべきか、否か。
「ええ、岸和田一弥という人物がいるのは本当。たぶんだけど、君が探している子で合っていると思う。だけどね……」
普段なら、ここまで来たらずばずば言ってしまうのが麻衣なのだが、今はそれが躊躇われた。
その推論は、この子を傷つけてしまうかもしれない、残酷な真実なのだ。探していた弟が自分のために凶行に走っているのかもしれないと知ったら、この子はどう思うのだろうか。
見た目は小学生の一樹だが、近年の小学生というのは、子どもなりに色々考えることがあるのだ。一樹が自分の目の呪いについて、責任を感じてしまうように。
恐る恐るだが、その肩に触れてみる。幽霊には触れないという常識は妖魔の台頭によって覆された。妖魔は元々幽霊で穢れを負って人を襲うようになったものだ。妖魔は当然人間に触れられる。人間はそれに対抗する術として、タイプ技能を確立した。タイプ技能は古い言葉で言ってしまえば、簡易的な法力僧のような力だ。妖魔の台頭に応じて、タイプ技能も発展を遂げた。故に、タイプ技能さえ持っていれば、幽霊に触れることだって可能なのである。
見るからに小学生にしか見えない一樹の肩は小さかった。その小さい肩に、生前からこれまで、どれほどの重荷を背負ってきたか。大した重荷を背負ったことのない麻衣には推して量ることもできない。ただ、子どもには過剰な負担であったことは想像がつく。
今でさえ、こんなに気弱な男の子に更なる重荷を与えるのは躊躇われた。
故に、麻衣は「だけど」の続きを言うことはしなかった。
「会ってみることはできると思うわ。だけど、今はご覧の通り、学園祭っていうお祭り状態なの。だからここに連れてくることはできないし、今の君の霊体の状態では、いつもより強固になっているこの学園の門をくぐることも難しいと思う」
麻衣の指摘に、一樹はまた小さく頷く。
「この学園のことは、知ってる。強力な結界があることも。だから、ぼくから一弥に会いに行くことは難しいってわかってるんだ。でも、一弥がここにいるなら、会いたい」
まあ、そうなるだろう。弟を探すためにどのような道筋を辿ってきたのか、麻衣は知る由もないが、そこそこに苦労したことは窺える。おまけに一樹には死んでも消えない呪いまで憑いているのだ。呪いというのは瘴気を持つ。先程、少年は一樹が悪霊になりかけていた、と言い、その瘴気を食べたようなことを言っていた。だが、その瘴気を全て食らい尽くすことはできなかったのだろう。
呪いというのは強ければ強いほど厄介なのだ。宿主に深く根付いてしまう。弱い呪いなら、死んだら魂から剥がれると言われているが、一樹の呪いはどう考えても強い呪いだ。だからこそ、死後も発動する呪いとしてあるのだろう。そして、そういった呪いの場合、魂に根付いてしまっている場合が多い。いや、根付くという言葉では生温い。魂を構成する核となっている可能性があるのだ。先程少年が呪いを食らい尽くせない、と言っていたが、呪いを食らい尽くしてしまうと、岸和田一樹という幽霊が魂ごと消えてしまう恐れがあるからだと考えられる。
死んでまで呪いに振り回されるとは、多難程度では済まされない人生もあったものである。
「ちょっと、お話を聞かせてもらっていいかな」
麻衣が柔らかく問いかけると、一樹は小さく頷き、それからぽつぽつと語り始めた。
「ぼくは、生まれたときから、目を合わせた人を死なせる力を持っていたみたいなんだ。ぼくを可愛がっていたおじいちゃんおばあちゃんは愚か、叔母ちゃんまで死なせてしまった。おじいちゃんやおばあちゃんは寿命があったから、と納得したみたいだけど、非常に健康体だった叔母ちゃんの急死は、ぼくの能力を明らかにした。
まだそんな力があるとは知らず、ぼくは近所の人たちに可愛がられた。けれど、その人たちも突然死ぬようになったんだ。その死んでいく人数が増えていくことで、お父さんとお母さんは、ぼくに呪いの力があることを悟った。……それからは、ひどい日々だったよ」
それまで俯いていた一樹が、そこでようやく顔を上げる。通常の人間より黒目の部分が大きいところ以外は普通の顔だ。……いや、その頬はこけていて、苦労をしていたのであろう色が表情から窺えた。
一樹は目を合わせようとはせず、遠くを見るような目をしていた。その状態で、ひどかったという過去を語り出す。
「その呪いを知ってから、お父さんもお母さんも、ぼくを恐れるようになった。ぼくを呪われた子、と謗って、暴力を振るった。目を向けようものならすぐにひっぱたかれて、ぼくはそこから徐々に自分の呪いというものを理解して、人と目を合わせなくなった。
でも、ぼくがそんな努力をしても無駄だった。『呪われた子の親』というレッテルを貼られたお父さんとお母さんは、ぼくの存在そのものを嫌って、暴力はエスカレートするわ、ネグレクトされるわ……ご近所付き合いも悪くなったのだけれど、それも全部お前の呪いのせいだ、って……家から出してもらえなくなる時期もあった。
それから、もうぼくの存在自体が疎ましくなったお父さんとお母さんは、とうとう凶行に走った。……ぼくを殺したんだ。そうすれば、呪いもなくなって、悪評もなくなると思って。まさか、ぼくが幽霊になってまで、こんな能力を持ってこの世にいるなんて、思いもしなかっただろうけどね」
一気に語り終えると、一樹は自嘲のような笑みを浮かべる。続けて語り出したのは、弟のことだった。
「一弥はね、ぼくとは反対に呪いを祓う力……退魔の力が強かった。その力は貴重だとされたのだけど、ぼくという存在のせいで、呪いが移るのではないかって遠ざけられた。
お父さんとお母さんが死んだのは、ぼくを殺してから。お父さんにもお母さんにも、技能はなかったから、幽霊になったぼくが、恨みを持って睨んでいることなんか知らずに、のうのうと生きて、突然死した。
思えば、一弥には悪いことをしたなぁ、って思う。お父さんとお母さんがいれば、一弥は普通に生活できたのかもしれないのに、ぼくが殺しちゃったばっかりに、大変な思いをさせた」
一樹の表情に後悔の色が滲むのを見ながら、麻衣は察する。何故、岸和田が一樹を探すのか。
両親の突然死によって、岸和田は確信したのだ。兄、一樹の霊がまだこの世をさまよっている、と。
聞く限りでは、兄弟仲は良好だったらしい。ならば、互いに探すのも頷ける。
「ぼくはお父さんとお母さんを殺してしまった罪悪感から遠くに逃げて、落ち着いてから、一弥に会いたいと思うようになったんだ。その探している最中、この人と出会って、協力してもらって、ここに着いた」
この人、と言いながら、一樹は少年の裾を引っ張った。
「いやあ、主さまがこの中から弟くんの気配がするっていうから探りを入れたんだ。どうやら当たりっぽいね」
「ええ」
麻衣は頷くと、麻衣が知る限りの岸和田一弥の情報を渡し、それからいくつか相談、決め事をして、二人と別れた。




