聖浄学園学園祭5
麻衣は今日も売り子に出ていた。というか、昨日の人物──結城曰く、妖怪に直接接触したのは麻衣と結城しかいないのだから、そのどちらかが行かなければならない。
麻衣は校門の前で売り子をしながら、昨日の人物が来るのを待っていた。特に待ち合わせの時間も指定していなかったので、いつ来るかわからない。
「はあ……ちょっと面倒なことになりそうね」
麻衣は現状をそう嘆いた。文芸部に厄介事が舞い込むのは、今に始まったことではない。麻衣の知る限りでは、同い年の代永に黄泉の重鎮禍ツ姫が取り憑いていて、コミュニケーションが取れないことがあったし、その代永が謎の昏睡に陥ったことだってあったし、最近では妖魔が爆発的に増えた。それならば、新しい後輩が退魔最高峰の神を召神できることだって、もう一人の後輩が黄泉の重鎮を越えて神道の重鎮を宿せることだって、そよ風が吹いたようなものだ。
ただ、これまでのトラブルは、文芸部の中で収まってきたから別にいいのだ。問題なのは、今回の問題が、部外の人物に関わりがあるということ。
それに礼人の提示した情報によると、そいつは余程巧妙な手口を使って、学園全体を振り回しているということだ。
はっきり言って、文芸部は関係ない、と言ってしまいたいが、乗りかかった船だ。最後まで舵を取るなり何なりしてやるのが先輩のよしみというやつだろう。
まあ、事が明らかになったなら、礼人が言っていた岸和田という一年生を一発ぶん殴るのもありだと麻衣は思っている。麻衣は見ていないがわかるのだ。代永の昏睡から、優子が無理をしていたのを。優子と同じ部屋で、共に過ごしているからわかる。優子はあれでいて強がりだから、人前では見せないが、代永が昏睡して一番不安だったのは優子だったはずだ。今じゃ、代永が回復して、優子と代永はできているみたいに号外で面白おかしく騒ぎ立てる新聞部がいるが、それを否定できないくらい、優子と代永の仲や絆が深いことを麻衣は知っている。だから、優子は人の見ていないところで、きっと泣いたはずだ。押し潰されそうな心を必死に支えているのはわかった。
麻衣にとって、優子は高校でできたかけがえのない友人だ。世話をすることもあれば、されることもあった。それくらいの存在で、少なくとも麻衣は大切に思っている。そんな大事な友人を泣かせたやつの罪は重い。
「まあ、そいつにもそいつの理由ってのがあるんでしょうけど」
だからって、許されることと許されないことくらいある。
その岸和田が主犯だとしたら、随分とこちらも巻き込まれているのだ。代永という貴重な戦力を一年間失っていたし、まことや礼人や結城などが送り込まれた妖魔に悪戦苦闘させられた。美術部の人見もそうだ。それに諸先生方にも苦労をかけたことだろう。これは麻衣の知らぬ話だが、理事長まで出張ってくる始末だった。
「でも、そうなると、兄弟が罪を犯していることになるのよね……」
麻衣は複雑な面持ちになった。これから来るのは、岸和田の兄という人物で、幽霊だ。岸和田を探していて、幽霊である、ということは、岸和田のやっていることを知らない可能性が高い。兄弟や家族が罪を犯しているとしたら、複雑な心境になることにはちがいない。
考えていると、礼人から着信が入る。
「はい、何かわかったの?」
「ええ。当たりっぽいですね」
麻衣は礼人から情報をもらった。岸和田には年上の兄弟がいること。両親が死んでいて、親戚を盥回しにされていたこと。聖浄学園には中等部からいること、等々。
胡散臭いとは思ったが、ここまでくるとクロの気配しかしない。岸和田にも岸和田なりの事情はあるのだろう。巻き込まれる身にもなってほしい。
が、嘆くより今は、ある程度の推論を立てた方がよさそうだ。岸和田の兄というのが幽霊で、岸和田に会いたい。岸和田は悪事を働いている。しかも、妖魔を操っている可能性がある。──頭から離れない厄介の二文字。
ある程度の推論を立ててからじゃないと、無闇に会わせることはできない。一応これでも、麻衣は頭の出来は悪くないのだ。それが結城ではなく、麻衣がここにいる理由でもある。
「はあ、参ったわね。阿蘇くん、そっちの推測は?」
「突飛な話ですが、岸和田もその兄に会いたいんじゃないっすかね?」
「同意見よ」
麻衣が盛大に溜め息をこぼす。
その理由は、
「死んだ兄に会うために、そいつは学園中を引っ掻き回して、果てには黄泉まで引っ掻き回しているってことになるわね」
礼人がスサノオの力を宿していることを知っているなら、それを利用しているのかもしれない。幽霊や妖魔は黄泉の主であるスサノオに引き寄せられることが明らかになっているのだから。引き寄せられる者の中に、兄がいるかもしれないという一縷の望みに賭けている可能性も一概に否定できない。
電話口で申し訳なさそうに礼人が言う。
「全て推論なので、どこまで話すかは先輩に任せます」
「わかったわ。ありがとう」
通話を切る。再び麻衣は溜め息を吐いた。結城や優子なんかがいたら、溜め息を吐くと幸せが逃げる、などと茶化しそうだが、溜め息も吐きたくなる。
売り子の役目を放棄し、天を仰いだ。少し視界が悪かったため、黒縁の眼鏡を持ち上げる。長いツインテールが揺れた。
「重荷なんて、背負うようなもんじゃないわ」
麻衣はあまり、こういう大役に選ばれたことはない。スサノオの力を植え付けられた礼人の心情もわからないし、禍ツ姫のせいで、高校生になるまでの記憶がほとんどない代永の気持ちもわからない。中学時代から妖魔討伐を強いられたまことの気持ちも、強い者であり続けなければならない優子の責任も、みんなを率いる役目を背負うなごみの笑顔の裏も、優秀な姉を持つが故の咲人の劣等も──もっと身近で言うならば、怪我で部活をやめざるを得なかった、結城の苦悩も、何もわからないのだ。そんな責任だの注目だのといった特異性は麻衣にはないのだから。
だから、こういう重要な場面で自分が起用されることに僅かな違和感と緊張が生じる。溜め息の一つも吐きたくなるというものだ。
だが、こうも思う。これで、自分がわからなかった、みんなの重荷を少しでも減らせたなら。それはみんなのためになるのではないか、と。
誰かの力になることを麻衣は常に望んでいた。それがおそらく、ヒーリングフェアリーなどの支援型の妖精たちとの相性を生み、妖精使いの称号に繋がったのかもしれない。
「……乗りかかった船よ」
麻衣はぱしん、と自らの両頬を叩いて己を奮い立たせる。他の者にできて、自分にできない、と言い訳をすることは容易い。だが、できないばかりで人任せにばかりするのもいいとは言えないのだ。
覚悟は決まった。あとは、来る岸和田の兄というのがどんな幽霊なのか……
と、考えていると。
「おーい」
昨日聞いたばかりのどこか呑気な少年の声が聞こえてくる。声の方を見ると、遠くから昨日の少年がとてとてと歩いてくる。人の目があるからだろう、妖怪のはずだが、人間に化けていた。まあ、あちら側の配慮なのだから、わざわざ突っ込む必要はあるまい。
「こっちよ」
こちらも手を振り返す。麻衣のツインテールはなかなか長いから特徴としては忘れにくいだろう。それに今は黒縁眼鏡をしている。これが結構縁の太いフレームだから、顔の印象の大部分を持っていくことにちがいない。
それゆえか、少年は間違えることなく、麻衣の方へやってきた。
「やあ、昨日の子だね」
「ええ。よく来たわね。歓迎とまではいかないけれど。そうそう、こっちで色々調べたのだけど、例の岸和田一弥はうちの学校にいるのでほぼ間違いないわ。お兄さんは?」
問いかけると、少年の後ろでぴくんと何かが震えた。少年が苦笑いしながら、「怖がることないよ、優しいお姉さんだよ」と宥めていた。
すると、少し間を置いて、少年の後ろから、俯き加減に男の子が出てきた。そう、男の子。小学生くらいにしか見えない。──そんなに幼い頃に死んだということだろうか。
少し肌がぞわりとした。優子や結城ほど鋭くないが、麻衣にも直感のようなものはある。それが警告したのだ。この幽霊はヤバい、と。
逆に考えると、優子や結城ほど鋭くない麻衣にもわかるほど、男の子は瘴気を放っていた。
少し身震いした麻衣の様子に、少年が苦笑する。
「悪霊になりかけてたからね。僕が悪いものは食べていたんだけど、やっぱり完全とはいかないか。主さまには特殊な力もあるみたいだしね」
「特殊な力、ね」
タイプ技能が普及した現代においても特殊と呼べる力とは。
だがその前に、麻衣は基本の挨拶をした。
「私は定禅寺麻衣。あなたは?」
男の子は俯いたまま、ぼそぼそと名乗った。
「ぼ、ぼくは岸和田一樹……一弥の兄です……」




