岸和田一弥
岸和田一弥は幼少から強い退魔の力を持っていたが小学校以前の記録はない。両親がなく、当時岸和田を預かっていた親戚から全寮制である聖浄学園への入学を勧められ、聖浄学園中等部に入学した。学業の成績も悪くはなかったため、入試も易々とパスした。
ただ、全寮制の学校に入れられたことから鑑みるに、岸和田と親戚との仲があまり芳しくなかったということが窺える。もしかしたら、強い退魔の力を持つ岸和田を疎んでいたのかもしれない。人は往々にして、自らの持たぬ力を持つ者を妬む傾向にある。幼いながらにそれに晒されていた可能性はある。
そんな岸和田一弥の聖浄学園中等部に入学をしてからの目立った行動は特にない。ただ、よく妖魔の出やすい高等部の敷地で目撃されていたという記録がある。迷子、というわけではなさそうだが。
学園祭のときなどは特に、自分の当番以外のときは高等部にいたという証言が多数ある。
家族についての情報は少ない。彼自身が家族について語ることはない。両親が他界していることだけが唯一の情報である。両親がいつ亡くなったかは知れないが、長い間親戚中を回っていたらしい証言があるので、親戚中を盥回しにされていた可能性もある。
勉強熱心で、特に、中学生であるにも拘らず、妖魔や黄泉路に関する知識に秀でていた。自ら倒していたこともあるらしい。
中等部時代の部活はコンピュータ研究部。当時から、記号タイプの適正だとわかっていたらしい選択である。
ただ、記号タイプの適正を持つ人間によく見られる引きこもり気質があったようで、放課後は部活以外は大抵寮にこもっていたらしい。
それからエスカレーター式で高等部に入学。入学前から中等部でもそこそこ名の知れた記号タイプであったため、コンピュータ研究部に勧誘されたという話がある。岸和田は大方の予想を裏切らず、コンピュータ研究部に入部。コンピュータ研究部で妖魔討伐に積極的に貢献している。
というのが、聖浄学園にある岸和田一弥の記録である。
礼人はそれを見て、やはりな、と思った。
「岸和田が中等部からいたんなら、去年起こったという文芸部の代永昏睡事件も仕込めた」
「礼人くん、こないだも言ってましたよね」
まことが一緒に資料を見ながら礼人に確認する。まことの中で岸和田は比較的好印象の人間なのだが、最近の妖魔多発事件の裏で糸を引いているという話を礼人から聞いている。
「その岸和田を摘発しないのは何故?」
零がもっともな疑問を放つ。礼人は予想していたのか、すぐに答える。
「俺が岸和田を黒幕だと思っているのは、岸和田が俺の前でだけ怪しい証言をしているからです。証言だけじゃ、摘発するにはちょっと弱いでしょう?」
「それはまあ、確かに」
そう、そこが難点だった。聞いたのが礼人一人でなければ摘発もできるのだが、岸和田はそんなに簡単にぼろは出さない。
今やっていることも、証拠になるかどうか。家族のことがわからない、というのは痛いところだ。今一番知りたいのは、岸和田に家族、もっと言うなら兄弟がいたかどうかなのに。
いっそ、岸和田が全校生徒の前で自白してくれれば楽なのだが、そういうことは万に一つもないだろう。
「とりあえず、岸和田が中等部からいたことがわかっただけでも収穫だ。親戚に毛嫌いされていた可能性がある、というのも何か曰くがありそうだな」
「確かに、親戚中を盥回しっていうのは引っ掛かりますね。そんなに悪い子にも見えないのに」
可能性は二つだ。一つは岸和田自身が何かやらかしたか。もう一つは岸和田の家族が何かやらかしたか。両方かもしれないが。
覚えていて損はない。岸和田の犯行動機に繋がるかもしれないのだから。
「……と、ちょっとそろそろ妖魔が寄ってきたようね」
零が職員室の外を見て言う。確かに、窓の外から黒い集団が見えてきた。
礼人がこのまま残って戦う、という手もあるが、体質で更に多くを呼び寄せる可能性がある。職員室には零と西村、二人の教師がいる。幸い、迫ってきているのはさして強い妖魔ではない。この二人に対応してもらうという方向でいいだろう。
「すみません、失礼しました」
「ああ、そうだ、阿蘇くん」
零が礼人を振り向く。礼人は華さんのことなら、と言いかけたが、零は首を横に振った。
「華のことは後回しでいいわ。それより、話を聞いているとどうもきな臭い感じがするの。気をつけてね」
そんな忠告を受け取り、礼人はまことと職員室を後にした。
「次は三階?」
二階から上へ上がっていく礼人に声をかけるまこと。礼人からはああ、と肯定が返ってきた。
「岸和田のことを知りたいなら、知ってるやつに聞けばいい。例えば、同じ部活のやつとかな」
「なるほど」
岸和田の所属するコンピュータ研究部は三階で出し物をしている。ちなみに、礼人が昨日確認したことだが、岸和田は今日は売り子で外回りをしているので、コンピュータ研究室にはいない。
あまり良くない話の場合、本人がその場にいない方が話しやすい。例えば、身の上話のような繊細な話ならば。
部内で気心の知れた仲なら、少しくらい話しているかもしれないが、これまでの情報から鑑みるに、岸和田の家庭環境だのは笑って快活に話せる内容ではないはずだ。
ただ、礼人が確かめたいのはそんな繊細すぎる奥深くの話ではない。岸和田の家族構成だ。細かく言うなら、岸和田に兄がいたか、ということである。兄弟の有無くらいなら、話している可能性はある。
「それに、コンピュータ研究室には、特殊な結界が張ってある可能性がある」
「何故そうと?」
「昨日、俺はコンピュータ研究部に顔を出したんだ」
文芸部と美術部の合同出店からそう遠くないコンピュータ研究室。文芸部の展示では、礼人と咲人が店番、まことが結界当番を任されていた。まことほどの使い手となると、妖魔が寄らないのは当然だし、寄ってきたとしても、一網打尽にされていたであろうことは目に見えている。
一方、コンピュータ研究室には、部長以外の何人かの部員がいた。その中には当然岸和田もいた。だが、コンピュータ研究部が扱う記号タイプの技能の中にある電子結界という結界だけでは、妖魔に対しての効力が弱い。しかも、コンピュータ研究部の中で最も電子結界に秀でた部長の雫がいなかったのだ。いくら結界を張っていても、雫ほど丈夫にはできなかったはずだ。
そんな場所で、礼人はゲームを五戦もやった。コンピュータ内でのボードゲームだったり、対戦ゲームだったりしたが、どれも五分十分で終わるような簡単なものではなかった。礼人が完勝したとはいえ、それが簡単だったかどうかを証明するには足り得ない。
そんな長時間いたにも拘らず、昨日、コンピュータ研究部に妖魔が現れることはなかった。妖魔が還ろうとするスサノオがそこにいるというのに。
その要因に岸和田が関わっているのではないかと礼人は踏んでいる。どうも岸和田は礼人の中にあるものについて知っていたのではないか、と思えるのだ。
記号タイプも、高位になると、称号がつく。礼人に与えられていたのは「人に与えられし力」だった。そう父から教わった。その力がおそらく、スサノオなのだろう。
もしかしたら、岸和田にもそういうのがあるんじゃないか、と考えた。それが妖魔を操る力だとしたら、これまでのことにも説明がつく。
妖魔を操る……誘導する力があるのなら、引き寄せないということもできるのではないだろうか。自分は高見の見物というわけである。
礼人はぐ、と拳を握りしめた。
コンピュータ室の前に着く。ノックすると、すぐにコンピュータ研究部部長の雫が出てきた。
「あら、阿蘇くん。来てくれたの? あ、昨日来てくれたんだってね。ありがとう」
「いえ。……今日はお聞きしたいことがありまして」
ちら、と室内を見る。幸か不幸か、今は部員以外誰もいないらしい。学園祭としては閑古鳥が鳴いていて虚しいことこの上ないが。
礼人にとっては好都合だ。あまり他者に聞かれるのも好ましくない。
「岸和田についてなんですが」
「岸和田くんなら、今日は売り子よ?」
「いえ、岸和田には直接は聞けないことなんです」
「あら、訳ありね。まあ、中に入って」
雫に中に入れてもらい、礼人はまこと共々、コンピュータ室の一角に陣取った。
「で、岸和田くんのことって言ってたけど、どんなことかしら?」
「……岸和田から家族の話を聞いたことってあります?」
室内に礼人の声が通り、それから数秒、沈黙が場を支配する。
そういえば、と部員の一人が呟いた。
「兄弟の話をしたときに、年上の兄弟がいいか年下の兄弟がいいかなんて他愛もない話をしてたら、『僕は上がいるから下が欲しいですかね』って言ってたような……」




