見えてきたもの
「岸和田一弥、ねぇ」
少年が口にした名を麻衣が復唱する。結城も神妙な面持ちで考えた。
心当たりはある。二人共、思い浮かべたのは同じ人物だった。
「岸和田って言ったら、記号タイプの一年生ね。雫が優秀な一年生を獲得できたって喜んでいたわ」
「岸和田っつったら、確か阿蘇のルームメイトだろ。阿蘇が色々ぼやいていたが」
二人共礼人と同じ部活。礼人から話を聞くことがあった。まあ、礼人のルームメイトであること、記号タイプであることくらいしか知らないが。
「悪いけど、今、学園祭の真っ最中だから忙しいのよね。会いたいってだけなら案内するけど……見るからに訳ありよね」
「察しがいいね。がくえんさいっていうのはこのどんちゃん騒ぎのこと?」
「はははっ、どんちゃん騒ぎとはいいなぁ!」
結城が快活に笑うと、麻衣がその脳天にチョップした。話の腰を折るな、ということだろう。
訳あり、というのは、少年の行動、言動から推測したものだ。このどんちゃん騒ぎの中、迷子ではなく、人探しをしている、というのは奇妙だ。もしかしたら、兄弟を探しているのかもしれないが、それなら少年は「岸和田一弥の兄弟」と名乗るべきだ。少年の言動には岸和田と少年が直接的な関係を持っている可能性が含まれていない。それに、少年は言った。探しているのは自分ではなく、知り合いだと。つまり少年は人探しの仲介人を請け負っているのだ。
人探しに仲介人をつけるとはおかしな話だ。だったら、自分で探しに来ればいい。学園祭だから兄弟の出し物を見に来たのだとかそういう理由だとしたら、後ろめたいことなど何もない。仲介なんておかずに「岸和田一弥はどこにいますか?」と訊きに来ればいいだけだ。
だが、人探しをしている当人はこうして少年を仲介人に置いた。どうしても、仲介人を置かなければならない要因があると考えるのが妥当だ。
学園祭に関係のない呼び出しなら、今は学園祭を優先させるべきである。岸和田が所属するコンピュータ研究部はお世辞にも人数が多いとは言えない。故に、そうやすやすと店番を抜け出すのも、他部員への負担を増やすだけだ、と麻衣は判断したのだ。他の部活のことではあるが、麻衣は雫と仲がいい。部長を務める雫の苦労は耳にたこができるほど聞かされた。その上で負担をかける行為をするなど、義理人情の欠片も見られない。麻衣は義理がたいわけではないが、友人に厄介事を押しつけるような人情のない人間ではなかった。
それに学園祭の最中にも、先程のように妖魔が現れることがある。生徒たちは譬、どんちゃん騒ぎであろうと、妖魔に対して油断してはならないのだ。だから、浮かれているように見えて、内心は張り詰めているのである。
そんなときにどんな事情かは知らないが、深い訳あり事案なんかを持っていっては気苦労が増えるばかりだ。急ぎでないなら、後にしてほしい。
丁寧に訳を説明すると、少年は納得したようで、こくりと頷いた。
「それじゃあ、いつ来たら都合がいいかな?」
「この学園祭……どんちゃん騒ぎは明日まで続くの。明日は……うん、明日なら、いいわよ」
「わかった。明日ね。ある……知り合いにも伝えておく」
少年の一言に、黙っていた結城が溜め息を吐く。それから口を開いた。
「別に、無理に『知り合い』なんて呼ばなくてもいいぞ。お前が人間じゃないことはわかっているし、人探ししている当人がここに入って来られない理由も察しはついている」
「ありゃ、バレちゃってたか」
結城は瘴気を感じ取る能力に長けている。それは瘴気が特に、というだけで、他の気配もなんとなくだが察することができるのだ。──例えば、妖気とか。
少年は体の一部を獣のものにして妖魔退治をした。もちろん、そういうタイプ技能がないわけではない。演劇部なんかは、変化タイプと呼ばれ、架空の生き物やら動物やらの性質を自らの体の一部に反映させることができるし、創作タイプでも、イメージ次第では体の一部を変化させることだって可能である。
だが、タイプ技能を発動させるには条件がある。発動する技能名を口にすることだ。場合によっては祝詞を唱えることもある。慣れたなら口にしなくても顕現できるようになるらしいが、少年は中学生程度にしか見えない。中学生では、ほとんどの学校ではまだ、タイプ技能の授業を受けないはずだ。よって、慣れでできる、と考える方が難しい。妖魔討伐が初めてだったのなら尚更。
結城は少年が纏う妖気を見つめていた。可視化できるものではないが、結城にはわかる。目の前の少年は技能者でもなければ人間でもない。妖気を孕んでいることからわかる。彼は妖怪と呼ばれる種族だ。
妖魔が蔓延る現代、人間の創作物とされていた妖怪という存在が世の中に顕現していてもおかしくない。妖怪は神話の中にも登場するれっきとした存在なのだから。
「まあ、わかってるなら話は早いや。僕はね、僕の主様の願いで主様の弟である一弥くんを探して、ここに辿り着いた。本当なら、主様がここの結界を越えられればいいんだけど、主様はその……幽霊なんだ」
なるほど、それなら納得だ。
この学園には妖魔用の結界が張り巡らされている。妖魔を外に出さないように、というのもあるが、もしかしたら、外から妖魔が入らないようにというのも施されているのかもしれない。妖魔は元を正せば幽霊だ。この学園は黄泉路が開いており、幽霊が立ち入れば、穢れを負って妖魔になりかねない。そのための対策なのだろう。
「まあ、学園祭二日目も中程をすぎれば、忙しさも緩む。そのときにお前の主とやらを連れてきてくれ。こっちは岸和田が本当にお前の主の弟なのか確認しておく」
「有難い限りだ。じゃあ、明日、主様と一緒に来るよ」
そうして、麻衣と結城が遭遇した奇妙な邂逅は一旦幕を閉じた。
保健室にて。
倒れた礼人が運び込まれてから、三時間が経つ頃、礼人はようやく、ゆるゆると重い瞼を持ち上げた。
保健室の清潔感溢れる白いベッドの上に寝かされていた礼人は、しばらく現状が理解できないでいた。人見と侍の妖魔に遭い、戦った途中までは覚えているが、途中からふっつりと記憶が途切れている。
何故だろう、と思いながら起き上がると、礼人の動く気配を察知したらしい人物が、閉じられていたカーテンをさらりと開け、顔を覗かせる。礼人を見つめるのは、眼帯で塞がれていない左目だけだ。
「人見、無事だったか」
「あなたのおかげで」
簡素な返答が返ってくるが、礼人は見逃さなかった。カーテンの端を握る人見の手が微かに震えているのを。
あれほど強い妖魔を、生粋の点描タイプで攻撃手段を持たない人見が始末したとは考えにくい。となると、やはり記憶はないが止めを刺したのは礼人、ということになる。
「戦闘の途中から記憶がないんだが」
そう告げると、人見はそう、と顔を翳らせ、それから決意を固めるように深呼吸をすると、こう言い放った。
「私には、あなたの中に埋め込まれているのが何か、見えている」
礼人はひゅっと息が変な方へ入っていくような感覚がした。自分の中のものについて、こうはっきり告げられるのは初めてだったから。
……いや、人見は出会ったときから見えていたはずだ。何度か礼人に物言いたげにしていた様子があった。そして、そのたびに妖魔という横槍が入り、話が先延ばしになっていた。今回も、人見が何か告げようとしたタイミングで妖魔が出た。これはどう考えても、誰かが意図的にやっているようにしか考えられない。
礼人の脳裏に岸和田の顔が浮かんだが、今は人見の話を聞くべきだ。人見の話を聞ける絶好の機会とも言える。何せ、保健室は治療場として利用する場所であるため、殊更結界が強いのだ。よほどでない限り、妖魔は入って来られない。よって、横槍の心配はない。
礼人は姿勢を正した。
「それで、何があったんだ?」
一呼吸置き、人見はすらすらと述べる。
「あの妖魔との戦いで限界状態まで追い詰められ、埒が明かないと判断したあなたは、あなたの中にあるものにその後の決定権を委ねた。その後、『それ』は自らの力を行使し、私の禍ツ眸を利用して、召神を行った」
さすがに礼人は驚いた。
「召神? 記号タイプでなんて聞いたことがないぞ?」
「あなたは特殊なの。あなたの中に埋め込まれた『それ』の正体は──神。しかもただの神じゃない。黄泉に対して禍ツ姫と同等──否、それ以上の権限を握る天津神が宿っている。そして、神の中でも最上位に位置するかもしれない存在。実際、『それ』に命じられて召神された神は『それ』を敬っていた。『それ』は神に命を出し、役目を終えた神を返神した。ここまでカードが揃えば、導き出される神の名は一つ」
「まさか」
日本には三貴神という存在がある。月の月読命、太陽の天照大御神、そして、黄泉へ行った母に会いたいと駄々をこね、紆余曲折あってから、黄泉を統べることとなったもう一柱。
彼の神は、剣と縁のある神である。故に、剣を扱う礼人との相性は悪くなかったのだろう。彼の神であれば、記号タイプでありながら、礼人に多大な退魔の力があることにも説明がつく。強制的に妖魔を正しき道へ導ける才を持っているのだから。
人見は礼人を真っ直ぐに見つめて断じた。
「あなたの中にあるのは『スサノオ』という神の力。その力はありとあらゆる神を統べ、妖魔を強制的に黄泉帰りさせることができる能力を持つ」
場合によっては、と人見は言葉を次ぐ。
「黄泉路……いや、魔泉路までをも閉じることができるかもしれない」
礼人の中で、父の遺した言葉の意味がわかった。
その力で、黄泉路を、魔泉路を封じてくれ、と。そういうことだったのだ。
だとしたら、ますますわからないのは岸和田の行動だ。岸和田は妖魔を裏から手引きし、意図的に礼人と人見が話すタイミングに襲わせた。その真意は何だろうか。黄泉路、魔泉路を閉じさせたくない?
憶測を巡らせていると、保健室の戸が開いた。入ってきたのは麻衣だった。礼人を見ると、起きていたのね、好都合だわ、と言う。
意図を汲み取れずにいると、麻衣はこう言った。
「あなたのルームメイトの岸和田一弥って子に会いたい人物がいるらしいわ。ただ、ちょっと訳ありでね。……その子、幽霊なのよ」
その一言で、礼人の中で全てが繋がった。




