聖浄学園学園祭3
妖魔の反応が消えたことで、店番組に安堵の空気が流れる。
茶化すわけではないが、咲人が言った。
「まあ、あの二人なら大丈夫でしょ。何せ一年生のときからコンビネーション抜群だったらしいから」
「へぇ」
礼人がさして興味もなさそうに相槌を打つと、咲人が続ける。
「さっきも言った通り、あの二人は当時、学園の双璧って呼ばれてたからね。攻防の息がぴったりでさ。
新聞部あのときも号外出したっけ」
「まじか」
思わぬ優子のスキャンダルに礼人はここぞとばかりに食いついた。普段はからかわれているため、優子を弄るネタがあるのなら、喉から手が出るほど欲しい。
そんな礼人と共犯関係の咲人は感慨深げに溜め息を吐く。
「懐かしいなぁ。姉さんすんごい初々しかった。母さんと一緒に弄ったよ」
「うわあ……」
咲人が優子を弄るくらいならまだ易しいが、そこに母の優加が加わるとはえげつない、と礼人は若干引いた。
「姉さん、きっと代永先輩のこと好きだと思うんだよねぇ」
「ですよねですよね」
横合いからまことが会話に入ってくる。礼人がすかさず突っ込んだ。
「おい、結界は大丈夫なのか」
「大丈夫ですよ。少しくらいいいじゃないですかぁ、女子トーク」
「いや、俺も咲人も男子だからな」
ここで一つ言っておくとすれば、代永は現在二年生だが、一年留年しているために年は咲人より上。故に学年の同じ咲人が代永先輩と呼ぶのだ。
礼人はあまり先輩後輩に拘らないので、代永、と呼んでいるが。
当の代永も呼ばれ方は気にしていないようだ。
それはさておき。
「母さんと一緒に『同じ学年なのに名前で呼べないんだ』とか『あらあらお年頃ね』とか、うん、姉さんを弄るの楽しかった。いちいち顔真っ赤にしてさ」
「優子先輩、乙女ですね」
純粋なまことの一言に、礼人と咲人の表情が一瞬にして真顔になる。あれを乙女と呼ぶのか、と絶句していた。
まことは気にせず持論を展開する。
「妖魔討伐の中で深まる絆、生まれる恋。憧れちゃいます」
すっかり酔っちゃっているまことを見て、笑みを取り戻した咲人が訊ねる。
「長谷川さんにはそういうあてはないの?」
「ふえ? 私ですか?」
まことがうーん、と唸る横で、ほとんど空気と化していた人見が口を開く。
「いつか、号外があった。確か、長谷川まことと阿蘇礼人ができてる云々」
「あー、あったあった」
咲人が相槌を打ち、途端に赤くなったまことからちらと礼に目を移す。礼人は無表情だ。
淡々と述べる。
「別に、あれは恥ずかしいことでもないだろ、まみ」
「そうそれ!」
咲人が礼人を指差し、礼人が「人に指差すな」と他人事な注意をして、人見がかくりと首を傾げる。見ればまことは頭からふしゅうと湯気を立てていて、口を聞けそうもない。
礼人はまるで気にしていないようだが、呼び名の変化には文芸部一同が気づいていた。礼人があまりにも平然としているので、眞鍋くらいしか突っ込まなかったが。ちなみにその眞鍋は突っ込んだところ、「それがどうした」とばっさり斬られ、しばらく落ち込んだという。
「気になってたんだけどさ。長谷川さんはまことって名前なわけじゃん。眞鍋さんじゃないけど、呼び名変わったきっかけって何?」
「え? ああ、あれはすまないことをした。一回名前を読み間違えてだな……」
「だあああああっ、その話はしないでください、恥ずかしいですから!!」
礼人が首を傾げる。咲人は続きを促そうとしたが、タイミングがいいのか悪いのか、次の当番であるなごみが入ってきた。
「やあ、捗ってるかい?」
素直に礼人が答える。
「まあまあ客足はあります」
まあまあとは日本人は便利な言葉を考える。曖昧に表現できる。まあまあ客が来ているとも、まあまあ来ていないとも言えるのだから。
どちらかというと、後者なので、言わぬが華。沈黙は金とも言う。まあ、文集は百部しかないので、あまり序盤から飛ぶように売れても、二日目が困る。出足はまあまあくらいがちょうどいい。
なごみも野暮に突っ込むことはなく、それは上々、とちゃらけた言い方で、まことの方に寄っていく。まことが主軸となる結界当番は裂ける人数が少ないため、一人あたりの当番時間が長い。その労を労いに行ったのだろう。さすがは文芸部部長にして、部員の精神軸である。
「いやぁ、宣伝大変だったよ。途中で妖魔出るし。中等部にも出たって聞いて気が気じゃなかったね」
「部長ってエスカレーターなんですっけ」
「いや、妹がね、中等部通いなんだ。僕と違って将来有望な歌唱タイプらしいから通ってるんだけど」
歌唱タイプの女性は今時珍しくない。歌というのは結構お手軽なものであるし、古来より、歌と踊りには神の力が宿るとされたとかされないとか。
まあ、将来有望と言われるなら、入っていてもおかしくはない。
なごみが肩を竦める。
「妹が被害に遭ってないか心配でね。でも式典を脱け出すわけにもいかない」
「大変っすね、部長ってのも」
「阿蘇くん、他人事だと思ってるみたいだけど、いずれは君も通るかもしれない道なんだからね」
言われてもなかなか実感の湧くことではない。何せ二年も先の話だ。小学校の六年も、中学校の三年も、過ぎてしまえば早いものだが、過ぎる過程は長く感じるものだ。となるとやはりまだ二年は長い。高校生なら、大学の心配などをすべきかもしれないが、礼人は妖魔研究の道に進むことを決めていたため、この聖浄学園の理事長が運営に噛んでいる大学に進もうと決めている。
「まあ、行きたかったけど、諦めるしかないね。僕は優子ちゃんや代永くんみたいには活躍できないし」
「えっ、もうその話、出回ってるんですか?」
人見が驚いて顔を上げる。人見は一部始終を把握していたが、それは点描タイプの技能によるもの。なごみのような一般生徒が知るのは難しいはず、だが。
ちっちっちっ、となごみは立てた人差し指を横に振った。
「うちの新聞部を舐めたらいけないよ。壁に耳あり、障子に」
「メアリー!!」
お馬鹿解答をしながら、入ってきたのは、売り子から戻ってきた眞鍋である。眞鍋はなごみと一緒に次の当番だ。様子見に一旦戻ってきたらしい麻衣に、「誰よそれ」とツッコミを受けている。全くだ。
「……障子に目あり、ね。そういえば、イエス・キリストの母として有名なマリア様の愛称はメアリーだったと聞くね」
眞鍋の無駄なボケも無下にしない辺り、なごみは文芸部のよきリベロである。
そろそろ時間か、と時計を見上げようとすると、時計の下に配置された絵の前で、まことと麻衣がわいわい話していた。それを見て、礼人は得心する。まことの背後にヒーリングフェアリーが出ている。麻衣もただ様子見に来たわけではなく、長時間の当番になるまことの疲労回復も考えていたらしい。ヒーリングフェアリーは傷だけでなく、疲労も癒してくれる。本当に気端の回る人だ。
「あ、人見ちゃんも一回休んできたら? 二日目になったらここからでずっぱりになるだろうから、今日のうち今日のうち」
「いいんですか? ありがとうございます」
人見が立ち上がるのを礼人は横目で見、なごみの提案にも納得する。口数が少ないのは元々というのもあるだろうが、集中もしていたのだろう。たくさんのイラストが仕上がっていた。
じゃあ、掲示するわね、と麻衣が働き者の妖精ブラウニーを呼び出して、一緒にイラストを並べていく。ブラウニーは働き者と呼ばれるだけあって、よく動き、早々とイラストの掲示は終わった。
「咲人くんが眞鍋さんとスイッチして、礼人くんは自由に回っておいで」
もはや総取締役レベルの定禅寺麻衣から自由行動の許可が降りたため、礼人は天下御免で自由になった気がした。
といってもどこを回ろうか、とパンフレットに手を伸ばしたところ、裾を誰かに引かれる。疑問符を見てそちらを見ると、人見が左目を存分に礼人に注いでいた。
「一緒に回らない?」
その誘いに、一瞬面食らった。面食らったが、さして間も置かず、礼人は「ああ」と了承の意を示した。
「礼人ったらプレイボーイだねぇ、ひゅうひゅう」と茶化してきた咲人に右ストレートを見舞って、礼人は人見と共に店を出た。




