黄泉路の絵
「ところで、人見ちゃんは普段どういう絵を描くの?」
なごみが至極真っ当な疑問を口にした。
人見は雰囲気に慣れてきたのか、いつもの調子で答える。
「水彩で描いているんですが、よくよく油絵と間違えられます。中学時代にも、それで先生に怒られました」
「それは狭量な先生だねぇ。水彩の名手なんか世界にごまんといるだろうに。油絵……特に抽象派と呼ばれる部類の絵師は現代の現実主義化によって減少の一途を辿っているんだから、重宝しないと」
「えと……私は抽象画とまで言っていないはずですが、どうしてわかったんですか?」
そこでなごみは自慢げに人差し指を立てる。
「油絵と言ったら、まずみんなの頭に浮かぶのはかの巨匠、ゴッホだろう? ゴッホは抽象画の名手だ。代表格と言ってもいい。だから抽象画みたいな感じの絵を見ると、みんな油絵みたいだって言いたくなるのさ」
「なるほど」
ゴッホは小学生でも知っている超有名な画家だ。彼は油絵の名手で抽象派の人物だった。「ひまわり」や「自画像」を見ていると抽象派とはなんだろうという疑問も湧くが、ゴッホがどうかはともかく、抽象画、と言われると油絵というイメージに直結するのは確かだ。
「……授業はあまり好きではありません。あまり注目されたくないので」
人見の言い分に、礼人はやはりな、と思った。人見はなんとなく、目立ちたくないとか、人と関わるのが苦手とかいうのを抱えているのが、ここまでの会話でわかった。絵は好きなのだろう。毎日図書室で描くくらいなのだから。けれど、世の高校の美術部というのは人数が多い。アニメや漫画が台頭してからは特に。だから、点描タイプと呼ばれる妖魔討伐技能が求められる故に、部員のいないこの学園の美術部を選んだのかもしれない。
絵が上手いだろうから、美術の授業なんかになると目立つこと請け合いだろう。ただでさえ、容姿が目立つのだから。
「最近はどんな絵を描いてるの?」
なごみは学年の壁を感じさせないフランクな接し方が特徴だ。だが、人見は案外人見知りらしく、なごみの距離感に慣れない様子を見せながら、一枚の絵を出した。
それは、ちらりとだが、礼人も見たことがあった。確か諫早とハナツキのとき、この絵を見た気がする。先日の瘴気のときも。
そして礼人にはこの絵に思うところがあり、頭の隅でずっと気になっていた。
それはああ、抽象画だな、といった感じのものだ。何か形あるものを表現しているわけではない。鈍い金色みたいな色をベースに、奥まで続く長い道。少しベールのような黒に近い灰色が所々にかかっている。
そこから礼人が連想したのは。
「なあ、人見。これってもしかして、黄泉路──」
言い終えないうちに、頭がずきん、と痛んだ。礼人が妖魔探知をする際、よく痛むのは胸だが、かなり近くで出た場合、痛むのは頭となるらしい。詳しいメカニズムは知らない。
だが、ティータイムモードだった部室の空気は一変し、人見は自分の絵から離れた。そこから漂う瘴気を恐れるように。
その瘴気はみるみる形を得る。浮遊霊でもいたのだろうか。妖魔の形になっていく。
誰もが現れた妖魔に思った。妖魔としてはファニーすぎないだろうか。
現れた妖魔の姿はハロウィンでお馴染みのジャック・オー・ランタン。頭はかぼちゃ型だが、黒いところだけが、原型と異なるところだろうか。
今は十月。十月の末日にはハロウィンがやってくる。ハロウィンとは、収穫祭。だが、もう一つ意味がある。ハロウィンは日本で言うところのお盆みたいなところがある。あの世とこの世の境界線が曖昧になる時期だ。その鎮魂祭という謂れもある。
ハロウィンは元々日本の文化ではないが、日本にだいぶ浸透している文化だ。影響は出てもおかしくない。
まず、ジャック・オー・ランタンの真後ろを取っていた結城が纏を発動させる。
「創作タイプ纏『妖刀村正』!」
運動タイプの結城に与えられた纏は珍しいものである。妖刀村正といえば、誰もが聞いたことのある響きだ。村正には諸説あるが目には目を、といった感じで、妖怪の力に妖刀を、と考えるものは少なくない。そのイメージからできた村正の模倣刀が結城のタイプ技能である創作タイプ纏なのだ。
背中からの一閃。だが、ジャックは宙に浮いて飛び退いた。黒いマントがひらりと揺れる。結城の一撃はマントを僅かに揺らすのみ。
「皆さんは離れてくださいね! 薬合タイプ技能、煙々羅」
直後、まことが手に顕現した何かを床に叩きつける。そこから、ぶしゅ、と煙がもくもく立ち上る。煙幕の役割を果たす技能らしい。
ただ、煙なだけあって、人が吸うのはあまりおすすめできない。故に離れるよう、警告したのだ。
煙に包まれ、視界を奪われたジャック・オー・ランタンは右往左往していた。そこに風をも切り裂く剣が一閃。その一閃が、ジャック・オー・ランタンを真っ二つに引き裂いた。そのまま浄化されていく。
煙をも切り裂き、ジャック・オー・ランタンに止めを刺したのは、礼人だった。電装剣が輝いている。
一閃、二閃して煙を払うと、完全に傍観者だったなごみがお見事、という。
「すっごい他人事ね」
麻衣がなごみを横目に見る。その冷ややかな視線にも臆した様子はなく、なごみはにこやかにしている。
「まあ、他人事とは思ってないけど。ねぇ、人見ちゃん、それ、何か特殊な絵なのかな?」
なごみが問うと、人見は首を傾げた。
「普通に描いただけです……」
まあ、そうだろう。点描タイプの技能者は妖魔探知能力くらいしかなく、他はほとんど運動タイプのようなものだ。
おかしいなぁ、となごみが首を捻る。
「さっきのジャック・オー・ランタン、その絵から出てきたみたいに見えるんだけどな」
「えっ」
戸惑う人見とついでに麻衣。そうだったのだろうか。
対戦した結城と礼人から意見が出る。
「まあ、その絵を出した途端に出てきたからな。一理ある」
「人見……この絵はもしかして、黄泉路を描いたものじゃないか?」
礼人の指摘に、人見は目を見開く。
「なんでわかったの?」
どうやらこの人見の何かの道を描いたような絵は黄泉路の絵らしい。人見は礼人の指摘に驚いているようだが、礼人は苦虫を噛み潰したような表情になる。
なんでわかった、と人見は言った。人見はこの絵を黄泉路だと指摘されたことがないのだろう。他の文芸部の面々も首を傾げている。
普通の人間には、黄泉路がどんなものかなんてわからない。妖魔が沸くのは黄泉路が原因とわかっても、実際に黄泉路を目にしたことはないだろうから。
しかし、礼人は、人見の絵を見たときから既視感を覚えていた。黄泉路を見たことがあるのだ……と思う。礼人の自覚する記憶にはないが。
人見は、右目に妖魔になりかけたものを封じているというから、それらを通して黄泉路を見たのかもしれない。それをイメージし、絵に起こしたのだ。
ただ、その絵は忠実すぎた。本物に近すぎたのだ。だから、妖魔が沸いた。
何故わかったのかというと、まあ、一言で言ってしまえば、勘である。
もしかしたら、埋め込まれているものに関係があるのかもしれない。
それはさておき。
「これをテーマにするのは駄目そうだねぇ。さっきみたいに妖魔が出てきたら大変だ」
「学園祭は一般公開だものね」
なごみの判断に、麻衣が頷く。
確かに、日本は妖魔出没率が世界一とはいえ、国民全員が全員、タイプ技能を持っているわけではないし、持っていても、使いこなせるわけでもない。
一般公開になる学園祭は、妖魔にも気をつけなくてはいけない。まあ、文芸部の実績なら、妖魔討伐には困らないだろうが。
「じゃあ、この絵は駄目か……」
「いえ」
まことが前に出る。
「やりましょう!」
「ええっ?」




