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まみ

「……相変わらず出鱈目な能力」

 人見が本棚の陰から出てくる。礼人は無事か? と端的に問いかける。大丈夫、問題ない、とのこと。

「そういえば、聞きたいのだけれど」

 人見はふと思い出したように紡ぐ。手を机に置いてあったハンカチに伸ばす。

「これ、借りてから返していなかったと思って」

「俺のじゃないぞ」

「わかってる」

 桜色のそれはどう考えたって男が持つ代物ではない。隅に刺繍されている「真実」という字も男の名前にしては字が可愛らしい。

「まみ、か。そんなやついたかな」

「え? あの子の名前じゃないの?」

「あの子って誰だよ?」

 ええと、と人見が言おうとしているところで、扉がすぱぁんと開いた。

「大丈夫で、いてっ」

 すぱぁん、と勢いで戻ってきた扉がごっと当たる痛そうな音を出す。入口で扉を押さえて踞っているのが、学園最高峰の技能者、万能タイプの長谷川まことだとは誰も思うまい。

 まことは妖魔との戦闘のときはかなり頼もしいのだが、普段はこういうドジを踏む。そこが可愛いという男子票もあるが、礼人が見ていると少し切なくなってくるほどにドジだ。これが妖魔討伐界のトップで大丈夫なのかと不安になる。

「痛そうだな、長谷川」

「痛いですぅ……」

「部室に戻ったら定禅寺先輩にヒーリングフェアリー出してもらおうな」

「はい……」

 差し出された礼人の手を取って立ち上がるまこと。人見がまことの顔を見て、あ、と声を上げる。

「あの、これ」

 桜色のハンカチをまことに差し出した。礼人は疑問符を浮かべていたが、一方で長谷川が驚きに目を見開く。

「どうしてあなたがこれを!? ずっと探してたんです」

 どうやらハンカチはまことのものらしい。

 人見がほら、と人差し指を立てる。

「諫早とハナツキのとき、目を拭いてもらった。返しそびれたし、血がついてたから、洗って返そうと思って。でも、そういえばあなたのクラスも部活も知らなくて……」

 まことは万能タイプだ。どこの部に引き抜かれていてもおかしくない。入学式の宣誓もしたから、同じ一年生である人見がまことを知っているのも当然だ。

 だが、人見の知識は入学式の宣誓をした生徒で万能タイプというところまで。人見は美術部という芸術系の人物に相応しく、あまり他人に興味を示さない。

 故に、返すのに手段がなかったわけだ。

 だが、そんな人見とは裏腹に、礼人は疑問符にまみれていた。

「……長谷川、お前の下の名前って何だった?」

 その台詞にまことが傷ついた表情をする。

「そんな、半年くらい一緒にいたのにまだ覚えていてくれないんですか?」

「ああ、いや、そういうことではなくてだな……」

 まことの涙目に礼人は真相を語る。

「いや、この真実って名前、まみって読むはずなんじゃないか?」

「私の名前は真実と書いてまことと読むんです!」

 礼人もまこととはクラスが違う。故に、まことの字を知らなかった。調べたこともなかった。

 てっきり、礼人の母が真実と書いてまみと読むものだから、そう読んでしまったのだ。

「それより、四階の音楽室、やっぱり合唱部が苦戦しているみたいです。こっちが終わったんなら行きましょう」

「ああ」

「あ……」

 人見が何か言いかけるが、礼人とまことは行ってしまった。

「また言えなかったな……」

 礼人の中に埋め込まれたものの正体を、人見は禍ツ眸で知っていたのだが……


「うん、上手く行ったね」

 岸和田がぽつりとごつ。

 阿蘇くんにあれに気づかれてはまずいから、と思う。

 岸和田も礼人の中に埋め込まれているものの正体を知っていた。彼は記号タイプの中でも、「人にあるべからぬ力」を持っている。それは礼人の「人に与えられし力」と対極の力だ。

 岸和田は目的のために礼人にその力に気づかれるわけにはいかなかった。


 階段を走りながら、あの、とまことが礼人に声をかける。焦りからか叫ぶような声になってしまったが、責める者はない。

「なんだ」

 礼人は静かに応じた。走るのには慣れている。走らされ慣れていると言ったらいいのか……喜ぶべきかはわからない。

 そんなアホらしいことを考えている暇もなく、二人の前に妖魔が立ちはだかる。大玉転がしで転がすような大きな球状の黒い物体。それがぎょろりと振り向いた。宙にふよふよと浮くそれは、目だった。緑色の光彩を持ち、二人にピントを合わせるように瞳孔が調節される。

 それ以外の挙動を許さぬように礼人が一閃。続けざまにまことも持っていたシャープペンシルを媒体にした電装剣で一閃。妖魔は塵のように形を崩し、消えた。

 会話を阻害するものはない。礼人がちらとまことを見る。

「で?」

 先を促すと、まことは気まずそうに手足をもじもじとさせ、「その……」と小さい声で紡いだ。

「名前のことなんですが」

「ああ、悪かったな、間違えて」

「いえ、その……『まみ』ってもう一回呼んでくれませんか?」

「……は?」

 突拍子のない嘆願に、礼人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。礼人は名前を間違えるのは悪い、ということで謝ったのだが……逆にそう呼んでくれとは。

 まあ、断る理由もないので呼んでみた。

「まみ」

「はい」

 まことが満面の笑顔で答える。礼人はその笑顔にある人を重ねていた。

 写真でしか見たことのない人物。礼人の母。旧姓の方が有名だが……河南真実。その人に見えた。

 いやいや、と礼人は目を瞬かせる。今目の前にいるのは、長谷川まことだ。母ではない。母ではないが、どこか、似ている。

 ふと思う。

 父はこうやって母を呼んだのだろうか。母はこうやって父に答えたのだろうか。

 まことの朗らかな笑みは礼人にそんなことを思わせた。

 やがて、まことの顔がみるみるうちに赤らんでいく。何が恥ずかしいのだろうか、と思ったら、目を逸らされた。

「あ、あんまりじろじろ見られると、恥ずかしいです……何か顔についていますか?」

「いや、何もついていないが……急にどうしたんだ? まみって呼んでって」

「あ、それは、いや、その」

 更に赤くなり、まことは白状した。

「なんかまみって名前じゃないのに、そう呼ばれるのが、なんだか特別な感じがして、嬉しいなって思ったんです」

 妙なことを言う。だが、礼人はまことの考えを安易に否定することはしなかった。

「じゃあ、これからまみって呼んでもいいか?」

 自然に出た問いだった。まことは本当ですか!? と驚きながら頷く。

「是非! じゃあ、私は……礼人くんと呼んでも?」

「構わない」

 元々、呼ばれ方には頓着しない礼人なのだ。眞鍋の渾名はともかく。

「さ、行くぞ。ここにいたのは悪魔タイプと呼ばれる西洋によく出ると言われる部類のやつだ。生粋の日本人気質な合唱部には少々きついだろう」

 目には目を、はよく聞くが、対義語はあまり聞かない。それに今月は神様のいない月。神頼みの合唱部は苦戦していることだろう。

 二人は音楽室へ急いだ。



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