神様のいない月
「はあ、九月は大変だったねぇ」
呑気に言ったのは、文芸部部長の清瀬なごみだ。
その頭にスパコーン、とメガホンが飛んでくる。コントロール抜群、後頭部の真ん中辺りにメガホンを飛ばしたのはツインテールの三年生、定禅寺麻衣である。
「おお、今日もコントロール抜群だな。いてっ」
茶化して麻衣に謎のプラスチックのバットで頭を叩かれたのは三年生の結城大輝である。結城が茶化して麻衣が無言でツッコむのは文芸部のデフォルトである。
何故プラスチックのちゃっちい玩具のバットがあるのか、ツッコんではいけない。文芸部にはなんだかんだ色々ある。創作タイプは何かと武器にできるのだ。この黄色いプラスチックバットは、文芸部内では「エクスカリバー」と呼ばれている。
そのエクスカリバーの用途は、創作タイプ曰く、「これをエクスカリバーの媒体にして、エクスカリバーの精霊を呼び寄せる的な」らしい。
エクスカリバーといえば、アーサー王が引き抜いた話が有名だが、エクスカリバーに関する逸話は七つほどあり、そのうちの一つが、「湖の精霊がエクスカリバーをもたらす」というものだ。創作タイプは想像することで、湖の精霊を召喚して、ただのプラスチックバットをエクスカリバーにするらしい。精霊という妖魔にはてきめんに効果のある攻撃武器となるらしい。
それはさておき。九月は終わった。旧暦の重陽まで油断できないらしいが、大きな山場は越えたはずだ。
「……と考えているなら甘いぞれーじん」
「いつの間に俺に渾名つけたんすか、ナベセン」
「君、先輩に向かってその変な渾名は何だ」
「人のこと言えないだろ」
一年の記号タイプ、阿蘇礼人がそうツッコんだ相手は二年生の眞鍋雪。妖魔討伐の際得物にするピコハンをピコピコと机に打ち付けて礼人に怒りを表す。お行儀が悪い、と麻衣からお仕置きをされる眞鍋。麻衣は珍しくタイプ技能を発動させたようで、エクスカリバーがエクスカリバーになっている。痛い、痛いと頭を押さえる眞鍋。
その滑稽な姿を一瞥し、礼人が問う。
「精霊って、妖魔だけじゃなく、邪心にも有効なんですか」
「あたしのは精霊っていうより妖精だからね、性質は違うのかも」
麻衣は創作タイプ称号「妖精使い」を持っている。妖精とは精霊ほど力は持たない。本来人間に悪戯するのが好きな妖精を手懐けているのはすごいことだが、妖精は気紛れだ。麻衣も癒し効果を持つ比較的友好的なヒーリングフェアリーと家事手伝いが好きなブラウニーくらいしか自在ではない。
「ピクシーね。悪戯好きだから協力してくれたのよ」
「なるほど」
お仕置きはピクシー的には悪戯に分類されるらしい。しかし、妖精の力で召喚されてしまうエクスカリバーとは、なんとあやふやな存在なのだろう。
エクスカリバーの存在価値を礼人が脳内で嘆く中、麻衣が続ける。
「でもまあ、雪の言うことももっともだわ。何せ今月は神様のいない月ですもの」
「あー、麻衣ちゃん僕の台詞盗らないで! 唯一僕がカッコつけられるところなのに」
「では続きはなごみがどうぞ」
「えー、こほん」
「確か、出雲参りで神様がいないんですよね」
なごみが盛大にずっこける。台詞を奪ったのは長谷川まこと。万能タイプである。全てのタイプ技能に精通しているため、その知識は広い。
日本は神道と仏教の影響を受ける。時にはキリスト教も。日本は自由宗教を掲げているから、あらゆる宗教の教えが影響に出るが、特に古来より根づいていた神道と仏教の影響は強い。
九月が過ぎれば、当然十月が来る。十月は、またの名を「神無月」という。
「神無月の由来は、あらゆる神々が、その月だけ出雲大社に集まるから、各地から神様がいなくなるから、でしたよね? 部長」
「さすがまこっちゃん……非の打ちどころがない完全解答だ……ちなみに出雲大社のある島根県では『神有月』となっている」
まあ、神道をかじっていれば当然知っている知識である。
出雲大社にはこの国の神の頂点に立つ大国主命がいる。その大国主命に全国の神様が挨拶に行くのだ。
「神様の力に頼って妖魔討伐をしている歌唱タイプなんかは弱くなる季節ですね」
歌唱タイプは月の神である月夜姫に祈る歌を捧げることで力を得ている。厳密に言うと月夜姫がその祈りに答えているわけではなく、その敬虔な祈りに各地の神が応えて退魔の力を人にもたらしているのだ。
「そう考えると、島根県は妖魔討伐しやすい季節なわけだ」
「神々がたくさん集まる場所に妖魔が出る余地などないのだよ、れーじん」
「それもそうかと思いましたが、その呼び方やめてくれません? ナベセン」
「君もその呼び方をやめてくれたら考えよう」
「よぉし、わかった、戦争だ」
そんなふざけた二人の会話はよそに、話がぽんぽん進んでいく。
「禍ツ姫も、今は来られないって言ってたなあ」
そう苦笑するのは縫合タイプの最高峰、けれど訳あって留年した代永爽である。
「あんなのいなくたって、私が精霊たちで妖魔なんかしっちゃかめっちゃかするんだから」
ぷんすかとしているのは学園最高峰の創作タイプの水島優子だ。最近は新聞部にスキャンダルを狙われているため、放課後は部室か寮にしかいないらしい。どうも代永に気があるようだ。本人は明言していないが、態度がそう語っている。
いつか新聞部に告発でもしようか、と考えている礼人は、同じ考えの水島咲人と視線を交わす。礼人も咲人もばっちり見ている。優子が代永に腕を絡めているのを。リア充ははぜるべきだが、このリア充は新聞部にはぜさせてもらおう。
などと馬鹿な考えをしている傍から、礼人の心臓がどくりと高鳴る。もちろん、急に恋心が芽生えたとかそんなことではない。この反応は。
「妖魔」
礼人の他、手練れである優子、代永、まことの三人が反応する。優子は代永の手を引き、窓から飛び降りを敢行。普通なら止めるが、優子は「五大精霊使い」だ。大方お得意のシルフを呼び出しての空中歩行をするのだろう。
「複数箇所だな……長谷川、優子さんは何気なく代永を連れていったが、縫合タイプも神から力を借りるタイプだ。支援に行ってくれ」
「わかりました。阿蘇くんは」
「一つの反応が図書室にある」
「なるほど」
礼人とまことは連携することが多かったため、大抵話が通じる。
図書室というと、二人が先日知り合った人物がいる場所だ。その人物は戦闘手段を持たない。
図書室と同じ階にコンピュータ研究部がいるが、妖魔を手引きしているらしい岸和田がいるため、コンピュータ研究部でも不足の事態が起こっている可能性が高い。というか、礼人の妖魔探知では、コンピュータ研究部にも妖魔が出ている。
溜め息を吐きたい気分だが、溜め息は後だ。今は妖魔討伐が優先だ。図書室を目指す。
「あー、頑張ってるねぇ」
「なごみも見てないで何かしたら?」
「いやぁ、僕の技能、何出るかわからないし。出張ってみんなの邪魔になってもね。まいたんこそ、エクスカリバー振るってきたら?」
「ピクシー帰ったわよ」
礼人は階段を駆け上った。三階に近づくほど喧騒が強くなる。胸の痛みも増す。
これは厄介だ、と思いながら、図書室のドアを開いた。今日は閉まっていなかった。
「人見!」
中では女子生徒が固まっていた。礼人の呼ぶ声にびくりと反応し、ぎこちない所作で振り向く。彼女は凍りついていた。理由は簡単だろう。妖魔が出たから。
……と思っていたが、事は思ったより深刻だった。
美術部員である人見瞳は、震える指で、妖魔を指す。
「絵から、妖魔が……」
信じ難い発言。それに目にしたことがないタイプの霧状の妖魔。確かに、広げられたキャンバスから出てきているようだ。
……いや、これは妖魔というより……
「瘴気……」
幽霊を妖魔と化させる黄泉路の穢れそのものだ。幽霊がいないから、ただ塊としてそこにある。
瘴気はそれ単体でも危険だ。近年ライトノベルでよく「闇堕ち」という表現を見かけるが、瘴気が引き起こさせるのがまさにそれだ。人間に憑いても厄介な代物である。
「人見、とりあえず離れろ」
「わかった……」
人見は近場の本棚に身を隠す。礼人は一人、瘴気と対峙した。一歩間違えば礼人が闇堕ちだ。
まずは様子見。
「電子結界!」
電子結界は記号タイプ、つまりは神の力ではなく、人の力に基づく技能のものだ。耐性のある妖魔は少ない。瘴気もそうだといいのだが。
見ると、電子結界によって、瘴気が少しずつ萎んでいく。ほっと胸を撫で下ろすが、安心するにはまだ早い。
礼人は木刀を構えた。
「悪鬼を唆す悪しき気よ、鎮まれ!! 記号解放」
いつもの呪文とは違う。一応、礼人は母の神社にいた時期もあったため、こういった瘴気を祓う機会もあった。
神の力に頼れぬならば、逸話の力を借りればいい。
そうして礼人に与えられた力の一つが、礼人に与えられた木刀だ。桃の木で作られている。
桃といえば、有名な逸話がある。鬼退治の話である「桃太郎」だ。それが由来か、古来から日本では、桃は悪しきものを祓うとされてきた。
その信仰は途絶えていない。「桃太郎」というおとぎ話として、今も語り継がれているからだ。
礼人は木刀で電子結界に包まれた瘴気を切り払う。
瘴気は雨散霧消した。
「……歌唱タイプが力を使えれば、もっと安心だったんだが」
今は神無月。歌唱タイプは頼れない。まあ、対処できたからよしとしよう、と、礼人は納刀のように木刀を一振りしてから、手元に納めた。




