後始末
禍ツ眸。礼人は一度聞いたことがあった。代々妖魔を封じ、体内っ浄化するという特殊な目があるということを。まさか学園にいるとは思わなかった。更に言えば、同じ学年にいるとは思わなかった。
それはさておき。
「妖魔の気配はなくなった。今のうちに補給を済ませておいてもいい。
だが、妖魔にぶち壊された図書室はさすがにすぐには直せないだろうが……」
割れた窓ガラス、ばきばきに折れた桟。冷たくなってきた秋の風が吹き込む。
とりあえず、掃除用具を出して、怪我のないようにガラス片を片付ける。桟は……どうしようもないので放置だ。
「これ、どうするんですか? 業者さんが来て直すの大変ですよね」
まことが見事に壊れた窓を示す。礼人はすらすらと答えた。
「確か、創作タイプのやつが対応するはずだ。クリエイティブイマジネーションで」
「なるほど。ではわたしが」
万能タイプのまことは、当然創作タイプも使えるが、礼人は止めた。
「被害報告をして、こういう損壊は教員の能力で応急処置をする決まりだ。教員は寝ている間もクリエイティブイマジネーションを保つことができるが、生徒の場合は能力にばらつきがあるから、教員が請け負うらしい」
「詳しいですね……」
礼人は先にこの学園に入学した優子と咲人という幼なじみや二人の母で学園OGの優加から色々話を聞く機会があった。故に、ほぼほぼこの学園のシステムは勝手知ったるという感じなのだ。
「ええと、では、先程会った蜩先生と西村先生に?」
「いや、蜩さんの能力は特殊であの人はクリエイティブイマジネーションが苦手だし、西村さんは文芸部の副顧問だが、創作タイプじゃなくて運動タイプだ」
あっさり告げられた事実に、まことはぽかんとするしかない。ならば何故あの二人が文芸部の顧問なのか。文芸部の事情は奥が深く、底が知れない。
では誰に頼むのだろうか、とまことが視線で問うと、礼人もそれはわかっていたのだろう。すぐに答える。
「この学園には一人だけ、万能タイプの教員がいる。その人に頼むのがベストだと聞いた」
妖魔討伐の報告もある。図書室での一連は討伐とはまた違うものだが、報告しておくに越したことはない。
「あ、あの……」
二人の話を聞いていた人見がおずおずと口を開く。ああ、と礼人が反応した。
「お前は絵描き途中だったんだろう? キャンバスとか片付けた方がいい。報告は俺たちでしておく」
確か、万能タイプの教員は合唱部と美術部の顧問を兼任していたはずだ。報告に手間はかからない。
グラウンドではまだ妖魔が暴れているようだが、校舎内は粗方片付いたようだから安全だろう、と礼人は人見に図書室の後始末を一任した。
人見が何か言いたげにしているのには気づかず、礼人はまことを伴って図書室を出ていった。
「……行っちゃった」
人見は眼帯を戻しながら、一人取り残された部屋で呟く。
人見の目は点描タイプの中でも特に特別製だ。禍ツ眸もそうだが、点描タイプの技能でありとあらゆるものが見える。穢れていない霊など。
その目で人見は偶然、礼人を見た。特別製の目は、礼人の中に埋まっているものが見えた。それが何かはよくわからないがかなり力のあるものであることは理解できた。それを伝えようと思ったのだが……
まあ、同じ学園にいるのだ。またそのうち会うこともあるだろう。学年も同じのようだし。
そう割り切って、人見は礼人に言われた通り、キャンバスの片付けを始めた。パレットが机の上でひっくり返っており、机にはべっとりと色とりどりの絵の具がついていた。
布巾になるものを掃除用具入れに探しに行こうと思ったとき、人見の視界にあるものが目に入った。
それは桜色をしたハンカチだった。無地で品がある。ハンカチの隅には何やら刺繍が施されていた。「真実」とある。「まみ」とでも読むのだろうか、と考えて、すぐに思い出す。そういえば、先程涙を流したときに万能タイプの女子生徒があてがってくれたものだ。血の涙であったため、少々赤で汚れている。洗って返すことにしよう、と人見はハンカチをポケットに入れた。
礼人とまことは職員室に戻っていた。職員室も粗方片付いたらしく、一仕事終えたとばかりに西村がぱんぱんと手を払っていた。
「あ、先生方、お疲れさまです」
「おう、阿蘇と長谷川か。そっちも片付いたみたいだな」
「なんでわかるんですか」
「勘だ」
からからと笑う西村に、「勘すごい」と真に受けるまこと。それを見かねた蜩が後ろから西村の頭をチョップする。
「ちゃんと説明なさい」
「いてっ。蜩はいつも手厳しいなぁ」
苦笑いしながら言うと、西村はこほんと咳払いをし、改めて説明した。
「蜩が図書室への救援を頼んだ。だから二人は図書室へ行ったんだろう? それが戻ってきたってことはカタがついたと考えるのが妥当だ」
「ほら、やればできるんですから、ちゃんと国語と向き合いなさい」
「相変わらずの国語厨だな、蜩」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「褒めてねぇよ」
ぽんぽんとテンポよく進む二人の会話に、まことが目を白黒させ、礼人は溜め息を吐く。「相変わらず息が合ってますね。夫婦漫才でもするつもりですか」と礼人が静かに茶化すと、教師二人は黙った。恥ずかしがっているのだ。
茶化しは水島優子辺りの専門分野と思われがちだが、常日頃から優子の洗礼を受けている礼人の舌峰も侮りがたい。それに礼人は二人の関係を知っている。高校時代からの同級生で、両片想いと優加から聞いている。茶化すには格好の的である。
ここまで気づかないのももどかしいなあ、と思いながら、礼人は本題を切り出す。
「あの、図書室ぶっ壊れたんで、万能タイプの五十嵐先生を探してるんですけど……職員室にはいないみたいですね」
「ああ、五十嵐終先生って万能タイプだったんですか。通りで、色々な授業に顔を出しているな、と思いました」
万能タイプの五十嵐終という教師はよく諸教師が休んだ際などに代わりに授業をする。その教科は多岐に渡り、万能タイプという事実を知らない生徒は、生ける学校の七不思議と思っているほどだ。
まあ、万能タイプというより、この場合は教師としての万能選手と考えた方がいいだろう。
初反応から復活した蜩が答える。
「五十嵐先生なら、合唱部を引き連れて外よ。そろそろ終わったんじゃないかしら?」
「じゃあ、いってきます」
身を翻し、外へ向かう礼人。その姿に、西村がぽそりと呟いた。
「真面目なことで」
グラウンドでは、大量にいた妖魔がほとんど退治されていた。合唱部らしい生徒たちが、あちこち回って、妖魔の残骸に浄化をかけている。グラウンドはグラウンドで大変だったようだ。
その中で指示出しをし、監督を務めている人物に礼人は寄っていった。まこともついていく。
「五十嵐先生」
声をかけられ、振り向いた人物は、白髪に灰色の瞳をしている。まだ二十代ほどにしか見えないのに白髪なのは何故か。聞いたことはないが、聖浄学園は何かと色々抱えている者が多い。聞くのも野暮だろう。
五十嵐は静かな顔で礼人に振り向き、無表情ではあるものの、柔らかい声で「どうしたの?」と聞いてきた。
「実は、妖魔との戦闘で図書室の窓が派手に壊れてしまって」
「ああ、強い妖魔がいるなと思ったら図書室だったんだね」
この教師、万能タイプなだけあって、妖魔探知能力も優れているらしい。礼人から簡単な図書室の現状説明を聞く。図書室の派手なぶっ壊れっぷりに驚く様子も見せず、淡々と創作タイプでの応急措置の件を承った。
「あー、疲れた」
「ヒーリングフェアリー」
「魑魅魍魎が拔扈する拔扈する蒼い月の夜よ、去れよ」
定禅寺麻衣がヒーリングフェアリーで戦い疲れた生徒を癒し、合唱部が歌唱で妖魔を浄化していく。後始末は着々と進み、全てが終わる頃には日が暮れていた。




