禍ツ眸を持つ少女
舌打ちしたい気分に駆られながら、礼人は図書室の扉に飛びついた。「とっておきがいるからね」、という岸和田の台詞に嫌な予感しか覚えない。
がちゃがちゃと鍵を開けて、すぱぁんと引き戸を開ける。いくらなんでも乱暴だ、というまことの指摘を無視し、礼人は痛みがひどくなる方向へ向かっていった。
図書室は、意外にも静寂。しかしそれは、嵐の前の静けさであった。割れた窓ガラスと折れた桟が無残に風に吹かれている。そこには、ガラスと桟を壊したのであろう犯人が佇んでいた。
一言で言うなら巨大な鳥。鳳凰と呼ばれる架空の生物に似た金の体を持っている。もっとも、妖魔であるため、色はくすんでいるが。
相対するのは、その巨大な怪鳥と比べると、かなり小さく見える女子生徒。黒髪の合間から白い眼帯をしているのが見てとれる。身長は文芸部最低身長の麻衣と同じくらいだろうか。緑のカーディガンを着て、足元は黒いストッキング、茶色いローファーを履いている。
自分の二倍くらいの全長わあるであろう妖魔に対し、一切怯む様子を見せないのはいいが、彼女こそ、唯一の美術部員だろう。攻撃手段を持たない点描タイプの。
ところが、心配するほど事は深刻になっていない。表面だけを見れば。妖魔は一切その少女に攻撃しようとしない。少女は妖魔を凛と見つめているだけで身動ぎも何もしていないというのに。
そんな妖魔が、やがて焦れたように口を開く。攻撃の予兆か、と思って礼人が身構えると、何故か妖魔とではなく、少女と目が合った。よく見るとこめかみから汗が伝っている。冷静なように見えて、少女は少女で緊張していたのだろう。仕方あるまい。相手は手練れの礼人でさえたじろぐほどの力ある妖魔だ。びしびしと瘴気が当たる。鳳凰の姿は見てくれだけのものではないらしい。
だが、妖魔は攻撃ではなく、言葉を発した。
「己、小癪な人間め。我が主を質に取ってからに!」
質? と礼人が首を傾げていると、少女は妖魔に見向きもせずに、今度はまことに視線を投げる。それからほっと息を吐く。
「やっと来た」
「おい」
妖魔の言葉はガン無視で、少女はまことに駆け寄ってくる。なんとなくまことに用があるらしいことはわかったので、空気を読み、牽制として礼人が前に出た。少女がもうちょっと空気を読んで、言葉が通じるのだから、妖魔を説得してから動いてほしかったが、過ぎたことは仕方がない。
礼人は緊張しつつ、木刀を構える。相手は言葉を操る。人語を介せ、自我を持つ妖魔は相場が強いと決まっている。しかも見た目が鳳凰ときた。緊張しない方が難しい。
そんな礼人はよそに、少女はまことに話しかける。
「私はあなたを待っていた」
「わ、私ですか?」
それ以外に誰がいるというのか。驚くまことに内心でツッコミを入れる礼人。
「私のこの眸から、神様を解放してあげて。この妖魔の主だから」
「え、え」
当事者のまことはもちろんながら、礼人も事態が飲み込めなかった。この少女、初対面に対して説明が足りなすぎる。
「どういうことだ?」
礼人が問うと、少女はようやく自分の説明不足に気づく。それから少し言葉をまとめるためか間を置いて、淡々と語り始める。
「私の眸は特別なもの。中にはいくつとも知れぬ悪いものが封じられている。その中の一柱の封印を解いてほしい」
「今、悪いものって言いましたよね? しかも一柱ということは神様ですよね?」
悪いものになっている神様。となると自然と答えは一つになる。
「その封印を解くって、穢御霊を解放することになるんじゃ……」
穢御霊とは黄泉路で穢れた神が成る妖魔の中でも最高峰に強い者。神なだけあって、一筋縄では倒せない。かつてカグツキと対峙したときのように。
礼人とまことはここに来るまで妖魔との連戦でそこそこ消耗している。それに戦えというのか、と思いきや。
「そういえばちゃんと説明していなかった」
またしても少女の説明不足らしい。少女は右目にした眼帯を取る。その中にあった目を見て、礼人もまことも息を飲む。
本来白目であるはずの部分が赤で染まりきっており、光彩は獣を彷彿とさせる金。瞳孔は太っており、光を受け入れず、禍々しい雰囲気を漂わせている。
明らかに、少女のそれは普通の目ではない。もっと言えば、人間の目ではない。
「私の眸は、妖魔に堕ちる前のものを取り込んで封印し、封印している間に眸の中で浄化することができる。だから、大丈夫」
まだ訳のわからない部分があるが、少女の言と妖魔の言を照らし合わせるに、そこに妖魔の主がいるのに間違いない。
更に少女は付け加える。
「その妖魔は諫早という名で神に仕える神鳥。見てわかると思うけど、まだ完全に堕ちきってはいない。主の神様に説得してもらえば、また神格に戻れる」
なるほど。だから妖魔の真っ黒な体ではなく、僅かに金色を残している、というわけか。
二つの魂を救えるかもしれない、ということはつまり、戦う必要がなくなるということだ。どこまで本当かわからないが、消耗している礼人とまこととしては戦闘を少しでも避けたいところ。賭けの要素は大きいが、少女の言う通りにするより他、策はないだろう。こうして話している間にも、諫早というらしい妖魔は瘴気に苛まれているはずだ。
幸いなことに、まことは万能タイプ。封印の術も知っていれば、封印を解く術も知っている。
ただ、まだ一つ足りないものがある。肚を決めたのか、まことは諫早に話しかける。
「わかりました。あなたの主さまを解放します。ですが、そのためには主さまの名前が必要です。教えていただけませんか?」
「このような小娘が主を解放するだと? 俄には信じられんな」
そう言って疑う諫早に、まことは力を解放する。といっても、普通の人間にはわからない。ただ、礼人や少女には見えた。まことの背後に漂う、青く清浄なるオーラが。当然神格を持つ諫早にも見えただろう。その凄まじい力。青は開閉タイプと呼ばれる技能のオーラ。開閉タイプとは封印、解放を担うタイプ技能だ。
「ふん、まあ……信じてやらんこともない。我に返してみせよ、ハナツキさまを!」
その名前に礼人の中を一瞬疑問が駆け巡るが、それを忘れるほどに膨大な力がまことの右手人差し指一点に集中する。
その指でまことは少女の目に直接触れる。普通なら怖くてできないことだが、少女の目は普通ではない。指で触れても何も感じていないかのように、見開かれたままで、指先に集中した力が当たると同時、輝き出す。
「汝、此所より解き放たれたることを許さん──ハナツキ」
開閉タイプ技能、封印解除が発動し、部屋を満たさんばかりの光が包む。
しばらくして、眩しくて閉じていた目を開けると、そこには天女と称するに相応しい、美しい女神が現れていた。
「待たせてしまいましたね、諫早」
「おおお……ハナツキさま、本当に、ハナツキさまであせられるのですね!」
感動に打ち震える諫早に歩み寄り、黒ずみ始めた諫早の体に触れるハナツキ。さすがは神、その手から浄化の白い光を放ち、瞬く間に諫早をあるべき姿へ……真なる鳳凰の姿へと変えていく。
感涙する諫早の頭をハナツキはそっと撫で、それから微笑む。
「私のいない間、苦労をかけました」
「いえ、勿体なき御言葉……」
諫早とハナツキの間には厚い主従関係が見て取れる。一同がほっとしたのも束の間、礼人には先程の疑問が蘇る。
今封印から解き放たれし神の名はハナツキ。少女の説明から察するに、彼女は穢御霊になりかけていたのだろう。
穢御霊と、ハナツキという名前。礼人はそこから連想するものがあった。
少し躊躇いながら、礼人はハナツキに声をかける。問う内容は決まっていた。
「貴女は、カグツキという名前の神を知っているか?」
「! お姉さま……?」
なるほど、やはりか、と思う。
ハナツキとカグツキ。似た名前、同じく神であるということ。……姉妹神であったか。
それでは一つ、礼人はハナツキに詫びねばならないことがある。
「先日、穢御霊と化したカグツキを討った。救うことができず、申し訳ない」
礼人の謝罪をハナツキは静かに受け止め、そっと下げられた礼人の頭を撫でた。
その手は異様に優しく、見ると、ハナツキは悲しげだが、優しい笑みを浮かべていた。
「お姉さまが、穢御霊へと身を堕としてしまったのなら、それは致し方ないことです。人間の自衛のために討ったのですから、何も悔いることはありません」
そう告げると、ハナツキはす、と離れ、諫早の背に乗る。
「優しいあなた方の下に幸運が訪れんことを。ありがとうございました」
「礼を言うぞ、小娘、小僧」
そう残して、ハナツキと諫早は空の彼方へ去っていった。
一件落着、と思いきや、少女が目を押さえて踞った。
「大丈夫ですか?」
慌てて少女を支えるまこと。目元にハンカチをあてがってやり、そこで異様な現象に気づく。
少女は右目から、血の涙を流していたのだ。まことが心配するが、少女は大丈夫だという。
「いつものこと。この眸は特別だから」
「そういえば、先程から思っていたのですが、その眸はなんですか? 他にも多くのものたちが封じられているようですが」
点描タイプの看破技能を使って見たらしいまことが呟くと、少女はまた何度目か、「紹介がまだだったね」と呟いた。
「私は人見瞳。点描タイプで、代々この特殊な目、禍ツ眸を継承している。美術部員の一年生」
そう名乗り、軽くお辞儀した。




