妖魔の異変
「な、なんで理事長がこんなところに?」
理事長を見たことはない。あまり生徒の前に姿を現さないのだ。理由は二つある。一つ、仕事が忙しい。一つ、学園全体に張っている結界の維持に忙しい。
聖浄学園には、妖魔が外に出ないよう、強力な結界が張ってある。妖魔に対し、強力な浄化効果がない代わり、頑強でよほどのことがない限り壊れない。だが、結界は、校舎、体育館、プール、グラウンド、部室棟、寮と広範囲に渡って張られており、記録の限り、破られたことはないらしい。
それほどの結界となるとどれほどの集中力が必要になるのか、礼人には想像もつかない。
理事長はなんでもない様子で、にこりと笑った。
「海の日と言い、妖魔の動きに怪しい影があると報告を受けてね。理事長自ら出向いてみた次第だよ。場合によっては、結界の質を変えなきゃならないからね」
なるほど。
「君たちはもしかして、一年生の中でも有名な阿蘇礼人くんと長谷川まことさんかな?」
名前を当てられ、礼人とまことは驚く。万能タイプで入学式の宣誓をしていたまことはともかく、礼人が有名とは。
理事長がすらすら述べる。
「今年も文芸部の妖魔討伐戦績が良いようなのでね。部員名簿を見て覚えていたのだよ。特に阿蘇礼人なんて……昔の知人にそっくりな名前だったからね」
阿蘇礼人。礼人の人の字は父、明人からもらったものだ。漢字の羅列だと一文字違いだ。
聞けば岩井理事長はいつからいるのか不明という謎の人物。今目の前にして見ると、顔や手足にしわは見られず、若者、といった印象がある。礼人の父がいたのは二十年ほど前の話だと思うのだが……年齢には突っ込まない方がいいだろうか。
まあ、聖浄学園には訳ありの教員も多い。理事長が訳ありなくらい不思議でもない。気にならないこともないが、世の中には知らなくてもいいこともある。
「それにしても、やはり、今年の妖魔は何かが違うね。ぼんやりとしかわからなかったけれど。普段なら私一人で充分対処できるタイプの妖魔だと思っていたら、いやぁ、強い強い」
「あの、他の職員の方々は……」
「大体グラウンドに行ったよ。百鬼夜行もよろしくと言った感じで出てきたらしい。夏も終わりだというのにねぇ。ホラーは苦手だよ」
ならば何故妖魔だらけの学園で理事長などしているのか。……まあ、才能の問題もあるだろうが。
それより気になるのは、理事長が口にした妖魔がいつもと違うということ。
「やっぱり、今年の妖魔は強いんですか?」
礼人は険しい表情になる。まあ、そう怖い顔をしないで、と理事長が宥める。
「今年の妖魔は強いね、確かに。優秀な生徒が多いはずなんだけど、てこずっているという話をよく聞くし、数も例年より多いよ。海の日は特にひどかったね。今日もひどいけど」
理事長が出てこないといけないほどの一大事だ。事は深刻だろう。
「まあ、戦闘データは取れたから、あとは君たちに任せるよ」
「あのっ」
立ち去りかけた理事長に礼人が思い切って声をかける。理事長はん? と軽く振り向いた。
礼人は息を一つ飲み込む。これから言うことは、きっと、「妖魔の異変」に関係のあることだ。学園のトップに直接伝えられる機会なんてそうない。ただ、緊張に苛まれながら、礼人はゆっくりと口を開いた。
「妖魔がおかしいのは、人為的に手が加わっているからだと思います。──俺のルームメイト、岸和田一弥というやつを調べてください。記号タイプで、コンピュータ研究部所属のやつです。海の日に怪しげなことを呟いていました」
「ほう?」
理事長は興味を示した。が、深くは聞かず、校舎の中に戻っていった。
やっと言えた、と肩を撫で下ろす。顔を上げると、その先に驚いた顔のまことがいた。
「どうした?」
「岸和田くんって……岸和田一弥くん?」
「さっきそう言っただろう」
うーん、とまことが唸る。
「岸和田くんは優秀な記号タイプの子だよ。クラスの中心的な存在で……あ、わたし、同じクラスなの」
「ほぉ」
「授業中に妖魔が出たときも、率先して倒しに行ってる……妖魔討伐に真面目な人だよ? それが、妖魔の異変に関わっているなんて」
「思いたくないのはわかるが、俺はそう思われる言動を見聞きしている」
礼人はまことの反応に、やはりな、と思っていた。礼人の前では怪しげな言動を取っていたが、それを礼人が他者に告げることを予期して、外面を繕っている可能性はあった。それが逆に、礼人の中ではよりいっそう疑いを増す要素となる。
が、まことが続けた一言が少々奇妙だった。
「おかしいな……海の日に大変だったとき、わたしと一緒に片っ端から妖魔を相手取ってくれて……妖魔たちの司令塔が病院にいるのを特定して、わたしに向かうように導いてくれたのは、岸和田くんだよ?」
む、と礼人は黙る。それだと妙だ。
礼人は岸和田が徒に妖魔を強めたり、操ったりして、人々が四苦八苦するのを高見の見物と決め込むつもりなのだろうと思っていた。つまりは愉快的犯行。
だが、まことの話を聞く限り、岸和田は妖魔討伐に積極的だ。一気にやつの目的がわからなくなった。
まあ、今は岸和田の目的は後回しにするより外ない。鈍痛がずっと礼人に命じているのだ。「行け」と。
校舎からも穢れの気配がする。
「校舎内の戦闘になる。薬合タイプを使うのは控えてくれ」
「わかりました」
屋内での戦闘は爆発系の技能を使う薬合タイプではいらぬ被害を及ぼしかねない。中学から妖魔討伐をしているだけあって、その辺はまことも理解があるらしい。
近場の裏口から入り、スリッパを履きながら、ふとまことは首を傾げる。
「なんで阿蘇くんって、そんなに正確に妖魔の位置がわかるんですか?」
手の中にクリエイティブイマジネーションで作った鉈を持ちながら、まことが問う。
礼人は苦虫を噛み潰したような表情になり、一言で述べる。
「慣れだ」
話すと色々な意味で涙なしには語れぬ長話になるため、だいぶはしょった。ただ、省略しすぎたため、まことにじとっとした目を向けられる。
慣れだというのなら、元々妖魔討伐の素養があり、実戦経験も豊富なまことだって、できてもおかしくないのだ。納得がいかないのも道理だろう。
礼人はそれを察し、更に渋い表情になりながら、端的に付け加える。
「咲人と優子の母親に、墓とか神社に連れ回された結果がとんでもないほどの経験値になり、俺には妖魔探知に関わる何かが埋め込まれているらしいから、それが精密に機能するようになったんだろうよ」
ようやくまことが納得したようで礼人はほっとする。が、それも束の間、二人の目の前に巨大な烏の妖魔が立ち塞がった。
ばさりと一つ翼をはためかせれば、旋風が巻き起こり、二人に向かってくる。礼人は制服のポケットに差し込んでいた二本のペンを取り出し、それを媒介にして電子結界を発動させる。電子結界は他のタイプの結界に比べて強度に劣るが、軽い旋風を防ぐくらいなら造作もない。
簡単に打ち消された攻撃に妖魔が硬直している隙に、跳び上がったまことが鉈を上段から振り下ろす。歌唱タイプの浄化でも付与していたのか、妖魔は真っ二つに切り裂かれるなり、白い光となって消えた。
「先に進むぞ」
「了解です」
二人は連携でばさばさと敵を薙ぎ倒しながら進む。階が上がるごとに、妖魔は強くなっていく。まるでRPGのダンジョンのようだ。
二階では職員室にいた教員が戦闘していた。教員なだけあって、危なげのない戦い方だ。
その中に礼人は見知った顔を見つける。
「蜩さん、西村さん」
「おう、礼人か。大きくなったな」
「無駄口を叩かない。戦闘中よ」
片目を前髪で隠した短髪の女性ががたいのいいからからとした男性にツッコんでいた。蜩零と西村健二。礼人とは元々知り合いであり、どういう因果か、二人は文芸部の顧問、副顧問である。
職員室を滅茶苦茶にしているのは蝿の妖魔だ。的が小さくすばしっこいため、攻撃が当てづらいが、集団行動を取る場合が多いため、大抵範囲攻撃で伸される。炎系の技能を使った馬鹿な教員がいたのか、「書類が、書類が燃えていく」と涙している教員がいるが今は無視。
「用件を簡潔に」
「校内にいる部は?」
「コンピュータ研究部、美術部。美術部は部員が一人よ」
美術部ということは、妖魔感知能力に長けた点描タイプだ。点描タイプは妖魔感知に優れているが、攻撃手段を持たない。
「美術部の部室は? 援護に向かいます」
「図書室よ」
予想していたのだろう。蜩が図書室の鍵を渡す。曰く、美術部のたった一人の部員は、密室で絵を描くのが好みらしい。何故美術室でないのか謎だが、何故は後だ。礼人はまことを引き連れ、三階の図書室に向かう。何せ、強い妖魔の気配がよりにもよって図書室からしているのだ。
職員室の近くの階段を三段飛ばしくらいで駆け上る。図書室の方面を向いた瞬間、後方をちらと見たまことが叫ぶ。
「阿蘇くん、後ろ!」
その場で後ろを向いた礼人だが、その判断が間違っていたとすぐに悟る。猪の妖魔が間近まで突進してきていた。電装剣も電子結界も間に合わない。
と思われたそのとき。
「記号解放!」
猪の妖魔をすぱぁんと斬る剣があった。猪の妖魔は一太刀の下に伏し、浄化されていった。
その先にいたのは、礼人にとっては憎らしい笑みを湛えた人物。
「一つ貸しだよ、阿蘇くん」
「岸和田ぁ……」
ふざけるな、と叫びたいところであったが、図書室からの妖魔の反応に胸がひきつるように痛むのをこらえるため、唇を噛むに留めた。
「ありがとう、岸和田くん」
「あ、長谷川さん、来てたんだ。じゃあ、あとはよろしく。こっちも忙しいんでね」
岸和田はにたりとした笑みを礼人にだけ向け、声に出さずに言葉を紡いだ。
唇はこう象っていた。
「図書室にはとっておきがいるからね」




