色々大変な長月
九月のことを日本では長月と呼ぶ。かつては七月の文月とされていたとかいないとか。秋は夜長で、読書で夜を過ごすのが良いとされていたからである。今では夜長月ということで長月と呼ばれるようになった、というのが有力とされる説である。
しかし、九月は長月であるからこそ、色々と大変な時期なのである。
と、文芸部の部室で、珍しく部長らしく高説を叩いていたのは、聖浄学園文芸部部長、清瀬なごみである。部長が珍しく真面目な話をしているので、それを聞いていた一年生二人組、まことと礼人は感嘆していた。
が、そこからがなごみであった。
「というわけで、妖魔討伐強化月間だよー。みんな頑張ってねー」
「え!? 部長は!?」
礼人が思わず叫んでしまったのは無理もないだろう。思いがけない他力本願である。
なごみは「だってぇ」と両の人差し指を付き合わせて言い訳する。
「ぼくの技能はコントロール不能だし、基本的に戦闘向きじゃないんだもん。ね、麻衣ちゃん」
「事実だけど、ちょっとは率いる様子を見せなさいよ」
隣でお茶を淹れていた定禅寺麻衣がそのツインテールを揺らしながら鋭いツッコミを入れる。さすがに的確なツッコミになごみはダメージを受けた模様。
「頑張ろうね」
礼人とまことがぽかんと先輩が織り成す喜劇を眺めていると、横合いから優しい声がかかった。
そちらを見れば、大和撫子もかくやという濡れ羽色の長髪に、穏和そうな顔立ち、男子なら五十人中四十人は振り向くであろう微笑みを湛えた人物がいた。長い髪は後ろで高く一つに括っている。所謂ポニーテールというやつだ。麻衣と並べたら姉妹に見えそうだ。言うと麻衣は怒るだろう。
「代永先輩」
そう、彼は先日復活した文芸部部員の一人、代永爽である。彼という三人称からわかる通り、彼は男である。美しくて綺麗だが、男である。余談だが、男の娘という雰囲気ではない。可愛い系というより綺麗系だ。
そんな代永は結界系統の術式を使う縫合タイプ。しかも禍ツ姫という最高峰に強い退魔の神を宿すことすら可能な強い技能者だ。
最高峰の能力を持つ先輩に、まことは羨望の眼差しを向ける。
「お話はかねがね伺っております! 禍ツ姫を召神できるなんてすごいです」
そういうまことは禍ツ姫と同じく最高峰の退魔の神である月夜姫を召神できるのだが。それに。
代永が苦笑いする。
「うーん、あれは召神っていうか、禍ツ姫が勝手に僕の体を使ってるっていうか……」
そう、召神とは通常、儀式を経て、神におわしませ、と願うもの。代永の場合は、気紛れで有名な禍ツ姫が好き勝手に取り憑いているに過ぎない。
「そんなことより、重陽と彼岸でしょ」
禍ツ姫の名が出たことにより、少々むすっとしたのは代永と縁浅からぬ水島優子である。代永は都合により留年したため二年生であるが、優子とはこの学園に一緒に推薦入学した仲なのだ。
それゆえか、優子は少し代永に過保護なところがある。
優子の言葉に、復活したなごみがそうそう、と相槌を打ち、続ける。
「あんまり有名じゃないけど、九月には重陽の節句があるんだよ。五節句は知ってるよね」
「一月七日の人日の節句。
三月三日の上巳の節句。
五月五日の端午の節句。
七月七日の七夕の節句。
九月九日の重陽の節句。
でしたよね」
礼人がすらすらと答える。なごみがひゅう、と口笛を口で言った。吹けないならやるな、と横合いからすかさず麻衣のツッコミが入る。
今度は落ち込まずに先を続ける。
「日付で気づいてると思うけど、全部奇数が重なる日になっているんだ。
中国から来た陰陽思想では、全ての物事は陰と陽に分けられるという。当然数字もだ。偶数は陰、奇数は陽とされている。
しかし、光あるところに影があるように、陽の気が強ければ陰の気も強まる。それで陽の数字である奇数が重なる五節句には色々祝い事をやったりするんだよ。厄払いとしてね。
そして、九月九日の重陽、九という数字は単数字の中で最も大きい奇数だ。つまり、陽の気も強い。強い陽の気が重なるから九月九日を重陽と呼ぶようになった。
けれど、嘆かわしきかな。重陽の節句が廃れた結果、妖魔が九月に跋扈するようになってしまった。
重陽に何をするかわかるかい? さっきー」
指名された水島咲人は戸惑い、きょろきょろと視線をさまよわせた果てに答えた。
「わかりません……」
「だよねー! ぼくもググって調べたもん!」
同志を得たとばかりに上機嫌になるなごみ。るんるんな調子のまま、人差し指を立てて更に解説する。
「重陽の節句は旧暦だと、ちょうど菊の花が盛りの時期だから、別名菊の節句とも呼ばれるそうだよ。上巳の節句が桃の節句と呼ばれるようにね。
その節のものを使ってお祓いをする。昔の人は思考が合理的で尊敬に尽きるよ。つまり、重陽では菊を玄関先に飾ったり、菊のお酒を飲んだりして、厄払いとしていたそうだね。ちなみに菊は我らが日本の国花だよ」
ふいー、言い切った、となごみがいい笑顔になる。ググった知識を全力で披露した快感なのだろう。
と、まあ、重陽の知識はさておき。
「さてはて、我らが敵、妖魔は当然陰の気に集いやすい。重陽は一年で最も陽の気が強まると同時、陰の気も強まるからね。妖魔の出現確率が上がるんだ。つまり、この学園に出る妖魔も増える。この部活はあんまり妖魔討伐戦績は気にしないタイプだけど、九月はお彼岸もあるからね。他の部のみんなと協力して、妖魔討伐に勤しんでください。はい、部長からは以上」
「彼岸の話は、しなくてもわかるわよね?」
お茶を配っていた麻衣がその場の全員に目を配る。
そこでふざけて手を挙げる人物が一人。三年生部員の結城大輝である。
色黒なその手を振って、おちゃらけた様子で言う。
「先生、わかりませんー」
麻衣がハイライトのない目になり、無言で結城の頬を引っ張った。結城がいだだだだ、と悲鳴を上げるが、自業自得だ。誰一人同情しない。
そんな中、和やかに微笑んで、代永が一年生二人に説明する。
「日本には春彼岸と秋彼岸があるよね。お墓参りをする季節。彼岸っていうのはあの世のこと。つまり用語的には黄泉だね。お彼岸はお盆とはまた別に黄泉と繋がりやすい時期だから、妖魔が黄泉路から出てきやすい」
ちなみに、この世のことは此岸と呼ぶ。まあ、三途の川を隔てて彼方岸と此方岸ということだ。
妖魔は妖怪と混同されがちだが、妖怪というより、幽霊と呼ぶ方が正しい。黄泉に向かう霊魂が穢れを持ったことにより、妖魔となるのだ。妖魔になると獣やへどろなど様々な形を取るだけであって、元をただすと人間霊である場合が多い。穢れは人間の持つ負の感情から生まれやすいからだ。
「まあ、そんなわけで九月はたいへ──」
なごみが呑気に締めくくろうとしたそのとき、礼人にどくりと衝撃が走る。反射で立ち上がっていた。隣のまことが見上げる。礼人はここではないどこかを見て呟いた。
「……妖魔だ」




