謎の昏睡
代永が入院しているのは病気療養ではない。原因不明の昏睡状態に陥ったからである。
要点をまとめると、そういうことになる。原因不明というのがなんとも言えないが。
「禍ツ姫が関わっているのなら、まあ、代永の体に禍ツ姫が合わなかったって可能性もありますけど」
「それならとっくに代永くんは死んでいるはずよ」
優子からすぐに否定の言葉が返ってくる。なごみがそれに続けて答える。
「代永くんは優子ちゃんと一緒に推薦入学した逸材だ。それは代永くんがその当時からとんでもなく強い神様と契約していたからだよ」
とんでもなく強い神様。話の流れからするに、禍ツ姫以外あり得ない。
禍ツ姫はおそらく、縫合タイプで纏以外大した攻撃力がない代永にとっては最大戦力だったにちがいない。代永が今眠っているのが禍ツ姫の実力行使が原因なら、昏睡の危険は入学当初からあった、という話になるわけだ。
縫合タイプは体質的に霊や妖魔、神などと相性がいい。それは取り憑かれやすいという意味でもある。故に、身の安全のため、縫合タイプは強い霊や神と契約することが推奨されている。だが、縫合タイプだって、人間である、あらゆる神霊との相性があるわけだ。相性の悪い相手とは契約してもリスクが高いだけ。相性の悪い神霊と契約し、力を行使した場合は、昏睡状態に陥ることがままある。
このことから考えると、代永と禍ツ姫の相性が悪くて昏睡状態、という可能性は低そうだ。
「病気じゃないから病院も役に立たないし、薬合タイプの薬も効かないし、歌唱タイプの歌でも回復しないし……あとは記号タイプのハックに賭けるしかないの」
「だけど優子さん、記号タイプは俺以外にもいるじゃないっすか。コンピュータ研究部の部長とか、仲良さそうにしてませんでした?」
礼人が指摘すると、優子は拳を握りしめた。代わりになごみが続ける。
「もちろん、雫ちゃんのハックは試したよ。でも試した結果、わかったのは、代永くんが高位の神様に憑かれていることと、何か封印みたいな暗号がかかっていることの二つだけ」
高位の神様というのは禍ツ姫だとして、もう一つの方が問題なのだろう。
「暗号……でも、暗号ならハックを使えば解けるんじゃ……」
そう、ハックは万象を読み解く能力。妖力や霊力でかけられた封印なども解く方法を知ることができる。
それは記号タイプ内では常識中の常識なのだが……
なごみは肩を竦める。
「それができたら苦労はないさ」
つまり、読み取れなかった、というわけだ。
「雫ちゃんも悔しがっていたよ。なんてったって、コンピュータ研究部一のハックの使い手なんだから」
解けない記号があるのは記号タイプの使い手として辛いことだ、と礼人は認識する。
「……そんな人でも解けなかった暗号を、何故俺が解けると?」
「さっきも言ったでしょう? 礼人くんにはまだ可能性がある。自覚がないようだけれど、礼人くんは類稀なる記号タイプの能力を得ているんだよ」
僕の能力が君に引きずられるようにね、となごみがモノクルを示す。すると、礼人の中で一つ閃くものがあった。
「部長がその能力で暗号を解読すればいいんじゃないっすか?」
「まあ、その手もあるんだけど」
なごみは苦笑する。優子が暗い声で告げた。
「なごみんが言っていたでしょう? なごみんの能力は近くの強い技能に引っ張られやすいって」
そこから、礼人は考える。
なごみの「エキストラ×エキストラ」は近くにいるタイプ技能に引っ張られやすい。しかも、より強い技能に。そのことが今、証明されている。
代永は強い縫合タイプだ。禍ツ姫と契約できる程度には。あるいは、優子の母である優加にさえ勝るとも劣らないにちがいない。
礼人の個人的感覚だが、優加にはとても敵う気がしない。そんな優加より強いとなると──代永の様子を見に、なごみと一緒に行ったとしても、なごみが今のモノクルを発動できる可能性は低い。「エキストラ×エキストラ」が発動した場合、より強いタイプ技能に引っ張られるのだから。縫合タイプの技能が発動する可能性が高いのだ。「エキストラ×エキストラ」は使用者の意志で使うことはできないのだから。
「だから、俺が直接ってことですか」
「そうよ」
俯いていた優子が真っ直ぐに礼人を見上げた。その優子の表情に礼人は目を見開く。
優子は眦に涙を浮かべていた。
見たことのない表情だった。容姿も性格も母親譲りな優子は弱気なことなんか言わないし、弱気な様子も一切見せない。それが優子の優子たる所以だ、と礼人は思っていた。だから、泣いている優子なんて見たこともないし、想像もしていなかった。
優子は涙に滲んだ声で続ける。
「お願い、代永くんを助けて。もう、礼人くんにしかすがれないの」
──そんな優子さんから嘆願を受けるなんて、予想もしていなかった。
礼人が狼狽えたのは言うまでもない。優子の真っ直ぐな嘆願に目を逸らすことができなくなっていた。
「……わかり、ました」
一つ息を呑み、礼人は頷いた。
──優子さんを泣かせる人がいるなんて。
礼人は一瞬閃いた思想を黙っておくことを選択した。言ったらややこしくなりそうだ。
──目を覚ましたらその代永ってやつをぶん殴ってやろう。
何故、文芸部全員の前で話さなかったかというと、どうやら、文芸部部員には代永は病気療養と伝わっているためらしい。真実は学園上層部と、部長のなごみと、そのとき代永の傍にいた優子しか知らないという。
通されたのは、学園と提携しているらしい病院。平坂病院……とは、おそらく黄泉比良坂から来た名前だろう。病院なのに、縁起でもない。
文芸部と名乗れば案外とあっさり代永爽の入院する病棟に案内された。
代永が入院するのは平坂病院の中でも特殊病棟。妖魔関係の原因で病に伏す者たちが隔離されるようにここにいる。物によっては、感染性のある呪詛もあるらしい。
「妖気がヤバいですね……」
思わず礼人が呟いた一言に、なごみが相変わらずののほほんとした様子で応える。
「あははー。それでもここが無事なのは、この病院の院長のおかげらしいよ。学園の理事長と同じく縫合タイプの人で、変わった纏を持っているらしいとか」
「変わった纏?」
「そう。妖魔を近づけさせない魔除けの纏だっけ。だから、ここの院長は全然霊とか寄せ付けないの」
それはまた特殊な纏である。縫合タイプの体質と相反するような纏だ。さぞや役に立っているだろう。
「理事長ほど大きな結界は張れないから、この隔離病棟にだけ結界と纏を作用させているらしいよ。まあ、妖気を打ち消すものじゃないっていうか、妖魔避けみたいなもんだから、妖気に満ちているここで妖魔に遭遇することはないよ」
その安心感のためか、なごみはいつもの調子である。優子は俯いたまま歩いているが。
「さ、ここが代永くんの部屋だよー」
そうなごみが扉を開けた先には──
ベッドの上に長い髪を散らし、女性的にも見える美しい顔立ちで眠る少年がいた。