第9話:旅の始まり
旅立ち
0.
「わしは反対ですぞ」
普段は温厚なアーマインが、机をたたいて反論した。
ここはヴァルカン公国の城の、何を隠そう王室だった。居並ぶ面子はヴァルカン、アーマイン、そしてボルバ。その他、ヴァルカンが信を置く国の重鎮たち。手の空いている重役たちの殆どがこの場に同席していた。彼らは皆、神妙な面持ちであった。
「ヴァルカン公、ご存じであろう。バイルディン帝国のヤシャ共が周辺七国を制圧して三日、彼奴等は恐るべき速度で更にこちら側へと進撃していますぞ。立ちふさがるモノは国であろうと何であろうと押し潰し、その様はまるで、強大な暴風のごときだと。アースヴァルドの脅威そのものであると報告が入っておりますじゃ」
「わたくしも反対いたします。戦火がもうこちらまで届きかねない今、ヒノワに大陸を旅させることはヒノワ自身を過度な危険にさらすことになりますわ」
ヴァルカンは眼下に広げた大陸図を見る。赤い線でバツが書かれた土地は、すでにバイルディン帝国の手がかかった場所だ。
それは、大陸図の約三分の一を塗りつぶしている。つまり──東の大陸部のほとんどが、ヤシャによって滅ぼされている状態であった。これはヴァルカンも理解していた。ここ数日で、東の方から逃げ落ちた難民を受け入れるかどうか、既に何度も閣議が開かれている。
「早すぎる」
1人が、つぶやいた。
絶望的な声色だった。
「いくらなんでも……これは早すぎる! わずか一か月余りで、これは……」
「高位のヤシャは、自己認識できる範囲の時間と空間に直接己の意志を介入させ、ある程度自在に操れます。ヴァルカン公がおっしゃったサイルと言う王が自ら前線で活躍しているという話も鑑みますと……この速度での進軍も、ヤシャたちなら可能でしょう」
「オキナはどうしている? なぜ手を下さない……?」
百戦錬磨のオークたちがどよめいている。
龍族とは、大陸の調和を司る一族だった。
『勇者』がその姿を消して以降、アースヴァルド大陸の事実上の主と言ってよかった。
種族単位で圧倒的なパワーを誇る龍族に逆らえるものはいない。だからこそ、今までのアースヴァルド大陸は民族間の小競り合いはあれど、大まかな安定を保っていたのだ。
だからこそ、オークたちへの差別や偏見もまた、黙認されていたとも言えるが……
大陸の安寧を破滅へ傾ける輩を、大陸の安定を求めてはばからない最強の龍族が黙って見過ごすとは思えない。
もう一つの大陸最強の国、『混沌の魔王』たるアイガンゼスト・ロックウェードが統治する「ケイオース」も、龍族の国「ケスメート」も、ヤシャに落とされたと言う話は入ってきていない。
この2国は、大陸の地図を端が揃うように折り畳んだ場合の中心下部に並んで位置している。地続きの極南に位置する龍の国が「ケスメート」であり、その先の、大陸から海で隔てた下部にある、真っ黒に塗られた土地がケスメートであった。
地図上で見れば一目でわかる。ヤシャたちはこの2国を避けている。つまり侵攻はされてないという事だが……それは裏を返せば龍族が、オキナがヤシャ討伐に動いていないという事である。
明らかに異常事態であった。
古くからこの大陸を知る者たちは、ヤシャの侵攻そのものよりも、沈黙に身を預けるオキナたち龍族にこそ不安と、恐怖を煽られていた。
アーマインが喉を鳴らして咳き込んだ。
わざとらしい咳で、皆の目を集めた。
「皆の衆、落ち着きなされ。オキナの思惑は我々には計り知れぬ。分からぬことに考えをめぐらせても、今は意味がないでありましょう」
アーマインはヴァルカンへ目を向けた。
「ヴァルカン公」
ヴァルカンはじっ、とアーマインの目を見た。
その心に飛び込むように。
「あくまで此度の本題は、ヒノワ姫を旅に出すか、ここにとどめるか……ですぞ」
アーマインが髭をなでながら言った。「そしてわしは反対ですぞ」とも付け加えた。
「わたくしも反対ですわ。戦火を逃れた難民が東から流れて来ています。彼らを保護するにせよどうするにせよ、我が国がそちらの問題にかまける以上、物理的に離れてしまうヒノワたちへのフォローができなくなります」
さよう。と頷き、アーマインが言葉を続けた。
「軍隊くずれや傭兵くずれ野盗に身をやつしている者も相当数いることじゃろう。中には手だれの者も、言うまでもなく相当数おることでしょう。それだけじゃあない。混乱した民草では誰が敵かの判断もつきますまい。この状況で、異国の姫君たるヒノワに旅をさせよとはいきますまいて」
その意見に賛同するように、ボルバも頭を振った。憂いを帯びた表情は、真にヒノワのことを心配する気持ちが現れていた。
家臣の意見を全て飲み込んで、ヴァルカンがゆっくり口を開いた。
「それでも、ヒノワは旅に出てもらう」
変わらずリクサーとタケゾウを付けて。と
「あの二人がいれば生半な野伏などに遅れはとるまい……ただ、予定を変更する。ヒノワには最短ルートで北の最果てに向かってもらう」
「魔女の大地ですか」
大陸図の最頂部、ちょうどケスメートの反対側には、大陸から少し離れた小島があった。
「ふむ……」
そこには、『全知の魔女』と呼ばれる、魔法使いがいる。
「真実を知るには、早すぎませぬかの?」
「時間が無い」
アーマインの憂鬱を、ヴァルカンは斬って捨てた。
「魔女との邂逅ならば、本来私が同行するべきなのだが……今私がヴァルカン公国を離れるわけにはいかん。それに、神器のない私ではおそらくバイルディン帝国の異界転生者には勝てぬ。密偵に探らせたところ、バイルディンの転生者は長髪をたらした老人。鋭い眼光を持つ長身と、それに習う長刀を携えた……」
「サムライ、でございますか」
ボルバの問いに、ヴァルカンは頷いた。
「転生者に勝つは、転生者のみ。少なくとも今はそうだ」
アーマインが、他の重鎮たちがふぅと息を吐き、気持ちを切り替えた。
「では、旅立たせるために、旅を完遂しうるために、なるべく安全な道筋を立てましょうぞ」
1.
「おーっ! すごいすごいすごいですよー! はやいですーっ!!」
リクサーは窓から顔をだし、後方へと後方へと流れていく景色に感動を覚えていた。
ヒノワ達は今朝、ヴァルカン公国を出発し、ヴァルカンの命で北の最果てにあるという魔女の大地を目指して旅をすることとなった。
そのさい、ボルバに渡された数枚の紙きれを使って汽車と呼ばれる黒塗りの鉄の塊に乗っているのだった。
この『汽車』は、道を切り開いて作られた『レール』にそって走る絡繰りの乗り物で、その最高速度自体は三頭馬や空を切るペガサスより劣ると言うが、一定の速度で走り続けることができ、
しかも疲れを知らないのだという。学者気質のリクサーは伝え聞いていたが初めて見るそれに大興奮しているのだった。
「これも、勇者の恩恵なのじゃろう?」
「はい! そうです!! 勇者が世界にもたらした、偉大なる遺産の一つです!!」
新堂にくらくら頭を動かすヒノワをしり目に、目を輝かせるリクサー。
タケゾウがぼやいた。
「はて、リクサーよ。おんしらオークは、勇者のことを憎んでおったのではないのか?」
「そりゃ、憎いですよ!」
リクサーは目を輝かせたまま言った。
声のトーンを落とし、でも……と続ける。
「オークは醜い、エルフは美しい! ただそれだけで我々を追いたてたやつが、憎くないわけないでしょう……でも、でもですね。素晴らしいモノは、やっぱり素晴らしいんですよ! 勇者はこの世界をめちゃくちゃにしちゃったけど……めちゃくちゃになったものやことが、全て完全に悪いことじゃないんですよ!」
早口でまくしたてると、また窓の外に首を突っ込んで叫びだした。
「ははは。おめでたい頭をしておる、こいつは」
タケゾウは口こそ皮肉ぶっているが、内心ではリクサーの思想に相槌を打っていた。
良いものは良い、と言う思想。目の前の現実を個人の愛憎を通さず観ること。それはタケゾウ自身が常に戒めている合理性への執着に似ている。それは武術の本質の一端でもあるだろうし、それは究極的には『生きる』ということそのものへ結びつく、タケゾウなりの人生哲学へと辿り着く。
故に嫌いではなかった。むしろ、好ましかった。
「…………」
「そして……ぼんはどうした、黙り込んで。らしくないのぉ」
「……うっぷ」
タケゾウがよく見ると、ヒノワの表情は青ざめていた。頬を膨らませ、涙を目に溜めて、目はグルグルと焦点が合っていない。タケゾウはさぁっと嫌な予感がした。いつだったかの船旅、これと同じ顔色をした人間を何人も見たことがある。
慌てて紙袋を探した。
「うっぇぇ……もう、もう無理じゃ……うっ!」
「お、おいまてぼん! 耐えろ、吐くな!! 止めろ、俺の服にもたれかかるな!! おい!!」
タケゾウの膝に飛び込んで、ヒノワは盛大に吐き散らした。いつもは無愛想なタケゾウの顔が困惑に歪んでいた。リクサーは外の景色に夢中であった。タケゾウがヒノワを離そうと手を握ったが、離れなかった。恐るべき力でタケゾウのズボンを握っていた。生き物は、吐いたり出したりする瞬間凄まじい握力を発することがあるが、これがそれだった。
地獄絵図だった。
2.
「はしゃぎ過ぎちゃいましたね」
横になったヒノワ用に薬を渡して、リクサーは頬を掻いた。タケゾウは不機嫌そうにうなづいた、それを見て、リクサーはははっ、と苦く笑った。
「ところで、これは……汽車は、タケゾウさんのいた世界というか……時代にはなかったんでしょう?」
「ない」
定期点検のため、と言って汽車は駅で止まっていた。その間の暇つぶしと、タケゾウはふつふつと語り始めた。
「俺のいた世界は大まかな文化の発展具合はあーすゔぁるどと大差はないように思う。俺の時代は泰平の世であった。つい50年ばかし前までは、誰が天下をとるか……国中の侍が農夫商人まで巻き込んで、そこかしこで合戦を重ねておったのだがな」
「それで、天下をとったのはタケゾウさんなんですよね」
タケゾウはリクサーにすすめられた茶をすすり、首を振った。
「ちと、違う。俺は剣に頼り剣に生きたが、既に世の条理は剣から離れておった。合戦でも用いられるのは弓、矢、鉄砲が主でな、剣など形なしだ」
そもそも、天下どりには興味がない、ともタケゾウは言った。リクサーははて、と首を傾げ。
「でも『日ノ下無双兵法者』だった、ってヴァルカン公がおっしゃってましたよ?」
「……うむ、俺という一個人としては、そうであったかもしれぬ。しかしそれも狭き世の範疇で、である。現にみよ、あーすゔぁるどで俺のことを知るものなど1人もおらぬ」
「なんで剣士になったんですか?」
リクサーの疑問を、タケゾウは茶を啜って、それを口の中で転がして、飲み込んで、一息ついて……やっと答えた。
「たまたまだ」
「たまたま……ですか」
ああ。とタケゾウは言った。
あっけらかんとした口調であった。
「剣であろうと、槍であろうと、鎖鎌であろうと、道これを極めるにあたりやるべきことは大して変わらん。槍術士には槍術士の、剣術士には剣術士の鍛え方はあろうが……その行き着く果ては変わらんのだ。俺は、たまたま剣を好いて、剣で道を開いた。ただそれだけのことよ」
「果て、とは……?」
タケゾウはにっ、と笑った。
妖気を放つ、人離れした笑顔だった。
「生きることを遊ぶことに、終わりはないと悟る境地よ」
「?????」
タケゾウはしてやったりと無邪気に笑うと、またずずっ、と茶をすすった。
そして、かすかな空気の変わりを感じ取り、ピクリとその眉が吊り上げた。
少し遅れてリクサーも、倒れているヒノワですら、空気が変わったことを感じ取った。
何も言わずにタケゾウが剣をとって走り出す。
「あ、ま、まてタケゾウ! わしもつれてけぃ!!」
「黙って寝てろ!!」
タケゾウが汽車から飛び出すと、その着地とほぼ同時に眼前に槍が繰り出された。
大きく一歩踏み込みながら、タケゾウは素早く抜刀し、刃先を切り上げた。さらに一歩、相手の懐に強く踏み込む。
その動きを予想していたか、相手は手慣れているのか、慌てることなく槍の腹をタケゾウの方に打ち下ろした。
「ぐあっ!!」
「ちっ!」
悲鳴を上げたのは、相手の方だった。タケゾウは振り下ろされた槍をかわして、肩から脇腹にかけて袈裟切りに一刀両断した。そのため、相手は瞬時に絶命したのだ。
しかし、その結果に満足いかなかったのか、タケゾウは舌打ちした。
「野伏だぁーっ!!!」
汽車からその様子を眺めていた乗客が叫んだ。タケゾウが周囲に目をやると、汽車の長い身体に張り合うように、
甲冑やらなんやらを身につけたりぶら下げた野伏の一団が、ずらりと横並びしていた。
野伏の一団は武器を掲げて叫び出した。威嚇だった。その声が次第に大きくなる。士気を上げているのだ。それはつまり、こうしたことに手慣れている集団であるという証明である。
その中から、ひときわ大きな体格と、斬馬刀を持った半人半馬の野伏が、その背に乗せた小さなコボルトの弓使いにタケゾウを狙わせた。
タケゾウは飛んできた矢を切り払うと、にやりと笑った。
「やはり……、こうこなくちゃな」
奇声を上げて突撃してくる野伏の一団に、タケゾウは喜々として飛び込んだ。
飛んでくる弓矢を躱す。切り払っていては接敵に回す時間を奪われるので、なるべく避ける。地面を滑るように駆け込むと、一つ目の巨人が斧を振りかぶった瞬間にタケゾウは標的までの最短距離を刀に通す。
のどからばっと血しぶきをまき散らす敵を、横にすり抜ける際に、刀のつばから滑らせるように切り抜ける。
タケゾウが通った直後、一つ目の巨人は臓物を吐き出して絶命した。
背後から迫りくる竹やりの勢いを、表面をなでる様にそのまま体なな滑らせて回転を付け、縦回転しながら頭頂から刀を振り下ろす。
敵は甲冑ごと左右対称に真っ二つになり、血を吹き出して倒れた。
続いて足で足元の竹やりを蹴りあげてそのまま手で突きとばす。突っ込んできていた三人の敵が横並びに竹やりに突っかかって一瞬止まった隙に、三人の首を一気に撫で斬った。
――無双。
タケゾウはその呼吸も、判断も、何一つ無駄のない所作で敵を仕留めていく。
タケゾウの背後から迫る敵を、弓矢が襲った。ヒノワが屋根に上り、弓をうったのだ。
「邪魔するな!!」
タケゾウは不機嫌に叫んだ。その手は止まらずヒノワには目もくれず、しかしヒノワがやったことは把握していた。
「アホ! 援護するわい! 敵が多すぎじゃ!!」
「俺は慣れてんだよ!!」
野伏の一団は散開し、タケゾウをなるべく相手にしない方策をとった。
タケゾウを中心に回り込むように汽車を襲い、タケゾウを見ると逃げの一手を打つ。
タケゾウには高台から弓矢部隊に狙わせ、ちゃんと足止めまでしている。
「タケゾウ!!」
「叫んでんな! てめェの心配してろ!!」
ヒノワの背後から屋根に上ったリザードの野伏が鉈を払う。ヒノワはとっさに抜いた短刀で受けるも、体重差がありすぎて弾き飛ばされてしまった。
落ちる際に屋根のふちに捕まれたが、捕まらなかった。ぶら下がれば即的に無防備を晒すことになりかねないという判断からだ。
着地を狙われる心配もあった。受け身をとってすぐさま立ち上がり短刀を構える。
ヒノワの一瞬をついて弓を放とうとした野伏を、リクサーが体当たりで吹き飛ばした。
「リクサー!」
「ヒノワさん!! どこかに指示を出している首領格がいる筈です!! そいつを探してください!!」
「! そうか! わかった!!」
リクサーが傍に生えていた大樹を引き抜いて振り回した。さすがに成人しているオーク。医学者とはいえものすごいパワーである。
ヒノワは林の中を駆けた。敵の動きが迅速かつ的確なのは、首領格がいるからなのは間違いない。
ならばそいつはどこにいる? ヒノワには見当がついていた。
「高台だ!」
弓部隊のそのさらに一つ上の高台。そこなら汽車全体を把握できる。
ヒノワは、自身に向かって飛び込んできた小鬼を弓で滑り込みながら打ち落とすと、その確信を深めた。
「王手じゃ!」
ヒノワの予想通り、そこには男がいた。
腰より伸ばした長い髪、赤褐色の肌、隆起した筋肉。古く寂れた甲冑を着込み、露出する4本の腕がそれぞれ遠眼鏡、刀、槍、金棒を握っていた。男の頭頂部には、立派なツノが天に向かって伸びている。
鬼だーー。
ヒノワはぐっと唾を飲み込んだ。鬼だ、正真正銘の。オークより力強く、エルフより賢く、賢者より魔力を持つとされる、龍族と並び、大陸最強の生物とまで揶揄される、鬼だ。
押し寄せてきた絶望感をこらえ、ヒノワはさらに距離をとり、弓矢を構えた。鬼の男は振り向かず、あろうかとか武器を納めた。そして両手を挙げて降参をしめした。
「ほぅ……かの有名なエルフの姫か。聞いていたよりはるかにお転婆だな」
ゆっくりと振り返ったその鬼は、顔の半分が無かった。
文字通り、顔が正中線から右側がえぐり取られている。骨は露出し、肉が剥き出しのまま張り付いている。目の位置は空洞になっている。あるべきものが惨たらしくないそれは、ずっと見ていると吸い込まれそうな虚無そのものだった。
その有様に、ヒノワは言葉を失った。しかし懸命に恐怖を振り払い、男に尋ねた。
「この動き、相当鍛えられた騎士団の動きじゃ。タケゾウじゃから無双しておるがの……、生半な傭兵や騎士ではとんと相手に並んであろう……察するに、ぬしはどこぞの騎士であったな?」
「ほぅ、存外頭もいいらしい。正解だ姫様。私は今は亡き小国の、騎士副団長を務めておりました」
「バイルディンに滅ぼされた国か……!」
「正解だ。そして姫君よ。キミはどうあっても私を射る気だろう? たとえ私に力及ばずとも、最後まで戦おうと言う目だ。その眼を見ればわかる。キミは私がもはや、命を失わなければ止まれないことを知っている……」
「…………」
「だから、最期に一つ。聞いてもいいかね?」
「……なんじゃ?」
その鬼は、くい、崖下を顎で指した。ヒノワからは見えないが、おそらく崖下ではタケゾウが超人的な無双を見せていることだろう。
「彼は異界転生者だろ?」
「そうじゃ。サムライというらしい」
くっくっと笑った。
「私はこう見えても、国の中では最強の剣士だった。並ぶ者はいなかった。……まぁ結局井の中の蛙だったのだがね。その日も、私は迫りくるヤシャをたたき伏せていた」
それは、戦争の最中のことだろう。
「ヤシャの中に、老人がいた。あの転生者と、に使う格好の老人だ。長身長髪で、それでも不自然なほど長刀を持っていた。私はすぐに、そいつが剣の達人だと悟った。伝説に出てくる『ニンゲン』だと……転生者であると悟った」
「…………」
「斬りあいは互角だった。今思えばヤツは遊んでいたかもしれんが、とにかくその時は互角だった。むしろ私の四刀流に奴は対応しきれていなかった。私は奴の長刀の振り下ろしを躱し、その懐に飛び込んだ。勝ちを確信したよ……」
首領は甲冑を脱いだ。
「その瞬間、私のすべては奪われた。意識の外から斬撃が飛んだのだ。私の顔の半分は吹き飛び、その時私は殺されたのだとわかった」
露わになった動体には、悍ましい斬り傷が残っていた。それは顔の傷まで一直線に繋がるだろう道で、太い糸で無理矢理縫い合わせていた。未だふさがりきれないそれは、血がにじみ出てぐしゅぐしゅと泡を吹いている。
「それをわしに伝えて……どうするんじゃ?」
「伝言さ、その男の。『刀の半分折れた転生者のサムライに出会ったら。傷を見せろ』とね。私はもう死ぬ。役目が終わったからね。だからキミが代わりに、伝えてくれたまえ」
鬼はそういうと、穏やかに笑った。
とん、と崖に身を晒した。
「なっ……!!」
「さらば」
その言葉と共に、その鬼はは崖から落ちて、死んだ。
3.
「汽車は動かねェとさ」
「困ったなぁ……」
タケゾウは首領を失い統制の取れなくなった野伏をあっさりと全滅させた。負傷者の看護を終えて、リクサーは顔を渋らせた。
看護と言っても、薬を調合して、それを役人に指示し、渡しただけだ。
オークであることがばれないようにである。それはオークが救護をしても突っぱねられるのがオチだと言う、リクサーの言葉故だった。
「リクサー、北まではどの程度ある?」
「困りました。歩いた場合、まだあと二日分の距離はあります」
「……遠いな。ただでさえ時間がねェってのに」
タケゾウの様子を、ヒノワは逐一見ていた。
言伝を終えた瞬間から、タケゾウは妙にそわそわしているというか、
妙におとなしかった。
「タケゾウ、大丈夫か?」
「てめェは自分のことだけ心配してろ」
ぶっきらぼうだが、優しさなのか。それとも、踏み込むなと言ってるのか。
「とにかく、歩くしかないのぅ。なぁに、その魔女の大地とやらは別世界にあるわけでもなし、歩けばつくじゃろ!」
「島ですから、途中船に乗らないとダメですけどね」
「うっさい! 水を差すなリクサー!!」
とにかく一行は、目的地を目指して歩き始めた。
旅の始まり、了