第8話:護神会議②
0.
彼の国が、『異界転生』を行ったと聞いたのは、男の感覚からして言えば半年ほど前のことだった。
彼は自らの能力を活用して遥か遠方に位置する国を覗き見ようとした。興味があったからだ。虐げられしオークたちが、一体何者を異界転生させたのか。
しかし、彼がその国へと視点を伸ばした時、オークたちの長であるヴァルカンと「全知の魔女」によってそれは阻まれてしまった。意識が弾かれる瞬間にかすかに掴めた情報は、ヴァルカンが召喚した男は上背こそ頼りないが、骨子のがっしりとした体躯を誇り、その手に異界の剣たる『日本刀』を持っていることだった。
そして、その男は弾き飛ばされるその一瞬に、こちらの意識体をじろりと睨んだのがわかった。
男の相貌は、一見して落ち着きがあったが、破壊と殺戮を絶対の本能とするヤシャ族の男には、わかっていた。
その男は、その内に、人とは思えないほどの殺気と凶暴な熱を秘めていることに。それは男が目には見えないものが見えているというには、十分すぎる説得力があった。
男は──ヤシャの王は焦がれた。
意識体が肉体に戻る時間は刹那にも満たない一瞬であったが、心焦がれるヤシャ王は無限に引き伸ばされた妄想に浸っていた。
殺りたい。
この手で、殺してやりたい。
あらゆる方法を夢想した。
素手で腹を引き裂き臓物を掻き出して、痛みと出血に震える男の眼前で腸を啜りたい──
鼻から下顎にかけてを綺麗に引きちぎり、剥き出しになった喉元にキスしてやりたい──
握手のまま肩から腕を引っこ抜いて、親愛を示したい──
しかし、ヤシャ王はしかし、意識が肉体に戻ると火照る心を今は沈めてみせた。
それはこの男がヤシャ王たる所以であった。
彼は、本能に付き従うことを是とし、それを尊ぶヤシャの中で、本能を理性で抑えることができたのだ。
算数ができた。
地理が読めた。
文化を──よくわからないながら──大切なものだと理解できていた。
だから、戦が上手かった。
だから、国を作ることができた。
だから、皆が付き従った。
だから、ヤシャ族の王となれた。
ヤシャ王はその日の夜には動いた。
物理的に密偵を雇い、ヴァルカン公国の内情をある程度把握した。
密偵の報告にはヴァルカンが近々戦争を起こすという、普段なら唆る話もあったが、ヤシャ王の心の奥底にはあの相貌が沈んでいる。
三度の報告の後、やっと焦がれた相手の情報を経た。
『日ノ下天下無双兵法者』
ヤシャ王はこの単語を、いくつかアタリをつけた異界に向けて放った。その世界に根を下ろす別のヤシャ族へと交信し、情報を集めた。
やがて、真実の一つにたどり着く。
それは、ヴァルカンの召喚した男は『史上最強の人間』の1人と呼ばれることだった。
ヤシャ王の高揚は天にも届かんほどだった。
是非、この手で殺したい。
しかし、なんの建前もなしにヴァルカン公国の公王の庇護下にある男に手を出せば、アースヴァルド大陸最強の龍族が黙ってはいないだろう。
ヤシャ王はそこで考えた。
こちらから赴けないのなら、むこうから来てもらおう、と。
1.
皆の注目を集めたその男は、満足したように口角を吊り上げた。大仰に手を広げて、再度パン、と手を打ち鳴らした。
「アースヴァルドを代表する諸国の皆さん!」
ハキハキとした、よく通る声だった。
「私はヤシャ族のサイル……『バイルディン帝国』の長サイルという者です。オキナが来られない現状を鑑みて、私に考えがあります」
爽やかな声が円卓に響いていた。サイルは堀の深く端正な顔立ちであった。瞳の色は碧色で、毛の色は艶かしい白銀であった。額から、ぎょろっとした立派な角が生えていた。細かな傷があった。
体は大きく、肌の色は血の色だった。首が太い。指が太い。爪は何層にも積み重なった地盤のような厚みがあった。口角が広かった。声と共に開かれるたびに分厚く白い歯が見えた。
体から若さと自信、力強さが溢れていた。否応なく他者の注目を集まる『力』を備えていた。吐き出される言葉はただよいはじめていた不穏な空気を払拭するかのように、はきはきと空気を揺らがせた。
「……して、サイルどの。考えとは何ぞや?」
王の一人が問うた。サイルに負けなほど、堂々たる物言いだった。流石は一国の王である。若造のカリスマなどに怖気付きはしない。
サイルは待ってましたと言わんばかりに両手をかざした。
「はい。私は、オキナが現状ここにおらずとも、今議会の本題を話し合うことはできると、考えています! なにせ、なぜなら! 議題の中心人物は……当の本人は、ここにおられるではないですか!」
芝居がかった口調で仕草で、円卓の視線を誘導し、その最後にサイルが向かわせたのは、ヴァルカンの方であった。
円卓内の視線が、今度はヴァルカンに集中した。ひそひそ、と諸国の王たちが同席する臣下たちと耳を打ち合わせた。
「サイル……だったか」
「はい、私は先日。次代のヤシャ王として冠を授かった、サイルでございます!」
ヴァルカンの言葉にも威圧されることなく、飄々とサイルは頭を下げた。
「此度の護神会議の議題は……まぁ、例によって複数ありますが、本命は皆様ご存知のように先のヴァルカン公国とエルフリュレ王国間で起きた『戦争』にございます! 当事者であるヴァルカン公がここにおられる以上オキナの裁定を待つ必要はなく、むしろオキナのおられない内に話を進めることが有意義だとこのサイルは思います!」
「しかし、エルフリュレの姫がおらんではないか。話を聞くに、エルフリュレは国王たちは亡くなったものの、その娘であるヒノワ姫は生きておられるとか……」
つん、と鼻を高々にサイルは踊った。
「確かに! ヒノワさまは生きておられます! しかし、彼女の身柄は今、誰を隠そう何に隠そう、このヴァルカン公の手の内にございます!!」
「……なにが言いたい」
ヴァルカンが口を挟んだ。
「ヒノワ姫は敗戦国唯一の王族だ。幼かろうが彼女には責任がある。それを取らせるためにも、私たちは彼女の後継として、彼女を我が国の客人としているだけだ」
まくしたてるヴァルカンは、そこで息を呑んだ。
「まさか貴様……それを建て前に、私がヒノワ姫を都合よく洗脳しているとでも言いたいのか……?」
心に直接刺さるような、ヴァルカンの怒気を孕んだ言葉。尋常ではない殺気に、サイルの一人劇がぴたりと止まる。
しかし、そこまでも歌劇の一環であるのか、思い返したようにサイルは動き出す。
「いえいえ。彼の高名なヴァルカン公が、そこまで悪逆非道に手を染めてるなどとは思っておりません。しかし、洗脳まで行かずとも、幼い姫の意志を思想と言葉をコントロールし、貴方にとって言いたいことを、ヒノワ姫の口から言わせることは簡単でしょう……偏見は認識を狂わせる。そんなことは、あなた方が一番よくご存じのはずだ『醜きオークの王よ』」
ヴァルカンが椅子から飛び出そうとするのを、アーマインがとめた。怒りの力を一身に受けた椅子は、足がへし折れて背後に吹き飛び崩れ落ちた。弾き出された殺気が物理的に空間を揺るがせる。円卓の机がぎしりと軋んだ。
王たちの間に緊張が走る。
サイルだけが、にやけ顔のままだった。
変わらない大仰な仕草で自身の顎をなでた。
「ヒノワ姫がここにおられないことは、そもそもそちらの手落ち。我々の知ったことではない。今大事なのは、会議を始めるか否か! さぁ皆さんの採決をいただきたい! 護神会議を、始めるか否か!!?」
論点を巧妙にずらし、したり顔で天を仰ぎ見たサイルに、円卓がざわめく。
やがて「可である」と言う声がどこかから聞こえると、それを皮切りに合唱が始まった。
サイルは天を仰いだまま、合唱を全身に浴びて満足げな表情を浮かべた。繰り返されるたびに大きくなるそれは、自身の意思の肯定を促すように聞こえていたからだ。
「ほ、報告します!」
合唱を打ち消したのは、会場の警備をしていた者だった。
サイルが視線を落とす。
「お、オキナが参られました!」
その背後から、ヒノワが現れた。ヴァルカンは珍しく目を見開いて驚いた。その背後から、背負われたオキナがひょっこりと顔を出した。
2.
「よしよし、皆のもの済まなかったの。実は、あーほれ、崖の直ぐ付近で脚をくじいてしまってな」
落ち着きを取り戻した円卓から、ふふふと笑みが零れる。サイルも元の席に座り、ヒノワはヴァルカンの隣の席を用意された。
「ほ、本当にただのくそじじいじゃなかったんじゃな……」
「何をされたんだ、お前は……」
珍しく口を挟んだヴァルカンを、ヒノワはきっ、と睨んだ。
ヴァルカンはその理由を察したのか。後にしろ、とつぶやいた。さすがのヒノワもコレだけの格の高いモノたちの集まり中で、その空気をぶち壊してまで我を通すような大ばか者ではなかった。
オキナがぴゅこぴょこと歩き全く大きな席に着くと、参列者はそろって立ち上がった。
ヒノワは周りをあっけらかんと見回して、アーマインに小突かれて遅れて立ち上がった。
「オキナに、一礼」
深々と頭を下げた各国の王たちを見て、オキナはうんと頷いた。
「よろしい、楽にしなされ」
王たちは頭を上げ、席に着いた。
「それでは護神会議を始めたいと思う。本日の議題は大きく弐つ。皆も既に知るように、ヴァルカン公国がエルフリュレ王国に戦争を仕掛け、これを滅ぼした。ヴァルカン側から宣戦布告が通達されていたとはいえ、布告から戦闘開始までの期間が極めて短く、ほぼ奇襲のような形となったことも部下からの報告で聞いておる。引いてはまず、これについての弁明からヴァルカン公に直接話をしてもらいたい。……ヴァルカン公、よろしいかね?」
オキナのよどみない言葉を聞いて、ヴァルカンが立ち上がった。敬意を込めて深々と一礼すると、言った。
「時間が無かった……とだけ申しておきます」
円卓にざわめきが走る。それだけとはどういうことだ! もっと子細に話せぬのか! と怒号が飛び交った。ヴァルカンはじっ、と目を細めていた。ヒノワが心配そうにヴァルカンを見つめ、次いで各国の王たちの喧騒を見た。
ヒノワはただオキナと、数国の王たちはその言葉の裏に何が隠されているか理解しているように、静かに衝撃を受けているように見えた。
「……良く話してくれたのぅ。あいわかった。此度のヴァルカンの行為についての正当性は、わしが保障しよう。元々、わしらはそんなことじゃろうと、思っておった。それよりわしは、もう一つの部下からの報告の方が、気になっておっての」
サイルが目を光らせた。この時を待っていた、と言わんばかりに口角をゆがめた。
つくづく芝居がかった男であった。
「ヴァルカンおぬし……人間を『異界転生』させたな? それも、とてつもなく強大な力を持つ人間を……」
――なんだと!!?
誰が叫んだか、誰もが叫んだか。机が強く叩かれ諸国の王は軒並み立ち上がった。
「ヴァルカン貴様、2万年前の聖戦を再び起こそうとでも言うのか……!?」
「ヴァルカン!! 異界転生は禁術中の禁術! 魔力のないオークたちがどうやって使った!?」
「聞いてないぞヴァルカン!!」
王族の絶え間ない責め立てに、既に見当がついていたヒノワが脳裏にタケゾウを思い浮かべた。
悪鬼羅刹と呼ぶしかなかった男。勇者と同じ種族の男。全身で剣を表現するような、怪しい美しさを、強さを現す男。
タケゾウの剣戟の瞬間を思いだし、ヒノワは自身の思いつきに身を震わせた。
タケゾウですらあれだけの強さなのだ。ならばかつて神と並ぶとされた、異界の勇者の強さは一体どれほどのモノだったのか……この世界を実際に変えてしまったものは、どれほど。
「諸君、静まりたまえ。かつての勇者は──……神によって直接異界転生させられた故に、あの強さだったのじゃ。ここにいるみなは、知っているであろうが勇者の物理的な強さの大部分は、神の加護ゆえのそれであった。ヴァルカン公がどんな秘術を介したかは分からぬが、此度の異界転生者があの勇者より強い、と言うことはなかろうて」
「あのっ、それって……タケゾウのことですか……?」
ヒノワの零した言葉に、オキナが、諸国の王たちが食いついた。そして、何かに気づいたようにうろたえた。
「タケゾウ……? まさかおぬし、天下無双を……」
ヴァルカンは観念したように息をついた。
「そうだ。オキナのおっしゃる通り、我らは神と違い異界転生した者につけられる加護がそれほど強くはない。ならば異界転生させる人間そのものを、その世界での強者にすればよい、と考えた」
「愚かな……」
オキナが顔を憂いを帯びた。顔を半分手で覆った。
円卓はどうして良いものか、ざわめきが隠せないありさまで、収拾のつかない雰囲気が漂っている。
「護神会議午前はここで終了する。今は意見を酌み交わしたところで、まともな議論ができるとは思えんでな」
オキナの一言に、護神会議はいったん幕を閉じた。
3.
部屋までの通り道で、ちょうど噴水の見える渡り廊下に差し掛かった時、背後からした声にヴァルカンは振り向いた。
「ヴァルカン公であらせられますね」
それは先程ヴァルカンを煽りたてていた、芝居好きのサイルであった。
ヤシャの国。バイルディン王国の若き王。そこまで思考して、ヴァルカンは周囲から人気が消えていることに気付いた。
噴水に目をやると、噴水の水が噴き出したまま固まっている。飛び跳ねたしずくがそのまま空に固定されている。
ヴァルカンは目の前の男の仕業だと結論した。
「時間停止か、空間停止か……此度のヤシャ王は一段と力が強いらしいな」
「これは時間停止にございます。しかし、まぁ。それなりに力を込めてみましたが、やはり2万年前から生きる『現人神』には、時間停止など理の内は通じないご様子で……」
「私に秘密裏に話があるようだが……いいのか? 停止範囲を見るにおそらく全世界規模だろう? 時間が停止していることはオキナやゼストも気づいているぞ。時間がとめられるほどの力を持った存在などアースヴァルドでは限られている……これでは逆効果ではないのか?」
「ああ、気付かれてもいいんですいいんです。オキナはまだしも、混沌の魔性であるゼスト様は、誰の味方でも敵でもないでしょう。敵対することはまずあり得ませんし」
笑みを崩さぬサイルを見て、この男は力を誇示しているのだ。とヴァルカンは気づいた。
愚王と呼ぶべきか、賢王と呼ぶべきか……警戒は解かず、話を聞いてみてもいいだろう。
「ヴァルカン公。先ほどは貴方を煽り果てる真似をしてしまい、申し訳ありませんでした。平にご容赦ください」
「……かまわぬ。慣れておる」
サイルは打って変わって紳士的な態度を見せた。申し訳なさそうに頭を下げているその姿を見て、ヴァルカンは思考する。見定める。
どっちが本性か、どちらも本性か。
「では本題です。ヴァルカン王。私は今度、周辺六国に宣戦布告をしようと思っています」
「……何!?」
さすがのヴァルカンも驚きを隠せなかった。
戦争をする、とこの男は言ったのだ。当然である。
意図が分からない。ヴァルカンが戦争を仕掛けたのは、文字通り「時間が無かった」からである。
本来まだヒノワの成熟を待つべきであったが、世界の安定を考えるならばこれ以上待つことはできず、あれはやむを得ずの戦争であった。
そもそもオークの国──ヴァルカン公国は、2万年前の聖戦において神と勇者と敵対した故に、ただ生存を許された陰の国だからである。
陽の国という名分だけをもらい、ゆっくりと滅びゆく元同胞のエルフたちを見過ごせないという、ひどく自分勝手な正義感だが、一応の大義名分もあった。
しかし、ヤシャの国──バイルディン王国は、2万年前の聖戦において神と勇者に組し、その恩恵を受けている陽の国であった。
エルフリュレと違い、今の──歪められた──世界を享受できている国である。
周辺国に戦争を仕掛ける意味がない。
「何が目的だ……」
「……? 世界征服では、いけませんか?」
ヴァルカンの問いかけが予想外であったのか、サイルは目をぱちくりさせた後、しばらくの間の後に答えた。
「仮に混沌の国を除く主要国を相手取り勝利しても、そんなことをすれば大陸のバランスが崩れる。オキナが黙っていると思うのか……?」
「戦いますよ? もちろんオキナとも。そして、私は勝利する。私には『切り札』があるのですよ!」
「……!!」
切り札。という単語を、今日は良く聞く気がした。そして、サイルの言う切り札が何か、ヴァルカンにはすぐ見当がついた。
「貴様も、異界転生を……行ったのか……っ!!」
「貴方と同じですよ」
サイルは深く深く、縫い付けるような笑みを浮かべた。
「かつての勇者は、異界ではただの凡人だった。その欲望の強さ以外はね。しかしそれが、異界転生によって付与された加護によって、世界最強の力を持つ超生物へと変わってしまった。……ならば異界で既に最強の存在に──最強でありながら純然たる渇望を! 底なしの欲望を併せ持つ『人間』を異界転生させたなら……っ!!」
サイルは身体全体で力の解放を表現した。マントを翻して、サイルは言った。
「それは間違いなくこの異界において、史上最強の生物となるだろう」
「……ッ!」
先の自身の考えは当たっていて、外れていた。
この男は、賢王であり、愚王だ。
そして、ほぼ同じことを考え行った、己自身もそうだろう。
「誰に話してくれても構いませんよ。あなたと違って宣戦布告はちゃんと出しますし。第一貴方は『醜いオーク』だ。加勢を望んでもどの国も突っぱねるでしょうね、ああ、恨むべきは勇者ですなぁ」
サイルが踵を返して立ち去る。
その姿が見えなくなると、噴水から音がした。時間がよみがえったのだ。
「…………」
緊迫した面持ちを抱えて、ヴァルカンは足早に部屋へと戻った。
──その後、護神会議はほぼ進展なく終了した。
そのわずか一か月後だった。
バイルディン王国が周辺六国を滅ぼして制圧したのだという知らせがヴァルカンの、各国の王の耳に届いたのだった。
護神会議②、了