第6話:カルマ
ちょっとグロテスクかもしれません。注意を
0.
膠着が続いていた。
いくばくかの時間がたったが、隙なく相対する二人の間は、縮まることも離れることもなく、空間のそこにぴたりとはめ込まれた様に固定されている。
この場にいるものたちに緊張感が高まっていく。
しかし、その渦中において、全く微動だにしていないモノがあった。
タケゾウである。
鞘に収めた剣の柄を軽く握り、やや前傾姿勢に構えたまま、岩のごとく静んでいる。
その体からは、先ほどまでにじみ出ていた殺気すら消え失せ、その顔は、その眼は、ふと眠ってしまいそうなほどで、口角は自然な角度で釣り上がっていた。どちらかと言えば穏やかな表情、微笑みにすら見えた。
しかし、緊迫した空気の中でその状態を保てていることは明らかに異常である。タケゾウはたしかに「斬る」と言ったのだ。命を斬ると決めた者が、こんなにも穏やかな空気を纏えることは矛盾している……
それが、怖い。
ヒノワは、リクサーは、そしてヤキョウと呼ばれたエルフの子は、時にのどを鳴らした。じっ、と二人の見守っている。
攻められないのはわかる。
お互いが、と。ヒノワは考える。
タケゾウの剣の長さは、元騎士エルフの剣の長さの、約半分である。
これが何を意味するか?
武器の間合いの差は、通常、多くの戦いにおいて絶対な優位をとれるのだ。間合いの外から一方的に攻撃できるのだから、長い方がより優位で、短い方が不利であるのは自然なこと。
これはバズー戦尉官に教わったことであった。
タケゾウが攻められない理由はそれであろうと推測する。不用意に飛び込めば、タケゾウの間合いの外から元エルフの騎士の剣が飛んでくるだろう。
逆に、元騎士のエルフが攻められない理由もまた、その距離の齎す優位不利の状態のせいでもあるとヒノワは考える。
先の通り、間合いが広い武器は遠方から責め立てるには優位だが、逆に考えると身体が密着するほどの接近戦では小回りが利かない。
逆に、短い武器は小回りが利くのだ。敵の懐に飛び込んでしまえば、長刀を持つ者が一つ振るう間に三.四回は刀を振れるだろう。距離が詰まると一転して武器の有利不利が逆転してしまうのだ。
また、短い剣であるが故に……と言うべきか、それは攻撃に劣るが防御には長けている。という事でもある。これは、単純な話で武器を手の延長として扱いやすいからである。長い武器であればあるほど、自身の膂力が働く場所と、武器が必殺の重さを持つ部分が遠ざかってしまため、威力は高まるが捌くためには扱いにくくなってしまう。
タケゾウのあのしなやかな身のこなしを、ここにいる皆は見ている。元騎士のエルフが不用意に剣を突きだせば、タケゾウは見事な「一歩」を持って懐に飛び込み、滑り込むように首をはねるか、甲冑の隙間に剣を刺し込むかするであろう。
洞穴内はそんなに広くはない。
逃げようと背を向ければ、互いに斬り付けられる。
要は距離の勝負なのだと、ヒノワは結論していた。
詰めればタケゾウが勝ち、
離れれば元騎士の勝ち。
だからこそお互いに動かない──というより、動けないのだ。
最も、これは武器相性のほかに、向かい合う二人の技量がある程度釣り合っているために起きている現象なのだが……今のヒノワではそこまで推し量ることは難しかった。
ヒノワたち三人は、見ているだけでものすごいプレッシャーを感じていた。時間が間延びしているようであった。
脂ぎったじめじめした汗が頬を伝うが、蔓延する空気はそれをぬぐう隙すら許してくれそうにない。網目のように張り巡らされた重圧であった。
見ているだけでこれなのだ。対峙する当の二人の消耗はいかなるものか、同じ空間にいながら……それはまるで違う次元の事なのだろう。
だからこそ、観察を続けるヒノワには疑問があった。
先に見てわかる通りの、異様なまでのタケゾウの静けさである。
元騎士は目に見えて消耗が分かる。顔は気丈、目つきは変わらず鋭いが、剣先が徐々に、不規則にふらついているからだ。呼吸の乱れ、集中力の乱れ、体力の衰え、全てが震える空気越しに伝わってくるように感じる。
タケゾウは真逆だ。
全く乱れない。
それどころか、石の如く。
動く意志すら放棄しているようにさえ感じる。
消耗させ切って、自滅による勝ちを狙う気だろうか?
確かにこのまま消耗戦に持ち込めば、遠からず元騎士は自滅するだろう。
しかし──タケゾウは「斬る」と言った。
ならば、斬るだろう。
ヒノワには不思議な確信があった。
少なくとも、目の前の男は尋常ではない。という確信が。
ヒノワがこの張り詰めた空気に、あるいはうっとりと酔い始めた頃であった。
「リクサー」
その時、タケゾウの口がわずかに動いた。
本当に必要な言葉だけを述べた。
「やれい」
それは合図であった。一瞬、空気が緩んだ。そして、その緩んだ空気を掻き分けるようにリクサーは動いた。
その行動は速かった。
子供のエルフを背後から押し倒し、拘束した。
悲しげな声で、小さく呟いた。
「ごめんよ」
と。
そしてぼきっと嫌な音がして、子供エルフが悲鳴を上げた。
「な、何をしておる!!?」
「なっ!? 何をする貴様ァ!!!!?」
ほとんど同時に叫んだが、戸惑いのヒノワと怒りと焦りのエルフ騎士の怒号では、響く力がまるで違う。
リクサーは、子供エルフの小指を折っていた。痛みに暴れまわろうとするのを力付くで上から押さえつける。子供のエルフと成人のオークである。力の差は明白で、子供エルフは泣きながら、顔を地面に打ち付ける様にもがくしかできなかった。
また、タケゾウが静かに言った。
「もう一本だ。いけ」
「まっ……!」
リクサーは躊躇なく、子供エルフの中指を折った。
子供のエルフが痛みに叫んだ。
だがそれ以上に、元騎士のエルフの絶叫が轟いた。
「ああああああああああ!!!!!」
元騎士のエルフの顔が、怒りと悲しみ沈んでいく。
心が現れた顔はどろどろとした奇妙な絵画のように歪みきっていた。もはや、当人もどういう顔を造っていいのか分からないのだろう。
「やぁ! め! ろォォォォォォォォ!!!!」
そして、その顔から溢れ出る混沌が収まりきれなくなった瞬間。この世のモノとは思えない奇声を挙げて、元騎士エルフはタケゾウに飛びかかった。
そして、着地と同時に右腕と左手を失った。
「……?」
「あ? ……ぁ、あ、あ、あ……?」
嗚咽の後に、剣を握っていた左手が勢いよく一回転して地面に落ちた、それを追って右腕がずるりと、粘着性を帯びてずるりと落ちた。一瞬、綺麗な切断面がはっきりと見えて、思い出したかのようにしゅーっと血が噴き出した。
「ふむ。心地よい緊張感であったぞ……俺はもうしばらくあの世界に浸っても良かったのだが、これも仕事なのでな」
刃先が地面に触れるギリギリであった。頭を地面に預けるがごとく沈めていたタケゾウが、ゆるりと立ち上がった。無造作に剣を振るうと、刃先にこびりついていたわずかな血が地面に飛んだ。
「許せ──とはいうまい」
その顔が天邪鬼に笑っていた。
──見えなかった。
ヒノワが目を見開く。
血が飛び散る恐怖、血臭が鼻を刺す。今この場に現れたグロテスクな光景が広がっている。
しかし、それがどうということもないと呼べるほどの衝撃を受けていた。
タケゾウの剣は、まるで見えなかった。剣を抜く瞬間も、剣戟の軌跡も、なにも、何もかも。
剣閃の中で辛うじて見えたのは、剣が地面にすれすれでぴたりと動きを止めた瞬間。しなりを帯びた撃ち終わりの姿は、とてつもなく美しかった。
す、凄い……
ヒノワは息を呑んだ。
当たり前だが、初めての光景だった。
タケゾウは……こ、こんなに凄かったのか……
卑しくもヒノワがそれに見とれている中、リクサーは子供を放していた。タケゾウが元騎士エルフの足をぶっきらぼうに払うと、重心の崩れた元騎士はあっさりと転んだ。
両手を失い、涙と鼻水と唾液、そして血を垂れ流し、もぞもぞと剣をとろうとするその姿は、哀れ以外の何者でもない。
子供エルフがタケゾウの前に立った。顔をくしゃくしゃにさせながら、父親を庇うために。
「や、やめろヤキョウ!! た、頼む! ヤキョウは見逃してくれぇ……!!!!」
頼む、頼む! と懇願する元騎士からは、もはや怒りや憎しみは消え去っている。
代わりに憑依したのは、ただ娘を護りたい、なんとか娘だけは助けたいという心からの父の願いだった。
タケゾウは剣で空を切った。それを鞘に戻すことはしなかった。
「心配には及ばん。餓鬼から先に斬ってやる」
くっくっ、とタケゾウは無邪気に笑っていた。
ヒノワの、エルフたちの顔から血の気が引いていった。
「もうお前は放っておいても死ぬ。よかったのぉ。餓鬼の死にざまを見届けられて。よかったのぉ、家族一緒に死ねて」
「タケゾウ……!」
子供も、
元騎士も、
そしてヒノワすら、言葉を失った。
この男は悪鬼だ。
それを理解した瞬間、タケゾウに向かってヒノワは飛び出していた。ガムシャラに拳を振るうも、タケゾウは死角からのそれをひょいと避けた。
そのまま前のめりに転がった拍子に、両手を広げて、ヒノワはタケゾウの前に立つ。
「はて……なんのつもりか?」
「こちらのセリフじゃ!! もういいじゃろう!! これ以上は、もう……!!」
まるで信じられないモノを見るような目で、タケゾウはヒノワを見下ろしていた。
ヒノワは感情に任せて叫んだ。
「死んだらしまいじゃ!! こやつは、わしの元臣下じゃ!! 殺すな!!!」
「こいつらは今度こそ、お前を殺しにやってくるぞ」
「!?」
戸惑いを見せたヒノワに、タケゾウはやっぱりかと、わかっておらんなぁと、髪を掻いた。
「今は懇願しよう。そして、ヒノワが助けたとしよう……しかし、こいつらにもう、居場所はないぞ。世界からうち捨てられたこいつらは、自分たちで残っていた世界を捨てたのだ。と、なれば。人生の残りをお前に対する怒りと憎しみで過ごすだろう……そしてこいつが死ねば、その餓鬼が、恨みを継いだその餓鬼が、お前を殺しに来るだろうて」
それは例えば、お前が飯を食っている時、
それは例えば、お前が愛する者を愛でている時、
それは例えば、お前の子供を狙って。
タケゾウの目がぎょろりとヒノワを睨んだ。
問うている目であった。ヒノワはギッと睨み返した。
「だから、殺すのか……?」
「だから、殺されるのか?」
ヒノワは言葉が見つからなかった。
言い返す言葉が何も浮かばないのだ。
逃げる様に、振り返った。実際、ヒノワはタケゾウから逃げた。
視線の先で、元騎士とその子供が、悲しみに満ちている。すがる様にヒノワを見ている。
「リクサー……」
「ヒノワさん……諦めてください」
視線と共に投げかけた助けは、しかし返ってこなかった。ヒノワは元騎士の腕を拾いあげた。左手と、剣もかき集めた。
「"我が御心を介しこのものに癒しを与え給え"」
ヒノワは右腕を切断面をきれいに合わせると、治癒魔法をかけた。ヒノワの掌から暖かな光が溢れ、流れ出る血が少しずつ引いていく。接合面がずれないように抑えているヒノワの手が、それでも湧き出てくる血に塗れていく。ものすごい臭いがした。生暖かい。命の臭いだった。命の温度だった。
ヒノワはそれを噛み締めた。
「……わかっておるのか?」
タケゾウはいささか投げやりに聞いた。
ヒノワは黙っていた。ただ、かすかに頷いた。
リクサーはヒノワに駆け寄った。タケゾウを一瞥すると、頭を下げた。
タケゾウは剣をおさめると、バツが悪そうに深い息を漏らした。
「こやつらは見逃す……わしは、こやつらに死んでほしくない……」
ありがとう……
泣きじゃくる騎士の絞り出した言葉に、ヒノワはくちびるを噛み締めた。
1.
「はぁ……はぁ……! 待ってください! ヒノワさん!!」
どたばたと走るリクサーの数頭身先を、ヒノワはしなやかな動きで走り抜けていた。
その表情は、物理的な道ではなくその先を、未来を、ヴァルカンを見据えていた。
元騎士のエルフ──名前をマチックと言った──子供エルフの手当てを終えたヒノワとリクサー、そしてタケゾウは洞穴を後にした。
タケゾウはふむ、まぁ良しとするか。とひとりごちた後、高まる気を治めるとふらりとどこかに消えてしまった。
しかし、ヒノワはそんなタケゾウには目もくれず、走り出した。リクサーは直感的に、そして理論的にヒノワが走る理由を察し、慌てて追いかけて今に至る。
「待たん!」
ヒノワの言葉は怒気に満ちていた。
「ヴァルカン公に……ヴァルカンに話を聞く!!」
「ま、待ってください!! はぁはぁ……ヴァル……カン公は……」
「おぬしも知っておったのじゃろう!! 黙っておったのじゃろう!!!」
それは複数の意味を持っている。
村々を襲っているのがゴブリンではなくエルフであること。そのエルフが元近衛騎士であること。
そしてタケゾウが悪鬼羅刹の類──修羅道に生きるニンゲンであること。
ヴァルカンは知っていたのだ。リクサーも。
知っていて黙っていたのだ。
なぜ?
答えは簡単だ。
ヒノワを成長させるため。
世の中を、世界の残酷さを教えるためだ。
ヴァルカンはヒノワに言った、
『世界を学んでもらう』と。
これがそうなのか。
ヒノワは驚異的なスピードで森の中を走り抜け、その先にはもう、ヴァルカン公国が見えて来ていた。
2.
「ヴァルカンはおるか!!」
「おりませんわ。おかえりなさい、ヒノワ」
城の中に飛び込んだヒノワを、ボルバが待ち受けていた。
そう、待ち受けていた。
「ボルバ……知っておったのじゃろう……ヴァルカンは……そして」
こうして血相を変えて飛び込んできたヒノワを見て、まるで予想していたかのごとく冷静でいるという事は、
ボルバもまた、先の事情を知っていたという事だろう。ヒノワはボルバに飛びかかった。ボルバはびくともしなかった。
「なぜじゃ……! なぜじゃボルバ! なぜみな、教えてくれんかった……っ!!」
「教えていたら、アナタはどうしました、ヒノワ?」
ヒノワの肩を、ボルバは抑え込んだ。大きなごつごつした手が肩を包み込む。ものすごい力であった。
「何か対策をうてたのですか? アナタが何か、できたのですか?」
「できたはずじゃ! できることはあったはずじゃ!!」
「具体的には?」
「……ッ!」
ぐっと、ヒノワは拳を下した。
何もない。何も思い浮かばない。ボルバは目を細めた。
「ヒノワ。アナタは聡明です。そして優しい……。でも知識が無い。経験がない。体験していない。再度言いますが、アナタは素晴らしい才覚を持っています。それはひょっとすると世界を救えるほどの、偉大な英雄にもなれる才です」
ヒノワは、逃げ出したくなった。
しかし、ボルバの手は許してくれなかった。
「本に書いてあることの中に、残虐な歴史があったはずです。目をそむけたい様な事件が記載されていたはずです。しかし、読むだけでは足りない。知識だけでは足りない。経験だけでも足りないのです。王とは……全てを、併せ持たねばならないのです」
「こ、こんなっ、悲しい事も……ただっ、ただ黙って受け止めろと言うのか……!?」
ボルバはこくりと頷いた。
「それが、今この世界に必要とされている者なのです」
ヒノワは血が出るほど拳を握りしめた。歯が折れるほど喰いしばった。
つらい、苦しい。
行き場のないバラバラな思いが、小さな心から炸裂しそうだった。
ボルバはヒノワの視線までかがみ、手を離し、そのまま抱き寄せた。あまりの落差に、そして暖かさに、自分の無力さに──とにかくヒノワは泣きだした。
「優しいヒノワ……ヴァルカン公に話を聞きたいのなら、あの方は今、グラム渓谷にある集会場にて、『護神会議』を行うために旅立たれましたわ」
「ごしん……かいぎ……?」
「このアースヴァルド大陸の中で、最も国力の高い5つの国と、17の小国が集まって審問会を開かれるのですわ。ヴァルカン公とアーマイン伯爵は、お供を連れて行きました。今回の護神会議は、何せ此度の戦争についてですから、おそらくすべての国が参加されるでしょう。当事者であるヴァルカン公は……」
ヒノワはそこまで聞いて、ボルバの背を強く抱いた。
そして一呼吸の間を開けると、目じりの真っ赤な顔ではあったが、意を決した顔を見せた。
「わしも行ってくる!」
ボルバは手を離した。
そして振り向いたヒノワに対し、頭を下げた。
深く深く、それはヒノワが見えなくなった後も、しばらくの間。
3.
「お父さん……」
エルフの子供──ヤキョウが、ひと掬いしたスープを父である騎士エルフ──マチックに近づけた。
しかし、マチックは口を閉ざしたまま、スープの皿を蹴りあげた。
「お父さん……!」
「あんな奴らの施しなんて、受けるんじゃない!!」
投げかけられた厳しい言葉に、ヤキョウは身をすくめた。
そのスープは、ヒノワたちが、リクサーが薬草を混ぜて作っておいていった回復料理の一つであった。
そのほかにも、ヒノワ達は医療道具と食べ物をいくつか置いていっていた。
マチックは、怒っていた。
包帯を巻かれ、ただついているだけの腕を見た。もうこの腕は、手は、元通りにはならないだろう。
娘を傷つけられたあげく、自分はこのありさま。ヒノワはとどめを刺すこともせず、マチックとヤキョウの今後の一生を地獄に変えた。
助けられた恩義など、もうマチックの頭にはなかった。
なぜあの瞬間命をこいたのか、自身の醜態にすら怒りを感じていた。
「お父さん……」
「お前が、やるんだ! 父さんの代わりに……! お前がヒノワを、殺すんだっ!!」
何年かかってでも、何十年何百年かかってでも。
娘に投げかける、自身の吐く言葉がもはや呪いのそれに等しいことなど、マチックには分からない。
幼心に、ヤキョウは察した。
父は壊れてしまった。
元には戻らない。
それでも、自身には父しかいないこともわかっている。
父にも、自分しかいないことはわかっている。
泣きそうな心をぐっとこらえて、ヤキョウは笑顔を作った。心の籠らないそれは、とてもいびつなものだった。
「わかったよお父さん……私が……私がやるよ……!」
それを聞いて、マチックが笑みを浮かべた。形容し難い笑みだった。ヤキョウは、父の笑顔はたくさん見てきたが、いつも見てきたはずのそれとは明らかに違っていた。
もう、それは父とは呼べないかおをしていた。
ヤキョウは立ち上がり、背を向けて、涙を拭った。
心がバラバラになりそうだった。
しかし、健気に、ヒノワ達が置いていった道具を持って、出口へと向かった。
「こ、こんなもの捨ててくるね! お父さん!」
服にたるみを造って薬草や食料を乗せ、パタパタとヤキョウは軽快に走りだし……
その命を失った。
ヤキョウの首が、ごとりと地に堕ちた。
柔らかで未熟な頭蓋が、自重でぐちゃりと潰れる音がした。
動体は数歩分の距離に前のめりに転がった。即死だった。おそらく、ヤキョウ自身が死を認識できないほどに。
「うぁ、ぁあああああ!! お前っ、おまえはぁっ!! ヤキョウ!! やきょぉう!!!」
ヤキョウの首を切断した剣が、ひるがえって光を反射した。
タケゾウがそこに立っていた。
「なぜっ……!? なぜだぁっ……!?」
「『見逃すと言っていたのに』か? 勘違いしては困る。それはヒノワの言葉であって、俺の言葉ではない。俺がいつ、お前たちを見逃すと言った?」
タケゾウは一歩一歩マチックに近づく。確実に大きくなるその姿が、マチックにはなぜかひどく遠くに見えた。
「悪いが遺恨は残すな、って言われてンだ。それに、宣言通り餓鬼から殺した」
タケゾウが剣を振り上げた。
「もう心残りはなかろう」
「殺してやるっ!!」
「殺してやるっ!!! はははっ! 死ね死ね死ね!!! 殺してやる殺してやる!! ヒノワめ! よくも、よくもォォォォオ!!! 呪ってやるぞ! 呪ってやる……!! よく……も……ォ……」
タケゾウの剣が心臓を貫いた。
タケゾウにとって、マチックの負け惜しみは聴き慣れたものであった。
呪ってやる。死を願ってやる。
斬り捨てて言葉を話せたものからは、誰からもそう言われた。
しかし、それはとうとう叶うことはなかった。
つまり、呪い言など、ただの言葉だ。
なにも恐れる必要などない。
マチックの体がビクンと跳ねて、小刻みに震えだし、そして止まった。
「……」
タケゾウは剣を振り払い、マチックの衣服で血をぬぐった。
そして物言わぬ死体に目もくれず、もはや興味もなく。
洞穴の入り口を崩して立ち去ったのだった。
カルマ、了