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異説戦記-ヒノワ伝-  作者: ロウシ
第1章:崩壊
4/27

第4話:オークとエルフとニンゲンと

プロローグ終了と同時に大体第一話的な。


0.


 剣に命を乗せる。


 剣に生きるものが、多くの剣士たちが、

 これを基本とし、

 また、この境地を目指していると言う。


 曰く、剣は武器にあらず、己の手足である。

 曰く、剣斬るためだけのものにあらず。

 曰く、剣極まった先に、神仏への感謝がある。


 男は剣を振り続ける。

 晴れの日は当然として、雨の日も、風の日も、例え骨が折れていようと、病魔に体を蝕まれていようと。

 その瞬間は、剣のために生きなければならない。


 剣とはなんだ?

 鉄の塊だ。

 それを、人を斬るために打ち、整え、削り、磨き上げたものだ。

 そんなものに、自身の存在を込める。

 魂だとか、

 肉体だとか、

 命だとか、


 そんな生やさしいものではない。

 全てだ。全てを込める。

 だから、剣を振ることに、自身の状態や環境の有無は関係ない。

 

 一見非合理に見えるだろう。事実、これは狂気の沙汰である。休むべき時に休まねば、遊ぶ時に遊ばねば、心技体が正しく成長することはない。


 しかし、本当の斬り合いとは不条理なものだ。

 

 こちらが飲み屋で酒と飯を食らっている時に、その店の看板娘に酌をもらっている時に、後ろの席の男が静かに立ち上がる。

 それは1人とは限らない。

 2人……いや、3人はいるかもしれない。

 もしかすると、その店に今日入っている客全員が()()かもしれない。

 いやいやまてよ、看板娘と店のオヤジもグルかもしれない。


 とにかく──そういう時に、背後の男たちは剣を抜く。これも音もなく慎重に、慎重に。

 すらりと立ち上がった剣を構えて、男は叫ぶ。気合一閃。獣の如き声だ。


 「きぇぇぇぇっ!!」


 絶体絶命。こちらはまだ酒を注がれている最中。剣も抜いていない。既に相手の剣は宙を斬ってこちらの頭に落ちてきている。

 なんという不条理であろうか。凡人ならば、不意打ちを仕掛ける剣士を、恥だなんだと言い攻めるのだろう。


 しかし、しかしだ。


 名宛ての剣士たちならば、口を揃えて言うだろう。

 ここでもし、襲われる男が反撃が遅れて斬り殺されたのならば、斬られた男が悪い。と。


 斬られる方が、悪い。

 それが剣に生きるものの世界だ。

 

 だが、今ここで、剣を振る男は変わっていた。

 剣に生きる男であるにもかかわらず、

 それを、蔑んでいたのだ。

 すなわち、剣の世界の不条理を、だ。

 

 別にその主張が間違っているとは思わない。

 しかし、気取っている。と考える。

 お高く止まっている、と。

 あれは、剣術に生きる者が立ち会った結果を複雑化している、と考える。

 

 剣とは、立ち合いとは、斬って殺す。斬られて死ぬ。それだけではないのか?

 「どちらが悪い」とか、「あれがああだから斬られた」とか、

 「剣が錆び付いていたから斬れなかった」

 「飯時だったから」

 「就寝していたから」

 「女を抱いていたから」


 ……それは、剣の極みの云々とは、違うんじゃないか?


 例えば先の例の場合、飯を食う剣士が不意打ちの一刀を見事に防いだとしよう。そこから複数人を相手に大立ち回りをやり遂げたとしよう。しかし、3人を返り討ちにして、4人目に斬られたならば、結局斬られて負けたという事実が残る。

 確かに不意打ちから3人返り討ちにしたことは凄いことだ。その剣士は間違いなく達人なのだろう。しかし、事実としてその剣士は斬り殺されたのだ。敗北して死んだのだ。


 その剣士の達人ぶりを語り継ぐものがいたとして、

 その剣士を褒め称えるものがいたとして、

 斬り殺されて敗北したその剣士は、満足しているだろうか、果たして剣の極みに行けただろうか?


 剣を振るう男は違うと考える。

 男の考える剣の極みとは、例えどんな理由があっても敗北したものには辿り着けない場所であった。

 何をどうしても勝つ。

 何を使っても勝つ。

 剣士としては極めて矛盾している表現だが、剣はそのため(勝つ)の手段でしかない。


 男の人生は、勝てる相手と戦ってきた人生だった。

 勝てぬ相手であれば、勝てるように前提を積み上げた人生だった。

 事実として、この男は生涯において100を超える立ち合いを制した。()()()()()()()()()()


 で、あるならば。その人生において悔いなどないはずだ。生涯無敗、天下無双。ただ1人の剣士として破格の名声を得た。

 しかし、歴然たる事実として、自分はここに生きている。今一度の生を得たのだ。


 これが何を意味するのか?


 オークの長の呼びかけに応え、転生を果たした魂は、その求道的な思考から答えを紐解いた。

 つまり、納得していないのだと、男は考えたのだ。旧生における剣の極地、己が信念に一抹の矛盾を感じていたのだと。


 ならば、今生でやるべきことは、真に剣一本で成り上がることだと男は定めた。


 だから、かつての自分より、もっともっと剣を振り続ける。

 この身は転生によってあてがわれたものだ。元々自分のものではない、髪の毛一本を構成する細胞からして違うのだ。それを、剣の一振りごとに魂に馴染ませていく。

 絞られて染み出した汗が剣速に遅れて空に弾ける。

 それは自身に従わぬ細胞を、少しづつ少しづつ、体から追い出しているように思えた。


「タケゾウどの」


 不意に、声がかけられた。

 タケゾウと呼ばれた男は反応を返さない。ただ剣を振り続けている。オークは、そんなタケゾウの素振りを一切気にする様子もなく、自身の用件を淡々と言った。


「ヴァルカン公からのお達しです。出陣をお願いします……仕事です」


 タケゾウは手を止めた。身体中にじっとりと汗を纏っている。既に呼気は整えられていた。精悍な顔つきだった。一旦細めた目が、ぎょろりと大きく広がった。

 そして、タケゾウはゆっくりとオークの方を向いた。


 ふむ、とタケゾウは言った。


 熱を持った、太い声であった。



1.



「いけーっ! そいつの鼻っ柱をへし折ってやれーっ!!」

「ヒノワ―ッ! 負けんじゃねーぞッ!! 脚だ、脚を狙えッ!!」


 戦士のオークたちが並んで輪を作っている。

 その囲いの中心に、ヒノワはいた。


 顔つきが違っている。

 体付きが違っている。

 身に纏う空気が違っている。


 腰まで伸ばしていた金色の髪は、今や肩にかかる程度まで短くなっていた。運動の邪魔にならぬよう切り揃えられている。腰を落としている。一度力を抜いて自然な角度で曲げた腕や足は、どの方向へも瞬時に移動できるように適度な緊張と軽快さが感じられた。


 しかし、両足は踵までべたりと地面に着けている。これは、不意打ちを避けられぬ万が一に受け止めるためのものであり、同時にここからつま先で地面を蹴ることで、強く一歩を踏み出すこともできる、攻防の両立を考えられた、どっしりとした構えだった。


 体が一回りは大きくなっている。筋肉や骨が物理的に成長しているのだ。目には力がみなぎっていた。口元はかつて浮かべたことのない獰猛な笑みがあった。

 その美しさは微塵も衰えず、しかし、とても、エルフの浮かべる表情とは思えなかった。


 目の前にいる戦士のオークは、ヒノワへと神経を集中させた。短刀を模した木剣を握りしめて、じっと静まっている。

 後の先を取るつもりだった。

 それは、単にこの試合の枷として、オークの側からの攻撃が禁じられていたからではあったが、この戦士のオークはそこになんら不満を感じていないようだった。


 見てわかるほどに、自信が漲っていた。

 ヒノワに負けるはずはない、という自信が。


 対峙するヒノワは肩を少し内側に入れる。

 オークはその細かな動きに合わせて短剣の鋒を震わせた。

 次に、ヒノワは重心を前足に集めて膝をほんの少しだけ折って見せた。

 オークは後ろ足に重心を移し、低く構えた。ヒノワに対して半身の、さらに半身となった。


 受けの姿勢だった。

 当然だ。

 ヒノワはその後も細かく手足を動かした。足を前後に傾けたり、肩を外に降ったり、首を左右に揺らしたりした。

 その全てに、戦士のオークは反応してみせた。鏡合わせのように、ほぼ同じタイミングで受けの姿勢を取って見せる。


 一見してつまらない戦いだ。

 しかし、周りを囲む戦士のオークたちは歓声をあげていた。

 わずか3ヶ月。

 あの情けなかったエルフの姫が、

 あの弱々しく脆く儚いヒノワが、

 わずか3ヶ月でここまで高い次元の武技を身につけるとは。

 彼らは一見地味な戦いから、ヒノワの確かな成長を感じとっていた。その成長は、己らが訓練を共にし、その傍らにあれたからこそだという自負にも感動し、だからこそたまらなく興奮していた。

 

 周りの戦士──オークたちが高揚していく。

 抑えきれず、誰からか足踏みを始めた。巨躯の彼らのそれは、訓練所を揺るがす地鳴りとなった。その震えは、ヒノワたちの心にも強い高揚をもたらした。


 ヒノワが動いた! 


 地面を強く、親指を最後に放すように深く蹴り込んだ。オークの3頭身分はあった距離を、ヒノワはたった一歩で縮めて見せた。

 しかし、戦士のオークはそれを待っていたと言わんばかりだった。脇を閉めていた。体を小さく引き絞っていた。そこから鋭く、まっすぐ、短剣を突き出した。


 見事な一突きである。


 ヒノワはそれを、じっと見ていた。目の前てま大きくなる鋒を。怖い。なんと迷いのない一突きであろうか。


 しかし、決して目を逸らさない。

 躱さない。


 まだ避けるには早すぎる。今ここで躱す動作に入れば、戦士のオークはそれに合わせて攻撃の軌道を変えてくるからだ。全力の動作中に動きを変えるなど早々にできないが、オークの筋量なら可能だった。

 想定できる範囲で、高い可能性だけでも、伸ばした腕に逆らわずにそのまま体ごと体当たりしてくることが考えられた。


 そうなれば体格差──もとい、体重差がありすぎてヒノワは簡単に弾き飛ばされるだろう。そして、そのまま上にのしかかられでもすれば、エルフのヒノワにオークの体を跳ね返すことはできない。それだけで負けてしまう。


 だから、ギリギリまで引きつける。

 ギリギリまで躱さない。


 ヒノワの集中力が高まっている。だんだんと鋒がゆるかやな動きに見える。まるで時間が引き延ばされる感覚だった。しかし、絶え間ない緊張感が、稲妻のようにヒノワの体を貫いている。思わず唾を飲み込みたいが、その動きは意識に反してひどく緩慢だった。


 ──かいくぐった!


 頬を掠めるほどの刹那の見切りだった。

 見事な動きである。

 そのまま流れる様に、ヒノワはオークの膝関節へと手を伸ばした。

 そこでヒノワの目に飛び込んできたのは、オークの岩のような膝だった。

 迷いなくこちらに向かってきている。


 どうやら戦士のオークの狙いは、最初からこれであった。

 カウンター。

 突き出す膝は硬く、分厚い。  

 かいくぐる途中のヒノワは横にも動けず、さがることもできない。

 この勢いのままぶつかりに行けば、頭がカチ上がるだけではすまないだろう。顎が砕け、歯が折れ、鼻は潰れ、意識は一瞬で消え去ってしまう。


 どうするか?


 ヒノワは恐るべき行動に出た。


 なんと、さらにその膝を、大きく股を開いて足を前に突きだし、腰から顔を大きくねじって避けたのだ。そのまま倒れ込むように、さらに下へとかいくぐったのだ。

 膝が霞めた頬から汗が飛んだ。髪の毛先がぢりっと焦げた。ヒノワにもギリギリの行動なのだ。しかし、彼女はやってのけた。


 地面すれすれに平行して体を転がすヒノワの飛び込む先は、戦士のオークの踵だった。太く、幹のようなそれはヒノワの力ではびくともしないだろう。

 しかし、それは地に足がしっかりと付いている場合の話だ。重心の崩れた足には力が入っていない。だから崩せる。

 膝裏の関節に右手で握った短剣の峰を押し当て、左手は地面につけてそれを軸に体ごと、その勢いそのままに反転してオークの重心を掬い上げた。

 一連の動きはあ、っと言う間に成し遂げられ、結果的に戦士のオークは背から地面に体を転がした。


 素早く受け身をとった戦士のオークが両手で地面に叩いた時には、ヒノワはその頭の上から見下ろすように膝立ちになり……


 そして、木剣の刃の部分をオークののどにピタリと押し当てていた。


「わしの勝ちじゃ!」


 にいっと、口を広げていった。屈託ない笑顔だった。

 戦士のオークはやれやれ、と苦笑いして、木剣を落とした。

 降参だ、と手を振った。


 歓声が、挙がる。


「やったじゃねぇか! ヒノワ!!」

「くっそーっ! ヒノワが勝っちまうとは……!!」

「へへーっ! 今日の晩飯はおごれよーっ、なぁーっ!!」


 囲んでいた戦士たちは、三者三様の賞賛や歓喜を上げていた。ヒノワに向けられる感情はさわやかなものだった。

 ヒノワはへへっと改めて笑い、それらを受け止めた。誇らしげに鼻をすすった。戦士たちにもみくちゃにされながら歩くと、その前にバズー戦尉官が立ちふさがった。


 戦士たちは途端に畏まった。

 ヒノワもまた、畏まった。

 しかし、どちらも、どうしてもニヤケてしまっていた。


 バズー戦尉官は変わらず厳しい目をしていた。

 ヒノワはうっ、とようやく喉を鳴らした。


「教官どのっ……!」

「ヒノワ……見事也ッッ!!!!!」


 一瞬のための後、バズーは全身で賞賛を露わにした。

 よく通る声には喜びが混じっている。バズーもまた、ヒノワの成長を心から自分のことのように、喜んでいるのだ。

 なんと大きな器だろうか。

 ヒノワは感動した。いかんせん、単純である。


 だが、戦士のオークたちのその単純さは、

 ヒノワにはとてもとても好ましかった。


「見事私の師事を修めたッッ!! 貴様はッ! 私が思っていたより、強いッッ!!!」

「教官どののお力あってのモノじゃ!! ありがとうございますっ!!」


 猛烈な勢いで頭を下げるヒノワに、うむ、とバズーは頷いた。

 そして、一枚の証書を出した。 

 それにはオークの文字で『ヒノワ・ウェンチェスター。汝オークの武技をココに修めたり バズー・タイホー」と書かれていた。


 ヒノワは胸の内からグッと熱いモノがこみ上げてくるのを感じた。

 感化されている。

 ヒノワもまた、彼女自身で好ましい単純さを得ていた。


「しかしッ! しかしだヒノワよッ!! 貴様が修めた武技はあくまで基礎にすぎんッッ!! 先の組手も戦士たちは相応に手を抜いておるッ! それがわからぬ貴様ではなかろうがなッッ!! 世界には上には上がいるッ!! 慢心せんことだッ!! これからは実戦と、経験の中でッッ!! 己だけの武技を磨けいッッ!!!」

「はいっ! なのじゃ!!!」



 バズー戦尉官は改めて、大きく息をためた。



「ヒノワッッッッッッ〜……!!!!!」



 そして、万巻の想いを込めて、言った。



「あっぱれであるッッ!!!!」 



2.



「ヒノワ姫は、強くなったか?」

「はい、見違えるほどですわ」

「望めるほどにか?」

「言葉もないわよ」


 戦士のオークたちに囲まれ、ヒノワが喜びを分かち合う様子を、ヴァルカンは執務室から眺めていた。

 今淹れたばかりの紅茶をヴァルカンの机に置いたボルバが、満面の笑みで答えた。


「武技の習得もそうですが、特に勉学の、学習能力の高さには目を見張るものがありますわ。1ヶ月もした頃ですわね……『もう読んでない本はないのか?』と私に聞いてきました。他の侍女にも同じことを聞いていたようでして、歴史書や神話、座学に限らず絵本からら漫画、とにかく貪欲に()()()()()()()()()」 

「そうか……それで、心理状態や思想に変化は?」


 ボルバは即答した。


「特に変化はありませんわ。要所要所に真実に対する怒りや憎しみ、悲しみを露わにしていました。それらが交じりあった驚愕も見せてくれました……とまぁ、負の感情もそこそこ見られましたけど、私が直々に手を貸した甲斐もあって、偏重した大きな感情の流れは察知できませんでしたもの。本に夢中で夜眠れていなかったり、私が声をかけても気づかない時もままありましたし……じっと、噛みこむように内容に目を通していましたわ」


 報告を聴きながら、ヴァルカンが紅茶をすすった。

 

「随分、嬉しそうだな?」

「当然ですわ! あ〜もう! ヒノワのコロコロと変わる表情。驚きの顔に屈託ない笑顔!! たまりませんわ! あんまりにも可愛いものですから、わたくし、食欲すら感じてしまいますもの!!」


 きゃいきゃいとはしゃぐボルバをそうかと華麗に受け流し、ヴァルカンは空いた片手で机の上の資料に目を通す。


 それは、ヴァルカン公国の外れの村の資料だった。

 ヴァルカンに寄せられた奇妙な要請だった。


「時期か……」


 ぼそりとつぶやいた。


「あいつに伝えてくれ、ヴァルカンの言葉を……仕事の時間だと」

「かしこまりました」


 ボルバは静かに部屋から出て行った。



3.

 


「え~っと、この辺じゃよな……」


 オークの領地から3ガロンほど離れた場所にヒノワはいた。

 深い深い緑に覆われた場所だった。一目で歴史があるとわかった。ものすごい数の大樹が生い茂る、林の中だったからだ。

 

 ヒノワはそこを、一人で、地図を片手に歩いていた。


 ヴァルカンからの頼み事だった。

 外れの村の様子がおかしいので、偵察をしてほしいとのことだった。

 詳細を聞くと、外から来たらしいゴブリンが出現し、村々を荒らし回っているのだと言う。


 危険が伴う話だったが、ヒノワは喜んでこれを受け入れた。

 これもまた、勉強になると思っていた。

 なにより、ヴァルカン公国内とはいえ、3ヶ月ぶりに訓練所と図書館と、限られたヴァルカンの城以外の場所に赴ける事実に心を躍らせた。


 ……地図通りであるならば、もうそろそろバツ印の撃ちこまれた場所へたどり着くはずだ。


 3ヶ月前ならば、3ガロンも歩き続ければそれだけでヒノワは息が上がり、へとへとになっているところだ。

 だが、今は後 あと100ガロンは歩けそうな心持ちであった。

 すっかり体力がついたものである。足場の悪い樹々の隙間を軽々と体を進められる。


 まるで別人の体だと、ヒノワは思った。


「お、ここかのぅ!」


 大きく二股に分かれた枝の大樹を見つけると、そこからオークらしき気配が一つ漂った。


 ヒノワは軽々と木々を駆け上がり、その股の間にひょいと飛び移った。


 着地すると、枯草枯葉がくしゃりと鳴った。

 その音に気づいたらしく、先着者らしきオークの少年が振り向き、声をかけてきた。


「ああ、やっと来た来た! ヒノワさん。お体の方は大丈夫ですか? 疲れてませんか? 大丈夫ですか?」

「無論この通り、へっちゃらじゃわい!」


 えへん。

 ヒノワは胸を張った。


「お主が今回のパートナーかの?」


 運動欲を持て余しね身体をねじったり、健康そのものを示すヒノワを、そのオークの少年は微笑しながら見ていた。大きな口からぐいっと横に広がる、ほがらかな笑顔だった。

 片眼鏡をしていた。

 いかに理知的な雰囲気を醸し出すオークの少年である。ヒノワには、その笑い方にも独特の気品を感じ取った。


「すっかり逞しくなられましたね……っと、ああ。紹介が遅れました。僕はリクサーと言います。ヴァルカン公国の士官学校の出身です。主に、医学と薬学の研究をしていました」

「ほーぅ、お医者さんかぇ?」


 はい、とリクサーは応えた。

 なるほど、実にオークらしくない、知的な振る舞いだ。

 ヒノワがちらと目線を下げて、リクサーのベルトに取り付けられた皮袋の数々に目をやった。確かに、「いかにもそれらしい」草の先っぽがちょくちょくはみ出ている。ホルスターにはさまざまな色の液体が詰まってこれ見よがしに装着されていた。


 ヒノワはよし、と頷いた。


「ボルバから受けた仕事──っと、元はヴァルカン公からじゃな。とにかくゴブリン退治に行くわけじゃが、わしとぬしだけで、大丈夫じゃろうかの?」

「心配ありませんよ。ヒノワさん、ものすごく強くなられたんでしょう?」


 言葉選びのうまいやつである。

 ヒノワはなんだか褒められてる気分になった。

 リクサーはヒノワの一挙手一投足を観察して、適切な言葉を選んでいるのだ。


「それにもう一人、一緒に仕事をしてくれる人がいますから」

「ほぅ!? そりゃあ聞いとらんの」


 ゴブリン──


 ヒノワのかつての知識によれば、彼らはオークの下位種族。エルフの美醜感覚で言えば、醜きに分類される種族だ。森の草の上に平気で寝転がり、洞窟に群れて巣を作り、その近くを通るものを脅かし、たずらに不安や恐怖を煽り、作物や家畜にひどい損害をもたらしてしまう害獣である。


 しかし、この3ヶ月でヒノワが得た知識は、少なくとも彼らが害獣であることは否定してくれていた。


 ゴブリンとは、オークの下位種族であることはそうだ。しかし、その実生まれは妖精シルフとほぼ同一の存在である。

 そのため、より正確には大きな妖精に分類される。


 彼らは普遍的な妖精と違い、骨肉を持ち、大気の魔力マナより肉や野菜を好んで食べる。力はエルフと同等以下で大したことはないが、群れて生活するためか生存のための知能は高く、同一の生まれから分岐して正と負の特性が違うだけと言う小さな妖精たちとの関係性は、エルフとオークのそれに類似していた。


 妖精としての彼らは基本的に自然を愛し、臆病である。いたずら好きではあるが、積極的に暴力を用いて他者を傷つけるような攻撃性は持っていない。

 なぜなら、彼らは賢いからだ。

 武器を持っていても、筋豚族オーク鬼族オーガ羽鳥族ハーピー獅子族ウーガーにはとても勝てない。

 例えその場では勝てたとしても、報復を食らって殺されることを理性的に分かっているのだ。


 そして、重要な点が、ゴブリンは種を植えることだ。


 森の木々の、その種だ。


 ゴブリンが植えた種を、『小さな妖精シルフ』が育て、豊かになった木々を、エルフが引き継いで育て、広げていく。

 そして林となった場所を、オークたちが耕し田畑を造り、家を作り、村となる。


 やがて、豊かな土地は命を育み、

 そこに様々な種族が暮らすようになる。


 ──そうして森が生まれ、


 山が育ち、

 生き物は安寧を、

 世界は安定を得る。


 オークの歴史書に綴られていた事は、ヒノワに大きな衝撃を与えた。

 それが事実だったかを確かめる術はおそらく無いのだろうが、かつてエルフリュレが何度領土を広げようと開拓を進めても、何故かことごとく失敗していた事実があった。


 つまり、この話と擦り合わせて考えるなら、エルフは単一の繁栄に適した生物として、そもそも造られていないと考えることができた。


 度重なる失敗に合点がいったのだ。


 そして、この場や訓練所をはじめとする、エルフリュレの領地とまるで相反しているヴァルカン公国の森林の『濃さ』も、その考えに説得力を生んだ。


「……この森も、そういう由来なんじゃろうな」

 

 愛おしく大樹をなでながら、ヒノワは言った。

 リクサーはうーん、と難しい顔をした。


「僕としては、それもずいぶん誇張が入ってると思うんですけどね。オークの本質が負の気質であり、エルフが正の質である以上、オークがエルフの伝承に伝わる様な野蛮さを持っていた時期も、もちろんあると思いますし……」


 と言い始めると、リクサーはいや待てよ、もしかしたら……などと、ヒノワに背を向けぶつぶつと一人の世界に入り込んでいった。

 学者肌というか、生真面目なんだなぁとヒノワは感心した。

 

 しかし、ずっとこのままでいられても仕方がない。

 ヒノワはふぅと息をついて、リクサーの首根っこをつかんで、顔を向けさせた。


「今はそれはどうでもよいじゃろ! な! それよりもう一人はどこにある?」

「あれ? さっきまで根本にいたんですけど、どこにいったのかな……」


「ここだ」


 きょろきょろとあたりを見渡すリクサーの、その真上から声は降ってきた。リクサーが上を見るのと重なるようにその誰かは軽やかに降り立った。


「すまぬ。木の上におった」


 何分、日の光が気持ちがよかったのだ。と無精髭を掻きながら、その男は言った。まるで悪びれていない。リクサーとは違い、ぶっきらぼうで下品な面持ちの男だった。


 ヒノワは驚いていた。

 落ちてきたことや、気配がしなかったことではない。下品な男だから……でも、ない。

 おそらくは……。



 その男は、見たこともない生物だった。



 身長はヒノワより大分高く、ヴァルカンやオークほどではないが大柄だった。顔には全く手入れしていないことが丸わかりと、無精髭がボゥボゥに生えていた。

 黒い髪を伸ばしているが、後ろ髪に結っている。

 しかし、結構な長さであるとわかると同時に、そのまとめ方がイヤに雑である。

 傍目でみて毛先まで手入れがされていない。

 髪質はガサガサだ。おまけに髪型そのものがぼーぼーでざんばらである。そしてゆったりとした、随分身体の大きさに対して余裕のある、見たことのない焦茶色の服を着ていた。

 

「エルフ……? いや、こんなこ汚いエルフなど、おろうはずがない……」 

「ふむ、童が言うてくれるわ」


 無精髭を掻いてのうのうと述べる男は、耳が尖っていなかった。

 エルフやオークとは違う。耳の輪郭が丸い。

 丸みを帯びていて、薄くて、しかし、それにしてはむしろ柔らかそうで……肌の色は水に溶かした土の色に似ている。


「『人間』だ。っと言ってもハハ……わからんか」

「ニンゲン……?」


 自嘲気味に呟く言葉に聞き覚えがあった。

 頭を捻るヒノワに、リクサーが答えを出した。


「かつての異界の勇者と、同じ種族の生物です」

「!?」



4.



「タケゾウだ」

「……」

 

 あっけらかんと、タケゾウと名乗った男はなんとも読めない表情であった。

 というより、身に纏う空気が独特だった。


 のぼっと立ってるだけだ。


 だからか隙だらけ……のように見えて、まるで隙がない。

 強い目をしている……ように見えて、何が見えているのかわからない。

 

 不思議な空気としか言えなかった。

 尋常な男ではないとしか、言えなかった。


 ヒノワはタケゾウの周りをうろちょろして、時には頬を引っ張ってみたり、服をひっぱってみたり、そーっとツツいてみたりしていた。


 大概にヒノワも恐れ知らずである。


 リクサーが顔を青ざめつつ苦笑いを浮かべ、タケゾウはそういった扱いに慣れているのか、はたまたヒノワに呆れているのか、よくわからない表情を貼り付けたまま、()()崩さなかった。


「意外と普通じゃの? 勇者の同種族とはいえ、個体差でもあるのかの?」

「ハハ、面白いことを言う。普通生き物は、同じであっても違って元々……俺と、お前が違うように」


 タケゾウが言い放つと、ヒノワは少し納得できなさそうに、そうかの、と言った。 


「こ、こう見えてタケゾウさんは歴戦の剣士です! 腕の方はヴァルカン公のお墨付きですので。心配ないですよ、はい……!!」

「剣士? その腰のモノが剣なのか? ずいぶんひよろっこいのぅ」

「ふふ。これは南蛮刀と違って、叩き切るのではなく、断ち斬るためのもの……『ごぶりん』退治だったか? 少なくとも、それをやるには……なに、不足はなかろうて」


 言いながら、タケゾウは二股から飛び降りた。

 大柄で鈍重に見える割に、やはり身軽な動作だった。


 ヒノワはリクサーと顔を見合わせて、


 はて? なにかまずいこと言ったかの? 


 と首を傾げた。

 気まずそうな、リクサーの行きましょう。

 という言葉と共にヒノワは飛び降りた。


 その先に、タケゾウが立っていた。


「!?!?」

「童、案外重いな」


 リクサーは隣でどしりと地面に着地した。

 ヒノワは待ち受けていたタケゾウの腕の中に着地した。

 というか勢い余って抱き合うような形になった。

 結構な勢いで飛び込んだのだが、そのまま倒れ込まなかったのはひとえにタケゾウの足腰が強靭だったのだろう。

 タケゾウの体には弾力があった。オークたちのそれによく似ている。


 だが、そんなことよりも、ヒノワはムカついた。


「ぶ、ぶれいもの! は、はなせぇバカもの!! っていうかくさい! くさいぞおぬしっ!!」

「おっとっとっ、俺は風呂が嫌いでな。臭いに関してはすまんな」


 許せ、と言うタケゾウは、顔を真っ赤にしてどたばた暴れるヒノワを軽く抑えて、リクサーに向けて本当にぽいと投げ捨てた。

 リクサーは慌てふためいてヒノワを受け止めて、優しく地面に下ろした。

 ヒノワは半狂乱になってタケゾウに突っかかった。


「こら! 何を考えとるんじゃ!! このぼけ! あほ! ぶれいもの!! すけべ!!」

「逸るな、昂るな。怪我をさせるまいと思うたのよ。気遣いゆえの事故と言うもの。それに、童。……そういう台詞は、出るとこ出して言うた方がいいぞ」

「余計なお世話じゃくそったれー!!」


   

5.



「ゴブリンなんておらんよ」 

「えええええええ!!?」


 ゴブリンの巣があるとされる山の麓の集落で、ヒノワ達はいきなり衝撃を受けた。

 宿屋の老婆がさもトボけた様子で言い放ったからだ。


「いや、いやいやいやまてぃ! おばあちゃんちょっとまつんじゃ!! 

 わしら、ゴブリンが村々を襲っていると聞いたから、こうやって退治に来たんじゃぞ!?」

「いやー、だから。村を襲うゴブリンなんて、この辺りにはいやぁしませんて」


 御冗談を、とでも言うようににこにこ笑いながら続ける老婆とは対照的に、

 両手で頭を抱えてショックを表すヒノワだった。

 タケゾウは髭をぼりぼり掻きながら興味なさげにあくびをしていた。

 ヒノワと老婆の間に、リクサーが割って入った。


「でもおばあさん。僕たちはちゃんと依頼を受けてここにいます。

 失礼ですけど、おばあさん以外に被害にあっている方も、いらっしゃらないんですか……?」

「ほんな言われてもなぁ~」


 うーむと腕を組んで考え込む老婆が、ウソを言っているようには思えなかった。リクサーは「は、はは……」とかわいた笑みを浮かべ、そこにヒノワが飛びついた。


「どういうことじゃ!! ど・う・い・う・こ・っ・と・っ・じゃぁ~!!? ヴァルカン公はウソをついたのか!!?」

「いや、たぶん違うと思います……ヴァルカン公は天地が逆さになってもこんなことをするオークではありませんし……そうだ! おばあさん。最近、変わったことはありませんか? ゴブリン達じゃなくても、なにか、こう……変ないたずらだとか、なにか……!!」

「いんやぁ、ごめんよ坊やたち。ちゃんと言うとだね、ゴブリンはね、今はいないんだよ」

「今は……じゃと?」


 まるで昔はいたかのような台詞に、ヒノワとリクサーがピクリと片眉をあげた。

 老婆はさてさてと世間話の準備を始める。 


「ここ3ヶ月くらい前まではね、ゴブリンの小さいのがこの先の洞窟に数匹暮らしていたんだよさ。ちょくちょく村に来てはいたずらをする子達だったけど、別に特別悪い子たちってわけじゃあなかったさ。


「それが突然、ぱたりと村に来なくなっちまったんだね。代わりに村の郊外で馬車が襲われたり商人の荷物が奪われたり、恐ろしいことが起こるようになったのさ……」

「…………」


 ヒノワとリクサーは顔を合わせた。

 これは何かがある。

 約束事のように互いに頷くと、リクサーは言った。


「おばあさん。僕たちちょっと、今から調べものしてきます!」

「わしら、そのために来たんじゃ!」



6.



「ここがゴブリンたちのいた洞窟かの……」 


 ヒノワたちの目の前に件の洞窟があった。

 崖の下にくりぬかれた様にぽっかり口を開けているそれは、日の射さない土地特有の湿気と、暗闇を帯びて待ち構えていた。


「どうするか?」


 タケゾウが言った。

 妙に含みのある物言いだった。


「何か、感じるのかぇ?」


 ヒノワが聞き返した。


「ごぶりんたちはおらんと言うが、そう装っているだけかもしれんぞ」

「……何が言いたいんじゃ」

「罠かも、ってことですね」


 抑揚のないタケゾウの言葉に、

 真剣な表情のリクサーが答えた。


 おばあさんが言っていたことからは、いくつかの予想がたてられた。一つは、ゴブリンたちが何らかの理由でいなくなり、ゴブリンを装った何者かが村々を襲っている、ということ。


 もう一つは、ゴブリンたちの気性が、何らかの原因で変異してしまい、凶暴化した可能性。


 リクサーが言うには、後者の可能性は低いそうだ。

 ゴブリンは小妖精と分類される種族である。力も魔力も平均的に低く、例えばゴブリンの力はエルフの子供より低く、その魔力はオークの子供より少ないという。

 

 そのかわり狡猾……と言うより頭は、ヒノワが図書館で学んだように──頭が良く回り、こんなことをしでかしたら、いずれ退治されることも分からないほど、バカではないという。


 じゃあ隠していた本性がそうだったかも、というヒノワの論は、それは絶対にあり得ないというリクサーの力強い言葉にかき消された。

 

 じゃあどうするかという再三の問いかけに、タケゾウが動いた。


「行って見りゃわかる。案ずるな」


「俺がいる」


 と言った。

 変わらぬ調子だった。


 ヒノワたちはとりあえず、中に入っていった。


「ふむ、臭うな……」


 タケゾウがぽつりとつぶやき、ヒノワがえっ、と驚いた。

 

「童ではない……当然、俺でもない」


 おいおいと突っ込みながら、タケゾウはずかずかと奥に踏み込んでいく。

 まるで物怖じした様子はない。

 

 ヒノワは実を言うと、ちょっと怖かった。

 同時に、ちょっとワクワクもしていた。


 しかし、タケゾウの言葉の意味が、そのままであることを思い知った時、ヒノワの好奇心はどこかへ吹っ飛んだ。



 ──異臭。


 そして、耳障りな羽音。


 ヒノワは、ゾッとした。

 予想できるそれを、3ヶ月前に見ていたからだ。

 あの時の感情が、ぐっと腹を押し上げている。口の中が酸っぱくなった。どろりとした粘液が舌の上で踊る。


「童、死体は大丈夫か? 意外だな」

「……」


 我慢するヒノワに、タケゾウは感心して息を漏らした。


 ヒノワの脳裏には、目の前で飛び散った兵士の姿が浮かんでいた。

 3ヶ月前のあの時──たったの一撃で、生物の形がゆがめられた。それは、初めて目の当たりにした暴力だった。

 ひどく頭に焼き付いている、恐怖として。


 ヒノワの体がぶるりと震えた。

 絞り出すように、言った。


「大丈夫じゃ。わしは、もう、おびえたりはせん……」

「そうか」


 タケゾウが身を避けた。

 あっけらかんとした答えと動きだった。

 ヒノワの視線がタケゾウの、その先へと向かう。


 そこに有ったのは、肩口から股まで袈裟切りに裂かれ、内臓をまき散らして物言わぬゴブリンの亡骸たちであった。

 言わずもがな、悪臭の正体はそれである。

 剝き出しの肉に蛆が沸き、肉をむさぼっている。


 ヒノワは思わず目をそらしそうになった。

 しかし、タケゾウはあっけらかんと言い放った。


「あっぱれだ」


 その言葉の意味が分からず、ヒノワが驚きに目を開く。と、視線の先のタケゾウは身をかがめ、ゴブリンの瞼をそっ、と閉じた。慣れた手つきであり、優しい手つきだった。


 そして、内臓の零れ落ちる切り傷の跡を指した。 


「見ろ、童。芽が生えているぞ。この芽は、たぶん森になる。植物の事なぞ、とんとわからんが、……なんでだろうな、これはわかる」


 タケゾウの指摘するそれは、この世界のゴブリンのあり方である。

 しかし、その喋り方はその事実を知っている風ではない。少なくとも、本質的な理解からは遠いのだと思わせた。ならば、見た目で感じ取ったと言うのか。


「きっとこの小さな芽は、森になるぞ」


 タケゾウが立ち上がって、ヒノワに振り返った。その顔は笑っていた。愉快な表情だった。


 指し示す先にあったものは、言葉通り小さな芽だった。血に濡れている。だが、肉と骨にしかと根付いている。

 それは、力強く上に背を伸ばしている。

 ヒノワは、タケゾウの言葉の意味が、少しわかった気がした。

 洞窟の中だ。雨水など期待できない環境だ。

 だが、この力強さを見てしまったならば、言葉の有無は要らない。きっとこれは、強く育つ。


「すごいな……」


 タケゾウの言葉は興奮が混じっていた。


「ごぶりんは生きている時に、他者の為に森を造るとヴァルカンは言っておったな。しかし、死してなおその使命を全うするとは知らなんだ。死してなお、此奴らは他の者のためにあるのか……」


 死するものが、今世に残せるものがある。

 その事実はタケゾウの言葉からヒノワに伝わった。

 凄惨な死骸から、異物感のようなものが薄れているように感じた。


 タケゾウは目を閉じて、両の手を合わせた。 


「あっぱれだ」


 ヒノワも手を合わせて、目をつむっていた。


 祈りを捧げる。


 その動作の意味するところは祈りである。

 しかし、それを神や勇者ではなく、一つの命──終わったそれ──に、ここまで敬虔に捧げるのは、ヒノワには初めての事だった。


オークとエルフとニンゲンと、了

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