第22話:ヒノワvsタケゾウ
0.
対面する。
対峙する。
ヒノワとタケゾウが、だ。
互いに剣を持っている。ヒノワは小太刀でタケゾウはいつもの、刀身が半分折れた刀だ。
もちろん真剣である。当然、刃引きもしていない。
「よろしいですかな?」
立ち合いの仲介はアトムが務めている。両者のちょうど中間の位置に、しかし彼らの直線上には決して立ち入らず。その3歩あとほどに立っているリクサーは、怪訝を通り越して顔を青ざめていた。その傍らには医療道具がずらりと並べられている。その手には薬草と包帯ががっしりと握られていた。
アトムの言葉に、両者は頷いた。言葉はない、相手から視線は外さない、当たり前だ。何をしてくるかわからないからだ。これは試合ではない。アトムが問うているものは確認にすぎず、開始の合図では無いのだ。
ヒノワは真剣での勝負を提案した。
試合ではなく、勝負と言った。アトムが再三確認し、リクサーは机が壊れるほど力を込めて握った拳を叩きつけて、怒号と共にそれを止めた。だが、ヒノワは頑なだった。そして、タケゾウは一間の戸惑いを見せた直後には、その表情を落ち着かせ、心を静かにし、他者を斬る目となっていた。
両者の間はおよそ3馬身。
タケゾウならば一歩踏み込めば潰せる距離だ。武器のリーチ差や小回りの効き具合など、ヒノワにも細かな利点はあるが、ヒノワとタケゾウの体格差と、タケゾウの神速の剣技をもってすれば結局あってないようなものでもある。
「もう一度聞きます──」
「必要ない」
再度のアトムの言葉を、タケゾウは斬り捨てた。
その体がヒノワに対し半身となる。刀を鞘を収め、右手で持ち後方腰のやや上に、地面と水平に近い角度で携える。左足はずいと前に踏み出してそのつま先は真っ直ぐヒノワを指し示す。両足はかかとまでべったりと地面に着ける。あごを引き、一旦ピンと伸ばした背筋を、脱力することで自然体にする。やや丸く前傾となった。その双眼は鋭く尖り、ヒノワをしっかりと定めている。標的として、だ。
リクサーやアトムですら、張り詰めていく緊張感に筋肉が強張っていた。タケゾウはただ構えただけだ。当然かもしれないが、殺気すら出ていない。しかし、ただそれだけの動き、その姿勢、その構えが恐ろしかった。ヒノワに向けられているはずの視線と意識が、柔らかくゆらめいて周囲を覆っていく。タケゾウという存在が薄くうすーく伸びていって、網目のようにこの一帯に張り巡らされているようであった。自分たちの一挙手一投足すら見逃さない、『この範囲、誰であろうと、動けば斬り殺す』と、タケゾウがそう言ってるように思えたのだ。瞬きすら許されない重圧だった。
ギャラリーと化している彼らでこのザマなのだ。タケゾウと対峙するヒノワの心境はいかばかりか。
ヒノワは、笑っていた。体はタケゾウと鏡合わせの姿勢をとっていた。しかし、静けさの中心で闘気を揺らめかせるタケゾウと違い、額から汗が粒となってぷつぷつと浮かんでいた。口元は小さく、呼吸は小さく、小刻みに震えて笑みを浮かべている。その体はたしかに恐怖を感じている。
しかし、ヒノワはどこか楽しそうであった。その眼の光り具合は喜びを見出したそれであった。リクサーやアトムに、ドワーフにもそれははっきりと視認できた。
つまり、タケゾウにも、当然ながらそれは見えていた。
誰かが後ずさったのか、しゃり、と音がした。
「しいっ!!!」
同時と言っていいタイミングで、
タケゾウが見事な一歩を踏み出した。
1.
──すごい。
ヒノワの正直な感想だった。
タケゾウは、すごい。
つまり、今までタケゾウと対峙していた敵たちも、すごいのぅ、これは。
圧倒的な重圧。意識の逃げ先に先んじて張り巡らされる緊張感。それでいて、却ってこちらの心を乱すほどの静寂と共にわざとらしく揺れ動く闘気。呼吸すら掴めぬために生じる、遠近感の喪失。
タケゾウのそれは所作の一つ、心構え一つ、全てが敵を斬るために磨かれている。合理的で、緻密で、それでいて大胆だ。
化け物だ。
隣に立つのと、対峙するのではこんなに違うものか。この化け物と切り結んでいた連中にも、改めて敬意を払う必要を感じてしまう。再生能力があろうと、不死身であろうと、大きかろうと、手が多かろうと、斬撃の効かない体を持っていようと、この化け物を相手に逃げることを許さず死ぬまで立ち向かえと言われたら、天まで金銀財宝を積まれても殆どの者がお断りするだろう。
しかし、それが何故だか楽しい。
ヒノワは嬉しくて、嬉しくて、笑みが溢れるのだ。
やはり、タケゾウは最強の剣士だ。
自分の見立てに間違いはなかった。タケゾウは強い、それが嬉しい。
この男に挑めるというのは、最強に挑めるというのは、ある種の幸運ではないだろうか。
別にヒノワは最強なんて目指していない。自分が最強になれるとは端っから思っていない。
そんな自分が、異界最強の剣士に挑むのだ。
しかも、たかが腕試しで、最強に相手をしてもらえるのだ。なんという贅沢だ。これを僥倖と呼ばずになんと呼ぼう。
歓喜が死の恐怖を上回っている。それが表情に這い出るほどだ。生物の心理的な話をするならば、まさに今、ヒノワは狂気のど真ん中にいるのだった。
そのヒノワの緩みを察したか、
あるいはしゃり、という小さな音がきっかけか、タケゾウが見事な一歩を踏み出してきた。
「しいっ!」
踏み出して、地に足がつく前に抜刀が完了している。大袈裟に上段に振り上げたりしない。叫び声も短い。タケゾウの全身が唸りをあげている。地面を強く踏みしめる。しなりを帯びた腰が、反発して巻き戻るようにヒノワへと伸びていく。
──速い。
防御が間に合う速さではない。
案の定、その刀身が、ヒノワの腹へ、横一線に振り抜かれた……
だが、ヒノワの胴体は無事であった。
「!?」
リクサーとアトムが驚愕に目を開いた。
刀を左手で持っていたために、右に向かって思い切り振り抜いたタケゾウは、綺麗にからぶったおかげかヒノワに背を向ける形となっていた。
つまり、ヒノワからも、リクサーたちからも、タケゾウの表情は見えなかった。
やった。
ヒノワは心の奥で結果を享受した。
成功だ。
つまり、油断していた。
──タケゾウの帰す刀が、ヒノワのすぐ頬まで迫っていた。
「──っ!?」
それを、ヒノワは小太刀で防いだ。
しかも、小太刀で受けたのはタケゾウの刀の刀身ではなく、根本。つまり、鍔と柄の間だった。
めぎゃっ!
と音がして、タケゾウの刀が根本からバラバラになった。衝突して詰まった力に弾き出されて、鍔が真上に飛んでいった。
「やっ──!?」
ヒノワが不意に漏らしたその言葉の続き、その言葉自体が「やってしまった」なのか、「やった!」なのかはわからなかった。
ヒノワ自身がタケゾウの振り抜く力に体勢を崩した瞬間に、タケゾウの武器を破壊した瞬間に、タケゾウはヒノワの頬を、同じ軌道で滑らせていた鞘で殴りつけたからだ。それはヒノワの視線や意識の外からの打撃だった。故に、力に抗うこともできず、ヒノワは弾かれるままに吹っ飛んで、地面に転がった。
「ヒノワさん!!」
リクサーがヒノワに駆け寄った。
タケゾウには、アトムが。
「……」
「予想より、やりますな」
アトムの言葉はタケゾウに対する気遣いなのだろう。当のタケゾウは何も答えず、完全に刀の形を失った柄を、じっと見つめたままだ。
「何が……」
やっと絞り出した言葉は、当然の疑問だった。
「ヒノワは何をした?」
初太刀、横一線。
あれは完璧に決まったはずだった。
避けられない一振りだったはずだ。
踏み込みが浅かった? 違う。
無意識に刃圏を見誤った? 違う!
タケゾウは本気でぶった斬るつもりだった。
もちろんそんなことをすれば、ヴァルカンを国ぐるみで敵に回しただろうが、こと「斬る」ということに、タケゾウは嘘をつけぬ性格であった。
だから、躊躇なくぶった斬るつもりで刀を振るったし、間合いも踏み込みも充分以上だった。
なのに、当たらなかった。
ヒノワは何をしたのだ?
とはいえ、意識外から自身の膂力で思い切り殴りつけてしまっては、今はそれを聞き出すことはできないだろう。しばらくは村の宿で寝たきりだ。
そう確信していたタケゾウを、ヒノワはあっさりと裏切ってみせた。
「い、いででてててててて〜っ!!!」
ヒノワは上半身を起こしてリクサーの治療を受けていたのだ。殴られた頬は流石に赤々と腫れている、口の端と鼻から垂れた血をリクサーがゴシゴシと拭いてはいるが、しかし、ヒノワはハッキリと意識を保ち、痛みに口を走らせていた。
「ひ、ヒノワ……?」
「てて、やっぱり、強いのぅ、おぬしは……」
呆然と歩み寄り、名前しか呟かないタケゾウに、ヒノワは屈託ない笑顔で応えた。それが余計に、タケゾウを困惑させた。
「何をしたンだ……」
何があったんだ、あの山で。
タケゾウの問いに、ヒノワは答えた。
「強くなれたんじゃよ、すこーしだけのぅ」




