第20話:夕暮れに世界を想う、黄昏に咽び泣く
ちょっと書き方を変えてみました。
第20話です。
1.
──ぴちょん。
ヒノワの意識を目覚めさせたのは、鼻先に落ちてきた水滴だった。混濁する視界に思考を絡め取られながら、ヒノワは一つずつ思い返す。龍がいた。龍を相手に戦った。押していた。信じられないことに、戦いは優位に運べていた。粉塵が舞っていた。そして、そして……
「!!」
ヒノワは勢いよく上体を起こした。肘の先がひりひりして腰がポキポキと音を立てる。顔をぺたぺたと触った。ある。目も、鼻も、口も、とんがった耳も。全てちゃんとくっついている。あれは死を覚悟した爆発だった。遮蔽物もなく爆発そのものをもろに浴びたはずだった。なのに、なぜ生きているのだ……?
そもそもここはどこだ?
ヒノワが周囲に目をやると、広い空間であることがわかった。妙に瑞々しい空気を持っていて、背中と、尻と足に接地する地面が少しぬかるんでいる。暗がりのようで、上から細々と光が落ちているため、空間の全景、その輪郭はなんとなくだが見て取れた。
地下だ。ヒノワは確信した。ここは地下道、洞窟の真下の空間だ。となれば、自分が生きていることもまぁ納得がいく。爆発の衝撃はヒノワより先に地盤を砕いたのだ。つまり熱波と衝撃波の到達より一手早く地下に落ちた、間一髪で逃れることができたのだ。そして落下の衝撃はぬかるんだ地面が吸収してくれたのだ。自身の上に一切落石してこなかったのは、そこだけは単に運が良かったということだろう。
「あ、あの龍は!?」
『私はここだ』
暗闇の先から、荘厳な声が響いた。
ヒノワが目を向けると、水面を揺らす波紋の如く、光が広がりゆく。その発生源に龍がいた。二本足で立ち、遙か高みからヒノワを見下ろしている。その眼はしっかりと焦点が定まっていた。
『ふふ、そう構えなくてもよい。お前のおかげで正気に戻った』
「…………」
訝しみ、警戒して構えるヒノワに対し、龍は実に爽やかに言った。
『そうだ、腹は減っていないか? 喉はどうだ?』
龍はまくしたてた。
『私は減っているし乾いている。なにせ、2万年ぶりの目覚めだ。バター塗りたくってマシマシのアップルパイとかどうだ? サクサクしてて美味しいぞ? ちょっと手と口周りがべたべたするのが難点だが……』
「……2万年ぶり……? と、ということは……ま、まさか聖戦の時代の龍族さまかぇ!?」
『聖戦? ……なんだそれは? あ、私はパ・ムーナと言う』
『意外かも知れないが、こう見えて龍族だ』
「見りゃわかる!! ってか今わしそう言った!!」
パ・ムーナという龍は戯けた。
『言われても、名乗りたくなる、我が誇り』
「ゴーシチゴ!?」
その立派な鱗と爪、牙と翼を持ってして龍以外のなんだと言うのか。ヒノワはずっこけた。
『……ところで君は? 見たところ「ヒト族」がエルフのコスプレをしているようだが……最近の流行か?』
「コスプレじゃのうて! エルフ族そのもんですぅー!! ヒノワ・ウィンチェスター!! エルフリュレ王国の! 歴とした……元、王女じゃ……」
とぼけたように目を丸くするパ・ムーナに、ヒノワはうーっと唸った。
調子が崩される。見た目は威厳と力に溢れているが、なにか話とか感覚とかがズレていた。空気が読めないというか、読まないというか……
幼少の頃に知己の仲であった、自称先代の森の賢者という、あのボケ老人とでも話している気分だった。
『ふむ、エルフそのものであったか。それはすまなんだ。子供のエルフなど見たことがなかったのでな……ほら、それを飲むといいぞ』
「ふん! いただ──!?」
ヒノワはテーブルの上に置かれている、水の入った緑色のカップを持ち上げた。それに口をつけた瞬間、はっ、と驚いてカップを落とした。
カップは割れて、中の水がばしゃりと跳ねた。
「なっ!?」
おかしい、一体いつの間に現れたのだ、この机は。自分が座る椅子は? 水の入った緑色のカップは!?
ヒノワは割れて飛び散ったカップに触れた。ひやりと冷たい。そして重さがあった。陶器の重さと質感だ。だから落ちて割れてしまったのだ。足に飛んだ水は冷たい。
つまり、これらは現実だ。現実の、物質だ。
本当に、唐突に、机と椅子が現れた。自分はそこに座っていて、いつの間にか目の前にあった水の入ったカップを違和感なく飲もうとしていたのだ。
驚愕に戸惑いを漏らすヒノワだったが、その直後の光景に思わず言葉を失った。
『ああ、勿体ない』
言葉と共に、パ・ムーナがふいとその爪を振るった。顔にかかった髪をかきあげるような、軽い仕草だった。
すると、割れたカップとこぼれた水が宙に持ち上がった。そして、時間が巻き戻るように元の形を取り戻していく。それは最終的に、唖然とするヒノワの目の前に着陸した。
それどころか、いつのまにかテーブルクロスまで敷いてあった。ピンクの花柄であった。
「こ、これは一体……ま、魔法なのか……!?」
『えっ?』
パ・ムーナは心底間抜けな声を出した。
『魔法じゃないよ。強いて言うなら神通力だが……ふふふ、わかる? 神通力。わかる?』
「神さまの力、と……言う事じゃろう……」
正解! パ・ムーナは嬉しそうに言った。彼が言うにはこれは魔法よりもっと直接的に『力場』に訴えかける力なのだと言う。
この世界には、大前提として魔力がある。気力がある。それらは大気中を、あるいは生物の体の中を常に満たしている。という観念をヒノワは知っている。
魔法によって引き起こされる物理現象は、生物の内蔵する魔力を、体外の魔力に反応させることによって引き起こされるのだ。
つまり炎を生み出したいのなら、体内の魔力を油か、あるいは火に転換し、油なら体外の魔力を着火する炎と例える。体内魔力を火にするなら、体外魔力を油とする。
それらの変換を擦り合わせることによって、炎を広げたり、炎の向かう先を指定──つまり、指向性を持たせるのだ。
『この世界の魔法と呼ばれる力は全てこれが原理だ』
パ・ムーナは言う。
『自身の想像する物質、あるいは現象へと魔力を変換して支配する。「認識して支配下における魔力」量が増えれば増えるほど、同じ魔法でもより効率が良く、より強力な魔法になるのだ』
「! ……パ・ムーナさま、ヤシャという種族をご……」
『ご存知ですか? かい。もちろん知っているとも。ヤシャはこの「魔法の原理」の術理を、「認識しうる魔力の支配」を、最も得意とする種族だ』
「──っ!!」
ヒノワは理解した。
ヤシャの物質と溶け合う能力。他者を取り込む能力。強力無比なるそれらは、やはり『これ』だった。
彼らは自らが魔力によって環境や自身の肉体を完全に支配し「そうできる」と強く認識することで、魔力支配下にあるあらゆるものを、その根底から自在に変えていたのだ。
『今私がカップと水を作り出したのも、その花柄のテーブルクロスを無から形成したのも、全てこの力の延長だよ』
何も驚くことはない。パ・ムーナは続けた。
『魔力を使って炎を出す。水を出す、氷を作る。音を操る、光を生む。それらは、今私が行った神通力と、本質的な違いは何もない。ただ私の力はそれらより強く、精密で、魔力の支配領分が大きいだけさ』
でも、とヒノワは言った。
「ここまで、ここまで神懸かった力は、初めて見ます……」
『当然だ。キミの、ヒノワくんの頭の中の知識を見るに、これが神通力と呼ばれることも、魔法と呼ばれることも、今はないみたいだしね』
「わ、ワシの頭の中を、読めるのですか!」
無論。パ・ムーナは堂々と言った。
『私がぶいぶい言わせてた頃は、私ぐらい「認識支配」の力を持つものはザラにいたよ。……ああ、いたとも』
にわかには信じられない話だ。
だが、今のヒノワには容易く飲み込める。彼女の脳内で、カチリ、と歯車が噛み合った音がした。
『そして、はっきり言っておくが……キミにウル合金を譲る気はないよ』
「えっ! な、なぜじゃ!?」
パ・ムーナはフフフっと笑った。ムカつくほどに爽やかだった。
『だって、ウル合金をキミに渡して、何か私に得、あるの?』
「────!」
至極当たり前のことを言われた。
『ウル金属は、超希少金属だよ。なにせ、軍神ウル公が、邪神に勝つために我々下下の命に恵んでくだすった、正真正銘「神の領分」のシロモノだ』
『仮に、ウルで刀を打ったとして、キミんトコの侍が、使いこなせると思う?』
「あ、それはたぶん。余裕じゃと思います」
ヒノワは即答した。ガラリとかわった空気に、パ・ナームは呆気にとられた。
『言い切るね』
「言い切りますよ。なんせ、タケゾウはひのもと…ひのしたてん……てん……?」
『日ノ下天下無双兵法者』
ヒノワはそれですじゃ、と言った。
『それが、嘘だとしても?』
「よそ様がどう言ったかは知らぬのじゃ。わしの中では、タケゾウは最も強い剣士じゃから」
「それで、良いのじゃ」
2.
太陽が沈み始めていた。
ドワーフの鍛冶場から出た先、広い道の上で、タケゾウは木剣を振るう。
持ってきた椅子を逆さに立てて跨り、背もたれに腕と体を預けて、それを、ドワーフは見ていた。
上段からの振り下ろし、タケゾウの木剣が空を切る。
じゅつ、
じゅつ。
空気が灼けていく。
より正確には、埃や水分など、大気中に漂う微粒子が灼けている。
タケゾウは5回も振ると、木剣を放り投げた。木剣は空中でバラバラになって、薪となり積み上げられる。
「薪」と成り果て木剣は、タケゾウで比べるところの、腰の辺りまで積み上がっていた。
「大した野郎だ」
その木剣は、分厚く硬く、そして色黒だった。タケゾウの握りですらまだ余る太さを誇り、その重さは並みの剣を凌ぐほどだ。
それが、たった数度、振り回されるだけで使い物にならなくなる。
恐ろしい握力だ。
尤も、優れたオーク種やオーガ種、それこそドワーフ種などにとってはこの程度、できなくはないだろう。
では、彼らに比べてタケゾウが優れているのはどこか? ドワーフが感心する部分は、一体どこなのか?
それは、持続性だった。
例えば、オークやオーガが全力で木剣を振るえば、今タケゾウが手にしているものの倍以上の大きさ、重さのものを簡単にバラバラにできるだろう。
つまり、単なる腕力では、タケゾウは彼らに劣るということか。
──では、それを何度、続けられるだろうか?
5回はできるだろう。10回も、まぁいける。本気で鍛えたオーガなら300回以上できるかもしれない。
だが、タケゾウの振るった数は、バラバラにされた木剣の数は、300などとうに越えていた。
なにせ、ヒノワが山に向かって、タケゾウが勇者の話を聞いて、昼飯を食って、それからずっと振り続けているのだった。
タケゾウは汗だくだ。耳をすませば肉が軋む音が、骨が擦れる音さえ聞こえてきそうだ。
つまり、手を抜いていない。
一本一本を全力で振るっている。
だというのに、手から、指から血が出ることはない。
つまり、タケゾウにとってこれは日常的な行いなのだ。
これが、オークやオーガには、できない。
同じ動作を、同じ力で、同じように、全力で出し続ける。
そんな狂気は、彼らはやらない。
だって、非合理的すぎるからだ。それができたところで、戦いでなんの役に立つというのだ。
戦いは、基本的に一瞬で終わる。
武器は撃ち合えば、どんなに頑丈でもいつかは壊れるものだ。
武器で殴られれば、肉は簡単に壊れるものだ。
例え体力に優れていても、無限無休、無給無時で戦い続けられるものはいない。
だから、必然的に、命がけの戦いは短期決戦となる。乱戦であっても、ダラダラと一人の敵と戦うより、目の前の敵を瞬殺できる方が良い。次から次に倒せる方が、圧倒的に生存率が高くなるからだ。
と、タケゾウが手を止めた。
『終わりかい?』
「いや」
タケゾウはふぅ、と一息。
「ちと張り切りすぎた。これ以上やっちまうと、明日振るう木剣がねェ」
「確かにな。お前さんにこのペースで木剣を壊されると、1週間後にゃア、山を丸ハゲにしちまわにゃならん」
山、か。とタケゾウは呟いた。
静けさを保つ山を見る。
「行くことは許さんぞ」
「わかってら」
タケゾウはバツが悪そうに、ぼりぼりと頭を掻いた。
誰かに託すのは苦手だった。
これまでの人生、大事な局面は全て自分で選択してきた。
誰を斬るときも、戦でも、道場破りも、すべて。
だから、戦局の要を人に任せることは、タケゾウにとっては『ソワソワ』することだった。
「チッ、こんなとこでくたばりやがったら、俺ァ冥府に殴り込んででもお前を殴ってやるからな」
タケゾウとドワーフが鍛冶場に戻ろうとした時、背後から声がかけられた。
「タケゾウさん。ヒノワさまは、今どちらに?」
タケゾウは半身、振り返った。
闇夜に浮いて出たのは、アトムだった。
「大変なことが起きました」
アトムはあくまで淡々と、言った。
「先ほどヴァルカン公国軍と、バイルディン帝国軍がカプル渓谷でぶつかりました。つまり……交戦状態に入ったのです」
アトムの言葉にタケゾウが目を見開いた。
それは、山の向こうから空に向かって謎のビームが飛んだのと、ほぼ同時だった。




