第15話:達人の戦い、タケゾウ対ナニガシ
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魔女の転送魔法によって魔女の大地から帰還したヒノワ達は、港町に降り立った。そこは相変わらず廃墟のありさまであり、改めてヒノワ達に旅の過酷さを伝えてくれる。
「よし。じゃあ行こうかの」
ヒノワが言った。この町をこのまま放置するのは正直気が引けるが、立ちどまっている暇はない。ヒノワ達の旅が遅れれば、きっとほかの町が、国が、この大陸そのものがこのありさまになり果ててしまうかもしれないからだ。ここは旅の結末、その一つの縮図だと戒めなければ。
「とはいえ、もう日も傾いてきています。ここは近場の村を探してそこで休みましょう。皆、整理せねばならないこともあるでしょう」
緊張に体を硬らせるヒノワたちに、アトムは言った。ヒノワ達は魔女の言葉を思い返す。それは細かい違いはあれど、ここにいる4人がアースヴァルド大陸の命運を握っている、ということ。
そして、この旅には──ヒノワには、ヤシャではない、真の敵がいるということ。その敵に関しては、魔女は教えてくれなかった。まだ知る必要はないと魔女は言った。今のヒノワたちでは力及ばぬゆえだと、行った。そうである以上、今その何者かが何であるかを考えることは無駄かもしれない、が。
「アトムさん、地図を見せてください。ここから近い村は、えーっと……」
リクサーがアトムの広げた地図を覗き込んだ。
パチパチパチパチ……。
町の奥から、乾いた音がした。小刻みな拍手だった。ヒノワ達は皆、音のする方へ視線を向ける。そこには異様な空気を身に纏った、長身の老人が立っていた。ピンと伸びた背筋、腰より長く伸ばした白髪、胸まで伸ばした白髭を蓄えている。タケゾウとよく似た──かつ、それより上品な──着物を着こんで、その背には身の丈にも匹敵するだろう長刀を携えている。
ヒノワは見たことが無い男だった。だが、その出で立ちからサムライであると、タケゾウと同じ『人間』であると──『異界転生者』であることを察した。
「て……てめェは……!!」
聞いたこともない声が背後から響いた。ヒノワが驚いて振り返ると、そこには自分以上に狼狽したタケゾウがいた。
「……知り合いか、タケゾウ」
ヒノワが聞くが、タケゾウはまるで聞こえていないようだった。その狼狽ぶりは、信じられぬものを目にしたそれだった。
「『タケゾウ』、か。今はそう名乗っているのだな」
老人は懐かしそうに目を細めた。愛おしそうにタケゾウを呼ぶその口調は、しかし、少し皮肉っぽくもあった。老人はヒノワたちへと歩を進めた。一歩、二歩と堂々と間合いを詰めてくる老侍に、ヒノワは短剣を抜いて身構えた。おおよそ無造作に歩いてくるのだが、全く隙がなかった。ヒノワたちを前になぜこうも警戒しているのか。つまりそれは、この老侍がタケゾウの知り合いと言う予想はおそらく正解だが、自分たちにとって、良い知り合いではないことを示していた。それ以上近づくな! ヒノワが叫ぶと老人は脚を止めた。
「随分慕われているんだな、タケゾウ。どうしたことだ? どういう心変わりだ? 女子など、剣の邪魔にしかならぬと自ら遠ざけていた男が」
「……っ、タケゾウ、どうしたんじゃ! しっかりせぇ!!」
「…………!」
タケゾウは、まるで非力な子供のように震えていた。重心が後ろ足に寄り掛かり、体が傾いている。逃げ腰の及び腰であった。こんなタケゾウはヒノワは初めて見た。いや、リクサーの驚く顔からしても、タケゾウがこんな状態を人に見せるのはそれ自体が初めてなのだろう。
「どうした天下無双? この私が怖いか?」
「やかましい! おぬしはそもそも誰じゃ!? ヤシャの刺客か!!?」
「おっと、自己紹介を忘れていたな。私の名は──」
老侍は一旦言葉を切った。ふむ、と顎を撫でた。何かを考えているようだった。
「今はタケゾウに習い、『ナニガシ』と名乗っている。ヤシャによって異界転生した侍でござる」
紳士的に丁寧に頭を下げで名乗った。そのナニガシに対し、ヒノワは自身の予想がほぼ当たっていることを確信した。
「ということは、異界でのタケゾウのライバル……こやつに斬られた三流剣士といったとこかの」
「そのとおりだヒノワ姫。軽薄な見た目と口の悪さに反し、存外、頭がいいのだな」
褒めているのか貶しているのか、ともかく感心したような言葉にヒノワは舌を出して返答した。ナニガシはそれを見てくっくっと笑った。目尻に深いシワが刻まれた。
「聞いたぞタケゾウ。おぬしこの世界でも、天下無双と、名を知られているそうじゃないか。今度はどんな本を書いたのだ? あるいは書かせたのだ?」
「何を言うておるんじゃ! タケゾウは最強の剣士じゃ! わしの国の騎士を軽く退け、ヤシャの化け物をもう何度も剣いっぽんの身ひとつで退けておるんじゃ!!」
「タケゾウさんは、やっぱりあなたの世界でもそう呼ばれていたんですね……」
ナニガシはヒノワ達の質問に、ああ、と答えた。しかし、と続けた。
「笑わせてくれる、その男が天下無双とは。セキガハラでは敗残兵であったおぬしが? ヨシオカと戦わずして逃げたおぬしが? やぎゆうから逃げたおぬしが? シマバラではろくに活躍もせず、つぶてを投げられ撤退したおぬしが……?」
「逃げた……? 何を言っておる……?」
「よせ……聞くなヒノワ……!」
ナニガシは腹の底から笑った。
「この私に到底かなわぬと知り、決闘と称して卑劣な不意打ちで勝ったおぬしがか!?」
1.
「一体何を言うておるんじゃ!!」
ヒノワは訳も分からず叫んだ。タケゾウが卑怯者? 敗残兵? 逃げた? なんのことだ。自分の中で、話がとんと噛み合わない。得体のしれぬ気持ち悪さを感じていた。
「その男は天下無双ではない。自分が強いように人に見せるのがうまいだけだ。自著の中で、人に触れ回るのが上手いだけだ。自分が、さも死闘を勝ち抜き修羅を生きたように、悪鬼の類であると人々に見せていただけだ」
ナニガシの顔から笑みが消えた。その表情は厳しく引き締まり、目は真っ黒に燃えていた。これが本当の顔なのだろう。
「すべて、デタラメなのだ。タケゾウは言うほど強くない。言うほどの剣士ではない。剣客と言うより、その男の本分は論客。『剣を使える論客』……と言った方が正しかろう」
「な、なんじゃと……」
「…………っ!」
ヒノワが信じられないナニガシを睨み返した。ナニガシはヒノワの目を、強い感情のこもった目で、刺すように返した。ヒノワはその圧力に一瞬押し負け、逃れるようにタケゾウを見た。タケゾウは体の芯から震えて、多量の汗をかいていた。ヒノワはナニガシに対して、何も言い返せなかった。
「私との決闘もひどいモノだった。場所を決め時間を定めた。私は約束を守りその場所で待ったが、いつまでたってもタケゾウは現れず、私が気疲れを起こし始めたときに太陽を背にして海から現れ、丸太のような木刀で剣の間合いの外から私の頭を砕いたのだ」
「ひ……ひどいですね。剣士の決闘とは思えない……」
リクサーが呟いた言葉は、ヒノワも同じことを思った。
「私は、自惚れたことを言わせてもらうなら、人生で初めて剣を試せる相手と出会えたと思った」
おそらく、その自惚れは嘘ではないだろう。ナニガシは続ける。
「思っていた。仮にそこで斬られ死ぬならば、それも剣に生きた者として本望だった。……だが、その男は剣で私にかなわぬと知るや、私を剣以外の方法で殺したのだ!!」
ナニガシの言葉に殺意がこもっていた。言いようのない怒りがこもっていた。鋭く、鋭く研ぎ澄まされた殺気が、タケゾウに恥晒しめ、と吐き捨てているようだった。
「要は復讐ですか?」
この中で唯一冷静だったアトムが聞いた。ナニガシはふ、と殺気を抑え、ああ、と答えた。
「サイルは私にチャンスをくれた。二度目の人生をな。だが、私が今世を生きるためには、前に進むためには、まず前世の因縁を絶たねばならぬであろう」
それだけ言い終わると、ナニガシは刀に手をかけた。すらり、とそれを華が舞うような美しい、見事な動きで抜き放った。そして、がらりとナニガシが身に纏う気配が変わる。見るモノを包み込むような殺気も、柔和な取り繕った気配も掻き消えた。一息。時間が止まったその後、鋭い刃物のような殺気がヒノワたちを射ぬいた。ヒノワたちは思わず飛び退いた。その眼の中で、より強く黒く炎が燃えていた。
殺れたかと思った。
ヒノワが脂汗を浮かべるその向こう、港町から1ガロン(km)内の動物たちが、殺気に耐えられずその場を後にした。ヒノワ達も気を抜けば腰を地に着きそうになっていた。
「とはいえ、今のお前を見て興がそがれた。故に、おまえに選択肢をやろう。私と戦って斬られて死ぬか……」
ナニガシは殺意はそのままに、一拍の間をつくった。
「自ら腹を斬るか、選べ」
2.
「な、なんじゃと……。い、言うとることがメチャクチャじゃ!!」
「貴殿にはわからんであろう。わかってもらおうとも思わぬ。これは武士の情けよ。タケゾウの切腹を持って、私の復讐を水に流してやろうと言うておるのだ」
「アナタはタケゾウ殿を自ら斬りたいのではないのですか?」
「武士の情けと言うたであろう、りざーどまんよ。言い換えるならば、ここでタケゾウが腹を斬れば、貴殿らは見逃してやると言うておるのだ」
「!?」
ナニガシは続けた。
「貴殿らの中に私に強さで勝るものはおらぬ。私がその気になれば、貴殿らを鏖殺することはたやすい。タケゾウが戦うならば、私は迷いなくそうしよう。だが、タケゾウが自ら腹を斬るならば、貴殿らは助けよう。旅を続けるでもなんでもするがよい」
「な、なんじゃと……」
ヒノワ達はナニガシに自身の生殺与奪を握られていることに気付かされた。思えば何もかも想定もしていない事態のまっただ中である。タケゾウより強い──しかも、前世の因縁もある──刺客が、こうも早く現れるなんて予想もしていなかった。考えておくべき事態だった、とヒノワは後悔した。思えば魔女に『異界転生』の話を聞いたとき、勇者やタケゾウ以外にも、術を施された者がいるかもしれないと思うべきだった。それが敵にまわっている可能性を、考えるべきであった。いや、それ以前の問題だ。今までは、たまたま相手がタケゾウより弱かっただけだ。この旅はゲームや都合のいいおとぎ話ではない。自分たちに合わせて敵が来るなどあるわけがない。殺す気ならば、殺せる者を送り込むのは道理も道理だ。後悔先に立たずとはよく言ったもの。そのことわざ自体は、ヒノワは知る由もないが。
タケゾウが黙って剣を抜いた。ナニガシと違ってひどく不恰好で、初めて剣を触った童のような動きであった。瞬時にヒノワ達は気づく。これは戦うつもりで抜いたわけではない。
「や、やめてくださいタケゾウさん!!」
「おやめなさいタケゾウ殿。アナタがここで腹を斬り死んだとして、ナニガシが約束を守るかは、わからないのですよ」
リクサーがタケゾウを羽交い絞めにし、アトムはナニガシの約束の不確定さを説いた。
「私は約束は守る。そこのタケゾウとは違う」
タケゾウはリクサーを振りほどいた。リクサーが勢い余って尻から倒れて転がった。
「すまん、ここまでだ。……ヴァルカンにはすまんと伝えてくれ……」
暗く重たい口調で言った。そのタケゾウ顔を押し上げ、頬を、ヒノワは思い切りひっぱたいた。ぱぁん、と軽やかな炸裂音が響き、ついでヒノワはタケゾウの顔をわし掴んで目線を合わせた。
「ヒノワ……なにを……!」
「ぶぁ~っかもん!!!! なぁにを勝手に決めておるんじゃあ!!!」
そして盛大に頭突きをかました。
3.
「ば、ばかやろう。邪魔をすンな……」
「バカはおまえじゃい!! 見損なったぞ!!!」
ヒノワは額を抑えながら、半泣きで言った。タケゾウはまた顔に影を落とし、そうだと言いかけた。
しかし、ヒノワの力強い言葉がタケゾウのすべてを遮った。
「わしはおぬしの前世などしらん! おぬしが前世でウソツキだったとかどうでもいい!!」
「お、おい……?」
「おぬしはわしを、わしらを何度も助けてくれたじゃろうが!! エルフの騎士の時も! 列車の野伏りの時も! この港町でも! 船の上でも! 魔女さまの門番との戦いも!! ぜぇんぶおぬしがおったから何とかなったんじゃぞ!!! わしにはそれがすべてじゃ!! わしの知るおぬしは強いんじゃ!!」
「……!!」
「だいたいあの男も逆恨みじゃろう!! 決闘じゃろうが! 勝って生き残ったのがタケゾウで、負けて死んだのがあの男! それだけじゃろうが!!!」
「ヒノワおまえ……」
「世界中の誰もがおぬしを弱いと言っても、わしはおぬしが強いことを知っとるんじゃ!! じゃってわしにはそれが真実だからじゃ!!」
言い終えて、ヒノワは腕を組んで背をそらした。叫んだあまりに頬は紅くなり、息も荒くなっていた堂々とした上半身に反し、その足は細かく震えていることにタケゾウは気づいた。タケゾウはくっ、と小さく笑みを漏らした。
「自らの力を正確に推し量り、他者の力を認め、魂を奮い立たせる。……なるほど、将の器だ」
ナニガシが感心して言った。なるほどサイルの言うとおり、これは生かしておいたら厄介な敵に成長するだろう。タケゾウの纏う気配が、まるで死人のごとくだったそれから、大きく変わっていく。雲に潰された空を裂いて、太陽の光が差し込んだように大きく広がったそれは、強靭な生命力を感じさせた。ナニガシをまっすぐ捕えるその眼光には、炎が宿っていた。
「戦う……戦うぞ、ナニガシ。今度はまっとうに戦ってやる」
ナニガシはふん、と鼻を鳴らした。不本意な展開であろうに、その顔はどこか楽しそうだった。
「見事だ。見違えたぞタケゾウ。私が見たお前の中で、今のおまえはもっとも強いのだろうな」
しかし、と続ける。
「気合だけで実力差は埋められぬ。私の方が技量、腕力、速力。全てにおいて上だと知れ」
「ああ。だが戦いはそれだけではわからンぞ」
タケゾウが、ナニガシが、剣を構えた。
ナニガシは剣を目線に沿うように水平に流し、鍔を顔に引き付ける様に構えた。体をひねって半身をタケゾウに晒し前傾になり、前足に体重を乗せた。タケゾウはナニガシに対し正眼に構えた……というより、自然体であった。腰を落とし、両腕はあるがままにたらし、地に足を固定するがごとく重心を安定させている。
「ゆくぞ!」
ナニガシが飛び出した。驚異的なスピードでタケゾウに接近して横薙ぎに剣を振るった。遠巻きに見ても、ヒノワにはナニガシの接近はほとんど見えず、振るわれた剣は刀身がもはや消えて見えた。
しかしタケゾウはそれをあっさり受け止めた。火花が散った。遅れて風が舞い、激突したエネルギーは衝撃波となってヒノワ達に届いた。
がきん! と耳を震わせる金属音がだいぶ遅れて空気を震わせた。
ヒノワは息をのんだ。
達人同士の戦いがここに始まった。