初めて恋をしました
とても短いです。切ないです。
初めて人を好きになったのは、中学一年生の時だった。その人は、2つ上の先輩で、見ているだけで幸せな恋だった。話したこともなくて、話しかけようともしない。ただ、見ているだけの恋に恋した恋だった。
26歳の今、思い返してみれば、私は恋に恋しかしてこなかったのだと思う。少し男の人と話しただけですぐに好きになり、ちょっとでも嫌なところを見るとすぐにどうでもよくなった。
初めての彼だってそうだ。何も知らずに好きになって、告白をしてOKをもらった。嬉しくて、幸せで、でもすぐに違うと思った。こんなんじゃない、こんな人だとは思わなかったと。理想ばかり押し付けて、自分から離れて行った。
だから、きっと初めてなんだと思う。人に恋をしたのは、26歳の今が初めて。
「松下」
給湯室でこっそり休憩をしていた私は名前を呼ばれて、振り返った。
「速水先輩」
びっくりして、けれどそれが先輩だとわかると自然と頬が緩んだ。
「お前、課長に言われた資料、誤字があったぞ。赤で書いといたから直しておけよ」
先輩はそう言って私の頭を軽くぽんと叩いた。それが嬉しくて、けれど嬉しいことを諭されないように私は下を向く。
「すみませんでした」
「そこはありがとうございました、だろ?」
「…ありがとうございました」
私がそう言うと先輩はくすりと笑った。
「次は気を付けろよ」
「はい」
そう頷き、私は頭を下げる。顔を上げれば満足そうな先輩の顔があった。嬉しくて、けれど私は泣きたくなった。
「…それじゃあな」
「速水先輩、もしかして一服ですか?」
「おう」
「業務中ですけど」
「自分だって休憩してたくせにかたいこと言うなよ」
「禁煙するって言ってませんでした?」
「うっ…見逃して、絵実ちゃん!」
手をすり合わせて先輩は頭を下げる。ちらちらを私の表情を伺うその顔は冗談と本気が入り混じっていた。そんな先輩に思わず私は小さく笑う。それを承諾と取ったのか先輩は嬉しそうに笑った。
「さすが、俺の自慢の後輩!」
そう言って私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
煙草を吸う人が嫌いだ。業務中に吸うなんて絶対に嫌だ。なのに、どうして先輩は嫌うことができないんだろう。いつもだったら、好きだと思った感情はこんなことですぐになくなる。今回もなくなるはずだった。でも、煙草を吸う先輩を見るのが好きだ。髪をぐしゃぐしゃにする先輩も好きだ。同期の先輩たちといると高校生男子みたいな悪ふざけする先輩も可愛いと思う。
先輩に会えると思うと仕事が楽しくて、でも、私のことをただの後輩だとしか思っていない先輩に触れるから、悲しくなる。声が聴きたいのに、話をしたらそれがわかるから言葉を交わしたくなかった。でも、どんな会話でもいいからしたいのだ。先輩といると矛盾ばかりだ。一緒にいると幸せで、一緒にいると胸が苦しかった。
恋は楽しいばかりじゃないよと数年前に結婚した姉がいつか言っていた。表面上の恋愛しかしてこなかった私にはそれがわからなかった。
「楽しいから恋をするんでしょう?だって好きな人を想うと幸せじゃない」
そう言った私に姉は苦笑をし、本気で誰かに恋をすればわかるよと言った。でもわからなかった。26年間も生きてきて恋がつらいなんて知らなかった。
知らなければよかった。恋に恋だけして幸せに暮らしていたかったのに。でも私は知ってしまった。恋がつらくて、幸せで、どうしても手に入れたいものなんて。でも、相手を傷つけたくないものなんて。
先輩には去年結婚をした奥さんがいる。だから私の恋は居場所がない。仲良くなるためにメールを送ることも遊びに誘うことできないのだ。後輩としてならいくらでもしていいのに、好きになってもらうその努力は、することさえも許されない。
好きだと告げることももちろん許されないのだ。だって、私の気持ちは迷惑だから。先輩に告げたらただ困らせるだけだから。だから、私は先輩の自慢で生意気な後輩でいなければならない。
「先輩」
「ん?」
煙草を吸いに行く先輩を呼び止める。こちらを振り返り、先輩はしっかりと私を見た。
「好きです」そう言えたらどんなに楽だろう。「ごめん」の一言で私は前に進めるのに。叶わない恋を忘れられるのに。けれど、困らせたくはないから。
「煙草の吸い過ぎは身体に悪いですよ。赤ちゃんができたらやめるようにしないとですね」
「そうだよな。わかってるんだけどな」
困ったように先輩は頭をかく。
「今から練習しなきゃですよ」
そう言って私は先輩の手から煙草の箱を取り上げた。
「え?」
煙草の箱はほとんど残っていなかったらしく、あと2本しか入っていなかった。
「はい、一本」
そこから取り出し、一本を渡す。先輩は、驚きながらも反射的に手を出した。
「…松下?」
「あとは没収です」
「…え?ちょ、ちょっと待てって」
「ダメです。健康のことも考えてください」
「…」
「ほら、可愛い後輩のお願いですよ」
私の言葉に先輩は小さく息を吐くと、笑って私の目をまっすぐ見た。
「しょうがないな、可愛い後輩のためなら。よし、それは松下にあげよう。でも、お前は吸うなよ」
「吸いませんよ。…ありがとうございます」
「健康のことも考えてか、…俺って後輩に愛されっちゃってるんだな」
冗談交じりにそう言ったので、私はくすりと笑った。
「当たり前じゃないですか。大好きですよ。それ、最後の一本だと思って大事に吸ってきてくださいね」
「これからも吸わないかは……要検討します。じゃ、吸ってくるわ」
業務的な口調でそう言った先輩は、逃げるように喫煙所に走って行った。
「先輩!…って行っちゃった」
遠くなっていく先輩の背中を見て、今度は「言っちゃった」と呟いた。
冗談だっていい。それでも、好きだと告げられたそれだけで十分だ。流れてきそうになる涙を懸命に堪えた。
「…さて、仕事に戻るかな」
震える声でそう言った。目が赤くなっていないといいなと思いながら自分の席に戻っていく。
初めて「誰か」を好きになった。叶わない恋だった。好きだと告げることも許されない、努力をすることも許されない恋だった。でも、幸せだと思える恋でもあった。
「次は、好きになってもいい人を好きになろう」
涙を堪えながらそう言った私はきっと笑顔だったと思う。だって、綺麗な恋をしたから。
たぶん見方によってはただのイタい話かもしれない(笑)
でも、書きたかったのです。切ないですが、ただの片思いなだけですが。
読んでいただいてありがとうございました!!