新しい兆し
二〇十三年、春。この年、日本は大きく変化した。
五十時総理の元、株は上がり景気も回復していくこの世の中を国民はゴジノミクスと呼んだ。そのおかげで支持率もぐんと伸び、国民の期待感もそれに比例して伸びていく。しかし、総理にとってこんなことはただのおつりでしかなかった。思考の一貫でしかなかったのだ。
同年、七月。総理は宣言通り、PPPに参加した。国民からは大きく二つの意見に割れる。PPPに参加したことによって、日本の経済は今まで以上に推進していく。もしくわ、参加することによって、アメリカの言いなりになり大きな利益どころか、国産品まで持っていかれてしまう。国民の反応は良いものもあり、悪いものもあるという感じだった。
当時の俺は七歳。そんな当時の俺は……。今ほどではないが、そうとういかれている奴だったと思う。ただ茫然とテレビを眺めて、どうなるのかを見据えることしかできないはずのことを俺は誰かが操作して、ゲームクリアを目指しているように見ていた。次にどんな道に行くのか、その先には何があるのだろうか。当時の俺はただ、後戻りができない最高の人生ゲームという、新感覚的な感情で胸がいっぱいだったことを覚えている。
しかし、そんな感覚も長くは続かない。俺は七歳にしてはありえないような考え、思考を持っており、その後の行く末がなんとなく見えてしまっていた。それでも俺は五十時総理を見続けた。見ていたかった。ゴジノミスク、PPPなどそんな誰かが勝手に作ったことなどどうでもよかった。当時の俺は俺では考え付かないような新たな未来を切り開いてしまう五十時総理をとても尊敬していた。
しかし、二〇十三年の十二月。
『本日をもって、日本は中国に併合することを宣言します!』
「――え?」
総理は中国と併合するといった。
俺の何百パターンあるうちの選択肢のどれもが当てはまらなかった。しかし、その新しいパターンもありだということを俺は思った。
もちろん、国民からの反発は激しいものとなる。
五十時総理はその発言を機に辞任。そして、即刻裁判にかけられ、国を売った愚か者とされ、終身刑の刑罰が与えられた。
『すべては日本のためだ』
五十時元総理は最後の言葉にそんなことを言っていた。
そして、二〇十四年の六月、元総理の宣言通り日本は中国と併合し、日本という国は実質世界地図から
消えることとなった。
そして、元総理は置き土産かのようにある条件も残していた。それは中国側に出した条件だった。
一、日本を併合するが、今の東京都だけは学園特区区域とし、一切の情報漏えい、侵入は禁ずる。
二、PPP参加の欠脱は認めない。
三、日本国憲法の維持。
この三つだった。
その後、日本ではいろいろなデモが起きるが、結果は火を見るより明らかだった。
当時の誰もがこの期を最悪の幕開けと思っていた。
今の日本の政治は最大限まで中国側の傘下に管理され、支配された。
日本国民、誰もが「終わり」を口ずさんでいた。――が。
現在、二〇二十三年、夏。
あの日本が中国に併合した年から数か月後、中国側は今までの反日などなかったかのように手のひらを
返し、元日本を世界に我が国であり、最大の観光地として売り込んでいった。日本の優秀な人材は半強制
的に一度、中国側の株式に引き抜かれていったが、いずれみな、この今は名も何もない都市に送られてき
た。言い換えるなら、逆派遣と言うべきか。結局のところ、中国側は日本という大きな州として、『我が
国』を世界に売り込み利益を出していた。そのため、優秀な人材はこの元日本に送られ、元日本の経済発
展のため尽力していた。
そして、ここで大きく手のひらを反してきたのがアメリカだった。
アメリカの主張はただ一つ。
――日本はアメリカのものだと。
理由は簡単で日本は中国と併合する前にTPPに参加していた。そんなPPPの中心はアメリカでPP
Pに参加した国はもうアメリカの一部だ、ということらしい。
めちゃくちゃではあるがアメリカ側の主張は理にかなっているともいえる。
ここ、元日本は事実上のところ中国となっているが、PPPに参加したことにより、アメリカ製の物を輸入し、そして、日本製の物を輸出している。このPPP参加の結果を言ってしまえば、大失敗。日本の国産品は一切守ることはできず、それどころかアメリカの大量生産された、麦や野菜を強制的に輸入されていた。
結論から言えば、衣食住はすでにアメリカのものであると言ってもよい。しかし、それとは逆にある意味大成功でもあった。
討論の末、出された答えは保留。中国側の強烈な自己主張をアメリカは軽く受け流し、保留まで持ち込ませてみせたのだ。
そして、今。ここ元日本は中国でもなく、アメリカでもなく、はたまた日本でもない、無為の地となった。
ただ、一つ確かなことがある。
PPP参加によって今のこの地は世界で一番経済都市国となったことだ。
後もうひと押し。後もうひと押しでこの地は独立し、新日本を立ち上げることができるところまで来て
いた。
そして、それができるは一体、誰なのか?
俺はそんなことができるやつをたった一人だけ知っている。それは五十時総理ではない。
総理以外に、こうなることを見据えていたやつがいたのだから。
五十時総理が残してくれた、ここ東京、学園特区区域で十年間、時が来るのをじっと待っていた人物。
この瞬間をじっと見据えていた、たった一人の人物。
――そう。この俺、平等院武彦、ただ一人だ。