二人
今日一日の授業を終える鐘が鳴る。起立、礼の下、がやがやと生徒同士が騒ぎながら放課後が始まった。
「帰るか……」
そんな喧騒を背に席を立とうとする東郷。放課後独特の何かから解放されたような雰囲気は好きだったが、東郷にはあまり縁のないものらしかった。
「待て東郷、少し話がある」
「ん?なんだ、珍しいな」
お隣さんの席にいる五十嵐が話しかけてくる。彼女は非常に多才で学校のあちこちに顔が効く。放課後なんかもしょっちゅう委員会だとか、運動部連中に助っ人として呼ばれることがあるのだ。よって、このように東郷を呼び止めて話をしている時間ももったいないはずなのだが。
「ああ、少し気になることがあってな。…君は最近、何かおかしなことに巻き込まれたりはしていないか?」
口元に指を当てながら、こちらの様子を伺うように訪ねてくる五十嵐。なまじ美人なので、そんなちょっと仕草にもなにやら神々しさを感じたりもするのだが。
「変わったこと?うーん…なんだろう。もう少し具体的に説明してくれ」
思案顔でつぶやく東郷。彼の中では今日一日は全く平常運転であったらしい。
「例えば今朝の登校だ。君がドップラー現象を巻き起こしながら、海抜100mあたりからプールにダイブしたりとかな」
ああ、今朝自転車で暴走しちゃったことね、と合点するする東郷。誰がどう見てもちょっと、どころではないのだがそれはさておき。
「あれか。俺もよくわからんのだが、たまに自転車の調子が悪くなるみたいでさ、ああやって暴走しちゃうんだよ」
そういえば、深く考えたことはなかったのだが、あの速度はちょっと異常じゃなかろうか。明らかに物理法則だとか、自転車としての性能の範疇に収まっていない気もする。などと思案する東郷。
「わかったぞ!今流行りの電動自転車とかそういうのだ!!ふふ残念だったな五十嵐。あの自転車の性能に魅せられたのはすごくよくわかるが、あいつは俺のものだからな」
なんだかズレた回答をかます東郷。そうか、すましたクールキャラで学校の憧れの的を張っている五十嵐でも、あのMBTの加速の前に魅了されてしまったのだな、と得意げな顔だ。
「何を言っているんだ。電動自転車は既に市井に普及しているし、あんな物など欲しくはない。君は私を馬鹿にしているのか?」
「ああ……いえ、そういうわけでは……」
思いつきで言ってみたのだが、やっぱりハズレだったようだ。五十嵐に睨まれ少しひるんでいる。
「………まぁいい。それで、他に何か思い当たることはないか?」
「他に?そうだなぁ」
何かあっただろうか、と考えてみる。そういえば、と思いついたことがあった。
「今朝、目覚ましを………」
言いかけた瞬間、廊下からバタバタと徐々に近づく足音が聞こえてくる。
「先輩先輩先輩先輩先輩~~っ!!!」
バターンと教室のドアを開けて、ぜいぜいと肩で息をしながら現れた女子生徒。勝気そうなつり目とネコの髪留めが特徴的な、ありていに言えば美少女なのだが。
「よう、高屋敷。そんな急いでどうしたんだ?」
「はぁはぁはぁ、せ、先輩。今日こそ私の話を聞いてもらいますよ……。今朝の競争は私の勝ちだったんですからね」
目をキュピーンと輝かせて、手をわきわきさせながらこちらへとにじり寄ってくる高屋敷。
「ふふふ、先輩。私たちの仲は誰にも引きさかせやしませんよ。さぁ行きましょう。私たちのサンクチュアリへ!!」
かなりハイになっているようだ。何かよくわからないことを口走っている。こいつ、こんなにアブないやつだったのか、と少し引く東郷。
「ちょっと待ってくれないか」
今にも俺に飛びかかりそうだった高屋敷を五十嵐が静止する。その瞬間、初めて五十嵐の存在に気がついたという風に驚き、慌てて何やら身構えた。
「五十嵐先輩……なんでここに……!」
「それはこちらのセリフだ。君は違う学年の生徒だろう。私とは違ってな」
東郷の席の隣にある自分の席をサラリと撫でて、余裕の表情で五十嵐が答える。なんだか悔しそうな顔をする高屋敷。
「……まぁいいでしょう。私は東郷先輩に用事があるんですからね」
ふん、と五十嵐にそっぽを向き、東郷へと振り返った。
「それで先輩。今朝の約束を果たしてもらいますよ!」
ずい、と詰め寄られる。高屋敷は背が小さいので、長身の東郷と並べば子供と大人ほどの背丈の差が出てくるのだが、妙な気迫をまとっている。
「今朝の約束って、高屋敷が先に学校についたらどうたらっていうやつ?」
「そおです!!」
そういえばそんな約束をしていた。しかし、あの勝負は……
「東郷は君より先に学校に付いていたぞ?」
五十嵐が先に答えてくれる。
「え?そんなわけないですよ。だって私あの後、法定速度も信号も無視して何人か轢きそうになるくらいの速さで学校に向かったんですから。先輩が追いつけるわけないじゃないですか」
ケロリとした表情で答える高屋敷。自転車とスクーターじゃ通常は勝負が見えてるというのは同意だ。しかしサラリと警察の厄介になる事を口走っているのは関心しない。コイツはアホか。
「ツッコミ入れるのも説明すんのも面倒だから、誰か他の奴にでも聞いてみてくれ。とにかく俺の方が早かったぞ」
「え、えぇー!?」
ガビーンと音が出そうなほどびっくりしている。しかし事実なんだからしょうがない。
「まぁそういうことだ。用が済んだのなら帰りたまえ。君はこの男に関わるべきではない」
扉を指差して、早く出て行けといった様子で五十嵐が答える。基本的に無表情な彼女なのだが、珍しく不機嫌な様子だ。
「…ッ!五十嵐先輩、元はといえばあなたが……!」
それに食ってかかる高屋敷。しばし二人がにらみ合う。こいつらはなんでこんなにいがみ合っているのだろうか。東郷には考えても答えはわからなかった。
自分が原因……なのだろうか?よくわからないが、もしそうなら、さっさとこの場を後にしてしまおうと決める。原因が取り除かれてしまえば、問題はすんなり解決するはずだ。もしそうでなくとも、女子生徒同士の喧嘩なんて見たくはなどなかった。
「ほどほどにしとけよ二人共。じゃあ俺は帰るから」
そそくさと退散する。さて、今日の晩飯は何にしようかな、などと頭の中で算段を立てていると。
「待て」
「止まってください」
怖い顔をした二人にそれぞれ両手を掴まれる。すごい力だ、ちょっと痛い。
「なんだ?」
「いい機会だ。君に少し話しておきたいことがある」
「先輩には少しお灸が必要なようですね。私から逃げられるとでも?」
にこり、と笑って答える二人。パッと見れば、美少女達を傍らに両手に花状態なのだが、恐らく誰も羨ましがってはいないのだろう。
「ま、まぁ、落ち着けよ二人とも」
こんな美少女に笑顔で言い寄られては、男冥利に尽きると言いたいところだ。しかし、明らかに甘酸っぱい展開などは期待できそうにない。
「「これが落ち着いていられるとでも………」」
ズゴゴゴゴと、どこから現れたのか炎をバックに東郷に迫る二人。彼には理由はわからないのだが、とても怒っているようだということだけは理解できたようだ。そこはかとなくではあるが、血を見そうな気がする。それはなんとしてでも回避しなくてはいけない。ならば、俺に出来ることは一つと覚悟を決める。
「何で怒っているのかは知らないが、やめとけ。そんなんじゃ彼氏もできないぞ?」
なんてね、あはは、と笑って場を和ませようとする。彼女らに恥じらいのある乙女心を取り戻して欲しい。そんな願いを込めてつぶやいた一言だったのだが、どうやら彼女らの逆鱗に触れてしまったらしかった。
二人は東郷の言葉を聞き、ピタリと動きを止めて、一瞬素に戻った。
ポカンとして互いの顔を見合わせる五十嵐と高屋敷。うん、と何やら頷き合っている。先程までは殴り合いもかくや、という雰囲気だった二人だったのだが、東郷の言葉により、何やら共通の目的を見出したようである。
同じものを、同じ男を追い求める、ある意味似た者同士の彼女らだからこそ、思考もある程度似通っているのかもしれない。
「東郷…君の鈍感さはもう病気の域に達しているようだな………」
「でも安心してください先輩。鈍感は死んだら直るかもしれませんから」
笑っている、さっきよりももっと笑顔の深度が増した。だが、ますます怒ってしまったようだ。なんでだ、と驚く東郷。どうやら稀代の鈍感であるらしい彼は、こんな状況に陥ったことを理解できないらしい。
「またきやがった……第七次東郷争奪戦争が始まるぞ……!」
「いやだ!あいつらはまた学校を火の海にするつもりか!!」
「お、おい、急いで全校生徒に伝達だ!!戦闘員は完全装備で待機!第一波くるぞ!!」
「うわあああぁぁあ、もうお終いだぁぁぁぁ!!」
周囲のクラスメイト達が口々に叫ぶ。その表情は誰も彼も、これから起こるであろう惨劇を予感している様子だ。
かれこれ、これで7度目になるらしいこの痴話喧嘩めいた状況は、全校生徒にトラウマを植え付けている。
五十嵐と高屋敷、この二人が暴れただけでも学校は血の雨が降る。しかしながら、今回はそれに加えて当事者である東郷が加わるのだ。
騒ぎの中心に必ずいた東郷は、図らずもこれまで野生の勘か、はたまた神にでも愛されているのか、7度の大戦を回避し続けてきた。ある意味、彼が騒ぎに紛れ込んでいなかったからこそ、あれだけの被害で収まった、という言い方もできる。
しかし、今回は……
「いやぁぁぁぁぁ、東郷君逃げてーーー!!」
クラスの女子の悲鳴に、え?と首だけで振り返り、そのまま首をかしげる。五十嵐と高屋敷に両手を拘束されているので、こういった体勢になってしまうのだが、なぜ俺が危ないのだろうか。などと考える東郷。
答えは簡単。彼を拘束している二人の鬼がそれぞれの得物を手に、彼へと狙いを定めているからにほかならないのだが。
やられる、とクラスメイトの誰もがそう直感した。ついに死人が出てしまう。思わず目を覆う彼らだったのだが。
『めーる、めーるだよ~。ご主人様~はやく見て~』
突然に、間の抜けたような電子音声が教室に木霊する。シーンとするクラスメイト達をよそに、その後も数回、その音が鳴り響いた。
「………なんだこれは」
「え?これ、ケータイの着信音……なの?」
それぞれ五十嵐と高屋敷がリアクションを返す。彼女らもこの音に意表を突かれてしまったようだ。
「おっと、俺のケータイだ。二人ともちょっと手を離してくれないか?」
「「は?」」
呆気にとられたのか、簡単に東郷を解放してくれる。よいしょとポケットからケータイを取り出しメールを開いてみた。
「うーん、またこのメールか」
文面を見てつぶやく。その差出人は、彼のケータイ自身だ。