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多角形の家や曲線を描く壁など、家だとは思えないような形の建物ばかりが、雑多に並んでいる。バッファロー馬たちが通った道もまともな道にはなっておらず、家を建てた後余ったところ、といった感じだ。遠近感覚も狂ってしまいそうな不思議な光景だった。
口を半分開けて唖然としている海音を、貴志は呆れたような面白がっているような笑みを浮かべて眺めた。海音の乗ったバッファロー馬の真横に立っているのに、海音は貴志のことが全く目に入っていない。
「おい、降りろ。降りたって見えるんだから」
たまりかねて貴志が声を掛けると、海音は恥じ入った様子で建物から目を離した。自分が動物に乗っていることなど、意識から外れてしまっていたのだ。まだ薄ら笑いを浮かべている貴志の肩に黙って手を置き、バッファロー馬から飛び降りる。海音が下りたか下りないかといううちに、アンディの乗ったバッファロー馬は走り出して、挨拶する間もないまま、一行はカウベルの音を響かせて消えた。
海音がそれを見送っているうちに、貴志は静かな町に金属音を響かせながら、大股に歩きだしていた。濁った薄紫色の、一番大きな建物へと真っ直ぐ歩いていったので、海音はその建物が行き先だとすぐに分かった。
その建物は、基本的には四角だが、壁には角が無数にあった。無駄に凸凹しているせいだ。大きな四角をたくさんくりぬいたみたいに見える。そんな形でも、周りの建物の中では奇抜さが足りないくらいだった。
どの建物にも庭や柵はないので、建物の間がたまたま道になったような道だ。海音は、真っ直ぐ歩いているのか、実は曲がっているのか、わからなくなりながら貴志について行った。
四角にくりぬかれた部分の一つが、お店の扉のようなガラス張りの扉になっていて、貴志はその扉を押して中に入った。海音も後に続きながら扉の脇にあるトウモロコシの看板をじっと見た。海音は飾りも看板も、表札すら一つたりとも見当たらない町に、一つだけあるこの看板を妙だと思った。明らかに一つだけ、ここの物ではない物が混ざっているような感じだ。
「これ変だよ」
扉を閉めながら前を歩く貴志の背中に向かってつぶやくと、貴志は「しー」と海音の言葉を遮った。海音が言おうとしたことを口止めしたのか、この場所では静かにしなければならないのか分からなかったので、海音は取り合えず黙った。
中に入るといきなり廊下になっていて、外の壁と同じ色の、無機質な何もない廊下を歩くと、再び店の入り口のような扉があった。
「ディーナ、貴志だ」
貴志がノックをして親しげな声の調子で声を掛けるのを聞きながら、海音は、外観とは打って変わって鮮やかな扉を眺めた。壁の色に反して毒々しく目立つ赤い扉には、さまざまなステッカーが貼ってある。それは、よく見ると不思議な身なりの人の写真だ。地球のどこかでお目に掛かれそうな服装の人もいれば、コスプレだったとしてもありえないような身なりの人もいる。
そして、特に違和感があったのは、どうやら、姿形まで見慣れた人間ではない人がいるようだ。角だらけの人や、手足の本数がおかしい人などはましな方だった。海音はこれが本当に写真であることを半信半疑でそれらを眺めた。さまざまなファッションの人々の真ん中には、キラキラ光る塗料で「ディーナの衣装部屋」と癖字で書かれていた。海音はそれを読んで納得した。服を売るお店なのだ。しかし、ここに張られているような人々が町中をうろうろしているのかどうかは定かではない。少なくともサラの店にはそこまで不思議な恰好をした人はいなかったが、どこにもいないことを祈るしかなかった。
永遠に待ったかに思え、貴志もイラつきを隠せなくなった頃、なんの前触れもなく扉が開いたので、海音は飛び上がった。
扉を開けたのは、濃い褐色の肌の美しい顔立ちの黒人だ。海音はその人を見てまず、性別が分からなくて戸惑った。
シャープな印象のすっきりした顔で、短い茶髪、両耳に金の大きな輪っかのピアスをしている。裾が膝に届きそうなほど大きな紫のシャツと、細身の黒いパンツという出で立ちだ。美しく、颯爽としていて恰好よかったが、長くて細い手足が、海音の見てきた日本人の体型とはかけ離れていて、性別を判断するのは無理だった。
「まあ、貴志。連れなんて珍しいわね」
その美人が、澄んだ瞳で海音を見ながら言った。よく響くカウンタテナーの声だ。
海音は、口調はともかく、声を聴いておそらく男性だろうと思った。そう思って見れば、首筋や顎のラインが男性的だ。中性的な美しさはむしろ自然なほどで、違和感も気持ち悪さもなかった。
「今日は特別な仕事を頼みたいんだ。とにかく、こいつは当分世話になるからよろしく」
貴志は珍しく、真面目な調子で言った。海音がお世話になるというのはどういうことだろうと案じていると、その美人は落ち着いた笑みを浮かべて、海音に手を差し出した。
「こんにちは。この店の店主、ディーナよ」
海音はおずおずと手を差出し、「海音です」と言った。美しい顔と、筋ばっていて硬いディーナの手は、より一層海音を混乱させた。海音は、ディーナを女性と思って接するべきなのか迷って、貴志の顔とディーナの顔を交互に見たが、どちらも、特に説明するようなことは何もないような態度だ。海音は、女装趣味のある男性や、ニューハーフの人と接したことが無いので戸惑ったが、何も気にすることはないのかもしれないと納得することにする。話をするときに、何も性別で区別はしていない。
ディーナに続いて店の中に入ると、小さな疑問など頭から吹っ飛んでしまうほどの光景が広がっていた。
中は広いようだったが、部屋の大きさは把握することが出来なかった。部屋中に、全身をコーディネートされたマネキンが立っていたからだ。マネキンたちの間には、さまざまな服飾品がぎっしりと収められた棚が、所狭しに置かれている。
服が大量にかかったハンガーラック、帽子だらけの棚や、サングラスが並んでいるワゴン。マネキンもそうだが、それらは店で売られているような置き方はされていない。趣向も文化もさまざまな店の中身を全部持ってきて、この部屋に詰め込んだような、物の多さと多様さなのだ。それぞれの棚や品は整理整頓されているが、部屋自体は、現実とは思えない服の渦だった。
ディーナが歩いていくところ以外に通れそうな隙間がないので、海音はその光景に圧倒されながら、ディーナの後に付いていった。貴志は、慣れた様子で海音の後ろから付いていく。
何十人ものマネキンの横を通ってたどり着いたところには、5メートル四方ほどのスペースがあった。そこはいくつもの可動式の鏡に囲まれていて、海音は居心地が悪くて仕方がない。
そこには、ディーナとは対照的な、背が低くて小太りの、明るい茶髪の女性がいた。
「ミーガンよ。私の助手」
ディーナが紹介すると、ミーガンは愛嬌のある明るい顔で、満面の笑みを浮かべて挨拶した。海音は軽く頭を下げる。
ディーナはバレエダンサーのように軽やかに踵を返して言った。
「さあ、早速聞くけど、どんなお題なの?」
ディーナがきりっとした眉を持ち上げて、少し吊り上がったアーモンド形の目で貴志を見つめると、貴志はよどみなく言い放った。
「こいつを正体がばれねえようにこの町でかくまう。手間の掛かんない方法で変装させてくれ」
なんのために初めにここに来たのかが分かって、海音は驚いた。匿ってくれるとはいえ、どこかの建物の中に引きこもるとか、山奥で一目に付かないように暮らすようなことを、ぼんやりと想像していた。いや、まったく貴志に任せっきりで、ろくに何も考えていなかったのだ。そんな方法ではサラに会いに行くことも出来ないのだから。
海音は改めて、自分が会ったばかりの他人を信頼しきっていることにも驚いた。もともと警戒心の強いほうなのに、貴志に安心感を抱いている理由は、自分でもわからなかった。
それにしても、変装してずっと暮らしていくなんて、考えただけでも大変そうだ。
ディーナはこの依頼に驚きもせず、理由も聞かずに海音の周りをぐるりと回って観察し始めた。
「どの程度わからないようにしたいの? あと、期間は?」
あまりにもディーナがじっと海音を見るので、まるで医者に見られているような気分で落ち着かない海音の視線は、忙しなく宙を泳ぐことになる。ディーナの脇に控えたミーガンも、人形のような丸い目で、海音とディーナを交互に見る。貴志だけは、鏡の間からマネキンたちを眺め、眉根を寄せて答えた。
「今のこいつの顔写真と目の前で見比べても、簡単には気づかないくらいだな、出来れば。……期間はずっとだ」
最後の言葉を言うときは貴志も、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。海音は、一瞬意識が彼方へと去りそうになった。
ここに来るまでにこの部屋で見た、数々のマネキンたちを思い出すと、鳥肌が立つ。一体どんな変装をするにしろ、余りにも慣れない恰好は避けて欲しいものだ。
「この子の場合、髪の毛が一番の特徴になりそうね。ずっとなら、髪を染め続けるのは面倒だけど」
ディーナは海音の髪を一束手にして、髪質を確かめるように触った。海音は髪の毛だろうとなんだろうと、身体の一部を触られるのが基本的に嫌いだったが、ディーナの手つきはまるで何かの振り付けのようにしなやかで、それでいてさりげない。そして、性別が分からないので、気にせず自然体でいられた。しかしディーナにそういった才能があるとはいえ、自分が顔がわからなくなるほどの変装をするために吟味されていると思うと寒気がした。
「ガラッと雰囲気変えてみたらどうかしら。何か強烈なイメージがあれば、顔なんて誰もみないわ」
ディーナは自信満々に言い放ったが、その言葉に海音は益々不安になった。強烈なイメージとはいったいなんだったとしても、派手な恰好をしたら、いちいち目立って暮らし難いに違いない。いい変装の方法だとは思えなかった。しかし、貴志は納得しているようだ。
「こんな白っぽい綺麗なブロンド、染めたら勿体ないわね」
考えこみながら、ディーナは何かを手真似でミーガンに指示した。ミーガンはすぐに理解して、鏡の間からどこかに消える。その直後、がたがたともの凄い音が遠くに聞こえる。ディーナはため息を吐いたが何も言わなかった。たぶん、マネキンが何体か倒れたに違いないと海音は思った。
髪を乱して戻ってきたミーガンは、不気味な棚をキャスターで引いて来ていた。
その棚には、マネキンの頭だけが大量に羅列していて、それらは皆、海音と同じような薄いブロンドで、さまざまな髪形をしていた。それからしばらくの間、海音の頭はそれらのカツラをかぶっては脱ぐの繰り返しとなる。ミーガンが何度か頭を落としたり、カツラの毛を引っこ抜きそうになったりしたあと、ディーナが機嫌よく言った。
「これがいいわ」
ようやくディーナが満足したそのヘアスタイルを見て、貴志は驚愕と言ってもいいほどの顔をした。海音もディーナの選んだ髪形に賛成とは言えなかった。そのカツラは、細かくウェーブしてかなり広がっている長髪だった。後ろから見ると、背中が全く見えないほどだ。どう考えても、一番の特徴だと言っていた髪を全面に主張してしまっている。
しかし、ディーナは一欠けらの迷いも見せず、さっさと海音の頭からカツラをはぎ取ると、ミーガンに指示して、何かの準備を始めた。茫然としている海音を引っ張って、鏡の向こうにあったシャンプー台に寝かせる。あっという間に、海音の長い髪は綺麗に洗われた。あの髪形にされることには戸惑っていた海音だが、ディーナのシャンプーの心地よさにはすっかりリラックスしそうになる。
貴志はその様子を見ながら、口を出したそうにそわそわしていたが、何も言おうとしない。海音の髪には無事にパーマが掛けられた。いい匂いのするペースト状の薬を付けて少し待っただけだ。それを流し、ドライヤーで髪を乾かした。海音は、ドライヤーなどの電化製品が当たり前のようにあることに驚いた。なんとなく、全く違った技術が使われていたりするのかと思っていた。実際は、床に置かれた四角い箱から電力を供給されていたこと以外は、とくに日本の美容院と変わりはなかった。
無事に海音の髪が細かいウェーブになると、ディーナは前髪にだけ、真っ直ぐに切りそろえられた部分カツラを付けた。
出来上がった海音の髪は、まるで人形のように人間味がなく、ものすごい存在感だ。ディーナの言っていたように、海音の平坦で特徴のない顔や、灰色のなどが目に入らなくなるのは請け合いだ。
そのころになると貴志は、もうどうにでもなれと、その場から離れてしまっていた。
「何色がいいか、選んで」
最後に海音の横に運ばれてきたワゴンには、鮮やかで派手な色の髪の毛の束が沢山かかっていた。海音は見ているだけで目がちかちかして、どれも選ぶ気にはなれない。
「つけるんですか?」
不安気な眼でディーナを見上げると、ディーナは笑みを浮かべて、束の中から何本か取って、海音に選ぶように差し出して言った。
「こういうのを付けると、あなたの髪はほぼ白に見えるようになるし、一束だけ色が違うとそっちに目が行くでしょ? 隠すよりいいわよ」
海音は3本の髪の束を見つめて黙っていた。どれも主張が強い、目立つ色だ。どう考えてもこれを付けて町を歩いたら、人目を引くだろう。ここの人々の常識が分からないので、どう思われるかはわからないが、ディーナの狙い通り、強烈なイメージであることは間違いない。海音は自分でそんな人生への一歩を踏み出すのは気が引けて、選ぼうとしなかったので、ディーナがさばさばと言った。
「じゃあ、これがいいわ。一番髪が白っぽく見えるし可愛いから」
ディーナは海音の硬直した表情など欠片も気にせず、キラキラした藍色の髪を、海音の髪の右耳にかかる辺りに付けた。
「おい、これはいくらなんでもやめないか?」
いつの間にか貴志が海音の横に来ていて、怖いものを見るような目で海音の髪を見ていた。
ディーナはすまし顔で海音の椅子を回して貴志の方に向けると、どこからともなく出した写真を貴志の目の前に突き出した。いつの間に撮っていたのか、さっきまでの普通の海音だ。
「ほら、顔も髪も変えてないのに、まるで別人でしょ?」
ディーナの自信も、あながち間違いというわけではなかった。大した特徴もなく、地味でおとなしそうだった海音の写真と、今の人間離れした派手な髪の毛の海音を比べると、とても同一人物だとは思えない。とはいえ、余りに目立つので、結局は逆効果である可能性も否めない。
貴志はすかさず言い返した。
「こいつは別人になって目立たず、ひっそりと暮らすんだ。こんなんじゃ、正体がばれないにしても平穏に暮らせないだろ」
海音はやっぱりここでもこの髪形では目立つらしい、と思いながら、無言で激しく貴志に同意した。ディーナは驚いたように目を見開いている。そして当たり前のことを言うように落ち着いた口調で言った。
「あんたと一緒で、平穏に暮らそうなんてどっちにしろ無理よ」
貴志はその言葉が気に障ったのか、段々いらいらと声を荒げた。
「わざわざこんな髪形で煽ることないだろ」
ディーナも憤慨して一歩貴志に詰め寄る。
「このあたしの仕事に文句言うの? せっかく素敵な髪してるんだから、あたしにそれを台無しには出来ないの」
「今回の依頼は隠すことなんだよ。頼むからファッションのことは忘れて変装に専念してくれよ」
貴志は苛立ちを抑えて、諭すように言ったが、ディーナは止まらない。
「あたしは元々おしゃれにするのが仕事なのよ。変装を頼むあんたが悪いの。それに、この子だって年頃の女の子なのよ。この綺麗な髪を切ったり染めたりしろって言うの?」
貴志はその言葉には閉口する。引き下がりたくはないようだが、困ったような目で海音を見たので、海音は控えめに言った。
「別に髪は好きじゃないからいいんです」
するとディーナはキッと海音を睨んで早口に言った。
「あたしがダメなの」
海音は苦笑したが、貴志は呆れてうんざりした顔をした。
「結局お前の希望じゃねえか……」




