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波の綾~ごちゃまぜ世界~  作者: 江戸ノ野良
コーヒーの味と金属の音
6/22

*****

 「鳶崎って名字?」


 嵐が去った後のように静けさに包まれた道の真ん中で、海音はあっけらかんと聞いた。


 キシは黙ってうなずく。とても落ち込んでいて、口を開く気にならないようだ。無理もないと海音は思った。あんなに必死で隠そうとしていたのに、あっさり写真を撮られてしまったのだから。しかし、正直あそこまで誤魔化しが下手なのは信じがたいほどだ。こんなに落ち込んでいるのでなければ、何か他の意図があってわざと写真を撮らせたみたいな、格好良くて頭脳的な展開を期待していたのだが、どうやらキシにそのような高尚な心理学的技術はなかったらしい。


 「キシって呼んでいい?」


 海音はキシが落ち込んでいるのを完全に無視して聞くと、キシは一瞬哀れな表情で海音を一瞥した後うつむくようにして頷いた。キシの目つきは明らかに、自分の不機嫌をアピールし、呑気な海音を見咎めているようだったが、海音はそれをわかっていて無視を決めこんだ。事情が分からないのに、一緒に落ち込む気にはとてもならない。


 海音は必要以上に状況を悲観したり、先のことを案じたりはしない。それが海音の処世術なのだ。しかし、さすがにサラの店で聞いた話はどう考えても心配すべき内容だった。海音は、落ち込んでいないで早く状況を説明してほしいと思った。それを聞こうとすると、何か言う前にキシがぼそぼそと言った。


 「お前っ……サングラスは?」


 海音は一瞬何のことか分からなかった。それから自分の手に持ったままのサングラスの存在を思い出す。そこで初めて海音は、顔を隠すためにサングラスをかけるべきだったのだと気が付いた。しかし、あの状況でそこまで察することを期待されても困る。


 「意味わかんなかった。ごめん」


 海音は感情の無い声でそう言いながら、サングラスを返した。キシは哀れっぽく溜息を吐きながら、それを受け取る。そのとき、チリンチリンと軽いベルの音がした。サラの店のドアベルの音だ。



 「あんたたち、ここで何してんの?」


 サラの声に海音は振り返った。サラはエプロンも取らずに店から出てくるところだった。キシと海音は、サラの店から見えるところに突っ立っていたのだ。


 「倉庫にいないから心配したんだよ」


 その言葉で海音は倉庫から黙って抜け出して来てしまっていたことに気が付いた。サラが心配するだろうという考えにも及んでいなかったので、海音は驚いて申し訳なくなった。


 「ごめんなさい」


 「無事ならいいんだけどね」


 サラはそう言いながら、慰めてくれと言わんばかりに、わかりやすく落ち込んでいるキシを冷ややかな目で眺めた。キシはサラのことを見向きもしない。


 「キシはまたなんかやらかしたの? ウミネが困るようなことになってないだろうね」 


 厳しい口調に、キシは「あー」と濁った声で呻いて、サラを恨めしそうな目で見た。


 「困るようなことになった、かも」


 一見、反省の色もないような貴志に、サラは信じられないという顔をした。


 「かも? あんたが付いててどうしてそんなことになるの?」


 キシは今度こそ本当に落ち込んだようだ。わざとらしい表情をやめ、力が抜けたように肩を落としてブツブツという。


 「俺が悪いんだ。あいつに写真取られたら終わりだよ。俺が責任取ればいいんだろう。そうするよ」


 サラはキシの顔を見て、本当によくない状況になっていると悟った。たいそう心配そうな目でキシと海音を見る。しかし、海音は無表情にキシを眺めて突っ立っているばかりで、危機感を感じているようには見えなかった。


 「とにかく、説明して」


 強い口調でサラが言うと、キシはいやそうにため息を吐いた。



 「カク? 何それ」


 丁度お昼の後の時間でほとんど客が来ない店内で、3人は再びコーヒーを前にテーブルを囲った。サラが何度かしかりつけ、催促し、なんとかキシから聞き出した話は、サラにも海音にも、違った意味で理解できないことだった。


 「核爆弾だよ。そういう恐えーもんがあんの」


 核爆弾という言葉を聞いたことがないサラのために、キシは雑な説明をした。サラはこの小さな店を営んでいるだけのごく平和的な人間なので、一般的でない兵器の話など欠片も耳にしたことは無かった。しかし、「核爆弾」こそが海音を取り巻く騒ぎの源だったのだ。


 海音は日本で育ったので、もちろん核爆弾のことは、詳しいというわけではないが、知っている。しかし、この世界のことがよくわからないので、話の核心がつかめないでいた。


 「なんでその兵器のために海音が付け狙われなきゃいけないの?」


 サラは納得いかないという顔だ。海音はというと、核や兵器が絡んだ問題だということが分かりだしてから、青い顔をしていた。何もかも訳が分からないが、これはただ事ではないということだけは分かる。海音は戦争とか、兵器とか、残酷なことがとても苦手だった。戦争映画なんてとても見られないし、各国の核兵器の所持数を初めて聞いたときには、世界に終わりが来る前に死にたくなったものだ。


 「この世界にあるどの武器よりもとんでもねえ兵器が、この子の出身地にはあったわけ。それで、少しでも情報を得ようと、いろんな悪い組織が志田海音を探し回ってる……つうのにあいつに写真なんか撮られてさあ」


 キシはまたもや先ほどの失態を思い出し、「もう終わりだ」と悲観的にテーブルに突っ伏してうなだれた。


 「日本には核兵器ないよ」


 海音が微かに震える声で即座に訂正すると、キシはむくりと起き上がって海音を見据えた。


 「そんなの関係ねえよ。核持ってる国のガキだってお前ほどにも核のことなんか知らねえだろ。問題は核に関する教育を受けているかどうかだ」


 海音はキシの言うことがもっともなような気もしたが、正直いくら説明されても、完全には理解できなかった。核兵器など、ニュースなどで取り上げられて問題にはされても、まだ選挙権もないような子どもの海音には、現実とはほど遠い問題だったからだ。本当はもっと勉強して、社会問題に興味を持ち、核廃絶などに力を注ぐべきだったかもしれないが、残念ながら海音は世界的な大問題を気にするより、目先の問題で手いっぱいだったため、核のことは頭の片隅に書き留めておいたほどの知識しかない。


 「捕まえられたって核の情報なんか持ってない」


 海音が蒼白な顔で、なんとかこの問題から逃れようと言い訳すると、キシはこれまでになく厳しい口調で言った。


 「連中はそんなこと気にしない。もしかしたらお前が科学の勉強を相当してきた学生で、核に詳しいっていう可能性だってあるだろ。そうじゃなくても、どんな細かい情報でも欲しがってるんだ。お前が追われてるっていう事実は変わらない」


 海音もサラも、声も出なかった。



 サラは固くこぶしを握り締めてテーブルを見つめていた。眉間に、もう長いことそんな表情ばかりしていたかのような深い皺が刻まれている。


 海音はサラの顔を見つめ、純粋に悲しそうな顔をした。サラのような暖かい人に恵まれ、楽しくやっていけると思ったのも束の間、サラをこんなに心配させて、逃亡生活をしなければならないのだ。この先自分の身に何が起こるにしても、せっかく巡り会えたサラとの縁を、手放したくなかった。しかし、心配ばかりさせるのはもっと嫌だ。


 でも今現在は誰にも捕まりそうにもなっていない。何か、解決策はあるはずだ。


 海音は、高望みをするつもりも、楽天的でいるつもりもなかったが、諦めて悲観に沈むつもりはもっと無かった。解決策を仰ごうとキシの顔を見て口を開きかけた。


 「まあ、写真撮られたのは俺のせいだしな……俺が面倒みるから安心しろ」


 キシは唐突に、口からなんとか絞り出したような歯切れの悪い口調で言った。海音もサラもいぶかしげにキシの顔を見つめる。キシは真面目で頼りがいのある顔をしようとしているようだったが、少し目が泳いでいた。第一、元々キシの顔は病的なまでに白くて骨っぽくて、そこに鋭い大きな目を加えたとしても、とてもではないが威厳や迫力に欠けるのだ。


 サラは疲れた顔で、数秒間キシの真面目そうな顔を見つめた後、突然笑いだした。海音は驚いて、テーブルに肘をぶつけ、ガタンと大きな音をさせたくらいだ。キシもわざとらしい顔を崩して、眉を潜めて穴の開くほどサラを見つめた。


 サラはひとしきり笑った後、いつもの笑顔を浮かべてキシを見つめて言った。


「あんたは咄嗟の嘘を吐けないとこが心配だけど、仕事はちゃんとできる男だからね。海音のことは任せるから、毎朝無事に、二人でコーヒー飲みに来てちょうだい」


 海音はきょとんとしていたが、どうやらサラがもう心配していないことが分かってほっとした。それに、どうやらキシが責任を持って海音を守ってくれるらしい。もともと自分のことでも他人行儀で人任せなところがある海音は、サラが心配しないなら自分も心配しないことにした。


 キシは尚も腑に落ちない顔でサラを探るような目つきで見ていたが、サラの眉間にはもう皺が刻まれてはいなかった。


 「キシの仕事って何?」


 海音が金髪を揺らし首を傾げてキシを見ると、キシはやっとのことでサラから目を離した。


 「何? ああ」


 キシは照準が合わないような目で海音の姿を捉えると、「うーん」と悩んでしまった。サラも、なんといっていいかわからないような思案顔だ。海音はどうして仕事を説明するのに二人が悩むのか理解できなかった。でもよく考えれば、二人が悩むのも無理はないということに海音も気づくはずだ。


 通常「会社員でどこどこの会社」とか「公務員でこんな仕事」とか説明すればいいものを、海音はこの場所で「公務員」に当たる物の名前などを知らないのだ。更に言えば、ここで公務員に当たる物なんて簡単な説明で済むほど、ここと日本は似ていないし、世の中の仕組みも単純ではない。


 「あれだ――その、人探しのときにだな」


 キシが歯切れの悪い声でもごもごと言った。それを聞いてサラは「そうそう」と頷いたが、それだけでは何の説明にもなっていない。海音はますます首を傾げるばかりだったが、キシはそのあとにどう続けるかにも悩んでいるようだ。


 「ほら、行方不明とかな。借金踏み倒して逃げてるやつとか。……お前とか」


 キシがさらりと最後の言葉を付け加えるとすぐさまサラが呆れ顔でキシの頭を叩いた。海音は怪しむような目でキシを見る。


 キシは言葉を探してなかなか口を開かなかったが、海音の目が今すぐ説明しろと言っていたので、つっかえつっかえ説明しだした。


 「とにかく人をな、自分で探しても見つかんないときにな、――えーと、誰かに頼むな。うん」


 そのときチリンチリンと入口のベルが鳴り、客が入ってきたのでサラは慌てて「いらっしゃい」と席を立った。キシはすがるようにサラを目だけで追いながらも、話を続けざるを得なかった。海音が灰色の目でキシを見据えていたからだ。


 「誰に頼んでいいか分かんなかったりするよな。無駄に金ふんだくられたり。それじゃあ困る」


 キシはそこでまた言葉に困ってサラの方を見たが、客にテイクアウトの包みを用意していてこちらには見向きもしない。助けてくれそうにないと悟ると、キシはやけくそになったように早口にまくしたてた。


 「そんで俺が仕事を受けて、探してくれる奴に頼んで、人を見つける。見つけた奴に俺が金を払い、客は俺にその分の金プラス紹介料を払う。――仲介して、紹介料をもらうの。わかった?」


 その勢いに客もいぶかしげにこっちを見るほどだった。しかし、キシががんばって説明したにも関わらず、海音はあっさり「わかんない」と言う。


 「キシは連絡取って頼むだけなの?」


 悪びれずにそんなことを言う海音に、キシは苛立ちを抑えて、歯を食いしばっているみたいな声で言った。


 「下調べしてどの辺にいてどんな方法を使うやつが適任か考えて頼む。指名手配してビラ配ったり、遠くまで行って、現地の人に交渉して手伝ってもらったり……いろいろ大変なんだよ!」


 最後は軽く怒鳴り声だ。サラが咎めるように「キシ!」と声を掛ける。客はキシを白い眼で見て出て行った。


 しかし、海音は反省する様子も怖がる様子もなくキシはなんて短気なんだろうと考えていた。説明が分かりにくかったから聞いただけなのに、仕事を馬鹿にされたと思って怒り出すなんて、子どもっぽいことだと思う。


 そこで海音はふと、さっきのキシの言葉や、朝聞いた酒屋の男の話を思い出した。


 「それで、わたしを探すっていう仕事が来たの?」


 海音は背筋が寒くなるような感覚を無視しようと努めながら、さっきまでのあっけらかんとした様子から打って変わって神妙な顔で聞いた。キシもそれを聞いて落ち着きを取り戻し、突き放すような、なだめるようなどっち付かずの目で海音を見た。


 「そんな怖えー理由で人探す奴の仕事受けたりしねえよ。幸い、兵器目当ての奴らに見つからないよう保護してくれっていうオファーもいくつか来てる。今回の俺の仕事は、お前を見つからないように隠すってことだ」


 キシはまだ拗ねたような言い方だったが、海音はほっとして肩をなでおろした。


 核兵器を求めて自分を探している人が沢山いると聞いてから、ここではどこに行っても恐ろしい人々が自分を付け狙っているという考えが渦巻いていたのだが、まともな平和主義の人もいるらしいということがわかって救われる思いだ。


 「それに俺のせいで写真撮られたからな。サラの頼みでもあるし。仕事抜きでも面倒はみてやるよ」


 キシは先ほどの失態をよほど気に病んでいるらしい。だがそれも無理はない。朝の一件のことを考えても、キシはかなりごまかすのが下手だったし、過失とはいえ、それのせいで海音を窮地に追い込みそうになったともいえる。


 海音は、自分がキシに気を許したことは間違いではなかったと感じた。身よりもなく、危険な状況に追い込まれた自分の面倒を見てくれるというのだから、感謝してもしきれないほどだ。


 しかし、海音は感謝は露ほども表に出さずに真顔で言った。


 「本当にキシは仕事ができる人なの?」


 余りに率直な物言いに、サラがテーブルに戻ってきて椅子に座りながら噴き出した。



 「大丈夫よ。仕事のときは、計画的にやるから嘘もつけるの」


 からかうようににやにやしながらサラが言ったので、海音はなるほどとうなずく。


 「嘘つくのが仕事みたいに言うな!」


 キシが吐き捨てるように言った。その様子を見てサラは益々笑いをこらえきれない。海音も小さく笑みを浮かべた。キシは不機嫌に二人を見て、その笑顔を視線の端に捉える。


 キシは微かに笑った海音の顔をただ眺めた。そして一瞬で消えたそれを見送り、ジャラジャラと金属音を響かせながら立ち上がって、気持ちを切り替えたように言った。


 「じゃあ、計画的な嘘の用意に行くか」


 そのままふらっと店を出て行くキシに黙ってついて店を出ながら、海音は振り返ってサラを見た。サラは笑顔を作って手を振り、いつもの暖かいまなざしで海音を見送った。


ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。ご意見ご感想をよろしくお願いいたします。率直なご感想をお待ちしております。

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