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波の綾~ごちゃまぜ世界~  作者: 江戸ノ野良
コーヒーの味と金属の音
5/22

****

 窓の外には、広めの間隔をあけて隣の家の壁があった。右手には表の道が見える。


 海音は、窓を開けたのはいいものの、よく知らない人物を目の前にしてどうしていいかわからず、黙ってキシを見つめた。窓を発掘しているうちに不思議と、不安な気持ちはなくなっていたが、キシは相変わらず焦りを隠せない様子だ。さっきまでの海音よりずっと困った顔している。


 窓は高い位置にあったので、海音はキシを若干見下ろす形になっていた。


 「あのな……ごめんな。ばれなかったよな? 怪我しなかったか?」


 キシはぶっきらぼうに言いながら、直射日光を見上げているかのように、顔を歪めて海音の顔を見た。しかし、海音は皿を割ったことなど忘れていたので、返事をするまでにしばしかかった。怪我はしなくて済んだので、そう伝えようと思ったが、その前に、皿を割ってしまったことをサラに謝らなくてはという考えが浮かんでしまい、図らずも返事をせずに黙りこんでしまった。


 「外は大丈夫そうだから降りろ」


 キシは辺りを見回しながら、戸惑っている海音の腕を取って自分の肩に置いた。海音はよくわからないまま、キシの肩と窓の桟に両手をかけて外に飛び降りる。するとキシはサンダルを履いた海音の足を見て、「怪我はしてない」と呟いた。


 海音はやっと「うん。大丈夫」と言った。それからキシの焦りようなど気にする様子もなく、思い出したように訊いた。

 

 「さっきの、どうやったの?」


 キシは眉を潜めて「何が?」と訊き返す。面喰ったような顔をしている。おそらく、海音が怖がったり、不安がっていると予想していたのだろう。しかし、海音はキシが現れたことで、不思議と安心感すら覚えていた。一人で案じているキシが滑稽なほどだ。


 「声が大きく聞こえた」


 海音がなんて説明していいかわからずそういうと、キシは「ああ」と頷いた。そして、ふざけているのか、真面目なのか判断のつかない、困った顔のまま答えた。


 「俺の秘密道具」


 海音は改めてキシの全身を眺めた。ものすごい数の金属製の物がぶら下がったり、仕舞われたりしているが、おそらくこれが全部「秘密道具」なのだろう。


 「それで……言いにくいんだけど」


 キシが本当に言いにくそうに切り出したので、海音はぱっとキシを見上げた。キシは早口に言い切った。


 「お前のことを探し回ってる連中がいるわけ」


 「さっき聞いた」


 海音はにべもなく言う。キシは片眉を器用に持ち上げた。

 

 「理由しりたくないか?」


 キシはもっと海音が話題に食いついてくることを期待していたようだが、海音は眉一つ動かさずに「別に」と言ったので、困ったような、少し苛立ったような顔をした。ベルトにぶら下がった道具を左手でいじりながら、なんと続けていいかわからなくなってしまったように黙りこむ。


 海音はその様子を無表情に眺めながら唐突に訊いた。


 「ここはどこ?」


 キシは驚いたように目を上げた。海音は大した質問ではないような顔だ。


 「あー知らねえよ。お前、自分がここに来る前にいたところがどこだったのか説明できるのか?」


 面倒臭そうな顔で空を仰ぎ、どこか諦めたような投げやりな口調でキシは言った。


 海音は少し考えたのち、「日本」と言い捨てる。ここがどこで、ここに来る前にいた場所との位置関係を自分なりに考えても、当然のごとく答えは出なかった。しかし、ここの人々が皆日本語をしゃべっていることを考えると疑問も残ったものの、ここが日本の中のどこかではないということは確かだと思ったからだ。


 キシは海音がきっぱりと答えたことを意外に思っているような顔をしながらも、何度かうなずいた。


 「じゃあ、ここはごちゃまぜだ」


 「ごちゃまぜ?」


 海音が妙な答えだと思って聞き返すと、キシは「ごちゃまぜだよ、ごちゃまぜ」と繰り返した。


 海音はもちろんその単語は知っている。しかし、キシが言っていることは理解できなかった。話の流れで言えば、「日本」に対しての「ごちゃまぜ」であるから、国の名前か、土地の名前などそれに当たるものの名前の筈だ。だとすると、いささかおかしい気がする。


 海音がわけのわからない顔をしていると、キシは少し落ち着いた様子で、説明した。


 「意味は知ってるだろ? そのまんまなの。いろんなところのごちゃまぜなのここは」


 それを聞いた海音は、「は?」という無愛想な声が聞こえてきそうな顔をしていた。胡散臭そうにキシを見上げている。しかし、それも無理はない。ここはどこか?の問いに「いろんなところのごちゃまぜ」ではどこなのかが全く説明出来ていない。


 「日本はどこにあるんだ? 地球は? 宇宙はどこにあんだよ。知らねえだろ。だから知らなくていーの」


 キシは本気でそう思っているようにそう言った。海音は納得したようなしないような微妙な表情で尚もキシの顔を見上げている。この全身チャラチャラの男を、信用すべきか否か考えているような顔だ。


 実際のところ海音は、理由はなかったが、この男を完全に信用していると言ってもいいほどに、疑う気が無かった。それに、よく知らない相手にも関わらず、生まれてから今まで話をした中の誰よりも、安心して、気を使わずに話ができるのは不思議なことだった。


 キシとは歳が中途半端に離れていて、今までほとんど関わることも無かったような年頃だ。その上、非現実的だが適当な言い方をするならば、この男は「異世界人」だ。海音は異世界人なんて分類の人に会ったことはなかったので、そんな風に考えていたわけではないが、キシがまったく知らない土地の人間で、日本人ではないということは確かだった。そんなこのキシという男に海音は気を許していた。


 「先に言っとくけど、ここにはいろんな世界の人間がいるから、お前なんか全然普通な方だぞ。全然異世界人じゃない」


 普通ならば理解不能なことを、少し邪険に説明しすぎたと思ったのか、キシは慰めるような口調で言った。この言葉はキシの狙いとは全く別のところで海音を安心させた。ここは、日本とはまったく違った世界であり、海音が異世界人ということになるとはっきりと言ったからだ。キシがそういう意図だったのかどうかは定かではないが、キシの言う通り、大切なのはここがどこかという純粋な問ではない。自分がどのような状況にいるか、ということなのだ。


 「みんな異世界から来たの?」


 少し考えて海音が聞くと、キシは「いいや」と答えて少し考えてから説明した。


 「移民だらけの開拓地みたいなもんだな。何世代前に来た、とか。同じ場所から来たやつらが集まったり、全然違うとこから来た連中でも一緒に暮らしたり、いろいろだ」


 キシの顔が少し得意げになっている。自分の説明でうまく海音を安心させたと思ったのだ。実際は、ここの人たちが親切で安全だということは今までの時間で十分に分かったのだから、ここが異世界だという事実を言ってくれればそれでよかったのだが。


 確かに、突然全く知らない土地に来たのだから、いろいろと知りたいことも不安なこともある。だが、大切なのは現在の状況の方なのだ。その理論はもしかしたら、今現在どうにかなっていればいいという考え方ができる海音に限ってのことかもしれない。


 しかし、そんな海音にしてみれば、サラが親切にしてくれ、異世界人であるということで、問題となるようなことは何もない。


 いや、問題がないなんてことはない。ここがどこか、という大きな問題を処理した今、海音は先ほど聞いた恐ろしい話を思い出してしまった。しかし、そのことについて考える暇はなかった。



 「あーいたいた。鳶崎貴志」


 力の抜けるようなやる気の無い声がキシの後ろから聞こえて、海音は驚いて後ずさった。しかし、二人がいたのは隣の家との間の、ほんの1メートルほどの幅の雑草だらけのところで、道の反対側は生垣だ。道の方から来たその声の主から逃げる術はない。


 声の主は、大きなカメラを首にぶら下げた、海音より少し年上に見える女の子だった。ボロボロのジーンズを履いていて、野球のユニフォームの下に着るアンダーシャツのような黒いシャツの上に、自衛隊が着る防弾ベストのような、ポケットだらけの迷彩柄のベストを着ている。体格は細身だが、大分筋肉質な体つきだ。赤毛を無造作に後ろで束ねていて、前髪はカチューシャで上げている。


 知り合いなのかと海音がキシの顔を伺うと、キシは少々面倒臭そうな表情で虚空を見つめたままで、声の方を振り返りもしない。海音は彼女の様子を見ながらなるべく目立たないようにキシを盾にしようとした。


 「さっきからずっと探してて……何してんの?」


 こっちを向いて道に立ったまま、彼女が問う。低くてハスキーな声で、見かけによらずのんびりした話し方だ。


 服装を除けば、小さくて尖った鼻に薄い唇、青い目も小さくてぱっちりしていて可愛らしいのだが、彫の深い顔なので太陽を背にしていると目に影が出来て少し怖い。白い顔は日に焼けてそばかすだらけだ。


 「何もしてない。お前が欲しいような情報も知らねえ。帰れ」


 キシは微動だにせずかたくなに言った。一瞬も向こうを見ていないのに、声だけで相手が誰なのかわかっているようだ。


 彼女はおとなしく帰る気はさらさらないようで、キシの向こうにいてよく見えない海音が誰なのか見ようとしている。引き下がる気が無さそうなのが分かると、キシはしぶしぶ振り返った。


 「なんだよ。何か用か? ほんと空気は読まねーわ、人の邪魔はするわ、お前らはもうちょっと思いやりを覚えろ」


 キシは説教臭い口調で言いながら、一体どこから出したのか、後ろ手に海音にサングラスを渡す。海音はわけがわからないままそれを受け取った。カメラの女の子はキシの顔を見ていて、このことには気づいていないようだ。しかし、サングラスを一体どうしろというのだろうと、海音は首をかしげる。


 「その隠してる女、誰? ネタになるかも」


 カメラのキャップを外しながら、女の子が言う。ぼんやりした口調とは裏腹に、かなり目ざとい。キシは慌てて早口に言った。


 「だれでもない。いいから行けよ」


 海音が店の中での慌てようを見ても思ったことだが、キシは誤魔化すのがうまくない。というよりは、明らかに怪しいし、むしろ相手の興味を煽ってばかりいる。わざとやっているのかと思うほど、相手の気を逸らすのが下手だ。


 海音はカメラの女の子が誰なのかも知らないので、状況がよくわからなかったが、もしかしたら危機なのかもしれないと思った。キシは全く逆効果とはいえ、海音に目を向けさせないように必死なようだからだ。しかし、海音にはどうにも出来ないので、海音はサングラスを手に持ったまま、突っ立っていた。


 「何その言い方。恋人とか? あんまり高くは売れないけど、撮っとこうかな」


 彼女は、大して興味が無さそうな口調とは裏腹に、キシを困らせる気満々だ。最早カメラをこちらに向けて構えていた。


 「あー待て、あれだ。仕事だよ。仕事なのに写真なんか撮られたら困る」


 キシは慌てて言いながら、海音を自分の後ろに隠したまま、彼女の横を擦り抜けようと不自然な歩き方で移動した。海音はキシの腕に促されるがままに、キシの背中にへばりつくようにして移動する。

 

 海音にはなんとなく彼女の言動で、彼女が何者であるかが分かっていたが、何しろ混乱の真っただ中なので、キシについていく以外できることはないし、邪推をしても無駄なので特に何も考えてもいなかった。そして、手に持っているサングラスのこともすっかり忘れていた。


 しかし、キシのこの不可解な行動がますます彼女の興味を引いてしまったようだ。海音を彼女から見えない側に保ったまま逃げようと必死なキシは、横向きに彼女の横を通りながら言う。


 「あとで要件は聞くから、な。俺忙しいんだ。じゃ!」


 キシが突然くるっと振り返ってこっちを向いたので、海音は驚いてキシの顔を見上げた。キシは口の形だけで「走れ」と言っている。相当焦っているような表情だが、いまいち緊迫した雰囲気に掛けている。キシは困っていても焦っていても、どこか本当ではないようなところがあった。

 海音が若干遅れてキシと同じ方を向き、走ろうとしたとき、ぐいっと腕が引っ張られ、気が付けば松林をバックに「パシャリ」と撮られてしまっていた。実際にはパシャリなんて音はしなかったが、間違いなく彼女は、海音の肩から上をばっちりカメラに収めてシャッターを押していた。


 キシは咄嗟のことにあんぐり口を開けている。海音は、まずいとは思ったが、一体何がいけないのかもわかっていなかったので、ただ驚いて、女の顔を見つめた。彼女は満足げに笑みを浮かべている。


 「可愛いんじゃない。鳶崎貴志の彼女」


 彼女はすっかりキシが恋人を隠そうとしていたと思い込んでいるようだ。しかし、ショックで声も出ない様子のキシと、よくわからないまま茫然としている海音を見比べて、何かおかしいということに気が付いたようだ。歳が離れすぎていることも、二人が恋人なんていう雰囲気ではないことも、誰の目から見ても明らかだ。


 彼女は口をわずかに開いて、ぱっちり開いた青い目で二人を交互に見た。


 「恋人じゃないの?」


 彼女は低い声で、問う。キシはこれ以上誤魔化す気力もなくなってしまったようで、落胆した顔で地面を見つめたまま答えようともしない。


 「じゃあなんで隠そうとするわけ?」


 彼女はわけがわからないという顔だ。海音も何も言わなかったので、気持ちの悪い沈黙が流れた。彼女はもうここにいても何も得る物はないと思ったらしくカメラのキャップを閉めながら独り言のようにぼんやりと言った。


 「まあいいや。あたしの仕事は写真を撮ることだけだし。あとはあいつらに任せようっと」


 挨拶するかのように最後に海音に目を向けてにっこりすると、彼女はすたすたと立ち去った。


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