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海音は困っていた。もし誰かに捕えられ、それも正体がばれてしまっている場合、どうするべきなのか、考えてもみなかったし、貴志に訊いてみもしなかったからだ。無論、そんなことはあってはならないはずだったし、ありえなかった。いざというときのことについて、貴志と話し合う時間が無かったことも確かだ。しかし起こってしまったのだ。
やたら艶やかな美人の船長は、海音にいくつもの質問をしたが、大半が何について訊いているのかも理解できないものばかりだったし、自分が志田海音であることがばれているとはいえ、正直に答えていいものかもわからなかったので、黙っていることにした。
海音は黙っているのが得意だ。誰かに訊かれたくないことを訊かれたり、責められたり、怒られたりしたら、適当に答えて、あとはなるべく黙っているのが一番早くやり過ごせる方法だと、幼い頃から思っていた。
しかし、海賊の船長はわがままだった。海音は、簡単に答えられて当たり障りのない質問には答えていたものの、答えられる質問は全体の一割にも満たなかった。すると彼女は怒り出したのだ。
海音は海賊が普段何をしている組織なのか知らない。武装して略奪をする組織なのか、海軍的な役割を持つ組織なのか。しばらくの間船の上で海賊たちを見ていて、持ったイメージは、「統一感がない」ということだ。
明らかに危険そうで人相の悪い者がうろついて武器をちらつかせているかと思えば、真面目そうな好青年が働いている。不真面目そうだが、危険そうには見えない者が船長にへこへこしているかと思えば、かっこつけた男が船長に友達のように話しかける。そして、船長の横にずっと控えていて、海賊たちの中では一番恐ろしいマックス補佐とかいう男は、自分より船長に丁寧な敬語で話し、まるで保護者のように世話を焼いている。
そんな組織の頭であるはずの彼女は、自分勝手でわがままで、しかし人当りがよく、怖くもない。そして、常識というものを持っていないらしかった。仮にも、海賊は海音を貴志の家からさらって来たのだ。質問に答えないくらい、当然予想されることだし、むしろ愛想が良かったりするほうがおかしい。しかし彼女はそれが我慢ならないらしかった。
「ねえ、あなた本当は何歳なの? そんな格好恥ずかしくない?」
「鳶崎貴志と一緒にいたの? あの人っていい人?」
「わたしのこと知ってる? 噂くらい聞いたよね?」
そして、彼女の質問は半分以上はくだらないものだった。海音は、彼女が見かけよりも随分若いのではないかと思った。見た目こそ、美しく、色気が合って完成されていたが、口を開いてみると、海音よりも年下に思えた程だ。
「なんでこの子返事しないの?」
挙句の果てに、周りの海賊たちに当たり散らすので、海賊たちも困っている。彼らの表情からして、彼女のわがままがいつものことのようだが、今日は特別機嫌が悪いらしかった。
彼女がこんなに可愛らしく魅力的な女性でなければ、男たちがこぞって彼女の言うことをきくはずがないと海音は思った。それほどまでに彼女は平凡で、とても巨大な船と百人を優に超しているであろう男たちを束ねる船長には見えなかった。しかし、海賊たちが彼女が可愛いからということを聞いていそうに見えないのも確かだ。
「アミさん、そんなのに構ってないで、お茶にでもしませんか」
海賊の一人が、無視され続けて起こる彼女を見かねて声を掛けたが、彼女はそれを無視して傍らの大男を愛くるしい目ではたと睨みつけた。
「私無視されるなんて嫌、マックス、どうにかして」
海音はそれを聞いて、その大男が銃でも出して脅しにきそうだと思ったのだが、その男は顔をしかめただけだ。周りの海賊たちも船長をどうなだめていいかわからず、悲惨な空気が流れ始めたころ、声が届いた。
「鳶崎貴志が来た」
海賊たちが貴志を探しに行ったことはわかっていたので、海音はさして反応を示さなかった。しかし、海賊たちはたいそうほっとした顔をしている。もしかしたら、あまりに船長を怒らせるので、貴志に行き渡されて厄介払いされるのではないかと、海音が淡い期待を抱いたとき、貴志の声がした。
「だーかーら、俺は凶器は持ってねえっつってんだろ」
憤慨した声はすぐ下から聞こえてくる。一応囚われの身でありながら、拘束は一切されておらず、多少動いても何も言われなかった海音は、そろそろと端に行って下の甲板を見た。
「お前らは武装してるくせに、人の武器は取り上げんのか?」
貴志は不平たらたらで、身に着けている物を調べられていた。その数は膨大で、どこに何があるのか、ちょっと見ただけではわからない。また、見て目では何に使うかわからないものの方が多いため、武装解除は簡単では無さそうだ。
「あ!」
調べていた海賊の一人が、武器を見つけたかのような声をあげたので、皆一斉に彼の方を見た。彼の手に握られているのは、小さなナイフ。確かに刃物で、凶器だ。
貴志は呆れたように、うんざりした口調で言う。
「あ! じゃねえよ。それ紐とか切るやつ。凶器として携帯してるわけじゃ……」
「没収だな」
真っ赤なシャツに黒いズボンの、格好つけた様子の男が、見下したように貴志を見て言った。ナイフは調べられ、虚しく持ち去られてしまう。
「ちょっ……それあんま触んな。お気に入りだから」
貴志は悲惨な顔で言ったが、大人数に囲まれて抵抗できず、ナイフは姿を消した。
貴志は嫌な目つきで赤いシャツの男を睨む。彼も、貴志よりそう背が高いわけでもないのに、顎を上げて貴志を見下ろした。彼は、少々くどい顔のハンサムだ。
「トニ、お前俺の何倍の刃物持ってんだ?」
赤い服の男、トニはベルトにぐるりとナイフを装備している。トニはわざとらしくニタニタと愛想笑いをして言った。
「俺も知らねえ。とにかく、お前は一応部外者で、危険人物の可能性があるから武装は認めねえぞ」
貴志はまだ何か言いたそうな顔をしたが、仕方なくといった様子でおとなしくなった。そして、ボディチェックが終わったので、船室の上、アミヴィア・ロアや海音がいるところに向かう階段に足を掛ける。その途端、トニの投げたナイフが貴志の足元の、すれすれのところに突き刺さった。
ビイインと嫌な音を立てるそれを、貴志はその場で硬直しながら見た。しかし、すぐにトニが投げたものだと気づき、振り返って怒った。
「トニ、てめえ、俺がここに来る度にナイフ投げつけなきゃ気が済まねえのか?」
「そういうわけじゃねえ。我らが船長の元に危険が迫ってたからだ」
トニは相変わらずニヤニヤして、そう言った。
「あんなちっせえナイフまで取り上げといて、よく言うな」
貴志は怒るのを取りこして呆れている。周りの海賊たちは、それを聞いて笑った。仲がいいのか悪いのか分からないような盛り上がりの中、冷たい声が空気に突き刺さった。
「鳶崎貴志?」
海賊たちが一斉に船室の上を見上げると、船長アミヴィア・ロアが、階段の上に立って貴志を見下ろしていた。先ほどまで、海音相手にくだらない質問ばかり繰りだし、わがままを言って海賊たちに当たり散らしていた女と同一人物には思えない堂々とした姿に、傍らから見ていた海音は驚いた。その姿は美しく、気高く、有無を言わせない迫力がある。
赤い光沢を放つ生地の、随分と身軽で飾りっ気のないドレスを着ていて、頑丈そうな黒いジャケットを羽織っている。しかし足元はサンダルなので、正装をしているようには見えない。それでも彼女は上品で颯爽としていて、威厳があった。
「あなたがこの子に仕込んだの? なんにもしゃべらないんだけど」
彼女は気の強そうな眉をきりりと持ち上げて、冷ややかに言った。彫刻のように無駄がなく整った顔が、無表情に貴志を見ている。
貴志は彼女の類い稀なる美顔にも、空気を凍り付かせるような怒りにもさして興味がないように、何気ない口調で言った。
「こいつ、いつもそんなんだぞ」
すると、アミヴィア・ロアは「そうなの」と呟くように言って、貴志をじっと見た。疑っているようでも、拍子抜けしたようでもあった。
海音は、貴志の言葉に首を傾げた。貴志にそこまで無愛想に接していたつもりはない。貴志がアミヴィア・ロアの怒りを鎮めるためにそう言ったのか、本心からそう言ったのかはわからなかった。
どちらにしろ、アミヴィア・ロアはすっかり機嫌を直してしまったようだった。何に対して怒っていたのかも、最早不明だ。彼女は軽い足取りで階段を降りて、貴志の傍らに立ち、にっこりと笑った。
「よろしくね、人探し屋さん。貴志って呼んでもいいよね? アミって呼ばせてあげるから」
彼女の言い方は相変わらず高飛車だったが、その魅力的な唇が愛嬌のある微笑みを浮かべ、挑発的な目がじっと見つめてくるのでは、彼女の言動などさして重要ではないに違いない。貴志が彼女の魅力に呑まれたのかどうかは定かではないが、貴志は彼女の顔をじっと見て「おう」と言った。
皆の視線はアミと貴志の方に向いていて、船室の上に突っ立っている海音のことを、忘れてしまったかのようだった。この騒動の原因は「志田海音」であるのに、ここまで海音が放って置かれているのは妙だ。そんな風に、アミヴィア・ロアには、人の意識を引く華があった。
しかし、貴志が口火を切った。
「それで、俺を探しに来たってことは、あいつ返してくれんの?」
貴志がチラリと海音に目を向ける。その目は、海音を安心させようと目配せをしているようにも見えた。
アミはそれを聞いて微かに眉をひそめ、海賊たちを見ながら言った。
「どうしようかな。どうする? みんな」
その場には二十人ほどの海賊たちがいたが、誰一人として意見を言おうとしなかった。アミは困った顔で貴志に言った。
「たまたま見つけたから捕まえちゃっただけなの。この件に関してはまだ情報が薄くてよくわかんないし……」
貴志はそれを聞いて呆れかえった。偶然、沢山の組織が探しまわっている人間を見つけたからといってとりあえず捕まえてしまうなんて、あっけらかんと言われて納得できることではない。
海音は今の今まで、自分が何かへまをしたせいで悪い組織に捕まってしまったのでと思っていたので、ほっとしたような、むしろ余りにも簡単に人を誘拐することに怖くなったような、複雑な気持ちだった。先ほどまで、貴志の姪っ子のシナとしてこの街を見ていたのでわからなかったが、志田海音だとわかっただけで、事情も把握していない組織さえ捕えようとするのだから、志田海音がどれほど探し回られているかに気が付き、背筋が寒くなる。
「お前ら、シナを派侍との取引材料にするとか、そういうことで捕まえたんじゃねえのか」
貴志は信じられないという顔で、咎めるように言った。ここでは海音の正体がばれてしまっているのに、シナと呼んだので、アミが可愛らしく小首を傾げて訊いた。
「シナって何?」
「ああ、こいつの今の名前」
貴志は事も無げに言った。
海音は、貴志がそう言ったことにほっとしていた。あくまでも、海音が本当の名前で、変装している上での偽名だなんて答えだったら、やりきれないからだ。ここで出会う人々全員に、正体を偽り、嘘の名前を言っていると思うと、騙しているようで、気が重い。また、元々は変装が目的の偽名だったことは確かだが、シナという新しい名前は、ここで全く違う生活を始める海音にとって大切なものだった。
「ふうん、シナね」
アミも、今の名前ということについて全く疑問を持っていないようで、ごく普通に紹介されたかのようにそう言った。今の日本では名前を変えることや、偽ることは並大抵のことではありえなかったが、ここではそう不自然なことではないのかもしれないと海音は思った。
話の腰を折られた貴志は、誰ともなしに宙を睨みつけ、不機嫌だった。海賊たちが目的もなく海音を捕えたことはわかったものの、まだわからないところは沢山ある。
貴志の不機嫌さを見ていたトニがなだめるような口調で説明した。
「志田海音の捜索が元でオーザのあちこちがもめてるって聞いてよお、まず情報館に行ったら事故があったとかで話聞けねえし。それで代わりにお前んとこ行ったら、噂の本人見つけちまって、事情は分かんねえけどとりあえず連れてきたってわけだ」
貴志は、情報館の事故の件で片眉を上げた。
「情報館が事故? なんだそれ」
すると、海音を連れてきた男……つまり、情報館に行った男たちが顔を見合わせて言った。
「魔法使いのガキがどうとか言ってたな」
「建物は壊れるわ、情報は飛ぶわで大変だとか」
貴志はそれを聞いて笑い飛ばした。大喜びで「ざまあみろ」などと言っている。貴志以外は事情を知らないので、貴志が情報館になんの恨みがあるのかと考える者や、人の不幸を笑う貴志に眉を潜める者など、海賊たちが混乱したので、貴志はなんとか笑いを収めて真顔を作ろうとしながら言った。
「じ……事情はだいたいわかったけどよお、それで、シナはどうなるんだ? 無事に帰してくれる上で黙っててくれるなんてこたあ――」
貴志が調子よくそう言いかけたとき、貴志とアミの間に巨大な人影が立ちはだかった。眩しい程白いパリッとしたシャツを着た、頑丈そうな身体つきのスキンヘッドの男が、猛禽類を思い起こさせるような鋭い目で貴志を睨んでいた。
貴志は言葉の続きを呑み込んでぎくりと身を引き、大男から遠ざかろうと、階段を数段降りた。しかし、それによって益々、巨大な男に見下ろされる形になる。
彼はアミの方に向き直って言った。
「嬢、この男の口車に乗せられてはいけません。口先だけの信用ならない奴です」
ドスの効いた迫力満点の声で発せられたのが、こんな口調だったので、貴志は驚いていぶかしげに男を見た。その顔は実に間の抜けた顔だったのだが、それも無理はない。このいかつい大男マックスが、丁寧な言葉使いで細かく船長の世話を焼くのは、違和感の一言に尽きる。
「でもね、この件に手を出すのは元々反対だったし」
アミはそう言いながら、卑怯なまでに使いこなした上目使いでマックスを見た。しかし、マックスもアミの補佐で、四六時中彼女のそばにいる。そんな技には耐性を持っているようで、冷たく言った。
「では野放しにして兵器の開発に役立ててしまうんですか? 大量殺戮兵器ですよ?」
マックスの言うことはもっともなようにも聞こえたが、海音は苦笑していた。本当は、核兵器を開発しようとする悪い組織に海音が捕まったところで、なんの役にも立たないだろう。いつの間に、海音が核に関する情報を知っているということになってしまったのかは分からないが、海音を巡ってそこまで大きな問題になっているのだとしたら、とんだ茶番だ。核兵器を欲しがっている人間が、核に関してどれだけの知識を持っているのかは知らないが、海音よりは多くを知っていそうなものだ。
「あ、じゃあ俺がシナを匿うっていう仕事をお前らから受けるってのはどうだ? めでたく兵器は開発されねえ」
勇敢にも、貴志は朗らかに言ってのけた。案の定、すぐにマックスの鋭い視線を受けて縮み上がり、トニのナイフが貴志の耳すれすれのところを飛んだ。
「ふざけんな。お前の要求呑んだ上に金まで払うことになってんじゃねえか」
小馬鹿にしたようにトニは言い、貴志は、階段に刺さったナイフを見ながら口をつぐむしかなかった。
そして結局、海賊たちは海音をどうするのか決めようとしなかった。皆口々にどうしろこうしろと言ってはいたが、アミはすっかり面倒臭そうにしているし、誰も意見をまとめようとしない。
そのころになると、海音は海賊たちが一体どういう集団なのかわからなくなっていた。海音を誘拐しておきながら、貴志と同じように海音を匿うべきだという。武装していて柄も悪い男たちだらけなのに、美しい若い女がそれをまとめる。海音はすっかり緊張感をなくし、どうなるのか早く決めてくれればいいと思っていた。
突然、見張りが叫んだ。
「通り魔の小型戦艦がこっちに向かってる」
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