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貴志はメリアナから訊いた話に首を傾げた。そのままぼんやりと歩きだし、来た道を戻って行く。その途中で、「魔女狩り」とだけ書かれた妙な看板を目に留めて、立ち止まった。
煉瓦造りのその店に掛かったその看板は、味気なく、なんの主張もない。店にはショウウィンドウはなく、その看板に掛かれた文字以外に、店の情報を示すものはなかった。
貴志は、小さな店の真ん中にある両開きの扉を、丸々5秒は眺めていた。それから、冒険心でも目覚めたのか、その店がなんの店か知っているのか、挑むような目つきで扉を開けたのだった。
店の中は薄暗かった。窓はなく、明かりは松明やろうそくの炎だけだ。むっとするような湿気と、重苦しい雰囲気が店内にのしかかっている。壁際には、全て一点ものの商品が、たまたまそこに置かれたかのように、無造作に並べられていた。ステッキや杖、アクセサリー、立派な剣など、余り統一感のないさまざまなものだ。
貴志は音も立てず、何にも触れず、なるべく動かずに店の中央に立っていた。興味はあるが、関わりたくないといった様子だ。
「呪いの言葉を叫ぶなら、首飾りはおすすめしない。呪いの歌を歌うなら、短い杖を使うといい」
不意に暗がりから、少し掠れているのに不思議に響く声がした。
貴志は丁度、黒ずんだ貴志の好きそうな趣味の首飾りを見つめていたが、慌てて目を逸らして、声のした方を見た。店のカウンターの向こうから、声は近づいてくる。
その姿が見えるところまで来て、カウンターの向こうに掛けられた布の間から姿を見せたとき、声が急に現実味を帯びたものとなって言った。
「でもあんたは歌は歌いそうにないね。腰に剣でも差す?」
現れたのは、美しいが恐らく貴志よりはるかに年上であろう、青紫の衣装を身に纏った女性だった。黒髪で、真っ白い肌に黒く縁どられた鋭い目、深い青のキラキラした瞳、真っ赤に彩られた唇が少し恐ろしげだ。
貴志は目を見開いてその女性を見ながら、ぼぞぼぞと言った。
「いや、商品を買いにきたわけじゃ……」
「なんの店だと思った? 魔女嫌いが営む魔女専門の殺し屋、とか?」
からかうようにそう言って、女は乾いた声で笑った。物怖じしないその態度だが、嫌味なわけではない。
「何の店だ」
貴志は商品を眺めながら訊いた。女は今度は貴志をじっと見て、にやりと笑った。
「魔法ってのは売ることは出来ないからね。魔法使いじゃないあんたには、売るもんはない」
貴志はちらりと女の顔を見た。魔法使いでなければ客にはならないと言いながら、女は貴志を追い出す素振りは見せない。
貴志は突然、思いついたようにぱっと雰囲気を変え、笑顔こそ見せなかったが、愛想よく女に訊いた。
「名前は?」
女はそれを訊いておかしそうに一瞬笑い、目を細めて貴志を見ながら、勿体ぶったようにゆっくりと、「サンリリカ」と言った。貴志はサンリリカに近づき、言った。
「鳶崎貴志だ。知りたいことがあんだけど……」
サンリリカは手をさっと振り、マッチを擦ったような動作をした後、人差し指をさっと立てた。その指先に、青い焔が躍っている。
「おお」と声を出さずに言って驚いて見せた貴志を、おかしそうに見て、サンリリカは言った。
「魔女なんて珍しくもない。でもあんた、魔女に会ったことがあるかい?」
貴志が「さあ」とでもいうように肩をすくめると、サンリリカは指を振って焔を消し、妖艶な笑みを浮かべて言った。
「見てもわからないだろうね。魔女だってわざわざ教えてくれる魔女に会えるなんて、あんた、運がいいんだよ」
貴志はサンリリカが何を言いたいのか分からないようで、困惑した顔でサンリリカを見ながら、何も言わない。彼女は何か言おうとして、勢いよくカウンターに手を着いた。すると、埃がぶわっと舞いあがってしまい、口を開くのをやめて、顔をしかめながら手にあったハンカチを振った。どうやってか埃はあっという間に消えた。
カウンターを睨みながら、サンリリカは低い声で言った。
「いいよ、魔女に質問してみな。くだらない質問すんなら、放り出すよ」
貴志はぱっと笑顔を浮かべた。ハンカチをちらちらと眼で追っていたので、多少わざとらしくもあるが、人懐っこい笑顔は、サンリリカの表情を和らげる。
「魔法使いってのは、でっけえ館も一瞬で壊せるのか?」
貴志が真面目にそう訊くと、サンリリカは一瞬、目を見開いて貴志の顔を見た。貴志は不自然に笑顔のまま、サンリリカを見つめ返す。そして、サンリリカは大きな口を開け、おかしそうに笑いながら大声を出した。
「そんなこと出来たら人間じゃないよ。ほんとに、魔法をなんだと思ってるんだい」
貴志は怪訝そうにサンリリカを見た。大真面目に訊いたのに、このような反応をされては、そんな目をしたくなるのも無理はない。先ほどまでの愛想の良さはどこへやら、貴志は不機嫌に言った。
「ガキの言うこと信じた俺が馬鹿だったか。あのアキとかいうガキ……」
「なんだって?」
驚く程唐突に、サンリリカは笑うのをやめて貴志を見た。大笑いしたことなど無かったような大真面目な表情に、貴志は面食らってびくりと身を引く。サンリリカの背後でろうそくの火が一つ消えた。
「今アキって言った?」
サンリリカは動揺したように、裏返ったしわがれ声で貴志に訊いた。そして、振り返ってろうそくの火を着けようと、再び指先に炎を作ろうとしたのだが、誤って巨大な炎を上げてしまい、慌てて消す羽目になった。
貴志はそれを見ながら、「ああ、アキっていうガキだ。家を壊したとか言ったのは」とブツブツ言った。
「あんたそりゃ、本当かもしれないよ」
サンリリカはいとも簡単に先ほどの大げさな否定を覆した。
「サンジェルマンの息子の噂なら、訊いたことがあるからね」
「へえ」
貴志は眉を持ち上げて、感心したような顔をした。しばらくの間、頭の中で何を考えているのか、沈黙が流れる。そして、サンリリカが我に返ったように言った。
「もう質問がないなら、出て行きな。私は忙しいんだ。魔法使いでもないくせにまた来たいっていうなら、そのサンジェルマンの息子を連れてきな」
サンリリカはしっしっと追い払うような動作をした。すると、ばさばさと埃をまき散らすハンカチが、貴志を出口へと追い立てる。
まだほとんど情報が掴めていない貴志は、「ちょっ、まだ……」などと言いながら抵抗を見せたが、埃に閉口して、「魔女狩り」を出たのだった。
「ちっきしょー」
貴志は悔しそうに店を睨みつけた。薄暗い店内から昼間の明るい通りに出たので、眩しそうに目を細める。埃をまき散らしたハンカチは、貴志を追い出した後、ご丁寧に扉まで閉めて行った。
通りはかなり人通りが多く、たくさんの人がいろんな店に出入りしていたが、誰もが「魔女狩り」には目もくれずに通り過ぎていく。
貴志は、自分がどの辺りにいるのかをやっと思い出したように、通りを歩き始めた。いましがた耳に入れたことを考えているようでもあったが、実際は全く違った。
「朝飯どうすっかな……」
通りを反対側まで見渡して思案する。その独り言を聞きつけて、売り子の女が声を掛けてきた。
「いかがですか」
その声は甲高く、人間らしくないが、確かに日本語をしゃべっている。
貴志は振り向いて、異様に細くて背の低い女を見た。肌に爬虫類のような模様があって、それが動く度に色を変えている。ここはごちゃまぜ世界だから、貴志はそんな女を見ても驚かなかったが、女の手に持っているものを怪しむように見た。箱に入っていて、中身は見えない。
「いや、連れがいるから今はいらねえ」
貴志はやんわりとそう言って断った。
実際はシナのために今は買わなかったのではなかった。人間とは違う見てくれの者から食べ物を買うと、やはり味覚が違うらしく、美味しくないことが多い。それを貴志はよくわかっていた。
貴志は先ほどシナと別れたところに戻ってきていた。シナが通って行った横道に入って歩いていくと、海臨丸通りに出る。相変わらず、海臨丸通りは騒がしい。
道の反対側には貴志の家の下の工場が見えるのだが、貴志は少し考えて道を渡らず、右に向かって歩いた。ゆっくりと走るトロッコが、貴志のすぐ横を通って行く。物が積んであるものが多かったが、最後尾に見慣れた顔を見つけて、貴志はそれに飛び乗った。
貴志はトロッコの上で知り合いと談笑し、長く乗り過ぎてしまった。貴志の家から随分離れてしまっている。貴志は慌てて飛び降りると、家の方に向かって歩き、美味しそうな匂いを漂わせるワゴン販売に立ち寄った。
「二人前、頼む」
貴志はにこやかに注文した。
貴志が買ったのは、米を固めて焼いたものの中に、野菜や肉の炒め物が入った、シンプルでボリュームのある食べものだ。一緒に、何かの皮で出来た袋に入った飲み物も買い、貴志は機嫌よく家に向かった。
貴志は、家の建物のところまで戻って来たが、道の真ん中は、乗りものが沢山通っているので、渡るのに多少苦労した。
貴志の家の一階には、気難しい年取った男が、上の店で売る小物を作っている工場と、解体業をする大所帯の工場とが、一緒に収まっている。表にあるのは解体業の方だが、かなり騒がしい。
今日は十数人の男たちが、車に似た大きな乗り物を解体しているようだ。今はどうやって壊すかを話し合っているらしく、いつもよりは静かだった。
「これ、接着面は何だ?」
「植物から作る接着剤だ。熱に弱いやつか?」
「急な衝撃に弱いやつじゃない?」
「違うだろ。事故で簡単に壊れちまうじゃねえか」
「わかんねえなら全部試すしかない」
男たちは真剣にその乗り物を観察しながら、意見を言い合っていたので、貴志が来たことには気づかない。貴志は男たちの間ににゅっと顔を突き出した。
「あ、貴志。お前、昨日家にいなかったから、風呂借りた」
貴志が来たことに気づき、複雑に刈り上げた赤い髪の、背の低い若い男が飄々と言った。上下ともテカテカした黒い皮の作業着を着ていて、その作業着の銀のボタンや、耳元のピアスなど、貴志と趣味が合いそうな格好をしている。
貴志は大して興味が無さそうに「ああ」と言う。赤い髪の男は、思い出したように言った。
「そういやさっき、海賊だとか言う奴らが上に上がってったよ。海賊のくせになんで陸にいんだろうな」
彼は大して深く考えていないような顔で仲間たちに問いかけたが、「知らねえよ」とつれない返事しか帰ってこない。
「そんでさー、貴志――」
赤い髪の男が再び貴志の方を向くと、貴志はその場に居なくなっていた。




