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波の綾~ごちゃまぜ世界~  作者: 江戸ノ野良
魔女の店と海賊船
15/22

*

この章は事件が起き、今まででは一番力を入れたところです。感想を頂けたら嬉しいです。

 海音は、貴志の背中が見えなくなったところを茫然と見ながら、一瞬のうちに走り去ってしまった男の子のことを考えて、その場に根が生えたように突っ立っていた。


 こんな偶然があるだろうか。カメラの少女に、あの男の子を探しているので手伝ってほしいと頼まれたのは、つい昨日のことだ。海音も写真で見たあの可愛らしい男の子が、たった今ガラスを派手に割って、ワニ皮のような服を着た柄の悪い男から、逃げて行ったのだ。カメラの少女から頼まれても、貴志はまだ探す素振りなど見せなかったというのに、幸運にも早々に見つけてしまった。


 海音は、何か小さな懸賞でも当たったような気分だった。それ自体が喜ばしいことだったかどうかはともかく、この奇跡は興奮に値する。しかし、たった今、海音の唯一の頼りである貴志が、見知らぬ町でいなくなってしまったことはいただけない。


 海音は、この場で待っていればきっと戻って来てくれるだろうと、ぼんやり考えた。しかし、見慣れないばかりか、自分の常識の範疇を超えたことばかり起こるこの場所で、一人で立っていると、不安になってくる。


 本当に戻ってきてくれるだろうか。海音は本来、保護者が居なければ町を歩けないような年頃ではないし、わざわざ迎えには来ないかもしれない。面倒を見てくれているのも、なりゆきのようなもので、貴志にそこまで海音に掛かりっきりになる理由はない。そこまで期待するのは、わがままというものではないか。


 海音は右も左もわからないような道で、きょろきょろと辺りを見回した。たった今、小さな子供が大人から逃げ出してガラスまで割れたというのに、もう何事も無かったかのように平穏だ。男の子を取り逃がしてしまったワニ皮の男も、いつの間にかいなくなっていた。


 海音は、貴志が男の子を捕まえて戻ってくるかもしれないという期待を込めて、少し待った。何しろ、相手は貴志の腰の高さ程しか背丈のない、幼い男の子だったのだから、走って追えばすぐに捕まるだろうと思った。しかし、期待は外れ、貴志が折り返してくる気配はない。


 海音は覚悟を決め、貴志が走って行った方向にそろそろと足を進めた。ここに来てから、一人で行動するのはほとんど初めてだ。しかし、ワニ皮男がいなくなった今、ここを一人で歩いていたら危険だという気もしないし、誰も海音を「異世界人だ」などと指差したりはしない。その点、貴志が言っていた通り、ここの人々には見慣れない者に対する興味は一切なかった。というより、この街は大都会のようだったから、海音が見慣れない顔だと思われているかどうかも定かではない。


 道は途中で、幅いっぱいの大きな歩道橋になっていた。高さは日本の歩道橋と変わらなかったが、登るまでの階段が緩やかなので、歩道橋というよりは坂道のような感覚だ。その下は、紫円の「ラ・フランス」で通ったような道路になっていた。横断歩道はないらしい。


 歩道橋が終わってすぐに大きな通りに出た。幅の広い溝が見え、反対側にも同じような通りが見えたので、何度も通った一番大きな通りだとわかった。まだ朝だというのに、そこは人であふれていて、ぱっと見回して貴志が見つかるような様子ではなかった。


 しかし、見つけた。すぐ目の前にある橋を渡ったところに、人だかりが出来ていたからだ。その中から、明らかに貴志の怒鳴り声と、チャラチャラと聞きなれた金属音が微かに聞こえた。


 海音は早く安心したくて、小走りに橋を渡った。


 突然、ひやりと冷たい、嫌な感触のものが手に当たり、海音ははじかれたように振り向いた。血の気のない真っ青な顔の女の人が、海音の後をふらふらとついてきて、虚ろな眼で海音のことを見ていた。真っ白な着物と長い髪が、嫌でも怖いものを連想させた上、今触れた冷たいものが、その女の肌だったことに気が付いた海音は、背筋まで冷たくなって一目散に掛けだした。


 その勢いのおかげで、人間博物館のような統一感のない人だかりを強引に押しのけ、騒ぎの真ん中に出ることが出来た。


 思った通り、貴志はそこにいた。海音は貴志の顔を見て安堵したが、貴志は海音に気づきもしない。貴志は男と向き合って睨みあっていて、その場には険悪な雰囲気が漂っていた。


「さらわれた子どもの身柄は自分達が確保する」


 貴志を厳格な顔で見据えながら、冷たく言い放ったのは、見慣れない生地の黒い服の上に、茶色いチュニックを着た男だ。チュニックはかっちりした作りでなかなか格好が良い。男の後ろにも、同じ格好をした男たちが数人いた。


「さらわれてねえよ。自分で家から逃げ出したんだろ。それで、俺が見つけた。だから俺の仕事だ」


 貴志は相当苛々した口調で言い、鋭い大きな目で男を睨みつけていた。あの可愛らしい男の子の襟元をつかまえている。


「そんな小さな子供が、自らチンピラと行動を共にするとでも? これは完全に人さらいだ」


 チュニックの男は、かたくなに言った。短く刈り込まれた明るい茶髪に薄い緑色の目をした、見かけのいい男だ。額に筋が浮き出て、頬骨の目立つ多少いかつい顔だが、少し品のいい雰囲気が、その顔を荒々しくは見せず、絶妙なバランスを保っている。


 それに対して貴志は、一見鋭い印象だが人懐っこそうな顔で、その身なりからの軽々しい感じと、白くて骨っぽい顔が、今一つ迫力には欠ける。女うけでは勝てそうではあるが、睨みあいの迫力ではわずかに負けていた。しかし、口論で負ける気はないらしい。


「見かけで判断すんなよ。こいつさっき『くそっ』とか悪態ついてやがったぞ」


 そう言った貴志は真剣そのものだったが、子どもの愛らしい顔を一瞥して、男はせせら笑った。


「嘘を吐くな、人探し屋。子どもを保護しただけで済む問題じゃない。子どもをさらう組織を一網打尽にしようとは思わねえのか」


 男は彫の深い顔で貴志を睨む。


 海音は段々と事態を把握した。男は貴志が保護しようとしている男の子の身柄を引き渡すように要求し、貴志がそれを拒否しているらしい。チュニックの集団は警察のような組織なのだろうか。ここの治安がどうやって守られているか知らないので、貴志の主張が正当なものなのかどうかも、海音にはわからない。


「だーから、こいつはさらわれたんじゃねえっつってんだろ。捕まえたの俺だし」


 貴志は板についた柄の悪い目つきで突っかかった。しかし、相手は落ち着き払って言う。


「協力には感謝する。あとは俺達に任せてとっとと失せろ」


 貴志の言い分に取り合う気は全くないらしい。貴志は、平静を装おうとして顔を引き攣らせながら、低い声で言った。


「誰がてめえらに協力なんかすっか。これは情報館に頼まれた仕事だ。納得行かねえならメリアナに訊け」


「あ? 誰だ、それは」


 チュニックの男は、初めてまともに貴志の言ったことを聞いていたらしく、片眉を上げて訊いた。貴志はそれで勝ったと思ったのか、男の子の襟元をつかまえたまま、群衆の中に消えようとする。「おい」と脅すように言った男に、先ほどまで喧嘩腰だったことをすっかり忘れたような調子のいい口調で言った。


「ごっつい服着ていつもカメラ首に下げてる赤毛の若い女。そいつにこのガキは引き渡す。気に入らねえならその女に言え」


 それから貴志は人だかりを押しのけて居なくなったので、海音は慌てて貴志の後を追った。チュニックの男は苦々しげにそれを見送り、振り返って男たちに指示を出した。


「メリアナとかいう女、調べろ。あの子どもと情報館のつながりを洗え」


 人だかりを抜けた貴志は、愛らしい子どもの襟元を半ば吊し上げるようにしてつかまえたまま、広い通りを歩いていた。男の子は、特に抵抗もせずに引っ張られるがまま歩いていたが、純粋無垢に見える目が貴志を睨んでいる。海音が駆け寄ると、貴志は海音の方をたいして見もせずに、「ああ、悪かった」とぶっきらぼうに言った。上手く男を言いくるめたというのに、不機嫌だ。


 貴志は通りをしばらく歩き、突然立ち止まった。後ろを歩く海音を振り返り、不機嫌な顔のままさっと右手を挙げて、店と店の間にある道を指差した。道に入ってすぐ、先ほど海音が渡ったのと同じような歩道橋になっている。


 海音がその階段を見ると、貴志は早口に言った。


「俺はこいつをメリアナんとこに置いてくる。歩道橋渡って、この道真っ直ぐ行くと海臨丸通りだ。そのすぐ目の前が俺ん家だから、先に戻ってろ。出来るか?」


 海音は驚いて、貴志の顔を見た。貴志は至って真面目だ。先ほど置いてきぼりにされたばかりとはいえ、当たり前のように一人で行動しろと言われるとは思っていなかった。ここに来てから、年相応の扱いを受けたのは初めてのような気がする。しかし、よく考えてみれば、ここではどのくらいの子どもが一人で町を出歩くのが普通なのかはわからない。治安が悪いようには見えないので、海音が本当に小さな子供だったとしても大丈夫なような、当たり前のことを言われただけかもしれなかった。


 そういうわけで、海音はきょとんとしたまま、頷いたのだった。




 貴志は、海音と別れたあと、相変わらず乱暴に男の子の襟元をつかまえて、人気の多い通りを歩いた。男の子は騒ぎこそしなかったが、咎めるような目で貴志をずっと睨んでいるし、何しろ幼い愛くるしい子どもを、親子には見えないような若い男が引きずり回しているのだから、人目についた。貴志のことを知っている人でさえ、いぶかしむような目つきで貴志を見た。


「お前、おとなしく俺に抱かれる気はあるか?……つか、これ言ってて嫌なんだけど」


 貴志は顔をしかめて、焦ったように言ったが、男の子は「抱っこなんて恥ずかしいよ」と怒ったように言った。誰もが可愛がるであろう外見に反して、その言い方はふてぶてしい。そして、まだ5、6歳に見えるが、随分しっかりとしゃべった。


 貴志は周りの目を気にしながら言った。


「今の俺の方が恥ずかしいわ。誘拐犯みてえじゃねえか」


 もっとも、子どもを本人や親の意志は関係なく、どこかに連れていくのだから、誘拐と大きな違いはない。


「ぼく、家には帰りたくない」


 男の子はぼそっと言った。それを聞いて、貴志は眉を潜め、口の端を歪めて男の子を見下ろした。男の子の顔は、貴志の腰ほどの高さにある。


「お前みたいなガキが一丁前に言うじゃねえか。なんで一人でこんな都会にいるんだ?」


 貴志が興味を持ったようにそう訊くと、男の子は愛らしい顔を歪ませて「けっ」と言った。それは実に残念な光景だった。子どもは素直であどけないものだと大抵の大人は思っている。幼い子供がそこまで擦れた態度をとるようでは、どのような環境で育ったのかと、憐みを買いそうでもあった。


「どうせおじさんだって、ぼくのこと子どもだと思ってるだろ」


 拗ねたようにその子が言った言葉に、貴志は目を見開いた。反論をしようと意気込み過ぎて、立ち止まりそうになる。


「お前子どもだろ。でも俺はおじさんじゃねえ。貴志と呼べ」


 貴志が早口にまくしたてた言葉を、男の子は至極冷静に受け止めた。


「ぼく、アキなんだけど」


 咎めるように言う辺り、本当は子どもの皮を被った大人の化け物かと思うほど、大人びていた。貴志は嫌そうな目でアキを見る。どう扱っていいいのか分からない、厄介な子どもだと思っていることは明白だった。


「こんなことガキに訊きたかねえけど、アキ、なんで情報館がお前を探してんだ?」


 貴志の顔は至って真剣だ。子どもらしからぬ言動をするアキに、子ども扱いをするのをやめたのだろうか。元々、子ども扱いというよりは動物を捉えたかのように扱ってはいたが。


 アキはそんな貴志を真っ青な瞳でじっと見た。この男を信用するべきか否か、考えているような眼だ。やがて、貴志を透かすように見ながら、アキは飄々と言った。


「ぼくが家を吹き飛ばして逃げてきたからかも」


 貴志はとうとう立ち止まって、掴んでいた襟を放し、正面からアキを見た。アキが嘘をついているのかどうか、見極めようとしているようだ。貴志は全身をジャラジャラ言わせながらしゃがみ、アキと目線を合わせて言った。<


「お前、どうやって家吹き飛ばした?」


 その口調は、何気ない質問をしているかのようだったが、頭の中で何か考えているような、探るような目つきでアキを見ている。ただ単に興味を持ったような、憐れんでいるような、怖がっているようにさえ見える、そんな顔だ。


「ぼく、出来るんだ。全部『外』に向かって吹っ飛ぶようにやった」


 アキは深く考えもせずに、確信を持って、しかし責められているように感じたのか、小さな声で言った。何故そんなことを訊くのか分からないような顔をしている。貴志は、益々じっとアキを見た。


「お前、魔法使いか?」


 アキは小さく首を傾げた。つぶらな瞳は貴志を見てはいるが、まるで何を言っているのか聞いていないかのような、ぼんやりした目だ。子どもが、大人の言っていることが理解できないとき、時々こんな顔をする。


「意味わかんね……」


 独り言のようにつぶやいて貴志は再び立ち上がり、興奮したように辺りを見回した。その目に、カメラを首に下げた赤毛の少女の姿が映った。人ごみの中、反対側の通りから、こちら側に渡ってくる。


「さすが鳶崎貴志。もう見つけてくれたんだね」


 外見とは裏腹にぼんやりとした口調で、カメラを首に下げた少女、メリアナは嬉しそうに言った。


 貴志の目は、メリアナではなく、彼女がひきつれてきた男たちに止まった。彼らは、黒いマントをひらひらさせて、全員が磨かれた金の持ち手の、長いステッキを持っていた。さまざまな格好の人であふれるここでは、特に異様な光景でもなかったが、貴志はその男たちを睨みつけた。彼らが誰で、なんのために居るのか、知っているようだ。


「こういうの、悪趣味だと思わねえか」


 貴志は男たちを睨みつけながらも、穏やかな口調でメリアナに訊く。彼女はにこりともせず、真剣なまなざしで貴志を見て言った。


「その子、あのサンジェルマン邸の建物一つ丸々吹き飛ばしたんだよ。子どもが一人で。恐いよね」


 当のアキは、すがるような目で貴志を見ている。貴志はそれを尻目に、動かず、何も言わなかった。 微かに眉根を寄せている以外、その顔からはなんの感情も伺えない。


 男たちは5人でアキを取り囲み、ステッキを地面に置いた。事前に手順が決まっていたようで、全員が無言で動いている。


 アキがステッキに取り囲まれ、痛々しい目で男たちを見回した。逃げようと脚を踏み出したとき、何かが起こった。見た目にも何もなく、音もなく、匂いもないが、確実に何かが起こった。その後男たちはステッキから手を離したが、ステッキはアキの周りに輪になって、独りでに立ち続けた。


 貴志は興味が無さそうな顔をしながらも、しっかりと眼に収めている。


 アキは、まるで檻に入れられたかのように、ステッキを苦々しげに眺め、もう逃げ出そうとはしなかった。


「行こう。――ご苦労さま、鳶崎貴志」


 メリアナは踵を返し、来た道を戻って歩きだした。男たちがそれに続くと、アキを囲んだステッキも、アキを中に収めたまま、彼らについていく。アキは、ステッキの中をおとなしく歩いていくしかないようだった。「くそっ」と小さく悪態をついている。


 貴志は無表情にそれを眺め、メリアナの背中に向かって言った。


「俺はそいつを魔法なしでここに連れてきたが、抵抗なんかしなかったぞ」


 その声には、微かに皮肉が込められていた。メリアナは振り返りもせずに言う。


「それは鳶崎貴志だから」


 よく考えもせずに答えたような、元々答えが用意してあったような、何気ない言い方だった。そこに含まれた意味は不明だ。


 貴志がいらいらして「はあ?」と言うと、メリアナは振り返った。男たちは、メリアナを追い越して先へと行ってしまう。ステッキに歩かされたアキが、最後に貴志を一瞥した。


「こんなに早く連れてきてくれたから、最新情報を上げる」


 メリアナは青い目で貴志を見据えながら言った。貴志は不機嫌にメリアナを見つめ返す。喧嘩腰の貴志とは違い、メリアナの目には憂いが浮かんでいた。


「海賊の船がここに着く。あんたの仕事を狙ってるって噂だよ」


 それだけ言うと、メリアナは足早に、今度こそ人ごみの中に見えなくなった。


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