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田舎の祖父母の家に行ったら見知らぬ女子高校生と出会いました

作者: 海外空史

強烈な日差しが僕、厚地和希(あつち かずき)を襲った。

 僕は辺りを見回した。周囲には人一人おらず田んぼや畑が広がっていた。

 


 どうして僕がこんなところにいるのか。それには理由がある。

 今年の四月に中学生となった僕は新しい環境に馴染めずにいた。小学校からの数少ない友達とクラスが分かれてしまったことに加えて、クラスの輪というものに溶け込めなかったからである。

 人見知りであがり症な僕は家族や友達以外の人と上手く話すことができなかった。お陰で休み時間はずっと机に突っ伏している有様だ。

 そんな僕の状況を知ってか知らずか、七月のある土日に両親は遠くに住んでいる祖父母の家へ僕を連れていった。中学校という新たな環境に身を置かれた僕を休ませようと考えたようだ。

 父方の祖父母が住んでいる村は僕たちが住んでいる街から車で何時間も走ったところにある。

 そこは漫画やアニメに登場するような自然豊かなところだ。人よりも遥かに多く木や草が生い茂り、家よりも広大な田んぼや畑が広がっている。簡単に言ってしまえば、田舎である。

 祖父母の家には小学校低学年までは毎年のように遊びに行っていたが、次第に行かなくなってしまった。だから、今回は久しぶりのことである。

 土曜日の朝に家を出て、昼頃に祖父母の家に着いた。両親は明日の日曜日の夕方に迎えに来ると言って、車で帰っていった。

 久しぶりに来た僕を祖父母は歓迎してくれた。祖父は僕の頭を撫でくりまわし、祖母は美味しい昼ご飯を作ってくれた。

 そんな祖父母の家に遊びに来た僕はものの数時間で暇を持て余していた。家から持ってきたゲーム機は早くも飽きてしまった。

 祖父母が住んでいる家は昔ながらの日本住宅だ。それはつまり、現代っ子の僕にとっては楽しめるものが少ないということだ。

 

「暇だー」

 

 僕は畳の上で大の字になって寝転んでいた。このままだらだらするのもいいだろう。しかし、この家に引きこもっているのもなんだかもったいない気がしてくる。

 

「探検、いや、散歩してこよう」

 

 僕は立ち上がった。言葉を言い換えたのは探検というのがどことなく子供っぽく思えたからだ。

 玄関で靴を履いていると居間から出てきた祖母と会った。

 

「あら? 和希ちゃん、どこに行くの?」

「ちょっと散歩にでも行こうかなって」

「そうなの。この村には和希ちゃんと同じくらいの年の子がいるのよ。仲良くしてあげてね」

「まあね」

 

 僕は曖昧な返事をして、家を出た。祖母の期待に沿えなくて申し訳ないけど、他の人と仲良くなるのは難しいと思う。

 

 

 暇つぶしにと出かけた散歩だったが、早くも僕は後悔していた。とても暑いし、虫が色々飛んでいるし、散々だ。

 家に戻ろうかと一瞬考えたが、また畳の上でゴロゴロするだけだ。

 

「どこかで休憩しよう」

 

 そう決めたものの、周りは田んぼや畑に囲まれていて、座れるような場所はどこにも見当たらない。

 

「あっ」

 

 ふと前方を見ると、広場が見えた。芝生を敷いたその広場は公園になっていて、ブランコや滑り台の遊具が隅の方にポツンと置かれていた。それだけではなく、僕の待ち望んだベンチもあった。

 僕は走り出そうとした。しかし、急ブレーキをかけた。

 広場には数人の子供が遊んでいた。鬼ごっこか、あるいは別の遊びをしているらしく、どの子も楽しそうな表情を浮かべていた。

 

「みんな、僕より年下じゃん」

 

 祖母の言葉を思い出して僕は独り言を呟いた。正確には『僕と同じくらいの年の子』と言っていたので、嘘ではないけど。

 けれど、自分よりも年下の子と遊ぶ気にはなれなかった。

 僕は立ち止まった。このまま真っ直ぐに進んでしまうと、あの広場の前を横切ってしまう。そうなれば、広場で遊んでいる子たちに見つかってしまう。

 僕は右横を向いた。今、僕が歩いている道は二つに分かれており、一つは真っ直ぐの広場に続く道で、もう一つは右へ逸れた小道だった。

 

「こっちに行ってみるか」

 

 僕は小道へと歩き出した。この道がどこへ続くか分からないけど、暇を潰せるならなんでもいいと思った。

 

 

 僕が選んだ小道はメインストリートとは言い難い道で、道の両側には野原が広がっていて、まるで道を遮るように背の高い草が生えていた。

 しばらく歩くと道の片側――僕から見て右側だ――は生垣に変わった。その生垣は大人の身長よりも高かった。

 それに沿って歩いていると、生垣が途切れているところがあった。もしかしたら、その先に何かあるかもしれない。

 ほんの少しの好奇心が出てきた僕は、生垣が途切れているところを右折した。

 見えてきたのは、一軒の家だった。この村にある家の例に漏れず、昔ながらの日本住宅といった感じだ。

 ただ他の家と違うのは窓や壁がボロボロで寂れた印象を与えるところだ。

 この家の住人はちゃんと家の手入れをしていないかもしれない。そんな失礼な考えが浮かんできた時だ。

 

「ねえ、この家に興味があるの?」

 

 背後から突然知らない声が聞こえた。僕は首が取れそうな勢いで後ろを振り返った。

 僕に声をかけたのは見知らぬ女の人だ。彼女は僕よりも背が高く、髪は肩まで伸ばしており、さらに、何故かセーラー服を着ていた。

 彼女の大人びて整った顔立ちと服装から僕は高校生だと判断した。

 

「ねえ、どうして?」

 

 後ろに手を回した彼女が僕の顔を覗き込んでくる。彼女の綺麗な瞳が僕を捉えていた。

 

「えっと、あの、その」

 

 知らない人から話しかけられた僕は内心パニックになっていた。何か話そうとしても中々言葉が出てこない。心臓が激しく鼓動しているのを感じる。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

 

 彼女は僕に向かって手を伸ばし、そして、僕の頭の上に手を置いた。

 彼女の手は柔らかく心地よかった。そのお陰か僕の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

「君の名前は?」

 

 僕が顔を上げると、目の前にいるお姉さんと目が合った。彼女は優しい笑顔を浮かべていた。

 

厚地和希(あつち かずき)です」

 

 僕がそう答えると、お姉さんの表情は固まった。まるで突然銅像になってしまったようだった。

 

「お姉さん?」

 

 思わずお姉さんに声をかけると、彼女はハッとなった。そして、僕の顔をまじまじと見つめている。

 

「そっか……。そうなんだ……」

 

 お姉さんは顎に手を当てて考え込んでいた。やがて、顔を上げた。その顔はどこか納得したような表情を浮かべていた。

 

「和希君、よろしく」

「うん。お姉さんの名前は?」

「私はゆうな。ゆうなお姉さんって呼んでね」

 

 そう言って、ゆうなお姉さんは楽しそうな笑顔を浮かべた。

 


「そっか。和希君はおじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに来たんだね」

 

 僕とゆうなお姉さんは家の軒下に腰掛けていた。お姉さんにこの村に来た経緯を説明したところだ。

 

「いやー、今日も暑いねえ。私ね、夏に生まれたんだよ」

「お姉さんはこの村に住んでいるの?」

「私? 私は遠くから来たんだよ」

「お姉さんも車で来たの?」


 おじいちゃんたちが住んでいるこの村は、電車やバスが通っておらず、車が唯一の交通手段だ。

 だから、ゆうなお姉さんも僕と同じで親の車に乗せてもらったのだろうと考えた。

 

「ううん、違うよ」


 けれど、彼女から帰ってきた答えは僕の想像したものと違っていた。

 

「それじゃあ、どうやって来たの?」

 

 僕は隣にいるお姉さんの顔を見つめた。


「私は学校で授業を受けていたんだ」 

 

 ゆうなお姉さんは頬に人差し指を当てていた。

 僕はというとお姉さんの言葉に困惑していた。それは僕の質問と関係なさそうだったからだ。

 

「歴史の授業でね、私、歴史が苦手で眠くなっちゃってさ、いつの間にかウトウトしてたみたいで、それで気づいたら、ここにいたってわけ」

 

 そう言って、ゆうなお姉さんの話は終わった。彼女の態度はまるで僕の質問にきちんと答えましたといった感じだった。

 

「えっと、つまり、どういうこと?」

 

 僕の頭は混乱していた。ゆうなお姉さんの言っていることが分からなかった。

 正確にいえば、彼女の言わんとしていることは伝わった。けれど、それはつまり。

 

「私は自分の住んでいる街からここまで一瞬で移動してきたんだよ」

 

 ゆうなお姉さんは僕の頭にぼんやりと浮かんでいた言葉を正確な形にして言った。

 

「本当?」

 

 僕はやっとのことで言葉を絞り出した。僕の目の前に瞬間移動してきた人がいる。そんな漫画やアニメみたいな出来事に遭遇するとは夢にも思わなかった。

 

「本当だよ」

 

 僕の混乱を振り払うようなゆうなお姉さんの声が聞こえた。その声は真剣味を帯びていた。

 僕は隣にいる彼女の顔を見た。ゆうなお姉さんは微笑んでいた。

 正確にいうと笑っていた。もっと正確にいうと面白がるように笑っていた。……、どう見ても真剣な話をする人の顔ではない。

 

「ゆうなお姉さん?」

 

 僕の疑惑を込めた呼びかけが聞こえたのか、ゆうなお姉さんは突如プッと吹き出し、声を上げて笑った。

 

「あはは、ごめん、ごめん。あんまりにも和希君が真面目に受け止めるから面白くなっちゃった」

 

 ゆうなお姉さんは悪びれる様子もなくあっさりと白状した。このお姉さんは中々悪戯っぽいところがあるようだ。

 

「本当はどこから来たんですか?」

「えーと、君と同じだよ。この村に住んでいる親戚の家に遊びに来たんだ」

 

 ゆうなお姉さんは正面を見つめていた。僕もその視線の先を追ってみたが、ただ生垣があるだけだった。

 

「まあ、そんなことよりも」

 

 不意にゆうなお姉さんは立ち上がった。スカートを軽く払って、僕の方を振り返った。

 

「こんなところにいてもなんだし、どこか遊びに行かない?」

「どこかってどこに?」

「私、お母さんからこの村で遊ぶところを聞いたことがある。一緒に行こうよ」

 

 ゆうなお姉さんは笑顔で僕に向かって手を差し出した。その笑顔を見ていると、このまま祖父母の家に戻るのが惜しくなった。

 

「うん、行こう」

 

 僕はゆうなお姉さんの手を握りしめた。お姉さんの手は柔らかくどこか冷たい感じがした。

 


 その後、ゆうなお姉さんと村中を探検したり、川に入って遊んだりした。

 お姉さんは色々な遊びを知っていた。彼女が言うには彼女の両親から教えてもらったそうだ。

 

「ねえ、今って何時?」


 不意にゆうなお姉さんにそう聞かれて、僕はスマホの時計を確認した。

 

「六時みたいです」

「えー、もうそんな時間なんだね」

 

 周囲はまだ明るいが、時間も時間だ。流石にもう帰らないと祖父母に心配をかけてしまう。

 

「すみません。もう家に帰らないといけなくて」

 

 そう言いつつも、僕は自分が帰りたいと少しも考えていないことに気づいていた。何時間か前に祖父母の家から出た時とは大違いだ。

 

「そうだね。でも、もう少し遊びたかったなあ」

 

 ゆうなお姉さんはそう呟いた。彼女は名残惜しいという気持ちを微塵も隠していなかった。

 

「明日も遊びましょう」

 

 僕の口からそんな言葉が飛び出していた。今日一日、お姉さんと遊べて本当に楽しかった。だから、明日も彼女と一緒にいたいと思っていた。

 

「あー、うん、そうだね。明日ね……」

 

 しかし、ゆうなお姉さんの反応は意外なものだった。明日遊ぶことに乗り気じゃないみたいだ。

 

「もしかして、明日にはこの村から出て行くんですか?」

「えーと、違うとは言いづらいけど、なんていうかね」

 

 ゆうなお姉さんは言い淀んでいた。一体彼女は何でそんなに躊躇しているのだろう。

 その顔はお姉さんに似合っていなかった。彼女は笑顔がとても似合うからだ。

 

「明日、待っています。今日会ったあの家で」

 

 僕はお姉さんにそう宣言した。

 

「分かった」 

 

 僕の言葉を聞いた彼女は柔らかく微笑んだ。

 

 

 ゆうなお姉さんと別れた後、僕は真っ直ぐに祖父母の家へと向かった。

 辺りはまだまだ明るいが、時刻はもう六時半を過ぎていた。

 

「ただいま」

 

 僕は引き戸を恐る恐る開けた。こんなに遅い時間まで外にいたなんて祖父母はなんて言うだろうかと心配になったからだ。

 扉が開く音がして、居間から祖母が出てきた。

 

「おかえりなさい。遅かったわね」

 

 祖母は優しく笑っていた。その様子は一見怒っていない様子だった。

 

「ごめんなさい。本当はもっと早く帰るつもりだったんだけど遅くなっちゃった」

「別にいいのよ。今の時期は日が長いからね。暗くなる前に帰ってこれば大丈夫よ」

 

 祖母はそう言って、僕の頭をそっと撫でた。そうされると、僕の気持ちは軽くなった。

 

「それにしても長く遊んでいたわねえ。友達ができたかしら?」

「うん、そうだよ」

「あら、そうなの! どんな子?」

 

 祖母の問いかけに僕は答えるのを躊躇した。ゆうなお姉さんのことを祖母に話すのは恥ずかしかった。僕が年上の女性と遊ぶ子だと思われるからだ。

 

「えっと、僕と同い年ぐらいの男の子だよ」

「それは良かったわねえ」

 

 祖母は満足したような顔をして、再び僕の頭を撫でた。ゆうなお姉さんのことを祖母に話さずに済んで僕もホッとしていた。

 

「和希ちゃんも帰ってきたし、夜ご飯にしましょうか」

 

 祖母は居間へと向かった。僕もその後についていった。

 こうして、田舎での一日が終わりを告げた。

 

 

 次の日、僕は家を出て、ある場所へ向けて走っていた。昨日ゆうなお姉さんと初めて会った家だ。

 家の敷地に入ると寂れた家が僕の目に飛び込んできた。相変わらず人の住んでいる気配がない。

 ゆうなお姉さんはいなかった。よくよく考えてみたら、お姉さんと何時に集合するか決めていなかったことを思い出した。


「お姉さん……」

 

 彼女にもう会えないのだろうか。そう思うと胸が締め付けられる。

 

「和希君?」

 

 聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。背後を振り返ると、昨日と同じようにセーラー服を着たゆうなお姉さんがいた。

 

「お姉さん!」

 

 僕は彼女の元へと駆け寄った。そのままの勢いでお姉さんを抱きしめた。

 

「良かった。もう会えないかと思いました」

「私もだよ。でも、会えたね」

 

 僕が見上げると優しく微笑んでいるゆうなお姉さんと目が合った。

 

「それにしていきなり抱きついてくるんだもん。和希君は甘えん坊さんだね」

 

 ゆうなお姉さんに言われて僕は今自分が何をしているのか気づいた。

 彼女の腰に手を回し、体を密着させている。こんなことは家族にも中々したことがない。

 

「ご、ごめんなさい。すぐに離れますから」

 

 僕はゆうなお姉さんの腰から腕を外して、彼女から距離を置こうとした。

 

「大丈夫だよ」

 

 しかし、今度はゆうなお姉さんが僕の腕を掴んで引き寄せた。再び僕とお姉さんとの距離は縮まった。

 

「和希君が落ち着くまでこのままでいいから」

 

 ゆうなお姉さんは右腕を僕の背中に、左腕を僕の頭の上に置いた。

 少しの間僕たちはお互いを抱きしめていた。

 

 

「ありがとうございます。落ち着きました」

「あはは。そう言ってもらえるとお姉さんも頑張った甲斐があったよ」

 

 僕とゆうなお姉さんは寂れた家の軒先に座っていた。

 

「甘えん坊の和希君は可愛かったなあ」

「か、揶揄わないでください」

 

 先程自分の行動を振り返って、僕は顔から火が出そうだった。家族でもない年上の女性に何をやっているんだろう。

 

「まあまあ。私も小さい頃は和希君みたいにお父さんやお母さんに甘えていたから」

「本当ですか?」

「うん。と言っても、今の和希君よりもっと小さい頃だったけどね」

「やっぱり揶揄っているんじゃないですか!」

 

 僕がそっぽを向くと、ゆうなお姉さんは声を上げて笑った。

 

「さてと、今日は何して遊ぶ? 明日から学校だから、今日は目一杯遊んじゃおうよ」

 

 そう言って、立ち上がったゆうなお姉さんは太陽のように輝いていた。

 それに比べて、僕の心は沈んでいた。そうだ、明日になれば、僕はこの村を出て、学校に行かないといけない。

 

「どうしたの?」

「え?」

「今の和希君、どこか浮かない顔をしていたから」

 

 僕が浮かない顔をしていることに気づいたのか、ゆうなお姉さんは心配そうな顔で僕を見つめていた。

 

「僕、学校のクラスに友達がいないんです」

 

 僕は吐き出すように話し始めた。中学校に上がったら数少ない友達とクラスが別々になってしまったことやあがり症で中々クラスの人と上手く話せないこと、そのせいで友達がいないことを。

 こんなことは家族にも話したことがない。それでも一度話すと止まらなかった。

 

「そっか……。そうだったんだね……」

 

 僕の話を聞いたゆうなお姉さんはポツリとそう呟いた。やがて何かを閃いたような顔をした。

 

「じゃあ、お姉さんがおまじないを教えるよ」

 

 ゆうなお姉さんは僕の目の前でしゃがみ込んだ。

 

「何のおまじない?」

「和希君が緊張しないでクラスの子と話せるおまじないだよ。私もお父さんから教わったんだ」

「どうやってやるんですか?」

 

 彼女は僕の手を両手で握りしめた。

 

「大切な人の顔を頭の中に思い浮かべるんだよ」

「大切な人……」

「そう。和希君のお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、友達でもいいよ。そうすればその人たちと話す時みたいに落ち着いて話せるようになるよ」

 

 ゆうなお姉さんに言われたように僕は頭の中に何人かの顔を思い浮かべた。そうすると心が落ち着いてくる気がする。

 

「ゆうなお姉さんでもいいですか?」

「え?」

「お姉さんの顔を見ると安心するんです」

 

 僕の言葉にゆうなお姉さんは一瞬目を見開いた。やがて嬉しそうに笑った。

 

「いいよ。けど、和希君は本当に甘えん坊さんだね」

 

 彼女はそう言って、僕の頭を撫でた。

 

 

 僕とゆうなお姉さんは悔いを残さないように遊んだ。僕もお姉さんも服が汚れるのを厭わなかった。

 この時間がずっと続けばいい。そう思っていた。

 けれど、僕の願いは虚しく、時間は流れていった。それも今まで感じたことがないほど早く。

 

「今は何時?」

「……、もうすぐ六時です」

「そっか。明日は学校だからもう帰らないとね」

 

 僕とゆうなお姉さんのどちらの声も元気がなかった。

 

「僕、楽しかったです。ゆうなお姉さんに会えて良かった」

「私もだよ。お父さんやお母さんに話は聞いていたけど、色々なことを知れて良かった」

 

 僕たちは向かい合っていた。日はまだ高く、気温も暑いままだ。けれど、着実に終わりに向かっていることが嫌でも分かった。

 

「また会えますか?」

 

 僕がそう聞くと、ゆうなお姉さんは困ったように笑った。昨日の別れ際に見せたのと同じ表情だ。

 

「次がいつ会えるか私も分からないよ。けどね」

 

 ゆうなお姉さんは僕の肩に両手を置いた。そして、僕の目を見つめた。

 

「和希君が今よりももっともっと大きくなって、友達もたくさんできて、勉強ももっと頑張れば、いつかきっと会えるよ」

 

 そう言うと、ゆうなお姉さんは優しく笑っていた。僕を安心させるその笑顔が心から離れなかった。

 

「分かりました。僕、大きくなるようにいっぱい運動します。友達もたくさん作ります。勉強だって頑張ります。だから、また会いましょう」

「うん、約束だよ」

 

 ゆうなお姉さんと僕は笑い合った。お互い別れるまで涙を流さなかった。

 その日の夕方、両親が迎えに来てくれて、僕はこの村から離れていった。

 

 

 その翌週の土曜日、僕は再び祖父母のところへ遊びに行った。

 僕は初めてお姉さんに会ったあの寂れた家へ向かった。その家の庭で一日中待っていたけど、ついぞ彼女は現れなかった。

 

「きっと、たまたまだ」

 

 ゆうなお姉さんと遠くの街からこの村に遊びに来ていると言っていた。今回はたまたまお姉さんがこの村に来ていなかっただけだ。そう思い込もうとした。

 けれど、それが何回も続くと次第に僕の心は焦燥感を覚えた。僕はこのままずっとゆうなお姉さんに会えないのだろうか。そんなことを考え始めてしまった。

 その時、僕はある決心をした。

 

 祖父母の家に遊びに行った時の夕食後の時だ。僕と祖父母は居間のちゃぶ台で思い思いの時間を過ごしていた。

 

「ねえ、おじいちゃん、おばあちゃん」

「どうした?」

「何かあったかしら?」

「ゆうなさんって知っている?」

 

 祖父母にゆうなお姉さんのことを聞いてみようと思った。

 この村は住民全員が見知った関係で、それどころかこの村を訪ねてくる人たちのことも知っている。僕も村の人に話しかけられたことがある。

 だから、祖父母ならゆうなお姉さんのことを知っているに違いないと思ったからだ。

 

「ゆうな?」

「誰のことなの?」

 

 しかし、二人の反応は僕の予想と違っていた。祖父母はどちらも首を傾げていた。

 

「ほら、僕よりも年上の女の人で、髪が長くて、セーラー服を着ている人だよ」

「婆さん、誰か分かるかい?」

「さあねえ。この村でそんな人は見たことがないわ」

 

 祖父母の言葉を聞いて、僕は鳩尾に強烈な一撃を喰らった気分になった。

 僕は必死に頭を回転させた。何かお姉さんに繋がる手がかりが欲しかった。

 その時、僕の頭の中に浮かんだ光景があった。

 

「それなら、あの家は? あの生垣に囲まれている家には誰が住んでいるの?」

 

 僕が尋ねたのは、初めてゆうなお姉さんと出会った寂れた家のことだ。お姉さんと会うのはいつもあの家だった。だから、あの家のことが分かれば、少しでもゆうなお姉さんに近づけると思った。

 僕の質問を聞いた祖父母はお互い顔を見合わせた。やがて祖母が口を開いた。

 

「和希ちゃん、よく聞いてね。あの家には誰も住んでいないわ」

「え?」

 

 僕は自分の耳を疑った。祖母の言葉が信じられなかった。

 

「婆さんの言う通りだ。昔、あの家はある爺さんが一人で住んでいたんだが、その爺さんが亡くなってから誰も住んでいないぞ」

「それって、いつから?」

「もう随分と前だな。多分和希が生まれる前じゃないか?」

 

 祖父の言葉を聞いて、僕の頭は混乱に陥った。あの家は誰も住んでいない。つまり、ゆうなお姉さんはあの家の住民ではなかった。

 けれど、今思えば納得できる。ゆうなお姉さんがあの寂れた家から出てくるところを一度も見ていない。

 軒下で二人して座ったことはあるけど、お姉さんから家に招かれたこともなかった。

 その違和感に僕は今更ながら気づいたのだ。どうして気づかなかったのだろう。

 

「和希ちゃん、大丈夫?」

 

 祖母の言葉に僕は思考の海から浮かび上がった。祖父母は心配そうな顔を向けていた。僕が黙ったままだったのが気になるのだろう。

 

「うん、大丈夫だよ。何か勘違いしていたみたい」

 

 僕はその場を適当に誤魔化した。納得したか分からないけど、祖父母はそれ以上何も言わなかった。

 けれど、僕の頭は納得していない。頭の中はある疑問で一杯だった。


(ゆうなお姉さんは何者なんだろう?)

 

 

 お姉さんに会わない間、僕は彼女との約束通り、頑張った。

 大きくなるようにたくさん遊んで運動した。お姉さんのアドバイスを元にクラスの人と積極的に話した。そのお陰か友達がたくさんできた。勉強だって頑張った。

 僕は祖父母の住んでいる村に何回か遊びに行った。しかし、未だにゆうなお姉さんとは会えてない。

 歳を重ねるごとに自分の中にいた彼女の存在が小さくなっていくのを感じる。

 そして、ゆうなお姉さんと会えないまま、僕は中学を卒業した。

 

 

 高校生になった僕はある人と出会いをした。彼女の名前は小野鈴柚(おの りず)。僕のクラスメイトだ。

 髪を首の辺りまで伸ばした彼女は明るく優しい人だ。そんな彼女と僕はある共通点があった。

 

「まさか厚地君もあの村に行ったことがあるなんてね。いやー、世の中は狭いですなあ」

 

 僕の祖父母が住んでいる村に小野さんの親戚がいるらしく、彼女はその親戚を訪ねたことがあるという。

 今は放課後の帰り道。僕と小野さんは並んで歩いていた。

 

「そういえば、厚地君はあの川に行ったことがある? ほら、村から少し離れたところにある川だよ」

「うん、あるよ。確か水遊びができるところだよね?」

「そうそう。あの川といえばさ」

 

 僕と小野さんはお互いの思い出話に花を咲かせた。楽しそうに話をする小野さんを見て、僕の心は温かくなった。

 しかし、僕には気になることが一つあった。

 

「あのさ、小野さん」

「ん? どうした?」

「小野さんって、お姉さんはいる?」

 

 僕がこんなことを尋ねるのは理由があった。小野さんと知り合ってしばらくして経ってから、僕は彼女の中にある人の影を見た。

 ゆうなお姉さんだ。お姉さんと小野さんは似ていた。瓜二つというレベルではない。けれど、雰囲気や仕草、何より笑った時の顔が僕の思い出の中のお姉さんと重なった。

 もしかしたら、ゆうなお姉さんは小野さんの姉、もしくは親戚かもしれない。そんな考えが僕の頭の中に浮かんできたのである。

 

「いないよ。私は一人っ子だからね」

「そっか。親戚のお姉さんとかは?」

「親戚にもいないよ。って、何々? 急にどうしたの?」

 

 小野さんはニヤニヤとこちらに向かって笑いかけた。その顔は僕を揶揄う時のゆうなお姉さんに似ていた。

 

「もしかして、厚地君って、年上がタイプなの? それじゃあ、同級生の私は対象外かあ」

 

 残念そうに小野さんは呟いた。その顔は相変わらず笑っている。

 

「ち、違うって。何でもないってば」

「いやいや、何かあるでしょ。ほらほら、お姉さんに話してみなさい」

「小野さんは僕と同い年だよね!?」

 

 その後、しつこく追求してくる小野さんに僕は遂に陥落した。

 僕は小野さんにゆうなお姉さんのことを説明した。といっても、お姉さんの名前や容姿は言わなかった。言えば、小野さんが揶揄ってくると思ったからだ。

 

「という人と昔遊んだことがあるんだよ。それ以来会ってないけどね」

「へえー、何だかドラマとか漫画みたいな話だね」

「本当にそう思うよ」

 

 ゆうなお姉さんの笑顔が今でも頭の中でも浮かんでくる。僕にとって大切な思い出だ。

 

「でも、いつか会えるといいね。そのお姉さんに」

「僕の話を信じてくれるの?」

 

 我ながら荒唐無稽な話だ。嘘だと思われても仕方がない。現にこの話を小野さん以外誰にも話したことがなかった。

 

「うん、信じるよ」

 

 小野さんは優しそうな笑顔を僕に向けた。その顔を見て僕の胸は高鳴った。

 僕の思い出の中にいるゆうなお姉さんの笑顔が薄れていく。

 

「ありがとう」

「どういたしまして。何なら私も一緒にそのお姉さんを探そうか?」

「どうして小野さんが?」

「だって、厚地君の初恋の人でしょ? どんな人か気になるよ」

 

 小野さんの言葉に僕は足を止める。ゆうなお姉さんが初恋の人。そんなことを考えたこともなかった。

 間違いなくゆうなお姉さんは僕の大切な人で、恩人だ。けれど、お姉さんに想いを寄せていたかと問われると答えるのを躊躇してしまう。

 

「厚地君?」

 

 僕よりも少し先を歩いていた小野さんがこちらを振り返った。

 

「分からないんだ」

「分かんない?」

「僕はお姉さんのことが好きだったのかな?」

「私に聞かれても困るよ」

 

 小野さんは苦笑いを浮かべていた。

 

「えっと、確かにお姉さんは大切な人だけど」

「じゃあ好きじゃん」

「待ってよ。結論が早いよ」

 

 僕が慌てて待ったをかけると小野さんは不機嫌そうな顔をした。

 

「認めなよ。今もお姉さんのことが好きなんでしょ」

「違うよ。お姉さんとは次いつ会えるか分からないし」

「今でも忘れられないんだよね? それは好きだからじゃないの?」

「違うって。僕が好きなのは小野さんだから」

「え?」

 

 僕の言葉を聞いた小野さんは目を丸くしていた。やがて顔が徐々に赤く染まっていった。

 

「小野さん?」

「もう一回言って」

「え?」

 

 小野さんは僕に向かって歩み寄ってきた。僕と彼女は触れてしまいそうなほど近づいた。

 

「今言った言葉をもう一回言って!」

「だから、僕が好きなのは小野さんだって。あっ」

 

 その瞬間、僕が何を口走ったのか今更ながら理解した。そして、それを自覚した瞬間、僕の体を衝撃が襲った。

 より具体的に言うと、小野さんが僕に抱きついてきた。彼女の体温が伝わってくる。

 

「お、小野さん……」

「もう、無自覚に告白するなんて、厚地君はずるいよ」

「ご、ごめん」

「謝らなくていいよ。私もだよ」

「え?」

 

 小野さんは僕を見つめてきた。僕たちは二人して見つめ合った。

 

「私も厚地君が好きです」

 

 顔を真っ赤にした小野さんはそう告げた。それを聞いて、僕は幸福感に身を包まれたような気持ちになった。

 今更ながら僕は自分の想いを自覚したらしい。

 

「まさかこんなところで告白するなんて思わなかったよ」

「うん。そうだね」

「これからよろしくね、和希君」

「こちらこそよろしく、鈴柚さん」


 こうして、僕と鈴柚さんは付き合うことになった。

 

 

 鈴柚さんと付き合って、月日はあっという間に流れていった。高校を卒業し、大学に入り、大学を卒業した後、とある会社に就職した。

 その間も鈴柚さんとの交際は順調に続いている。社会人になってから数年後、僕は鈴柚さんにプロポーズした。

 彼女は僕の好きな笑顔で頷いてくれた。そして、それから、さらに月日は流れて……。

 

 

 僕は家のリビングにあるソファに座っていた。隣には妻である鈴柚さんがいる。

 彼女のお腹は大きい。鈴柚さんのお腹には新しい命が宿っている。

 

「和希君はどっちが良かった?」

 

 先程までいた病院で行った検査の結果、お腹にいる子供の性別が判明した。

 彼女が言いたいのは、男の子か女の子のどちらがいいのかということだろう。

 

「僕はどちらでも嬉しいよ。僕と鈴柚さんの子供だから」

「和希君らしいね」

「そういえば、家に帰ったら話したいことがあるって言ってたけど」

「うん。それなんだけど」

 

 鈴柚さんはゆっくりと体勢を変えて、僕に向き直った。彼女にしては珍しく真剣な表情をしていた。

 

「私ね、子供は夫婦二人を繋ぐ大切なものだと思うの。子供を通じて他人同士だった二人が家族になれる、そんな気がする。だからね」

 

 鈴柚さんは僕の手を握り、こちらに向かってにっこりと笑いかけた。

 

「子供の名前は私たち二人の繋がりが感じられるようにしたい」

「繋がりが感じられる名前ってどういうの?」

「前から考えていたんだけど、私たち二人の名前から取ろうと思う。私、鈴柚と和希君から一文字ずつ取って、柚和ゆうなってどうかな?」

 

 そう言って、彼女は優しく笑った。その笑顔は昔どこかで見た顔とよく似ていた。

 その年の夏、僕たち夫婦に娘が生まれた。

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