第5話 :私の“しんどい”の一言が、勝利を呼ぶ
辺境の空気は、いつもより張り詰めていた。
原因は明白だった。
──軍が動いたのだ。帝都直属の第三特務遊撃隊が、ゆかりの屋敷へと向けて進軍を開始したという報が、昼下がりに届いた。
「彼らは偵察ではなく、明確な“粛清”目的です。上層部が“新興の武力集団”を警戒したのでしょう」
グレイの言葉に、屋敷全体が静まり返った。
「そらまあ……屋敷に兵舎できとったら、そら怪しまれるわな……」
ゆかりは困ったように眉を下げたが、もはや事態は止められない。
軍団は“香風の君”を守るために、勝手に整備され、勝手に訓練されてきた。
「迎撃態勢を取りましょう。戦姫様の命令を」
「ちょ、ちょっと待って。うちは戦う気なんて……」
だがその声は、もう誰にも届かない。
グレイも、ラフィーナも、すでに出撃準備を始めていた。
──日が落ちる前、ゆかりは屋敷の裏に設けられた展望台にいた。
目の前の丘を越えて、敵影が見える。
甲冑をまとった兵士たちが列をなし、無言でこちらを見下ろしている。
その数、三百。
こちらの兵は五十。
どう見ても戦力差は歴然だった。
(これ……あかんやつや)
「しんどいわぁ……ほんま、胃に穴あきそうや……」
ただの独り言。
だがその瞬間、通信陣の向こう側でラフィーナが叫んだ。
「今です! “しんどいわぁ”が発動しました! これは士気高揚の呪文です!」
「全軍、突撃態勢に移行!」
「魔術隊、精霊歌を展開! “わぁ”のタイミングで転移陣発動!」
「……は? えっ?」
気がつけば、兵士たちが勢いよく丘を駆け下りていた。
ゆかりが止める暇もない。グレイを先頭に、完全な突撃隊形だ。
「“しんどい”……あの言葉が、“死力を尽くせ”の意だったとは……!」
敵軍も突然の猛攻に対応できず、混乱が広がる。
ラフィーナの展開した魔術陣が奇跡的に重なり、転移した兵士たちが敵後方に現れる。
「包囲……!? 我々が包囲されているだと!?」
敵将の動揺が、陣の崩壊に拍車をかけた。
ほんの数分で、第三特務遊撃隊は戦列を崩し、退却を始めた。
──戦闘終了まで、わずか二十七分。
ゆかりは展望台から、呆然とその光景を見ていた。
「……勝った、ん?」
「完勝です、戦姫様! “しんどい”の一言で我が軍は極限突破しました!」
「いや、ちが、ちゃうて……!」
だが、誰も彼女の言葉に耳を貸さなかった。
兵士たちは「香風の戦姫、勝利を導く巫女」としてゆかりに歓声を上げ、
ラフィーナは“呪言の波形”を記録に残し、次なる詠唱研究へと没頭していた。
──そして翌日。
帝都の貴族界隈では、「追放された令嬢が、辺境で皇軍に勝ったらしい」という噂が広まり始めた。
誤解はまだ、始まったばかりである。
後の話はまだ書いていないので、明日以降順次更新していきます。
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