4話 VSホーンラビット
翌朝。
まだ薄い朝靄が漂う草原を、わたしは歩いていた。
夜の冷え込みで頬は少し冷たかったたけれど、昇りはじめた陽が草花を照らし、ゆるやかに体を温めていく。
国境までは、まだまだ遠い。昨夜見た最悪な夢の余韻が胸の奥に重く沈んでいたけれど、だからといって立ち止まるわけにはいかなかった。
わたしは草をかき分けながら進み、遠くの小道を目で追っていた――そのとき。
草原を駆ける白い影が、視界を横切った。
まるで風のように素早く、ふわふわの毛皮を翻しながら跳ねるその姿は、ぱっと見ただけなら、ただのうさぎに見えたかもしれない。
ただし、額に鋭い角さえなければ。
「わっ、今度はホーンラビット!」
うさぎ型の魔物は角を突き出しながら、襲い掛かってくる。
わたしは咄嗟に身体をひねり、地面を転がるようにして横へ飛んだ。
「……うん、大丈夫。ちゃんと、倒せる!」
わたしは小さく息を吐く。初めて魔物を倒した時の、あの手足が震えるような恐怖はもうない。
まだ少し膝はこわばるけど、それでも確かに、前よりは落ち着いている気がした。
ホーンラビットは攻撃を回避されて一瞬動きを止めたが、すぐさま前脚を踏み鳴らし、一直線に跳んできた。
「来る……!」
わたしは反射的に右手を前に突き出す。空気が震える。
魔力の流れを意識し、胸の奥から手のひらへと熱を押し出す。
「……《ファイアボール》!」
掌に、赤く脈打つ火球が生まれた。
それはまるで生きているかのように波打ちながら、眼前へ飛ぶ。
けれど、ホーンラビットは咄嗟に身をひねって避けた。
「あっ……!」
火球はわずかにそれ、背後の草を焼くだけに終わる。
けれど、わたしはすぐに構え直す。まだ、チャンスはある。
ホーンラビットは小さく跳び、体勢を整えてこちらを睨んでいる。その鋭い赤い瞳が、一瞬だけ怯えを見せた。さっきの火球を、恐れているようだ。
「もう一発――《ファイアボール》!」
魔力の流れを再び掬い上げる。火球がふたたび、掌の上に現れる。
さっきよりも速く、より確実に。放たれた火球が一直線にうなるように飛ぶ。
今度はホーンラビットも逃げ切れなかった。
火球は正面から命中!
火球はホーンラビットの毛皮にまとわりつき、瞬く間に炎が広がった。
「ギィッ!!」
魔物の悲鳴。
火が角をも包み、灰色の毛を焼き、地面に倒れ込む。バタバタと暴れるその身体も、やがて静かになった。
焦げた草と、肉の焼ける匂いが鼻を刺す。
「……や、やった……倒した!」
わたしは息を吐いた。さっきまで張りつめていた空気が一気にゆるみ、膝に少し力が入らなくなる。
「ふぅ……まだ、ちょっと怖いけど、ひとりで倒せたよ~……」
『すごいぞ、アメリア!』
空からイグニの声が弾んだ。
妖精たちに手伝ってもらえば楽勝なのは間違いない。でも、今日は自分ひとりで倒せるように、あらかじめ彼らには手出しをしないようお願いしていた。
冒険者になるならひとりで魔物ぐらい倒せなきゃね。
もう一度、深く息を吸う。
わたしは空を仰ぎ、ピースサインを掲げてみせた。
「へへっ、食料ゲット~!」
ホーンラビットの肉は食用に向いていて、街の屋台でもよく見かける。毛皮も素材として人気があるみたい。
『でもさアメリア、これ……』
「えー、なにー?」
ふわりと舞い降りてきたイグニが、倒れたホーンラビットを覗き込みながら、ぽつりとつぶやく。
『……丸焦げだから、食べられないんじゃないか?』
「――あっ……!」
わたしはぺちんと額に手を当てた。
「あちゃー……そっか、火力強すぎたかも……」
魔物の毛皮は黒く焼け焦げ、中までしっかり火が通りすぎている。
食べられなくはないかもしれないけれど、きっとパサパサで、ちょっと……。
「いや、血抜きもしてないし、内臓もそのままだし……食べるのは無理だよね、やっぱり」
もちろん、毛皮も素材として利用出来そうにない。
わたしはがっくりと肩を落とした。
「うぅ、今日も携帯食かあ……とほほ……」
せっかく魔物を倒したのに、戦利品ゼロ。
お肉が食べられると思ったんだけどなあ。
「……いや、せめて魔石くらいはゲットしておこう」
わたしは腰のナイフを抜き、魔物の胸に刃先を差し込んだ。
焼け焦げた毛皮を裂くと、中から焦げた肉と臓腑の匂いがむわっと漂ってくる。
「うっ……」
心臓の位置を探りながら慎重に切り開いていくと、硬いものが指先に触れた。
慎重に掘り出すと、粒のように小さな魔石のかけらが、かすかに光を帯びて転がり出てくる。
思わず「おぉ……」と声が漏れた。
「本当に魔物から獲れるんだ……。本で読んだとおりだ!」
魔石は、魔物の命と魔力が凝縮した結晶。
灯りをともす燃料にも、道具を動かす動力源にもなるし、錬金術の材料や魔法道具の触媒にも使われる。
冒険者にとっては、金貨の代わりに換金できる大事な収入源だ。
手のひらにのせてみると、ビー玉の欠片みたいに小さいけれど、確かに力を宿している。
正直、こんなに小さな魔石を冒険ギルドが買い取ってくれるか、分からないけど……。これはこれで、ちゃんとした冒険の成果だ。
わたしは魔石をアイテムボックスにしまう。少しだけ気持ちを持ち直し、歩き出した。
しばらく進むと、茂みの向こうできらきらと光を反射するものが目に入った。
「……あれ?川?」
背の高い草をかき分けると、浅く澄んだ小川が姿を現した。水はさらさらと音を立てて流れ、太陽の光を受けて水面が細かく揺らめいている。
風が頬をなで、戦闘で汗ばんだ身体を涼しく冷やしてくれた。
「……うん、ちょっと休憩にしようかな」
わたしが腰を下ろした膝の横から、ひょいとユグニが顔をのぞき込む。
『やっと休憩かい?アメリアは真面目過ぎるよ。もう少し、肩の力を抜いた方が良い……昨夜もうなされていたようだし』
「えっ、そうかな?真面目ってわけじゃないよ~。昨夜はたまたま夢見が悪かっただけ!」
わたしは苦笑しながら川辺に腰を下ろした。
両手を水に差し入れると、ひやりとした冷たさが掌から腕へと広がっていく。重たかった胸の奥が、少しだけ軽くなった気がした。
せせらぎの音に耳を澄ませながら、わたしは小さく息を吐く。
次は……焦がさないようにしないと。
そう心に誓いながら、水のきらめきをぼんやりと眺めていた。
明日は12時10分に更新予定。
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