3話 異世界転生
さて、何処から話そうか。
わたしは聖女だった。そして、転生者だ。
この世界に生まれ落ちたときから、わたしには“前世”の記憶があった。
日本という国で、女子高生として日々を過ごしていた記憶。はじめのうちは混乱はしたけれど、この世界には電気や機械ははない代わりに魔法があって、魔石を利用した様々な道具が存在していた。孤児院の暮らしも思ったより快適で、わたしはこの異世界を少しずつ気に入るようになっていった。
「将来は冒険者になって、世界を旅したいなー」
なんて、そんなささやかな夢を描いていた。
そう――そんな平穏な日々を送っていたのだが、ある日を境にすべてが変わった。
わたしが“聖女”だと判明したのだ。
実は……幼いころから、わたしには妖精が見えた。けれど、わたしの目に映る小さな存在たちは、どうやら他人には見えないらしい。
前世の記憶を持つわたしは、周囲の大人たちの微妙な反応から、これは口にしない方がいいのだと直感的に悟った。
だから妖精が見えることは、院長にさえ話さず、ずっと胸の内に秘めていたのだけれど……。
あるとき、妖精の力を頼ってしまい、隠し通していた秘密が露見してしまった。
その結果、教会からやってきた使徒に“聖女”であると告げられてしまったのだ。
それから先のことは、まるで渦に巻き込まれるようだった。気づけばわたしは聖女として教会に引き取られ、国のために祈る日々を送っていた。
聖女であるわたしがお願いすれば、妖精は一生懸命応えようとしてくれる。雨が降るように祈れば、雨を降らせてくれる。豊穣を祈れば、植物の成長を促してくれる。確かに、その力は聖女としての証だった。
衣食住は確保されていたとはいえ、辛い生活だった。周囲の聖職者たちは、掃除や洗濯といった雑務を平然と押し付けて、朝から晩までこき使われた。
やがて、第一王子アレクシス殿下との婚約が決まったけれど――彼は少しも優しくなかった。貴族たちもまた、平民のわたしを露骨に馬鹿にして、あらゆる場面で嫌がらせをしてきた。精霊の仲間が居てくれなければ、堪えられなかったかもしれない。
そして、現在。
わたしは、辺境へと向かう旅の途中で、かつての過酷な暮らしを思い返しては、つい愚痴をこぼしていた。
「それにしても、平民を馬鹿にするなら、はじめから婚約しなければいいのに……。聖女と婚約するなんて国の決まりなんて作らなければ良かったのにと思わない?」
王都を離れるにつれ、景色も寂しいものになっていく。
『あーそれね。そもそも逆なのよ、逆』
黙って話を聞いていたティアが、おもむろに口を開いた。
「ほぇ?」
逆とは?
思いがけない言葉に、思わず間の抜けた声が出てしまった。
『聖女がいたから、国ができたのよ。初代の聖女が現れたおかげで、魔物の脅威が和らいで町が発展して国になったの。で、そこの領主が聖女と結婚して、王になったってわけ。
それから聖女が生まれたら、国に縛るために王家と結婚することになったのよ。ただ、王家の威信を守るために、聖女がおこしたことを王の成果にして、そのことを隠し続けていたから……長い時が過ぎて、王家もそのことを忘れてしまったのね』
「へえ、そうなんだ~」
『どういう因果か、初代聖女の血を引く家系に、聖女は生まれやすいの。高位貴族の子女に多かったから、平民の聖女なんてはじめてよ……。たぶん、あなたにもその血が少しは混じってるんじゃないかしら』
ふぅん。
孤児院で育ったわたしだけど、もしかしたら何処かの貴族の落とし子だったのかもしれない。もう確かめようもないけど。
「でも、良く知ってるね。王様しか知らないって話だったのに。もっのしり~~」
『当然でしょ。この国ができるずっと前からあった湖から生まれたんだから』
ふん、とちょっと得意げに胸を張るその姿に、ふふっと笑みがこぼれた。
辺りがすっかり暗くなってきたので、そろそろ野宿の支度をすることにした。
テントなんて上等なものはない。代わりに結界を張り、寝袋をセットする。
この結界があるおかげで、魔物に襲われる心配はほとんどなく、見張りを立てる必要もない。
結界とは、領域内に魔力の膜を張ることで、外からの侵入を防ぐ防御魔法。
聖属性に属する魔法で、僧侶や聖職者のような“祝福を受けた者”にしか使えないとされている。だけど、魔石を使って描いた魔法陣でも、ある程度の効果は得られるらしい。
魔力の精度や持続時間こそ劣るけれど、旅人や冒険者たちはそうして代用することも多いみたいだ。
夜になると冷え込むけど、結界のなかはいくらかマシだった。幸いにも、いまは真冬でも真夏でもなく、過ごしやすい季節で助かった。
魔法で水をコップに注ぎ、持ってきた携帯食を取り出す。
黒パンと干し肉。まさに冒険者っぽくて、それだけでなんだかテンションが上がる。
けれど、実際に口にしてみると……。
「……かたっ……なにこれ、石?」
黒パンは酸っぱくて石のように固い。ぼそぼそしてて、口の中の水分をぜんぶ取られそう。干し肉もまた、塩辛くて噛み切れず、顎が悲鳴を上げそうだった。
「ううん、教会のご飯とどっちがマシだろ……。早く国外に出て、美味しいもの食べたいなぁ~」
誰にともなくぼやきながら、それでも空腹を満たすために黙々と口に運ぶ。
味気ない食事を終えると、わたしは静かに寝袋にもぐり込んだ。
この国から聖女がいなくなったら、どうなるんだろう――?
そんな事を考えてしまうのは、きっと静かすぎるせい。
もし、聖女がいなくなったことで不都合なことが起きたとしても、追放されたわたしにはもう関係ない話だ。
そう、ようやく解放されたんだから。……そうだよね?
そう言い聞かせるように目を閉じる。
でもその夜、わたしはなかなか眠れなかった。
何度も寝返りを打っても、眠気は遠ざかるばかりだった。
耳の奥に、かすかに声が響いた気がした。
『聖女としての自覚を持ちなさい』
『あなたが逃げたら、多くの人が苦しむのですよ』
重苦しい言葉が、夢とも幻聴ともつかぬ形で何度も反響する。
低く湿った声色は、かつてわたしが浴びせ続けられたもの。
胸がずしりと沈んでいき、寝袋の中で息苦しさに身を縮めた――。
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