23話 沖合へ
翌日、わたしは港へと向かった。
波止場にはすでに何隻かの船が並び、乗船場には武装を整えた冒険者たちの姿が見える。ざっと見て二十人以上はいるだろうか。それぞれが武器を点検したり、仲間と打ち合わせしたりと、張り詰めた空気が漂っていた。
その中心に立っていたのは、若いながらに威厳のある佇まいの青年だった。金色の刺繍の入ったマントを羽織り、腰には細身の剣を携えている。きっと、彼がこの土地の領主だ。
彼は冒険者たちを見渡すと、一歩前に出て、港中に響くような高らかな声で言った。
「よくぞ集まってくれた、勇敢な冒険者たちよ!」
その声に、場にいた者たちが背筋を伸ばす。領主は続けて、このフレーネルの沖合で起きている異変について簡潔に説明した。
「このままでは、海は死に、街は飢える。お前たちの力を、どうか貸してほしい!」
立ち姿や物腰から、自然と漂う気品や統率力を感じる。
傍目に見ても、立派そうな領主だなとわたしは感じた。
領主の話が終わると、冒険者たちの間から次々と「任せろ!」「やってやろうじゃなないか!」という力強い返事が上がった。
そして、冒険者たちはそれぞれの船に乗り込んでいく。わたしは他の船より一回り大きい木造の船に配属された。帆を張り、錨を挙げると、船は風を受けて進みだす。
わたしは潮風に揺れる髪を手で押さえながら、甲板の上から遠ざかっていく陸地を見送った。
朝の光を受けた海面はきらきらと輝き、空と海の境が曖昧になるほどの快晴だった。
『ねえ、なんでに魔物退治に参加したのよ?』
ティアの質問に、わたしは潮風を受けながら答える。
「瘴気が発生してると言われたら、聖女のわたしの出番じゃない?」
他の人には聞こえないように、小声で。他の人には精霊は見えないからね。
「多分、魔物の群れを倒せば瘴気は一時的に薄れる。でも、浄化しなければ完全に消えるわけじゃないでしょ」
『そうね』
「だったら、聖女のわたしがなんとかしなくちゃ。戦闘のどさくさに紛れて、ちゃちゃっと浄化をしようかなって」
浄化しなかったせいで漁に支障が出たら困るし――
どうしても、わたしは海鮮を食べたいんだから!
ただ、聖女だと気づかれないように気をつけなければ。
特に領主には気を付けないといけない。いくら立派そうな領主に見えても、聖女だった頃の生活で貴族は危険だとわたしは学んだ。
「うーん、でも……正直ちょっと後悔してるんだよね。参加しなきゃ良かったかもって」
『まあ、イグニがあれじゃね……』
そう、問題はイグニだ。
乗船したときは『これが海か!でっかいなー!』とはしゃいでいたのに、陸地が遠ざかると途端に震え始めた。
最初は海風に冷えただけかと思ったけど――。
海水のしぶきを浴びた瞬間、イグニはぎゅっと身をすくませ、頬を青ざめさせた。
「まさか、船酔いじゃないよね……?」
『船酔い?それがなんなのか分からねーけど、ぞくぞくってするんだ!』
イグニはか細い声でそう答えると、ぷるぷるっと体を揺らした。
まるで消え入りそうな小さな炎のように、頼りなく揺らめいている。
『水しぶきを浴びると溶けて消えちまいそうになる……水は嫌いだけど、こんな気分になるのははじめてだ』
確かに、以前川遊びをしていた時も水を掛けられて怯えてはいた。けれど、ここまで弱ってはいなかった。
海に囲まれて逃げ場のない状況――それは火の精霊であるイグニにとって、生理的な恐怖を呼び覚ますものなのだろう。
少し考えれば予想できたことだったのに……。
イグニの為には船に乗らなければ良かったと、後悔しはじめていた。
けれど、今さら陸に戻ることもできないし、イグニには大人しく耐えてもらうしかない。少なくとも、今回ばかりは戦力にならなさそうだ。
しかも、土の精霊であるユグルも海では力を発揮できないようだし……。
そう考えていたとき――ぽん、と肩を叩かれた。
「アメリア!そろそろ戦闘位置について」
ジェシカだ。わたしは軽く笑みを浮かべ、拳を握って応えた。
「ん、りょーかい!」
そう答えて足を踏み出したわたしは、ちらりと背後を振り返る。
そこには、膝を抱えて小さく震えるイグニの姿があった。まるで消え入りそうな小さな炎のように、頼りなく揺らめいている。
隣にはユグルが寄り添い、穏やかな声で励ましをかけているようだった。
『少し海水を浴びたって消えたりしないよ。だからそんな不安がらずとも大丈夫。陸地に戻るまでの辛抱だから、頑張れるね?』
いつもなら『別に不安がってねぇし!』と噛みつくように言い返すはずのイグニ。けれど今は、そんな元気はなさそうだった。
胸がちくりと痛む。
――ごめんね、イグニ。
心の中でそっと謝る。
ここに連れてきたのはわたしだ。わたしは彼から視線を外し、戦闘位置へと足を速めた。
イグニのためにも、一刻も早くこの討伐を終わらせて、陸地へ帰らなくちゃ。
わたしはぎゅっと唇を結び、視線を前へ戻す。
その瞬間、海風の匂いが変わった気がした。
塩の香りに混じって、鉄のような――血のような生臭さが鼻を刺す。
ざぶん、と船のすぐ脇で大きな波が立った。
海面に黒い影がちらりと走り、冒険者たちの視線が一斉にそこへ向く。
船体がぎしりと軋み、帆を張るロープがばたばたと暴れる。
「……来るぞ」
誰かが低く呟いた。
緊張が瞬く間に甲板を走り抜け、武器を構える音が次々と響く。
わたしは深く息を吸い込み、戦闘態勢をとった。
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一部書き直しをしているため、少しお時間をいただきます。すみません。
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