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「すごい偶然ですね! お休みの日まで遥斗さんにお会いできるなんて!」
『和泉さん』と呼ばれた女性は、両手を合わせるとさらにパパッと表情を華やがせた。まるでミニヒマワリが花を咲かせたかのような、明るくて可愛らしい笑顔だ。
「新規事業の視察ですか? さすが遥斗さんですね! 例の企画の……」
「和泉さん」
対する遥斗は、口元にこそ柔らかな笑みを浮かべているが、目元にはブリザードが吹き荒れている。
おっと。これは大変よろしくない。怒れる遥斗がさらに戦闘モードまでオンにしてしまった状態だ。
「仕事の話をこんな場所で口にするのは迂闊ですね。毎度注意されているでしょう」
「あっ!」
遥斗の指摘に、和泉さんはハッと口元を押さえる。その上でショゲ……と眉をハの字に下げる様は、まるでウサギのようだった。『男ならば誰でも思わず抱きしめたくなるような』という表現は、多分今の和泉さんにこそ向けられるものなのだろう。
「申し訳ありません。オフでも遥斗さんにお会いできたことが嬉しくて……」
「そう。オフだ。今日の俺は、完全に、オフ」
一言一言をくっきりと区切って発音する遥斗は、よほど『オフ』というのを強調したいらしい。
──えっと? つまり遥斗は今、和泉さんに声をかけられたのが心底面白くないっていう解釈でいいのか? それとも、部外者がいる前で仕事の話を持ち出されたことに怒ってるのか?
さっきのやり取りを遮られたというだけで、遥斗がここまで怒るということは多分ない。和泉さんがよっぽど嫌いなのか、休日に仕事の関係者が顔を出してきたことが嫌だったのか、守秘義務に抵触しそうなのを咎めたかの三択だ。
先日、うっかり目撃した二人の様子からして、恐らくひとつ目はない。みっつ目だけでここまで怒りを露わにする可能性も低いと思う。
つまり遥斗は、単純に完オフ日に仕事を思い起こさせる事象に遭遇したことが気に食わないのだろう。
──いや、遥斗。八つ当たりはよくないぞ?
和泉さんだって、オフで来てたんだろうし。仕事で仲良く……いや、あれは単純に『仲良く』以上の距離感に見えたけども。まぁとにかく『親しい』と言える距離感で仕事をしている相手を見かけたら声をかけるというのは、まぁ考えられる行動だと思うんだけども。
「ナガレ」
そんなことをぼんやりと考えていたら、急に手を引かれて前へ引き出された。予期せぬ力にたたらを踏むように前へ出ると、遥斗がスルリと俺の腰を引き寄せる。
「紹介しとくね。こちら、見習い業務でお世話になってる和泉さん」
──ちょっ! 距離! 近いっ!!
俺は内心で遥斗に抗議の声を上げる。和泉さんも和泉さんで遥斗の行動に驚いたのか、目を丸くしていた。
……いや、違うな。多分これ、遥斗にばっかり目が行ってて、俺の存在に気付いてなかったんだ、多分。今まで小中高大と周囲の女子に向けられてきた顔と同じ顔を今の和泉さんもしている。
「和泉璃子です」
それでも和泉さんは、遥斗の挨拶に従ってペコリと俺に頭を下げた。俺という第三者の存在に気付いて仕事モードに切り替わったのか、さっきよりも表情にピリッとした緊張が走っている。
「和泉さん。こちら、この度やっと捕まえられた、俺の最愛の人。片想いの相手から婚約者になってくれました、永禮晴海」
そんな和泉さんに対して、遥斗は容赦のない言葉の右ストレートを打ち込む。その衝撃がすごかったのか、和泉さんは分かりやすく目を見開いて固まった。
って、おい、遥斗! お前、和泉さんといい感じの仲なんじゃないのかっ!? この間あんな……あんな、こう、腕を胸に抱き込まれ……っ!
「ほら、前々から話していたでしょ? 口説き落としたい人がいるって。ひと月くらい前に、ようやく口説き落とすことができて」
俺は思わず息を詰めたまま遥斗に視線を落とす。そんな俺にチラリと視線を向けた瞬間だけ、遥斗の顔から柔和な笑みが消えた。
その一瞬の変化に、俺はハッと我に返る。
──これ、本番だ。
完全不意打ちのぶっつけ本番だけども。遥斗は今、俺に婚約者としての振る舞いを求めている。今までずっと親友として傍らにあり続けてきたのだ。言葉にしなくても、遥斗が何を求めているのかくらいは分かる。
遥斗と和泉さんの関係がどういうものなのかは、俺には分からないけども。……先日の喫茶店では、和泉さんこそが『本物の想い人』なんじゃないかとさえ思ったけども。
遥斗のさっきの目を見て、分かった。
──和泉さんは、今この場の遥斗にとっては、迎撃すべき『敵』なんだ。
それさえ確信できれば、俺は迷ったりしない。
「今日は久しぶりにゆっくりデートを楽しんでいるんです。申し訳ないですが、邪魔しないでもらえませんか?」
「じゃ、邪魔……!?」
遥斗の容赦のない言葉に、和泉さんの顔からサッと血の気が引いた。俺と遥斗を交互に見やる和泉さんの顔には、この光景を信じたくないという絶望がありありと浮かんでいる。
「そ、……あれ、あの『好きな人がいるから』って、女性社員からの告白を全て片っ端から断ってるって話……」
「本当だったでしょう?」
「で、でも! その人、男性ですよね……っ!?」
「それが何ですか?」
さらに顔色を失っていく和泉さんに対して、遥斗は追撃の手を緩めない。さらにグッと俺の腰を引き寄せた遥斗は、笑みの下に隠していた冷たさを容赦なく和泉さんに向ける。
「男であろうが女であろうが、俺は『永禮晴海』が好きなんです。だから他の方からの好意は、一律して慎んでお断りしています」
「そ、そんな……っ!!」
──ここまで喰い下がるってことは、和泉さんの方は確実に遥斗を狙ってたんだな。
遥斗が明確に遠ざけていないということは、告白という決定打は打たず、ひたすら好意をあけすけに見せびらかしながら付き纏っていたのか。あるいは告白されてはいたけども、業務上の問題で遠ざけることができなかったのか。
後者でありながらあんな距離感で出歩いていたならば、和泉さんはもしかしたら『今は断られているけれど、近しい距離感で仕事を続けていれば、いつか必ず私に堕ちる。堕ちないはずがない』とでも思っていたのかもしれない。
いずれにせよ『私になびかないはずがない』『好きな人がいるなんて嘘に決まっている』という強い気構えがあったのだろう。そういうタイプの人間がメンタルブレイクして逃げ去っていく場面には、過去に何度も立ち会っている。
そう、あまり喜ばしくないことに、結構目撃しているのだ。『永禮晴海よりも私の方が魅力的じゃない!』と迫る美女達に、『いや、俺、比べるまでもなくナガレの方が好きだから』と、相手のメンタルに一生消えなさそうな傷を負わせる遥斗の姿を。
──なるほど、なるほど。和泉さんは『そういう系』だったのか。
どうやら俺は最初の三択を間違えたみたいだ。
遥斗は多分、業務的な部分を差っ引いた完全プライベート状態だと、和泉さんのことが結構嫌いだ。そんな和泉さんに完オフ日に声をかけられたから、瞬時に激オコ戦闘モードのスイッチが入っちゃったんだな、うん。
遥斗にとっての最大の地雷。表面上はどんな相手でもノラリクラリとかわして好きも嫌いも表に出さない遥斗が、唯一明確に『こいつ、キライ』を露わにする相手。
己と永禮晴海を天秤にかけて、己の方を遥斗は選ぶはずだと豪語すること。
すなわち、永禮晴海を下に見る人間。
遥斗はそういう人間はかなり容赦なく潰す。同じような不愉快を、二度と味わわなくていいように。
今回は仕事が絡んでいたから、そこまでやれなかったんだろう、多分。いくら神宮寺グループの御曹司でも、仕事が絡んでいるわけだし。
──うん。なら、余計に容赦はいらないな。
遥斗も仕事がやりづらいだろうから、ここはバッサリいかせてもらおう。
「申し訳ありません、和泉さん」
顔色を失い、ワナワナと震えている和泉さんへ、俺はニコリと笑いかけた。
その上で俺は、遥斗の体を胸に抱き込むように腕を回す。そのまま柔らかく腕に力を込めれば、元からゼロだった俺達の間の隙間はマイナスになるほど密着した。
「俺達、この通り、ラブラブなんで。そういう意味でこいつを狙ってるなら、諦めてもらえませんか?」
「……っ!!」
この間、和泉さんが抱き込めたのは、精々遥斗の片腕だけだった。
だけど、俺は違う。『頭の先から足先まで、こいつは俺のものだ』と見せつけるかのように抱き寄せれば、遥斗も満足そうに俺に身を預ける。ふにゃりと全身の力のみならず顔の筋肉の力まで抜けてしまった遥斗からは、演技とは思えないほど幸せそうなオーラがダダ漏れていた。
その反応の差が、和泉さんには分かったのだろう。
今度は頬を赤く染めながら大きく体を震わせた和泉さんは、バッと弾かれたかのようにその場を去っていった。




