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所詮、期間限定の恋だから  作者: 篠崎依月
譲ってください!
6/8

 遥斗(はると)の『本物の想い人』らしき人物の姿を目撃する機会は、案外早く訪れた。


「……ん?」


 初めて訪れた喫茶店でレモンスカッシュをすすっていた俺は、チラリと視界に入った見慣れた後ろ姿に思わず小さく声を上げる。


 ──遥斗じゃね? あれ。


 大学が斡旋している研究室での雑用……もとい、アルバイトに出向いた帰りのことだった。


 正式に研究室に配属されるのは三年次の後期からだけど、俺の大学では『アルバイト』と称して一年次から興味のある研究室へ出入りできる制度がある。いわばインターンシップの研究室版だ。


 研究室の雑用をしてもらう中で、研究室の雰囲気や研究の内容に触れてもらい、三年次で研究室を選択する時の参考にしてもらおうというのがその趣旨であるらしい。薄給ながらもきちんと最低賃金が守られたバイト代が支給されるため、学生には結構人気のあるシステムだ。


 俺はその制度を利用して、ちょくちょく研究室に出入りさせてもらっている。


 ガタイがイカつくてそれなりに力もある俺は、どの研究室でもそれなりに重宝されているらしく、ありがたいことに研究室側からリピート指名をもらうことが最近増えてきた。特に女性の割合が多い研究室や、フィールドワークに重たい機材を持ち出すことが多い研究室からは、荷物運搬役やボディガード的な人員としてのお声がけが多い。


 今日も『学会発表のために大きな機材を運びたいけど、研究室のメンバーだけでは人手が足りなくて』という理由でのご指名だった。


 その学会もすでに終わっていて、今は『帰る前に一服していきなさい。今日は暑かったから』と教授から渡されたお小遣いを使わせてもらって、ここで涼んでいるところだ。普段行動しないエリアでの店探しだったから、駅に近いチェーンの喫茶店を選んだ次第である。


 ──確か遥斗、今日は『仕事』だったよな?


 今日は日曜日。大学の講義はない。


 朝、一緒にご飯を食べていた時、遥斗は『呼び出し受けちゃって』というようなことを口にしていた。俺もその時に『今日はバイトだから、俺も一日の家にはいない』と伝えたら『せっかくの日曜日なのに』と余計にシオシオしていた。


 いや、俺達平日だろうが土日だろうが、四六時中顔合わせてんじゃん。同居してるし、同じ送迎車に乗って、同じ大学の同じ学部に講義受けに行ってんだから。


 そんなことを内心でツッコんだ相手が今、レジの列に並んでいた。俺から見えるのは後頭部と見慣れないスーツの背中だけだけど、見慣れた幼馴染の後ろ姿だ。見間違いということはないだろう。


 ──遥斗もこんなチェーンの喫茶店、並んでまで使うことあるんだな?


 俺と行動している時は、俺に合わせて普通にチェーンのファーストフード店でも、喫茶店でも、レストランでも、何でも抵抗なく入って文句も言わない……むしろそんな外食をどこでも楽しんでいる遥斗だけど、自分一人だけだったり、仕事関係者と一緒の時は、もっとこう……いかにも! って感じなお高い店を使ってるのかと、勝手に思っていた。


 いや、だって遥斗、絶対に舌が肥えてると思うし。コーヒー一杯にしてみても、絶対に味の違いが分かる人間だと思うし。


 ──そんな遥斗が淹れてくれたコーヒーやら紅茶やらは、きっとそこらの店のよりも美味いんだろうなぁ……


 俺が味わってやれるのは、遥斗が沸かしてくれた麦茶とか、遥斗が冷やしといてくれたコーラとかだ。申し訳なさすぎる。カフェインと最悪に相性が悪い己の体質が恨めしい。


 ……などとツラツラと考えている間に、レジの列は少しずつ前へ進んでいた。遥斗が立っている位置も、列の動きに合わせて少しずつ変わっていく。


 そのタイミングの中でふと、俺は今の遥斗に同行者がいたことに気付いた。


 ──女の人?


 遥斗の隣には、見覚えのない女の人が並んでいた。たまたま列の並び順で隣に並んだ、というわけではなさそうだ。頭半分高い遥斗を見上げて、親しげな笑みを向けているのがチラリと見える。


 俺はストローの端をくわえたまま、しげしげとその女性を観察した。


 綺麗に染められた、艶のある焦げ茶色の髪。髪型も上手に纏められていて、オシャレに気を使える人なんだろうな、というのが後ろ姿だけでも分かった。


 フリルと透け感のある素材を上品に組み合わせたブラウスに、涼しさを感じさせる薄いグレーのスカート。スーツ姿の遥斗と並ぶ様は、さながら『敏腕若手社長とシゴデキ有能美女』といった雰囲気だった。


 ──住んでる世界が違うわぁ。


 思わず、無意識のうちにそんな感想を呟いていた。その言葉に少しだけモヤッとしたものが胸に広がったのは、今まで無意識のうちに『遥斗に一番近い場所にいるのは俺』と思い込んでいたからなのかもしれない。


 ──そんなはず、ないのにな。


 意識してそんな言葉を胸中に転がしながら、俺は苦く笑みを浮かべた。


 元々、俺達の距離は近かったけども。最近はそれに輪をかけて『婚約者として振る舞う練習だから!』と甘やかされていたから、無意識のうちに調子に乗っていたのかもしれない。


 ──そうだよな。遥斗は本来、()()()()なんだよな。


 国内有数の大企業、(じん)(ぐう)()ホールディングスの次期後継者。国内屈指の実業家の御曹司。それが神宮寺遥斗というヤツだ。


 本来の遥斗は、ああいうキッチリしたいい服を纏って、キラキラした人達に囲まれているのが正しい光景なんだろう。こんな野暮ったくて、いつも周囲にモヤがかかっているようなモブ中のモブみたいな俺とツルんでるっていう方が、きっと間違ってる。


 ──今までそれを意識しなくて良かったのは、きっと。


 遥斗が、意識させないようにしてきてくれたから、なんだろう。


 だけど遥斗に近付けば近付くほど、遥斗が自分がいる世界へ俺を招けば招くほど、遥斗が隠してきた(みぞ)が俺達の間に見えてくるような心地がする。


 こんな心境になるのはきっと、遥斗に『本物の想い人』がいると知ってしまったからなのだろう。


 ──ただの親友であっても、いつかは、きっと。


『遥斗の隣』を、その想い人のために、空けなければならない。


 だって今のままじゃ、俺達の立ち位置が近すぎるから。新しくやってきた想い人が入る隙間はないし、想い人も居心地が悪いに決まっている。


 というか、遥斗の方が俺から数歩離れて、想い人のための空間を作り出すはずだ。今まで誰よりも親密だった俺達の距離は、嫌でも離れていくことになる。


 そのことが、こんなにも。


「……知りたく、なかったな」


 ……面白くない。


 そうはっきりと思ってしまう、そんな狭量な自分がいるのだと、自覚したくなかった。


 親友に想い人ができて、それを素直に祝福できないとか。その理由が『置いていかれる』なんて、小さい子供みたいな感情にあるとか。幼稚で、そうでありながら『幼稚』だけでは片付けられないような黒さと醜さを備えたモノが今、俺の胸の中にはモヤのように広がっている。


 ──俺は、ただの親友で。今はただの、期間限定の、偽装婚約者で。


 そんな人間は、こんなクソ重たい感情、抱くべきじゃないのに。


 俺はそんな鬱々とした内心を抱えながらも、遥斗を盗み見ることをやめられなかった。


 入口から見て死角になる角席に俺はいるから、遥斗が俺に気付くことはないだろう。今も完全に背中を向けているから、商品を受け取って店内を隅々まで見渡すようなことをしない限り、俺に気付くことはない。


 そんな言い訳をしながら盗み見をしていた瞬間、不意に遥斗の横顔が俺の視界にさらされた。


 その瞬間、俺は思わず息を呑む。


 ──いや、何なの、その距離。


 俺に遥斗の横顔が見えたのは、傍らにいる美女に遥斗が腕を引かれたからだった。己の胸の中に遥斗の腕を抱き込むようにして遥斗の腕を引いた美女に逆らうことなく、遥斗は美女の方へ体を傾け、顔を寄せる。その顔には俺には見せたことがない、酷く美しく柔和な笑みが浮いていた。


 まるで、ドラマのワンシーンみたいな。洋画だったら、そのまま流れでキスのひとつくらいしてしまいそうな距離感と空気感。『親密』という言葉では纏めきれない雰囲気に、二人の周囲は『ほぅ』と息を呑んで見惚れてしまう人間と、見てはいけないものを見てしまったと視線を逸らす人間とに二分されている。


 ……あんなの、ただの同僚とか、上司部下の関係で作り出せる空気じゃない。


「……っ!」


 俺は気付いた時には席を立っていた。まだ中身が残っていたレモネードのグラスを入口近くの返却台へ置きながら、慌てて店を出ていく。


 その一瞬、美女が俺の方へ視線を流したような気がしたのは、きっと俺の気のせいだったのだろう。自意識過剰ってやつだ、絶対に。


 ──俺、どうしよう。


 面白くない。見ていられない。あのまま店にいたら、きっと無遠慮に声をかけに行っていた。


 遥斗なら絶対に俺を選ぶから。あの美女の腕を振りほどいてくれるっていう確信が、なぜか俺にはあるから。


 でもそれが、(うぬ)()れだったら? 俺よりも美女を選んだら?


 その時俺は、遥斗にどんなことを言ってしまうのだろう? いや、それよりも、俺は。


 ──譲らなきゃって、分かってるはずなのに。


 期間限定の、偽りの婚約者。本当はただの幼馴染の親友で、遥斗が人生の危機を乗り切ったら、俺達はただの親友に戻る。


 だからいつかきっと、俺は遥斗の隣に並んだ本物の想い人を真っ先に紹介される立場にある。真っ先にあいつを祝福してやらなきゃいけない立場にある。


 でも、俺は、もしかしたら……


「無理、かも」


 そのことに、あの一瞬で、気付いてしまった。


「……俺、どうしたら」


 今晩、あいつが家に帰ってきた時、俺はいつもと変わらない顔で、あいつを出迎えることができるのだろうか。


 夏の暑さだけでは説明できない熱に顔が熱くなっていくのを感じながら、俺は逃げるように駅に向かった。


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