天辺目指して、妹よ
本当のお話し合いになります。
手紙を書き上げた後、クレイグに言付けして渡したわ。そしてサミュエルを呼んできてもらう。
クレイグと公爵家の状況を改めて確認するわ。クレイグはお父様の右腕なの。私も後継者教育でお世話になったわ。
お話し合いはこちらが本番ね。
―――元々、父と子爵家出身の母とは身分差があったが。それでも母に惚れ込んだ父が周囲の反対を押しきって結婚したという。
母はいつまでたっても公爵家の家風になじもうとしなかった。公爵夫人に相応しくある様に導こうとする祖母に反発し、父の寵愛をかさに浪費を繰り返し、横暴に振る舞う。祖母そっくりの私を嫌い、自分そっくりのアンジェリカを猫可愛がりする。
父が咎めても十倍位の勢いで喚き散らして暴れ「必ず私を幸せにするって言ったじゃない!」と言って黙らせてきたそうな。
自分の我儘でした結婚だ。父は母に引導を渡せずに。母の浪費や横暴を見過ごし、実家の子爵家へは父の個人資産から援助を続ける。そうして、ずるずると来てしまった。
黙々と馬車馬の様に働いてきた父だが。跡取りの私が出ていき、急遽アンジェリカの教育の見直しをした事で母が使用人と結託して予算を横領し母の愛人がいる商会と子爵家へ金を流していたと発覚。ようやく愛想が尽きたらしい。
即日お母様と横領の手助けをした使用人を追い出して商会と子爵家へ苛烈な賠償請求をしているという。
「ダニエル様はすっかり目を覚まされたご様子で」
とクレイグは晴れ晴れした顔で言ったわ。つくづく公爵家の癌だったのね、お母様って。
アンジェリカにはアルウッドへ行くのを許したものの。父は私が戻るとは思っていないらしい。
「メアリーには苦労をかけたとダニエル様はおっしゃっていました。戻るのも残るのも自由だと」
お父様も薄々分かっていらしたのかもしれない。このままではいけないと。
さて、残る問題はレイモンド王子というか王妃様よね。デビュー前の令嬢、しかも婚約者の妹に手を出そうとする時点で屑確定だからアンジェリカと結ばれなくて良かったと思うけど。何気にモラハラ野郎だったし。
理性と感情は別ですもの。前世の私も言ってるわ。息子大好きな母親は敵に回すと恐ろしいって。どうしましょう……。
「確かに、今回は王家、公爵家の痛み分けという形になりましたが。心証はよろしくありません」
「そうよね。王族と言っても人の親ですもの。可愛い第二王子が出奔してしまったら腹も立つわよね。私、言い過ぎたわ」
私がため息をつくとクレイグがフォローしてくれた。
「いいえ。そもそもみっともなく復縁を願って押しかける方がいかがなものかと」
とは言ってもね。
仕方ない。少し早いけどカードを切りましょうか。サミュエルと頷きあう。
「マーサ」
ケイティ達が開発した新しい練香と小さな瓶を持ってきて貰う。
「メアリー様、これは?」
「わが国は、長年に渡って香水を輸入して国富が流出しているのが目下の課題よね。私達は代わりに練り香を作ってみたの」
クレイグに練香を試してもらう。
「おお、これは。香水ほどあまり香りは立ちませんが昼間には良いかもしれません」
クレイグが気に入ったのはラベンダーと白檀の組み合わせだった。確かに男性のオーデコロンに似ている香りよ。という事は、男性貴族にも売り込めるわね。
「蒸留できれば香水も不可能ではないわ。でもわが領には蒸留器は無いし蒸留に使う燃料も無いのよ。それに貴族に売り出すには相応の器や装飾品が必要になるわ」
お手上げのポーズをするとクレイグは頷く。
「なるほど。公爵家からの援助が必要と」
「援助より融資が欲しいの。量産できるまでは白檀の扇子を売り出す予定よ。相応の対価でお返しできると思うわ」
「なるほど。融資にして頂けるとこちらとしても助かります。」
スカイスクレイパー家も大変ですもの。あまり負担をかけたくないの。
「こちらが本題になるのだけど。今、わが国は東の国から香辛料を高値で買っているわね。こちらの香りはあちらも欲しがると思うけど、どうかしら」
クレイグに小瓶の蓋を開けて渡す。黒い木片からふわっと香る甘くて華やかな香り。
更に小皿に火をつけた木炭を用意してもらい、木片を載せる。部屋中に芳香が広がっていく。
「これは!素晴らしい香りですね」
「沈香と言ってアルウッド領の森の奥で採れたの。その最高級品よ。彼の地では伽羅と言って大変貴重な物だと聞いた事があるわ。確か、あちらの王侯貴族が独占しているのではないかしら?」
クレイグが目を輝かす。
「これで、王家と取引できないかしら?そしてお父様には、取り次ぎをお願いしたいね」
◇
「なんだか良い香りがするわ」
戻ってきたアンジェリカは我が領のラミー織で作ったワンピースを着ていた。
上半身は少しだけ厚手なVネック。腰から下は透け感のある白い薄手の生地を何枚か重ねているの。上下共に一番下に薄い赤布。それに白い薄衣を重ねているから桜色に見えるのよ。源氏物語に出てくる桜の襲色目ね。元歴女として一度、やってみたかったの。
アンジェリカがまるで妖精の様だわ。
「お姉様、これもアルウッド領で作られたの?」
「そうよ。アンジェリカ。着心地はいかがかしら?」
アンジェリカは嬉しそうに金髪を靡かせて、くるりと回る。
「絹では無いのですよね?でも絹みたいに柔らかくて光沢があるのに軽くて涼しいわ」
そう、チート領民が作るラミー織は身体強化で繊維を叩くからか、絹よりも軽いのよ。魔法ってすごいわね!
「夏のアフタヌーンドレスや普段着にどうかと思っているねよ。量産はこれからですけどね」
アンジェリカが両手を組み合わせてきらきらした空色の目で私を見るの。もう、可愛いわね。うちの妹は。
「私、絶対に欲しいわ。私みたいに欲しがる令嬢は沢山いるはずです。最近、年々暑くなるのですもの。ラミー織は涼しくて良いわ。このドレスみたいに色々な薄衣を組み合わせて色を作るのも素敵だわ」
「そうね。下地の布を取り替えれば色被りもなくなるわね。後、先ほど見せた扇子や日傘等の小物に使えないかと思っているの」
アンジェリカが手を叩いて喜んでくれる。
「さすがです、お姉様。素晴らしいアイデアですわ。私、ストールが欲しいわ、きっとお洒落よ。ドレスは衣を重ねてグラデーションにしても面白いかも」
やはりアンジェリカは美的センスに優れているわね。妹の新たな才能を発見したわ。
そして改めて席に着いたアンジェリカは背筋を伸ばし、公爵令嬢にふさわしい気品を漂わせて私に宣言した。
「お姉様。先ほどは取り乱してしまい申し訳ございません。私、自分が置かれている状況を理解していませんでした。お姉様の縁談と努力を私が台無しにした結果も家にどれほど損害を与えたかも。償いになるか分かりませんがお姉様の代わりに、心を入れ替えて公爵家後継として精進いたします。お約束いたします」
この調子なら立派な後継になるかしら。私は扇子を膝に置いて妹を柔らかく見つめた。
「ねえ、アンジェリカ。私もお父様もできない者にはやれとは言わないわ。実際、お父様はお母様には匙を投げていたでしょう?貴女がお母様と同じだと判断したら即、修道院に入れていたでしょう」
不安げな面持ちの妹を励ます。
「アンジェリカ、自分の能力を信じて。子どもの私がおさらい代わりに教えた位で、お作法や教養を身につける事は普通はなかなか出来ないのよ。貴女は優秀なのよ。これから大変だと思うけど貴女なら乗り越えられるわ。」
最後に微笑んだらアンジェリカは感極まったように手で口を覆ったわ。
「お姉様が笑っている…。はい。私、お姉様の分まで頑張ります」
◇
―――アンジェリカにも練り香を見せたら、こんな事を言ってたわ。
「姉様、私。実はお母様のお好きな薔薇の香水が苦手でしたの。むせるというか香りが強くてうっとなるの」
だから仄かな香りの練り香が嬉しいそうだ。
「私、早く公爵令嬢にふさわしいお作法を身につけて同世代の令嬢方に売り込みますわ!」
「ありがとう期待しているわ。
そうそう、王妃様は紅茶を好んでいらっしゃるの。紅茶の香りを邪魔にならない練り香を気に入ってくださると思うわ。これも貴女の力にかかっているわ」
「分かりました、お姉様。必ずや汚名を雪ぎますわ」
「そうよ、どうせならアンジェリカ、社交界の天辺を目指しなさい。あなたはまだデビュー前よ。これから挽回はできる。きっとできるわ」
「はい、お姉様!」
◇
アンジェリカの訪問で私達はスカイスクレイパー公爵家と大筋で合意ができたの。
東の国や砂漠の国との外交で使える伽羅の一部は王家へ献上する事
アンジェリカを通して白檀の扇子、練り香を貴族女性を中心に広める事
商品を貴族に納めるにふさわしい容器の調達や販売ルート開拓にスカイスクレイパー公爵家の協力を得る事
これから手数料の割合とか取り決めとかは文官を交えてやり合わないとならないけど、良いお話し合いができたと思うわ。
アンジェリカは「私、お姉様に恩義がありますもの。必ずや社交界の頂点に立ってお姉様を助けますわ」と張り切っている。クレイグ達も「アンジェリカ様をお連れして良かった」と喜んでいた。
出立するアンジェリカに話したわ。「アンジェリカ、私は良い物を作るからお願いね」そしてこっそりと言ったの。「だから良い人材を連れてきてね」
そうしたらね、アンジェリカはにっこりと笑って受けあったわ。
「はい、お姉様。是非、私にお任せください!必ずやお姉様にぴったりの良い人材を連れて行きますね!」
頼もしい妹だわ。私も頑張らなくちゃ!